1963年、モデルとして活動していた清水秀子さんと結婚し、女の子1人に恵まれるも、1968年に離婚した、なかにし礼(なかにし れい)さんは、その後、歌手の石田ゆりさん(いしだあゆみさんの妹)と再婚しています。
今回は、なかにし礼さんの再婚相手(2番目の妻)石田ゆりさんとの、馴れ初め、結婚後の関係についてご紹介します。

「なかにし礼の前妻(最初の妻)清水秀子との離婚理由の真実は?」からの続き
なかにし礼の再婚相手(2番目の妻)石田ゆりとの馴れ初めは?
なかにし礼さんは、1968年、前妻(最初の妻)清水秀子さんと離婚すると、1971年10月16日には、13歳年下の、元歌手・石田ゆり(本名・石田由利子)さんと再婚しています。
(石田ゆりさんはいしだあゆみさんの妹です)
なかにし礼さんは、1970年春、東京・赤坂にある芸能プロダクション「芸映」のレッスン室を訪れた際、スタッフから、
これから新人のオーディションがあるので一緒に聴いて下さい
と、言われたそうで、
そこで、紹介されたのが、18歳の石田ゆりさんだったそうですが、
なかにし礼さんは、石田ゆりさんを一目見て、
目のクリクリしたかわいらしい女の子だな
と、思ったといいます。
なかにし礼の再婚相手(2番目の妻)石田ゆりは無欲で上昇志向や覇気が感じられなかった
さておき、オーディションでは、石田ゆりさんは、なかにし礼さんが作詞した弘田三枝子さんの「人形の家」を歌ったそうですが、
なかにし礼さんは、
声は良いが、歌はあまりうまくない
と、思ったといいます。
また、なかにし礼さんは、スタッフから、石田ゆりさんが、歌手・いしだあゆみさんの妹だと聞いたそうですが、
スターのオーラをまとった姉・いしだあゆみさんに対し、石田ゆりさんは、天真爛漫で、無欲で、上昇志向や覇気というものが全く感じられなかったといいます。
(石田ゆりさんは、宝塚音楽学校を卒業するも、宝塚歌劇団には入らず、姉と同じ歌手の道に進みたいと思っていたそうです)

「人形の家」
なかにし礼は再婚相手(2番目の妻)石田ゆりに軽い気持ちでいきなりプロポーズしていた
そこで、なかにし礼さんが、ある日のこと、軽い気持ちで、
あなた、歌はダメだから、僕の嫁さんになりなさい
と、いきなりプロポーズすると、
なんと、石田ゆりさんは、
はい、なります
と、即答で、このプロポーズを快諾したのだそうです。

石田ゆりさんとなかにし礼さん。
ちなみに、石田ゆりさんは、4人姉妹の末っ子で、
- 長女・石田治子さんは、フィギュアスケートの選手で、1968年のグルノーブル五輪に出場
- 次女・いしだあゆみ(本名は石田良子)さんは、歌手で「ブルー・ライト・ヨコハマ」などがヒット
- 三女・石田美恵子さんは一般人
なのですが、
なかにし礼さんは、2002年、石田家をモデルにした小説「てるてる坊主の照子さん」を出版すると、2003年には、これを原作としたNHK連続テレビ小説「てるてる家族」が放送されています。
なかにし礼の再婚相手(2番目の妻)石田ゆりとの結婚後の夫婦仲は?
こうして、19歳で芸能界を引退し、なかにし礼さんと結婚した石田ゆりさんですが、
長男の康夫さんによると、石田ゆりさんは、人生のすべてをなかにし礼さんに捧げていたそうで、当時の家庭環境を、
両親の関係は、子どもの目から見て、ちょっと変わっていました。母は19歳で父と結婚し、芸能界を引退。つきあっていたときから含めると、50年、全人生を父に捧げ、常になかにし礼ファースト。セカンドもサードもないんです。
父は潔癖なところがあるので、シーツもパジャマも毎日取り換えないと気が済まない。また、他人を家に入れるのを好まないため、母は家事だけでも大変だったと思います。しかもとんでもなくモテる男ですから――。
と、語っています。
(石田ゆりさんは、結婚後は、芸能界から遠ざかり、主婦業と子育てに専念していたようで、1978年~1980年には、単発でテレビドラマに出演しているものの、正式な復帰ではなく、以降、芸能活動はしていなかったようです)
ただ、2人そろってトーク番組「徹子の部屋」に出演していたほか、2022年に、石田ゆりさんの姉・いしだあゆみさんが、「徹子の部屋」に出演した際には、(義弟である)なかにし礼さんが何十年にも渡って石田家のことを心から大切にしてくれていたことを感謝と共に明かしていたことから、
なかにし礼さんも、石田家を含めて石田ゆりさんのことを大切にしていたようで、夫婦の仲も良好だったことが伺えます。

