数々のテーマ曲の作曲に加え、当時、日本ではほとんど知られていなかったシンセサイザーを使い、全米ビルボードのチャート1位を獲得するほか、
2012年、80歳の時には、交響曲でVOCALOIDの初音ミクをソリストとして使うなど、常に音楽の可能性を追求し続けていた、冨田勲(とみた いさお)さんですが、プライベートはどのようなものだったのでしょうか。
今回は、冨田勲さんの、妻、子供、弟についてご紹介します。

「冨田勲は初音ミクを宮沢賢治作品が題材のイーハトーヴ交響曲に使っていた!」からの続き
冨田勲の妻は?
冨田勲さんは、元女優の本間千代子さんの姉・本間明子さんと結婚しているのですが、
冨田勲さんは、プライベートについて、ほとんど語っておらず、いつ頃から交際して、どのような経緯で結婚に至ったかは不明です。
ただ、冨田勲さんは、高校3年生の時、「みすず児童合唱団」に所属していた、小学1年生の本間千代子さんに歌のレッスンをしていたそうで、このことが縁で明子さんと知り合ったのかもしれません。
ちなみに、明子さんは、結婚後、冨田勲さんの音楽活動を長年に渡ってサポートしていたそうで、2016年、冨田勲さんが他界した際には、喪主を務めています。
冨田勲の子供は2人(息子1人娘1人)
冨田勲さんは、明子さんとの間に、息子1人、娘1人、合計2人の子供がいます。
息子(長男)は冨田勝
まず、冨田勲さんの長男は、1957年12月28日に誕生した、慶應義塾大学名誉教授の冨田勝さんです。
冨田勝さんは、慶應義塾大学在学中に「Apple漢字システム」を開発し、世界初のパソコン漢字出力を実現したそうですが、
慶應義塾大学卒業後、米カーネギーメロン大学コンピューター科学部へ進学し、ノーベル賞受賞学者に師事すると、人工知能の研究でレーガン大統領から表彰されるなど、若くして計算機科学の世界で頭角を現したそうです。
また、帰国後は、慶應義塾大学湘南藤沢キャンパスの教員となると、細胞分裂をすることにより知能システムができあがるという人間のメカニズムへの興味が大きくなったそうで、
教員の身でありながら、慶應義塾大学大学院医学研究科博士課程に入学し、医学博士を取得すると、その後、ITとバイオを融合させた「細胞シミュレーション」の先駆者となっており、
2001年には、慶應義塾大学先端生命科学研究所の所長に就任し、メタボローム解析などの最先端研究を牽引すると、その成果は研究に留まらず、バイオベンチャー「ヒューマン・メタボローム・テクノロジーズ」の創業や、人工クモ糸で知られる「スパイバー」の支援など、産業界にも大きな変革をもたらしたそうです。
また、教育面でも、大学1年生や高校生を研究に抜擢する斬新なプログラムを導入し、次世代の育成にも力を注いでいるといいます。
娘(長女)は妹尾理恵
冨田勲さんの長女は、エッセイストの妹尾理恵さんです。
妹尾理恵さんは、 日本酒の普及活動(酒サムライ)のほか、「冨田勲研究会」の代表を務め、お父さんである冨田勲さんの作品、立体音響の魅力、平和へのメッセージを伝える活動をしています。
(酒サムライ(Sake Samurai)とは、日本酒文化を世界に広めることを目的として、日本酒造青年協議会(日本酒造組合中央会の傘下組織)が2005年に創設した称号、およびその活動組織のことを言うそうです)
ちなみに、冨田勲さんは、子供たちについて、
僕の場合、人に、特にこうしろ、ああしろという指導はしていないんだけれども、話をするうちに周りが感化されちゃうみたいなところがあるみたいですね。
初めてシンセサイザーを買って試行錯誤をしていた頃に、僕の二人の子どもは中学生と高校生だったと思います。特に息子には「こういうふうに生きろよ」と言ったことは一度もないんだけれども、自分の生き方が何か影響したのかなとは思いますね。
今、息子[冨田勝氏・慶應大学先端生命科学研究所所長・環境情報学部教授]は遺伝子の研究をしています。遺伝子の世界は、息子の話を聞いていると面白いよ。音楽も「神の世界をのぞく」と表現している人がいるけれども、あの世界というのはさらに面白い。
と、語っており、
冨田勲さんは、理解のある優しいお父さんだったようです。
冨田勲の弟・冨田稔は冨田勲の代わりに父親の「冨田病院」を継いでいた
また、冨田勲さんには弟がいるのですが、弟さんは、愛知県岡崎市で代々続く「冨田病院」の3代目医院長を務めた冨田稔さんです。
実は、冨田勲さんは、愛知県岡崎市で代々続く「冨田病院」の長男として誕生しており、お父さんには、家業である医師になることを期待され、地元の岡崎高校に進学していたのを、わざわざ、編入試験を受けさせられ、東京の慶應義塾高校に転校させられているのですが、
冨田勲さんの心はすでに音楽にあり、上京すると、すぐに自分で師匠を見つけ、作曲の勉強を始めたそうで、親の言う事を聞くふりをし、一応、慶應義塾大学に進学するも、医学部に入る気はサラサラなく、文学部に籍を置いていたといいます。
そんな中、しわ寄せを受けたのが、弟の冨田稔さんだったそうで、
現院長である冨田裕さん(冨田稔さんの息子)は、
(父の)稔の進学時には、祖父はわざわざ上京して目の前で本人に入学願書を記入させました
と、語っています。
(当時、慶應義塾高校は、願書に「医学部」と書きさえすれば進学できたそうです)
さて、いかがでしたでしょうか。
冨田勲さんの、
- 冨田勲の生い立ちは?高校で作曲を始め大学時代にはコンクールで1位に!
