18歳の時、ファーストシングル「悲しみのアリア」でレコードデビューすると、その後、シングルを4枚リリースするも、19歳の時に、作詞家のなかにし礼さんと結婚し、芸能界を引退した、石田ゆり(いしだ ゆり)さん。
今回は、石田ゆりさんの、生い立ち(少女時代)、若い頃(デビュー)から現在までの経歴、夫・なかにし礼さんとの馴れ初め、結婚後の夫婦関係、子供についてご紹介します。

石田ゆりのプロフィール
石田ゆりさんは、1951年11月23日生まれ、
大阪府池田市の出身、
本名は、中西由利子(旧姓・石田由利子)、
学歴は、
梅花高等学校
⇒宝塚音楽学校卒業
だそうです。
石田ゆりの姉はいしだあゆみと五輪代表の石田治子
そんな石田ゆりさんは、
- 長姉が、フィギュアスケートの選手で、1968年、グルノーブル五輪に出場した、石田治子さん
- 次姉が、女優で歌手のいしだあゆみさん
という、有名人一家で、
(三女は石田美恵子さんというそうですが、一般人です)
夫のなかにし礼さんによって、2002年、石田家をモデルにした小説「てるてる坊主の照子さん」が出版されると、
2003年には、これを原作としたNHK連続テレビ小説「てるてる家族」も放送されています。
石田ゆりは16歳の時に宝塚音楽学校に合格していた
石田ゆりさんは、大阪府池田市の商店街で喫茶店「フジヤ」を営むお父さんのもと、4人姉妹の末っ子として誕生すると、1968年、16歳の時、梅花高等学校を1年で修了し、宝塚音楽学校に入学しています。
(同期には小柳ルミ子さんや麻実れいさんがいたそうです)
石田ゆりは18歳の時に宝塚歌劇団への入団を辞退し歌手になるため上京していた
そして、1970年、18歳の時、宝塚音楽学校を卒業すると、宝塚歌劇団への入団が決まり、「名月ゆり」と芸名も決まっていたそうですが・・・
すでに、歌手として活動していた、姉・いしだあゆみさんに憧れ、宝塚歌劇団への入団を辞退して、上京し、芸能事務所「芸映」に所属したそうです。
石田ゆりは18歳の時に「悲しみのアリア」でレコードデビュー
そして、同年(1970年)9月、18歳の時には、「いしだあゆみの妹」として注目される中、ファーストシングル「悲しみのアリア」でレコードデビューを果たしています。

「悲しみのアリア」
石田ゆりは19歳の時に「愛ある限り」「愛を知ったから」「いつも二人」をリリースするも売上はパッとしなかった
その後も、石田ゆりさんは、
- 1971年1月10日「愛ある限り」

「愛ある限り」 - 1971年5月5日「愛を知ったから」

「愛を知ったから」 - 1971年8月8日「いつも二人」

「いつも二人」
と、立て続けにシングルをリリースしたのですが・・・
売り上げはパッとしませんでした。
石田ゆりの夫・なかにし礼との馴れ初めは?
そんな中、石田ゆりさんは、1971年10月16日、19歳の時、作詞家のなかにし礼さんと結婚しているのですが、

石田ゆりさんとなかにし礼さん。
実は、石田ゆりさんが、1970年春、歌手を目指して上京し、「芸映」のオーディションを受けた際、なかにし礼さんもオーディションを見学していたそうで、以来、交流があったようですが、
(石田ゆりさんがリリースした全4曲は全てなかにし礼さんが作詞しています)
ある日のこと、なかにし礼さんから、突然、
あなた、歌はダメだから、僕の嫁さんになりなさい
と、プロポーズされ、
なんと、石田ゆりさんは、
はい、なります
と、即答し、結婚に至ったのだそうです。
(実は、なかにし礼さんは、オーディションの際、石田ゆりさんをひと目見て、「目のクリクリしたかわいらしい女の子だな」と思っていたそうですが、一方、歌の方は、(声は良かったものの)あまりうまくないと思っていたそうです)
石田ゆりは19歳で結婚し芸能界をほぼ引退していた
結婚後、石田ゆりさんは、主婦業と子育てに専念すると、
その後、
- 1978「ムー一族」