石田ゆりさんとなかにし礼さん。
なかにし礼は再婚相手(2番目の妻)石田ゆりに対し愛情を再発見していた
また、なかにし礼さんは、2012年に食道ガンを発症すると、2013年には寛解するも、2015年にガンが再発しているのですが、
なかにし礼さんが、生きることに強い意欲を持ちつつも、密葬やお別れ会の段取りをするほか戒名を考えるなど、静かに自らの死に備える準備を進めていると、
彼女は『僕あっての人生』で、口には出さなかったけれど、僕がいなくなったら『自分はどうなるんだろう……』と、さぞかし不安だったはずです。そのストレスからでしょう。いつも明るい彼女がだんだん暗くなって、やせていった。
心配で食べられない、眠れないということで。それでも彼女は、僕が入院している間、毎日通ってくれた。僕が気に入っている店の弁当を持って
と、石田ゆりさんは、なかにし礼さんの闘病生活を献身的にサポートする中、うつ病を発症してしまったそうで、
なかにし礼さんが、石田ゆりさんがうつ状態になっていることに気づき、(精神的に苦しんでいるガン患者や、看病する家族の精神面を医学的に支える)精神腫瘍科に行って相談してくるよう言うと、
石田ゆりさんは、これに従い、処方してもらった薬を飲んで食欲も睡眠も回復し、日に日に元気になっていったそうですが、この出来事は、なかにし礼さんに、「家族の愛」を再認識させることとなったのだそうです
また、なかにし礼さんは、2度目のガン闘病で、自らの死を意識したそうですが、妻の苦しみを目にしたことで、心境には大きな変化が生まれたそうで、
がんと闘いながら思ったのは『僕がいなくなったら女房は大変だ』ということが、ものすごく如実にわかったということ。つまり彼女への思いや“愛”がわかった。子供たちに対しても同じことが言えるけれど。
同時に、女房と子供たちがいかに僕のことを愛しているか、大事に思っているかということを痛感したことも確かです。
それだけに、これからは女房をより大事にして生きていかなければいけないと思うし、もの書きとしては、命のある限り書き続けていきたい。僕は『書くこと』にしか興味がないですから
と、語っています。
なかにし礼は再婚相手(2番目の妻)石田ゆりとの結婚生活を通して「結婚は最高」と言い切っていた
そして、なかにし礼さんは、2020年12月23日、石田ゆりさんら家族に見守られながら、その生涯を閉じているのですが、
ガン発覚後、石田ゆりさん以外、誰にも相談せず、最先端の「陽子線治療」を石田ゆりさんと一緒に見つけ、常に二人三脚で病に立ち向かっていたほか、
晩年、「婦人公論」での宮城谷昌光さんとの対談で、「結婚は最高」と断言し、石田ゆりさんのことを、
今や女房はよき友であり、戦友であり、きょうだいであり、ときに母親であり、共犯者でもある
と、語っており、
最初は、「なかにし礼ファースト」から始まった夫婦の関係ですが、次第に、なかにし礼さんにとって、石田ゆりさんは、かけがえのない存在になっていったようです。
「なかにし礼の子供は3人!長男は中西康夫!長女は?次女は?孫は?」に続く
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1963年、モデルの清水秀子さんと結婚するも、1968年に離婚し、その後、1971年に、歌手の石田ゆり(いしだあゆみさんの妹)さんと再婚した、なかにし礼(なかにし れい)さんは、 前妻(最初の妻)清水秀子さんとの間に娘が …