- 冨田勲のプロフィール
- 冨田勲の先祖は徳川幕府の旗本の代官から医者に転身していた
- 冨田勲は幼少期、父親の転勤で日本と中国を行き来していた
- 冨田勲は幼少期の「回音壁」での体験をきっかけに音響に興味を持つようになっていた
- 冨田勲は7歳の時に帰国するも戦時下の日本では軍歌、唱歌、行進曲ばかりで音楽への興味が薄れていた
- 冨田勲は中学1年生の時、進駐軍のラジオから流れる”20世紀の現代音楽”で再び音楽へ興味を持つようになっていた
- 冨田勲は高校生の時にストラヴィンスキーの「春の祭典」のレコードを父親に頼み込み購入していた
- 冨田勲は高校2年生の時、作曲家を志すようになっていた
- 冨田勲さんは高校卒業後はあえて音大には進学しなかった
- 冨田勲は大学2年生の時に全日本合唱連盟のコンクールで「風車(ふうしゃ)」が1位に選ばれていた
- 【画像】冨田勲の若い頃から死去までの代表曲やアルバムは?死因は?
- 冨田勲は大学2年生の時にプロの作曲家として活動を開始していた
- 冨田勲はNHK(大河ドラマ、きょうの料理、新日本紀行、現代の映像)のテーマ音楽を数多く手掛けていた
- 冨田勲は33歳の時、アニメ「ジャングル大帝」のテーマ曲で手塚治虫に対しても考えを曲げなかった
- 冨田勲は42歳の時、シンセサイザーで作ったアルバムが全米ビルボード(クラシカル・チャート)で1位になっていた
- 冨田勲が53歳~54歳の時には”立体音響”を追求し音のパノラマ”サウンド・クラウド”を成功させていた
- 冨田勲は66歳の時に「源氏物語幻想交響絵巻」を作曲し自ら指揮していた
- 冨田勲の死因は?
- 冨田勲のアルバム
- 冨田勲が若い頃はシンセサイザーによる「月の光」で全米1位の快挙を遂げていた!
- 冨田勲は20代~30代の頃、”理想の音を作る”ことに技術的にも時間的にも限界を感じていた
- 冨田勲は37歳の時にシンセサイザーに出会っていた
- 冨田勲は39歳の時、「モーグシンセサイザー」の言葉を頼りに手を尽くしてシンセサイザーを個人輸入していた
- 冨田勲はシンセサイザーを楽器と認めてもらえず羽田空港の税関で1ヶ月以上も持ち帰ることができなかった
- 冨田勲は当初シンセサイザーをとにかく面倒くさい装置だと思っていた
- 冨田勲は当初シンセサイザーで音楽を構築するのに苦労していた
- 冨田勲はシンセサイザーでアルバムを制作するため、作曲の仕事を断っていた
- 冨田勲は1年4ヶ月かけてシンセサイザーでアルバムを完成させるもレコード会社には受け入れられなかった
- 冨田勲はシンセサイザーで制作したアルバムのデモテープをアメリカの「RCAレコード」に売り込んでいた
- 冨田勲は42歳の時にアルバム「Snowflakes Are Dancing(月の光)」を全米でリリースするとビルボード誌のクラシックチャートで1位を獲得していた
- 冨田勲はシンセサイザーでの2ndアルバム「Pictures at an Exhibition(展覧会の絵)」でも全米ビルボード1位を獲得していた
- 冨田勲は初音ミクを宮沢賢治作品が題材のイーハトーヴ交響曲に使っていた!
- 冨田勲は80歳の時、交響曲に初音ミクをソリストして起用することを初対面の伊藤博之に直談判していた
- 冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」では初音ミクが指揮者に合わせて歌うリアルタイム出力システムが構築されていた
- 冨田勲が他界後、弟子たちによって完成された遺作「ドクター・コッペリウス」が追悼公演として上演されていた
- 冨田勲が他界後、「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」がリリースされていた
- 冨田勲は初音ミクをひとりのアーティストとして尊重していた
- 冨田勲は初音ミクに宮沢賢治の妹・トシを重ね合わせていた
- 冨田勲の妻は本間千代子の姉!子供は息子1人娘1人!弟は冨田病院を継承!
- 冨田勲の妻は?
- 冨田勲の子供は2人(息子1人娘1人)
- 息子(長男)は冨田勝
- 娘(長女)は妹尾理恵
- 冨田勲の弟・冨田稔は冨田勲の代わりに父親の「冨田病院」を継いでいた
について、ご紹介しました。
幼少期、中国・北京の「回音壁」の音に魅せられて以来、既成概念にとらわれることなく、独自の“音の色彩”を追い求め、NHKの番組のテーマ曲、アニメ、映画音楽ほか幅広い分野で作曲家として活躍すると、シンセサイザー音楽の先駆者としても世界的な評価を受けた冨田勲さん。
これを機会に、冨田勲さんが生み出した独創的で幻想的な音楽を聴いてみてはいかがでしょう。
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