1983年、30歳の時、突然、10年間の音楽活動にピリオドを打つと、以降、一切、表舞台に出ることがなかった、森田童子(もりた どうじ)さんですが、

実は、既にデビュー前に結婚し、引退後は、専業主婦として暮らしていたといいます。

また、森田童子さんは、2018年4月、65歳で亡くなっているのですが、夫に先立たれ、憔悴する中、自身も病気になり、入退院を繰り返していたといいます。

今回は、森田童子さんの、夫・前田亜土さんとの馴れ初め、結婚後の夫婦関係、子供、死因などにについてご紹介します。

森田童子

「【画像】森田童子の若い頃(デビュー)から死去までのアルバムほか経歴は?」からの続き

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森田童子の夫・前田亜土との馴れ初めは?

森田童子さんは、デビューする前の1972年~1974年(19歳~21歳)頃、イラストレーターで森田童子さんのマネージャーをしていた、13歳年上の前田亜土(本名は前田正春)さんと結婚していたといいます。

実は、森田童子さんは、15歳~19歳の頃、家族と共に、叔父・なかにし礼さんの豪邸で、なかにし礼さんと暮らしていたのですが、

前田亜土さんは、1968年に出版された、なかにし礼さんの詩集「エメラルドの伝説」で挿画(画)を担当するなど、なかにし礼さんの仕事仲間だったことから、自宅を出入りしており、そんな中、森田童子さんは、高校生の頃、前田亜土さんと交際するようになっていたのだそうです。

そして、その後、森田童子さんが19歳の時には、父・正一さんが、無謀な会社経営で失敗を繰り返した挙句、夜逃げしたことから、なかにし礼さんは豪邸を手放さなければならなくなるのでが、

そのタイミングで、森田童子さんは、前田亜土さんと同棲を始めていたそうです。

森田童子はデビュー前に前田亜土と結婚していた

また、その後、叔父のなかにし礼さんと父親の正一さんが、前田亜土さんを社長に、芸能事務所「アド・プロモーション」を立ち上げているのですが、

1974年秋、二重契約問題を発端とした「風吹ジュン誘拐事件」が週刊誌に報じられた際、

(「アド・プロモーション」)社長の前田亜土の妻はなかにし礼の実兄の次女

と、掲載されたことから、

森田童子さんがデビュー前に前田亜土さんと結婚していたことが判明しています。

(ただ、森田童子さんの「神秘性」を守るため、活動中に結婚の事実が公に語られることはありませんでした)

森田童子は引退後は専業主婦として夫・前田亜土と静かに暮らしていた

その後、森田童子さんは、前田亜土さんをマネージャーとして音楽活動をしていたそうですが、

引退前の1982年3月には、東京都国分寺市に、前田亜土さんと連名で住宅ローンを組んで1戸建ての自宅を購入すると、引退後は、専業主婦として暮らしていたそうで、

ライブハウス「ロフト」グループのオーナーの平野悠さんは、

(1993年のテレビドラマ「高校教師」で改めて脚光を浴びた後も)『私は専業主婦です。もう人前に出て歌うことはありません』と言い、ステージに出なかった。彼女の美学だよね

と、証言しています。

また、かつて交流のあった仲間が、森田童子さんの安否を尋ねても、

前田亜土さんは、

ああ、元気だよ

うん、元気に専業主婦しているよ

などと、答えていたそうで、

世間からは消息不明とされながらも、森田童子さんは、専業主婦として、夫・前田亜土さんと穏やかで平穏な日常を大切に過ごしていたようです。

ちなみに、東京国分寺市で珈琲専門店を経営していた方の話しによると、前田亜土さんは、10年ほど、毎朝、その店に通っていたそうですが、

前田亜土さんがコーヒーを飲んでいると、店の前に森田童子さんが現れて手を振り、それを見た前田亜土さんが笑顔で店を出ていくという微笑ましい光景が、日常的に見られたそうで、2人はとても仲が良かったといいます。

森田童子は夫・前田亜土が死去後は精神的ショックから憔悴し不安を抱えながら生活していた

しかし、2009年10月には、前田亜土さんが急逝したそうで、

翌年の2010年5月、記者の保科龍朗さんが、取材を試みると、

仲介者を通じて、

とても親しかった人との唐突な死別とみずからの病で『手紙すら書けないほど憔悴している』

という返答があったそうで、

森田童子さんの憔悴ぶりは察するに余るのですが、

前田亜土さんとの死別による精神的ショックは大きく、その精神不安から、森田童子さんは、2015年には、自宅にホームセキュリティの監視カメラを導入するなど、精神的な不安を抱えながら暮らしていたといいます。

森田童子の死因は?

そんな森田童子さんは、体調も崩し、2017年から入退院を繰り返していたそうですが、

2018年4月24日、65歳の時、自宅で死去していたことが報道されています。

(死亡推定日は同年4月16日、死因は心不全で、退院して自宅に戻ってから、まもなく亡くなったと考えられています)

また、森田童子さんの遺族が日本音楽著作権協会(JASRAC)に連絡し、森田童子さんの楽曲の権利変更手続きを行ったことから、同年6月1日発行の日本音楽著作権協会(JASRAC)の会報にも森田童子さんの訃報が掲載されているのですが、

音楽関係者によると、森田童子さんの遺族は、森田童子さんの死を公表するつもりはなかったといいます。

(森田童子さんの自宅は、死後、取り壊され、跡地には別の家が新築されているそうです)

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森田童子の子供は?

ちなみに、森田童子さんは、前田亜土さんとの間に子供がいなかったようですが、

その分、夫婦の絆は深く純粋で、最後までミステリアスな存在であり続けられたのかもしれません。

さて、いかがでしたでしょうか。

森田童子さんの

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    • 森田童子は叔父・なかにし礼と一緒に暮らしていた(0歳~4歳と15歳~19歳の頃)
    • 森田童子は叔父・なかにし礼から音楽を学んでいた
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    • 森田童子の子供は?

について、ご紹介しました。

若い世代を中心にカルト的な支持を集めるも、わずか10年の活動期間で引退し、その後、「ぼくたちの失敗」がドラマ「高校教師」の主題歌に使われて大ヒットするも、一切表舞台に出ることなく、最後まで”謎の歌手”を貫き通した森田童子さん。

そんな森田童子さんが遺した、人の弱さを包み込むような唯一無二の楽曲は、この先も永遠に愛され続けることでしょう。


お読みいただきありがとうございました

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