「ムー一族」より。 - 1978年「気まぐれ本格派」第38話
- 1979年「風光る・亜紀子」
- 1980年「銭形平次」第718話
などのテレビドラマに脇役で出演していたのですが、
その後は、芸能界から遠ざかっています。
石田ゆりの夫・なかにし礼との結婚後の関係は?
ちなみに、石田ゆりさんは、なかにし礼さんと結婚後は、
なかにし礼が趣味
と言えるほど、常になかにし礼さんを優先し、全人生をなかにし礼さんに捧げていたそうで、
2012年になかにし礼さんが食道ガンを発症し、医師から手術を勧められた際にも、心臓に持病があり、手術に耐えられそうにないなかにし礼さんのため、自分たちで他の治療法を見つけようと、インターネットで、身体への負担が少ない「陽子線治療」という新しい治療法を探し出していたといいます。
また、なかにし礼さんが、闘病中、自身の死に備えて準備していると、石田ゆりさんは、夫がいなくなる不安とストレスから、一時は、うつ病を発症してしまったといいます。
これは、幸い、石田ゆりさんがうつ病になっていることに気づいたなかにし礼さんの勧めで精神腫瘍科を受診すると、無事、回復したそうですが、この出来事から、石田ゆりさんにとってなかにし礼さんがいかに大きな存在であるかが分かります。

石田ゆりさんとなかにし礼さん。
一方、なかにし礼さんも、晩年、「婦人公論」の宮城谷昌光さんとの対談で、「結婚は最高」と断言し、石田ゆりさんのことを、
今や女房はよき友であり、戦友であり、きょうだいであり、ときに母親であり、共犯者でもある
と、語っており、
「夫を優先する」ことから始まった石田ゆりさんの結婚生活も、次第に、互いに必要不可欠な存在として支え合う関係へと変化していったようです。
(石田ゆりさんの姉・いしだあゆみさんが、2022年、「徹子の部屋」に出演した際には、(義弟である)なかにし礼さんが石田家に愛情を注いでくれたと深く感謝の意を表しており、なかにし礼さんは、石田ゆりさんだけでなく、石田家も大切にしていたようです)
石田ゆりとなかにし礼の子供は?
石田ゆりさんとなかにし礼さんの間には、子供が2人(息子1人娘1人)誕生しています。
息子(長男)は中西康夫
石田ゆりさんの長男は、音楽プロデューサーの中西康夫さんで、
中西康夫さんは、日本大学藝術学部演劇学科卒業後、東宝演劇部に入社し、演出助手、舞台監督を務め、世界的な大ヒット作「レ・ミゼラブル」なはじめとする数多くの舞台作品に携わると、
2004年からは、「株式会社 日音」を拠点に活動し、現在は、新人アーティストの発掘や育成、楽曲プロデュースなどを手掛けているそうです。
ちなみに、中西康夫さんが幼い頃は、なかにし礼さんが兄の多額の借金(数億円の規模)の肩代わりを強いられ、しばしば、家に借金取りが来ていたことから、「子供をこのような環境で育てるわけにはいかない」と、大阪府・池田市にある、石田ゆりさんの実家に預けられていたそうです。
娘(長女)は?
石田ゆりさんの長女は、夏奈子(かなこ)さんというそうですが、一般人のため、職業など、詳しいことは不明です。
ただ、ローランさんという外国人の男性と結婚しており、2019年時点、希亜良(きあら)さんという娘さんが1人いるようです。

なかにし礼さんの家族写真。(左列上から)ローランさん、夏奈子さん、希亜良さん。(右列上から)中西康夫さん、石田ゆりさん、なかにし礼さん。
石田ゆりの現在は?
石田ゆりさんは、献身的な看病の末、2020年12月23日、夫・なかにし礼さんを看取っているのですが、
2026年現在、一般人として生活を送っているようで、メディアには登場しておらず、芸能活動はしていないようです。
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