1965年、22歳の時、イタリア映画「赤い砂漠」のテーマ曲で、カンツォーネ歌手としてレコードデビューすると、1966年にリリースした「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット曲「愛して愛して愛しちゃったのよ」が、100万枚を超える大ヒットを記録し、一躍、人気歌手となった、田代美代子(たしろ みよこ)さん。

今回は、そんな田代美代子さんの、若い頃から現在までの経歴を代表曲を交えて時系列でご紹介します。また、最後には、ディスコグラフィー(シングル)もご紹介します。

田代美代子

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田代美代子のプロフィール

田代美代子さんは、1943年10月1日生まれ、
東京都豊島区目白の出身、

学歴は、
明治学院大学中退
⇒2010年、2011年度早稲田大学大学院教育学研究科修士課程入学試験に合格

田代美代子は大学生の時に石井好子に師事しシャンソンを学び始めていた

田代美代子さんは、大学生の頃、演劇が大好きで、その延長で、シャンソンに夢中になり、シャンソン歌手・石井好子さんが主催するコンクールに出場したそうです。

すると、このことがきっかけとなり、石井好子さんに師事してシャンソンやカンツォーネを学び始めたそうです。

また、ジャズシンガーの鈴木敏夫さんからはジャズを学び、ジャズ喫茶「銀巴里」「ホテルオークラ」などで歌い始めたそうです。

田代美代子は22歳の時にイタリア映画「赤い砂漠」のテーマ曲でカンツォーネ歌手としてレコードデビュー

そんな田代美代子さんは、1965年、22歳の時、イタリア映画「赤い砂漠」のテーマ曲で、カンツォーネ歌手としてレコードデビューを果たしています。

「赤い砂漠」
「赤い砂漠」

田代美代子は22歳の時に「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット曲「愛して愛して愛しちゃったのよ」が売上100万枚超の大ヒット

そして、同年(1965年)、リリースした、「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット曲「愛して愛して愛しちゃったのよ」が100万枚を超える大ヒットを記録し、たちまち、ブレイクしたのでした。

「愛して愛して愛しちゃったのよ」
「愛して愛して愛しちゃったのよ」

田代美代子が「愛して愛して愛しちゃったのよ」のボーカルに抜擢された理由とは?

実は、田代美代子さんは、デビューを間近に控えたある日、ビクターレコードの廊下で「和田弘とマヒナスターズ」の和田弘さんと偶然すれ違ったそうですが、その時、そのまま、和田弘さんにレッスン室に誘われて歌声を披露すると、

和田弘さんに、ある歌の歌詞を見せられ、

こういうのやらない?

と、言われたといいます。

ただ、田代美代子さんは、この頃、シャンソンをメインに活動していて、歌謡曲に馴染みがなかったことから、

提示された「愛しちゃったのよ」という歌詞を、

どうやってそれを歌うの?

と、困惑し、

あまりにも、シャンソン(自身のスタイル)とはかけ離れていた世界観に、人生最大のショックを受けたそうで、このオファー(デュエット)を断っていたといいます。

それでも、何度も和田浩さんにオファーされ、最終的にはこのオファーを引き受けたそうですが、

十数年後、和田弘さんから、

ピンと来たんだよ。この子なら(歌詞の恥ずかしさに)うつむいて歌うと思った

と、言われて、ようやく、自身がオファーされた理由が分かったといいます。

つまり、愛の言葉を口にするのをためらい、照れながら歌う、”恥じらい”の雰囲気を出すことこそが、和田弘さんの狙いだったそうですが、

田代美代子さんは、一瞬の出会いでそこまで見抜かれていたことに、深い驚きを感じたそうです。

田代美代子と「和田弘とマヒナスターズ」
田代美代子さんと「和田弘とマヒナスターズ」。

田代美代子は22歳の時に「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット曲「ここがいいのよ」「涙と雨にぬれて」がヒット

そして、1966年には、再び「和田弘とマヒナスターズ」とデュエットした「ここがいいのよ」をリリースすると、これまたヒット。

「ここがいいのよ」
「ここがいいのよ」

また、同年10月にリリースした「涙と雨にぬれて」もヒットとなり、田代美代子さんは、この年末の「第17回NHK紅白歌合戦」に初出場を果たし、トップ歌手としての地位を確立したのでした。

「涙と雨にぬれて」
「涙と雨にぬれて」

田代美代子は25歳の時に「小川宏ショー」の司会者としてレギュラー出演していた

そんな田代美代子さんは、その後、映画、テレビドラマ、舞台にも出演すると、

1968年、25歳の時には、「小川宏ショー」に司会者としてレギュラー出演するなど、幅広い分野で活動し、充実した日々を送っていたのですが・・・

田代美代子は32歳の時に病気で引退(長期休業)していた

1975年、32歳の時、多忙による疲れが重なったせいか、地方での仕事中に、脂汗が止まらず、体が震えるほどの凄まじい激痛に襲われ、医療機関を受診したところ、

「急性膵臓炎」と診断されて、ドクターストップがかかってしまい、活動休止を余儀なくされてしまったそうで、

田代美代子さんは、この時、

歌手としての人生はもう終わった

と、思うほどの絶望を味わったといいます。

また、田代美代子さんは、その時のことを、

めまぐるしく移り変わる世の中で、夢も希望も奪われ、孤独な病室の中で時計の針は止まってしまったのです。病気はついでに気をも病んでしまいます。辛く、静かな引退でした。

