86番札所の志度寺を訪れたお遍路さんたち

日本人にとって宗教とは?

神道をベースに仏教を受容

宗教ライター 多田則明

 母の介護のためさぬき市の実家に帰って30年、田舎暮らしの中で日本人の原点を考えさせられた。集落営農に参加し、自治会の運営に携わりながら、興味深かったのは神社とお寺の関係。成り行きで氏子になって秋の例大祭にやっこ行列を演じ、母の葬式や寺での勉強会を経験して、神社は人々の公的、寺は個人的な面を担当していると思った。日本の宗教の特徴である神仏習合は、今も私たちの暮らしに生きている。

讃岐國一宮の田村神社には立派な龍神がいる
讃岐國一宮の田村神社には立派な龍神がいる

 私の宗教経験は小学生の頃、念仏ばあさんだった祖母に「正しょうしんげ信偈」を教わり、浄土真宗の日曜学校に連れて行かれたことに始まる。小学6年生で死んだらどうなるのか深刻に考えたが、答えが出るわけもなく、高校時代には近代文学から社会評論まで読んだが、大学1年の時に出会ったのが倉田百三の『出家とその弟子』。親鸞と弟子を描きながら、愛と罪の問題を探求している。愛と信仰は背中合わせの関係なのだろう。

 その春、寮祭で知り合った奈良女子大の女性と付き合うようになり、好きな寺を一緒に歩いた。たわいもない会話は楽しかったが、彼女への思いが深まるにつれ、自問させられたのは、「おまえは彼女の人生に責任をとれるのか」。楽しさと重さを抱えながら、延暦寺根本中堂で読経を聞き、夜道を坂本に降りて京阪電車で京都に向かいながら、ふと思ったのは「妹と思えばいい」。心が軽くなったのを覚えている。・・・《続く》

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