作詞家として、「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で3度もレコード大賞を受賞するほか、作家としても、「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞するなど、作詞家としても作家としても大成功を収めた、なかにし礼(なかにし れい)さんですが、
27歳の時、心臓発作に見舞われると、その時の医師の誤診により、以降、心臓の病気を抱えることになったほか、2度に渡るガンの闘病があったといいます。
今回は、なかにし礼さんの、心臓の病気、2度のガン闘病、死因などについて、時系列でご紹介します。

「なかにし礼は「風吹ジュン誘拐事件」に関与していた?その真相は?」からの続き
なかにし礼は27歳の時に心臓発作に見舞われていた
なかにし礼さんは、1965年11月半ば、27歳の時、夜中に急に心臓発作に見舞われたそうですが、当時の奥さんが自宅近くの救急病院に連絡してくれ、
駆けつけた医師から、即座に「心臓発作」と診断され、ニトログリセリンを飲み、腕に注射を受けると、それまでの激痛が魔法のように消え去ったといいます。
ただ、医師には、
明日からすぐに入院してください
と、告げられたそうで、
なかにし礼さんは、
自分が心臓病?なぜ入院まで?
と、激しく動揺し、再びパニックに陥ったといいます。
(なかにし礼さんは、幼少期は虚弱体質でマラソンなどが不得意も、高校では柔道部の過酷な稽古を乗り越えた自負があったことから、自分の心臓がそこまで弱いとは信じがたかったそうです)
なかにし礼は心臓病を「自律神経失調症」だと誤診されていた
また、医師からは、
心臓そのものが強い弱いではないのです。あなたの場合は極度の疲労かストレスが原因で冠動脈が痙攣を起こしたのです。一種の自律神経失調症なのですが、それが狭心症を引き起こしたのです
と、説明されたそうで、
なかにし礼さんは、1965年11月15日から1ヶ月半に及ぶ入院生活を送ることになったそうですが・・・
この時の医師の診断は、
若者が心臓発作を起こすはずがない。これは自律神経失調症だ
と、思い込んだ誤診だったそうで、
なかにし礼さんには、心臓の薬は与えられず、効かない薬ばかり飲まされ続けたそうで、その結果、(後に分かったそうですが)左心室が壊死し、心筋梗塞になってしまったのだそうです。
なかにし礼は医師の誤診により心臓病に悩まされるようになっていた
以降、なかにし礼さんは、心臓に病気を抱えることになってしまったそうで、作詩家としてデビューし、1967年には、「知りたくないの」「恋のフーガ」などヒット曲を連発するも、心臓発作が続き、何度も救急車で運ばれていたといいます。
また、その一方で、兄が作った膨大な借金とその返済に追われ、一時は社会的信用を失い「再起不能」とまで囁かれたそうですが、発作を抑える薬を口に含みながら、心臓の痛みに耐えて執筆を続けたそうで、
そうした極限状態の中から、1978年には、「時には娼婦のように」(黒沢年雄さん)といった起死回生の大ヒット曲を次々と生み出していったのだそうです。

「時には娼婦のように」
そして、1992年、54歳の時には、再び大きな心臓発作に襲われて意識を失ったそうで、8時間もの間、生死の間をさまよい、臨死体験までした末、奇跡的に生き返ることができたそうですが、
この時、かねてから取り組みたいと思っていたという作家業にも取り組むことを決意したのだそうです。
なかにし礼は73歳の時に食道ガンが見つかり余命8ヶ月と診断されていた
その後、心臓の大きな発作は起きなかったそうですが、2011年の終わり頃から、のどの違和感、口臭、声のかすれを感じ始めたそうで、
2012年2月、のどの不快感と、むかつき、嘔吐感に悩まされるようになり、胃カメラ検査を受けたところ、4.5センチの食道ガンが見つかり、ステージ2の後半、余命8ヶ月と診断されたといいます。
(食道近くのリンパ節への転移が始まっていたそうです)
なかにし礼は「陽子線治療」を受け食道ガンが寛解していた
こうして、なかにし礼さんは、4人の医師たちから手術を勧められたそうですが・・・
なかにし礼さんには、心臓に持病があったことから、手術には耐えられそうになく、自分で治療法を見つけようと、夫婦でインターネットで調べると、身体への負担が少ない「陽子線治療」という新しい治療法を見つけたといいます。
(「陽子線治療」は、放射線治療の一種なのですが、病巣だけに照射できるため、患部以外のダメージを抑えることができるのだそうです)
そして、国立がん研究センター東病院で「陽子線治療」を受けると、2013年1月、無事、ガンが消え、寛解したのだそうです。
なかにし礼は76歳の時に気管支に近いリンパ節にガンが再発していた
しかし、それから2年半後の2015年2月初旬には、気管支に近いリンパ節にガンが再発したといいます。
しかも、担当医師たちからは、今回は「陽子線治療」を使えず、ガン細胞が気管支に密接し、臓器の壁を突き破る寸前で、もし手術をしなければ、ガン細胞が気管支を突き破り、明日にでも死んでしまうかもしれないことを告げられたのだそうです。
(ガン細胞が気管支を突き破ることを「穿破(せんぱ)」というそうですが、この「穿破(せんぱ)」が起きると、最悪の場合ほとんど即死、最長でも4日ぐらいしか持たないそうです)
そんな中、なかにし礼さんには、心臓に持病があったことから、長い手術に耐えられるか不安があったそうですが、
たとえ死ぬことがあっても、それは仕方ない
と、手術を決めたそうで、
同年2月25日、4時間以上に及ぶ、手術を受けたそうですが、あまりにもガンが気管支に密接していたため、無理にガンを切除しようとすると気管支に穴を開けてしまうことになるため、切除できなかったといいます。
しかし、手術を担当した外科医が、静脈がガンを気管支のほうへ押しているかもしれないと閃(ひらめ)き、ガン細胞のすぐそばを通っている静脈を1本切断したことで、無事、ガンを切除することができたのだそうです。
すると、その後、抗ガン剤の治療でガンは縮小し、「陽子線治療」に切り替えると、ガンは寛解したそうですが、
なかにし礼さんは、闘病中、死の恐怖に怯えるも、
ボディーだけになってはいけない
医師任せにしないで、積極的になる
闘病している自分とは別に、もう一人の自分というものを作りだす
と、もう一人の自分が生み出した活力を闘病している自分に流し込む方法を思いつき、その活力で、創作活動を続けたのだそうです。
そして、2015年10月2日には、担当の医師たちから、
今回のがんは、これで完全にOKです
と、言われたそうで、
以降、2ヶ月に1度、定期検査を行うも、結果はずっと異常なしで、ガンになる前の元気だった頃の生活とほとんど変わらない生活を送れるまでに回復したのだそうです。
なかにし礼の死因は?
しかし、そんななかにし礼さんも、2020年秋には、持病の心臓病が悪化し、同年11月、都内の病院に入院すると、
2020年12月23日午前4時23分、心筋梗塞により、家族に看取られて82歳で他界されたのでした。
「なかにし礼は森田童子の叔父!「血の歌」で明らかになった2人の絆とは?」に続く
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2020年秋頃、持病の心臓病が悪化し、療養を続けるも、同年12月、心筋梗塞により他界された、なかにし礼(なかにし れい)さんですが、 死後、遺族によって、未発表だった小説「血の歌」が出版されると、それまで素性が一切明かさ …







