父・相澤秀禎さん創業の「サンミュージック」を引き継ぎ、日本のエンターテイメント界を牽引してきた、相澤正久(あいざわ まさひさ)さんですが、

相澤正久さんは、もともとは、アメリカの大学を卒業後、帰国して旅行会社「京王観光」に入社し、ツアープランナーとして活動していたといいます。

今回は、相澤正久さんの生い立ち(アメリカ留学~旅行会社勤務時代)を時系列でご紹介します。

相澤正久

Sponsored Link

相澤正久のプロフィール

相澤正久さんは、1949年生まれ、
神奈川県の出身、

学歴は、
アメリカの大学を卒業、

趣味は、
歴史学(日本史)、城郭研究(日本城郭史学会会員)、

特技は、
英会話、スペイン語、

ちなみに、「相澤正久」は本名で、お父さんは、芸能プロダクション「サンミュージック」の創業者の相澤秀禎さんです。

相澤正久は大学生の時、アメリカ近代史を勉強するためアメリカ留学していた

相澤正久さんは、お父さんの相澤秀禎さんとお母さんのてる子さんのもと、長男として誕生すると、大学生の時には、アメリカ近代史に興味を抱き、なぜ日本はアメリカと戦わなければいけなかったのか、ということを勉強したくて、アメリカに留学したそうです。

(父・相澤秀禎さんは、「おまえはおまえで好きなことをやれ」と言ってくれたそうです)

また、相澤正久さんは、もともと、芸能界には興味がなかったそうですが、

アメリカ留学中、シンガー、アクター、コメディアンの三本柱でエンターテイメントが成り立つことを知って、お笑いに興味を持つようになったほか、音楽にも衝撃を受けたそうで、

1960年代の半ばから1970年代の初めというのは、音楽がいちばんいい時代。60sですね。カントリー・ロックからカントリーが外れてロックンロールが出はじめた頃で、カントリーベースの曲をロックにするCCR(Creedence Clearwater Revival)というバンドが流行っていたりして、アメリカってすごいなぁと思いました。

と、語っています。

相澤正久は23歳の時にアメリカ留学から帰国すると自宅にタレントの卵が住んでいて驚いていた

その後、相澤正久さんは、1971年6月(23歳)、アメリカの大学を卒業して日本に帰国したそうですが、

この頃、父・相澤秀禎さんが、タレントの卵を自宅に住まわせるようになっていたそうで、

相澤正久さんは、

あれ、何で人がいるの

と、驚いたといいます。

相澤正久はアメリカ留学から帰国後は「京王観光」に就職していた

さておき、相澤正久さんは、もともと、物事を企画立案するプランナーの仕事がしたいと思っていたそうですが、せっかくなら、得意の英語を活かせる仕事がしたいと考え、アメリカの航空会社の採用試験を受けると、見事、内定をもらうことができたそうです。

(当時は、大型ジャンボ旅客機が導入され、海外への大量輸送が始まった時代だったそうで、そのアメリカの航空会社は、これから日本人旅行者が急増することを見越して、現地のカウンターで接客ができる人材を求めていたのだそうです)

そんな中、日本企業でも、日本航空がニューヨークや中南米へと路線を拡大するようになったそうで、相澤正久さんは、それならば、同じことを日本の企業で実現したいと考えたそうですが、

日本の航空会社の採用試験は受ける機会がなかったそうで、色々考えた結果、最終的には、内定をもらったアメリカの航空会社ではなく、日本の旅行会社である「京王観光」に就職したのだそうです。

Sponsored Link

相澤正久は「京王観光」に入社後はツアープランナーとして様々なツアーを作り出していた

「京王観光」に入社した相澤正久さんは、念願だったプランニングの仕事に携わり、水をテーマにしたツアー(デンマークのコペンハーゲンで人魚像のある黒い海⇒スペインのコスタデルソルの海⇒ギリシャのエーゲ海⇒パリのセーヌ川)など、多種多様なツアーを世に送り出したそうで、

相澤正久さんは、

普通、ヨーロッパツアーだと縦型とか横型といって、縦型はロンドン、パリ、ローマ、横型はマドリード、パリ、スイスといったコースなんですが、僕が作ったのは縦横斜め型(笑)。すごい高いツアーになってしまうんですが、なぜか満杯になっちゃって、びっくりしました。

と、語っています。

(その後、相澤正久さんは、数社の企業で働いたそうです)

「相澤正久(相澤秀禎の息子)の若い頃から現在までの経歴は?結婚は?子供は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link