と、語っています。

田代美代子は活動休止中、強い被害者意識に悩まされていた

そして、この病気の治療には3年を要したそうですが・・・

田代美代子さんは、その後も、長らく心の傷に苦しんだそうで、結果として10年近くも活動を休止することになったといいます。

というのも、田代美代子さんは、当時、極度の対人恐怖に陥り、

周囲の視線がすべて自分に向けられている

という恐怖から外に出ることすらできなくなってしまい、

ただ今日が終わり、明日が来るだけの毎日でいいのか

と自問自答を繰り返す日々の中で、

どこか、

自分だけが傷つけられた

という強い被害者意識に支配されていたのだそうです。

田代美代子は活動休止中に野菜を育てることで心の健康を取り戻していった

ただ、そんな中、庭に立ち、キュウリ、トマト、ナス、オクラといった野菜を育て始めると、手をかけた分だけ素直に応えてくれる植物の姿を見て、次第に食べる意欲と心の健康を取り戻していったそうで、

野菜や花、保護した犬猫たちの世話をしているうちに、

自分は一番最後(ビリっかす)でいい

と、自然に思えるようになり、心の重荷が取れたのだそうです。

(若い頃は、末っ子という環境や、デビュー直後での大ヒットもあり、「自分が一番」と考えていたそうです)

田代美代子は39歳の時に歌手活動を再開していた

そんな中、突然、恩師・石井好子さんから電話で、

そろそろどう?歌いなさいよ。亭主がいる訳じゃなし。

と、後押しされたそうで、

1982年、39歳の時、再起をかけて、歌手として復帰すると、1985年から、本格的に歌手活動を再開したのだそうです。

田代美代子の現在は?

以降、田代美代子さんは、ディナーショーやコンサートなどでステージを重ねているのですが、

1996年、53歳の時に、「ユネスコ・世界寺子屋運動」の活動に参加して、「ハートフル・チャリティーコンサート」を主催し、インドやバングラデシュなどのスラムの寺子屋を訪問すると、

その後も、ユネスコのチャリティー公演のほか、高齢者施設での慰問ライブなどを続けているそうです。

また、かつて、田代美代子さんは、若さゆえに自分のスタイルに固執して”とんがっていた時期”もあったそうですが、様々な経験を積むうちに、音楽ジャンルへのこだわりが完全になくなったそうで、

現在は、

いい歌はいい歌。

と、自然に受け入れられるようになり、以前よりもさらに音楽が大好きになったといいます。

そして、ジャンルの壁を超えて音楽を楽しめるようになったことで、気持ちが楽になり、音楽に向き合えるようになったそうで、

災い転じて 振り返って見ると、前はいい気になって不平不満を持っていて、そして病気になって神様は罰を与えたのかなと思ったのですが、神様はきっと軌道修正してごらんと、ヒントを与えてくださったのかなと、今は思います。

プラスに考え始めると、なんでも良い方に転がってゆくような気がする。嫌なことがあっても、何かをおっしゃりたいんだなあと思います。この角を曲がったら、必ずきっと良いことがあると、自分に思っています。

と、語っています。

田代美代子
田代美代子さん。

田代美代子は結婚している?子供は?

田代美代子さんは、プライベートをほとんど明かしていないため、全く情報がなく、結婚しているか否か、子供がいるのかも不明です。

ただ、田代美代子さんは、休養中だった1982年(39歳)頃、恩師・石井好子さんに、

そろそろどう?歌いなさいよ。亭主がいる訳じゃなし。

と、言われているほか、

87歳のお母さんと2人暮らしをしていることを明かしていたことがあることから、独身である可能性が高そうです。

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田代美代子のディスコグラフィー(シングル)

それでは、最後に、田代美代子さんの主なシングルをご紹介しましょう。

  • 1965年「サウンド・オブ・ミュージック/ドレミの歌」※ロミ山田
    「サウンド・オブ・ミュージック」
    「サウンド・オブ・ミュージック/ドレミの歌」
  • 1965年「幸せがいっぱい」
    「幸せがいっぱい」
    「幸せがいっぱい」
  • 1965年「愛して愛して愛しちゃったのよ」※「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット
  • 1966年「ここがいいのよ/ムーン・ドリーム」※「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット
  • 1966年「今宵だけのパートナー/渚の砂に」※フランク永井とのデュエット
  • 1966年「涙と雨にぬれて」※「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット
  • 1966年「好き好き好きよ」
  • 1967年「恋のなごり」
  • 1967年「二人だけの部屋」
  • 1969年「愛しながら別れたいの」
    「愛しながら別れたいの」
    「愛しながら別れたいの」
  • 1970年「恋おんな」
  • 1970年「星になったあなた」
  • 1971年「北帰行」
  • 1972年「水色のワルツ」
  • 1977年「泣くな片妻」※「和田弘とマヒナスターズ」とのデュエット
    「泣くな片妻」
    「泣くな片妻」
  • 1977年「ゆうべの子守唄」
  • 1985年「ここであなたと暮らしたい」※「ロスプリモス」とのデュエット
  • 1985年「浮気ならいいわ」
  • 1985年「涙と雨にぬれて」
  • 1986年「砂丘の女」
  • 1987年「黄昏に涙して」
  • 1988年「一枚の切符から」
  • 1990年「パリよりあなたへ」
  • 1991年「磐越西線」
  • 1993年「ときめき美人」
  • 2005年「ラスト・シーン」
  • 2007年「美しい地球」
  • 2007年「今、何処にいますか」
  • 2013年「ホテル白夜」
    「ホテル白夜」
    「ホテル白夜」

ほか、(発売年不明)

  • 「この愛に生きて」
  • 「風子」
  • 「愛よふたたび」
  • 「くちづけの前に」
  • 「君に涙とほほえみを」
    「君に涙のほほえみを」
    「君に涙とほほえみを」

などをリリースしています。

予定に続く

お読みいただきありがとうございました

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