作詞家として、次々とヒットを連発していた、なかにし礼(なかにし れい)さんですが、1974年9月、当時、清純派アイドルとして人気絶頂だった風吹ジュンさんが、突如、連れ去られた事件に、なかにし礼さんも関与していたといいます。
今回は、なぜ、なかにし礼さんが反社会的勢力も関わっていたこの現場にいたのか、また、風吹ジュンさんの移籍を巡る騒動に隠された真相についてもご紹介します。

「なかにし礼の兄が酷すぎて死去で万歳?著書「兄弟」はドラマ化も!」からの続き
なかにし礼が関与していた「風吹ジュン誘拐事件」とは?
風吹ジュンさんは、当初、「アド・プロモーション」という事務所と仮契約し、1974年5月に「愛がはじまる時」で清純派アイドルとしてデビューすると、売上25万枚の大ヒットとなり、一躍スターとなっているのですが、
給料が月額23万円だったことに不満を持ち、倍額の月給を提示した「ガル企画」に、同年9月9日、移籍したそうです。
すると、風吹ジュンさんは、同月12日、収録を終え、スタジオから出た瞬間、「アド・プロモーション」でマネージャーだった男らに拉致されたそうで、
「ガル企画」の社長に連絡させられると、「ガル企画」の社長には、男たちの指示に従うよう言われ、品川のホテル・パシフィックへ軟禁されたのだそうです。
すると、その部屋には、「アド・プロモーション」の社長・前田亜土さん、反社会的な男、なかにし礼さん、なかにし礼さんの実兄・正一さんがいたそうで、正一さんが、風吹ジュンさんに対し、移籍を断念するよう迫ったといいます。
そして、今度は、高輪プリンスホテルに移動し、引き続き、風吹ジュンさんは、移籍を断念するよう迫られたそうですが、
やがて、風吹ジュンさんが、翌日の仕事の為の衣装を取りに行かない旨伝え、風吹ジュンさん、「アド・プロモーション」でマネージャーだった男、なかにし礼さんが、ホテルの下に降りると、80人もの警官が待ち構えていたそうで、風吹ジュンさんは保護されたのだそうです。
なかにし礼は「風吹ジュン誘拐事件」の現場にいた?
実は、風吹ジュンさんが拉致された当日、「ガル企画」の社長は、従業員がなかにし礼さんの事務所に在籍していた時に借金していたお金を返済するため、暴力団事務所を訪れていたそうですが、事務所では、暴力団組員に殴る蹴るの暴行を受けていたといいます。
しかも、そこで、暴力団事務所になかにし礼さんから電話が入ったそうで、
暴力団の幹部が、なかにし礼さんに、
いま「ガル企画」の社長を監禁してる。お前の友人だろう。身柄を引き取らないか
と、言い、
「ガル企画」の社長にも、
お前からもなかにしに頼んだらどうだ
と、言ったそうで、
「ガル企画」の社長は、なかにし礼さんに身柄を引き取ってくれるよう頼んだそうですが、
なかにし礼さんには断られたといいます。
さらに、なかにし礼さんには、なかにし礼さんの兄・正一さんに頼むよう言われたそうで、「ガル企画」の社長は、なかにし礼さんの兄・正一さんに電話をすると、
正一さんには、身柄引き取りの条件として、風吹ジュンさんが「ガル企画」との契約を解除し、「ガル企画」の社長がなかにし礼さんに貸した280万円の借金を帳消しにすることを突きつけられたそうで、
恐怖のあまり、「ガル企画」の社長は、この条件を受け入れ、先ほど、風吹ジュンさんに、男たちの指示に従うよう言っていたのだそうです。
こうして、「ガル企画」の社長は、解放されたそうですが、病院で治療を受けた後、弁護士と相談して警察に通報したそうで、事態を重く見た警視庁が、パトカー20台と警官80人を高輪プリンスホテルに動員し、風吹ジュンさんは、無事、保護されたのでした。
なかにし礼は「風吹ジュン誘拐事件」の黒幕?兄のトラブルに巻き込まれていた?
その後、「ガル企画」の社長と風吹ジュンさんは、なかにし礼さん、なかにし礼さんの兄・正一さん、「アド・プロモーション」の社長・前田亜土さん、暴力団の幹部を、監禁・強要・強盗傷人などの罪で告訴しているのですが、
なんと、なかにし礼さんもなかにし礼さん兄・正一さんも「アド・プロモーション」の役員で、「アド・プロモーション」の社長の前田亜土さんの妻は正一さんの次女(森田童子)だったそうで、なかにし礼さんは、「風吹ジュン誘拐事件」の”黒幕”だったというのです。
ただ、なかにし礼さんによると、「ガル企画」の社長は親戚に九州の暴力団組員がいて、「アド・プロモーション」の社長・前田亜土さんは脅されていたといいます。
さらに、なかにし礼さんは、当時、既に、作詞家として大成功していましたが、兄・正一さんが抱えた莫大な借金やトラブルに悩まされており、この事件においても、現場にはいたものの、素行不良のお兄さんに巻き込まれただけだったとも言われています。
(つまり、なかにし礼さんは、「アド・プロモーション」の役員ではあったものの、実務や強引な手法を主導していたのは、(その筋の人だったとも言われている)正一さんだったとも言われています)
なかにし礼は「週刊ポスト」の記事を巡り記者を告訴していた
また、なかにし礼さんは、「風吹ジュン誘拐事件」の3年前の1971年、「週刊ポスト」(小学館)に、「凄い芸能界の“相愛図”なかにし礼」(1971年7月9日号)と、女性関係などを報道されているのですが、
なかにし礼さんは、担当記者2人から、
私生活をバラされたくなければ協力しろ
と脅されたとして、発売後、2人を告訴し、記者は強要罪で逮捕されていたといいます。
(最終的には、民事上で和解が成立し、のちに不起訴となったそうです)
そして、その後、芸能事務所の団体である「日本音楽事業者協会」(音事協)が、発行元の小学館に対して、
謝罪しなければ今後、所属タレントの取材や写真使用を一切拒否する
と、猛烈な圧力をかけ、小学館が謝罪していたといいます。
なかにし礼は「日本音楽事業者協会(音事協)」に圧力をかけられていた?
ただ、なぜ一作詞家の私生活の記事が、ここまでの騒動になったのでしょうか。
この記事では、当時、絶大な人気を博していた天地真理さんの名前も出ていたことから、天地真理さんの所属先である「渡辺プロダクション」の渡辺晋社長(日本音楽事業者協会の理事長)が、看板スターに傷がつくことを嫌い、なかにし礼さんと出版社(小学館)に圧力をかけたとしています。
つまり、なかにし礼さんは、芸能界の”ドン”、つまり、業界トップである渡辺晋社長に睨(にら)まれて、「芸能界から干される」ことを恐れ、身を守るために記者を告訴せざるを得ない状況に追い込まれたというのです。
(これ以降、音事協(日本音楽事業者協会)がメディアに対して強い発言力を持つ「圧力団体」としての側面を強めたといいます)
今となっては真相は藪の中ですが、芸能界という華やかな世界の裏側では、我々には知り得ぬ様々な出来事があることは間違いなさそうです。
「なかにし礼の死因は?誤診で心臓病が悪化?ガンを2度克服していた!」に続く
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作詞家として、「天使の誘惑」「今日でお別れ」「北酒場」で3度もレコード大賞を受賞するほか、作家としても、「長崎ぶらぶら節」で直木賞を受賞するなど、作詞家としても作家としても大成功を収めた、なかにし礼(なかにし れい)さん …







