2012年、VOCALOID・初音ミクをソリストとして、宮沢賢治が描いた理想郷の世界観を表現した「イーハトーヴ交響曲」を手掛けた、冨田勲(とみた いさお)さんですが、

今回は、冨田勲さんが、初音ミクを「イーハトーヴ交響曲」のソリストに使った理由や、初音ミクに抱いていた思いなどについてご紹介します。

冨田勲と初音ミク

「冨田勲が若い頃はシンセサイザーによる「月の光」「展覧会の絵」が全米1位!」からの続き

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冨田勲は80歳の時、交響曲に初音ミクをソリストして起用することを初対面の伊藤博之に直談判していた

冨田勲さんは、2012年、VOCALOID・初音ミクをソリストとして、宮沢賢治が描いた理想郷の世界観を表現した「イーハトーヴ交響曲」を手掛けているのですが、

2012年3月、共通の知人だった村井清二氏の紹介で、初音ミクの開発元であるクリプトン・フューチャー・メディアの代表・伊藤博之氏と知り合うと、

その初対面の場で、

(2012年)11月にオペラシティでやる新しいコンサートでミクちゃんに出てもらえないかな

と、直談判していたそうで、

伊藤博之氏が驚き、

先生、ミクをご存知なんですか?先生、いまおいくつなんですか?

と、尋ねると、

冨田勲さんは、

80歳

と、答えたそうですが、

伊藤博之氏は、これを聞き、

これは史上最年長P(VOCALOID作品のプロデューサの略称)になるだろう、絶対になんとしても成功させなくては

と、思ったそうで、

伊藤博之氏は、冨田勲さんに出会った時のことを、

偶然なのか待ち伏せされていたのかは定かじゃないんですが、共通の知人のスタジオにお邪魔したときに冨田先生がいらっしゃったんです。それが初めて会ったシチュエーションでした。

思いがけずお会いしたので非常にびっくりしたんですが、(冨田氏は)非常に気さくで話好きという感じでした。

最初に会った時も、「僕はシンセサイザーに歌を歌わせたい、喋らせたいということを試みていたんだけど、なかなか上手くいかなくてねえ」というようなことを初対面の僕に語り、初音ミクの歌声を聴いて衝撃を受けたことを伝えてくれました。

と、語っています。

(冨田勲さんは、初音ミクのことを、ずっと「ミクちゃん」と呼んでいたそうです)

冨田勲の「イーハトーヴ交響曲」では初音ミクが指揮者に合わせて歌うリアルタイム出力システムが構築されていた

こうして、ソリストに初音ミクを迎え、動き出した「イーハトーヴ交響曲」ですが、実現には大きな技術的ハードルがあったといいます。

(※ソリストとは、音楽や舞台芸術において、独唱(歌)や独奏(楽器)を担当する、ソロ(一人)で演技・演奏を行うパフォーマーのこと)

というのも、通常は、あらかじめ機械のリズム(クリック音)が決められたシンセサイザーや初音ミクのようなシステム(バーチャル・シンガー)に合わせて人間が演奏するのですが、

この「イーハトーヴ交響曲」では、初音ミクが、生身のオーケストラの呼吸に合わせて(指揮者のタクトに合わせて)歌うという、真逆のスタイルだったからです。

冨田勲と初音ミク
「イーハトーヴ交響曲」のアートワークより。

しかし、技術をブラッシュアップして、音楽史上類を見ないリアルタイム出力システムが構築され、歌声だけではなく、スクリーンに映し出される初音ミクの姿にも、最新の同期システムが導入されると、

音と映像がその場で完璧に連動し、まるでそこに本物の初音ミクが存在しているかのような、臨場感あふれるパフォーマンスが実現したそうで、

2012年11月23日、東京オペラシティで、「イーハトーヴ交響曲」が初公演されると、大きな反響を呼び、2015年には、中国・北京で公演されるなど、国内外で再演が繰り返されたのでした。

冨田勲が他界後、弟子たちによって完成された遺作「ドクター・コッペリウス」が追悼公演として上演されていた

また、その後、冨田勲さんは、長年追い求めていたという、宇宙への夢と希望に満ちた壮大なストーリーが展開される作品「ドクター・コッペリウス」の制作に取り組んでいたそうですが・・・

ストーリー原案と音楽の構想の大部分が未完成のまま、2016年5月5日、突然、慢性心不全のため、84歳で他界されています。

そこで、その後、冨田勲さんの弟子たちが未完成の部分を引き継いで完成させ、同年(2016年)11月、追悼特別講演として、東京・オーチャードホールで公演されています。

ちなみに、ステージ上では、初音ミクが3Dホログラムで生身のバレエダンサーと共演しており、冨田勲さんが最期の時まで追い求めた時空を超えた世界を、見事に描き出したのでした。

冨田勲が他界後、「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」がリリースされていた

また、冨田勲さんが他界された翌年の2017年には、「冨田勲生誕85周年」「手塚治虫生誕90周年」「初音ミク発売10周年」を記念したコラボレーションアルバム「初音ミク Sings “手塚治虫と冨田勲の音楽を生演奏で”」がリリースされています。

(冨田勲さんがかつて手がけた手塚アニメ(「リボンの騎士」「ジャングル大帝」など)の楽曲を、初音ミクや重音テトなどのボーカルでカバーした内容となっています)

冨田勲は初音ミクをひとりのアーティストとして尊重していた

ところで、冨田勲さんは、初音ミクという存在を、単なる「ソフト」ではなく、ひとりの独立したアーティストとして尊重していたそうで、

伊藤博之氏は、そのことについて、

(冨田氏はシンセサイザーに)歌を歌わせることに情熱を注がれていたので、「歌を歌わせることに特化したシンセサイザーが出る」ということで、そういう(初音ミクを使った作業に新鮮な)感覚を持っていたと思いますし、

『イーハトーヴ交響曲』の記者発表の時にミクのフィギュアを手に持って「ミクちゃんも一緒に記者発表に出てください」と、アーティストとしての初音ミクに気を遣っていただいたのが有難かったです。

感慨深いということ・・・初めて聴いたのは本番前のリハーサルの時なんですが、テンポが合わない時や入り方がずれて間に合わなかった時もあって。

普通であれば歌が無くても止めずに演奏だけやればいいんですが、冨田先生は止めて入って「ちょっと今ミクちゃんが入れなかったからもう一回やろう」という感じで、リハーサルであってもミクを大事にして進めていたという所が印象的でした。

多分、冨田先生は完全に(初音ミクを)ヒトだと思ってますね。もちろんヒトじゃないことは知っているんですけど、人としてカウントしてたと思います。

2015年に(『イーハトーヴ交響曲』の)中国・北京公演をした際、岩手県花巻市からコーラスチームが何十人か来てワンステージをやったんです。その中には子どもたちもいて、冨田先生は子どもたち向けのお土産に自分でサインしたボールペンを配ったのですが、その中にミクちゃん用のものも1個あって。

普通の人間と同じようにミクちゃんがいました。『イーハトーヴ交響曲』の演奏時には、誰も入っていない初音ミクの楽屋も用意されました。

と、語っています。

冨田勲と初音ミク
冨田勲さんと初音ミク。

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冨田勲は初音ミクに宮沢賢治の妹・トシを重ね合わせていた

しかし、なぜ、冨田勲さんは、これほどまでに初音ミクに惹かれたのでしょうか。

実は、冨田勲さんは、太平洋戦争中だった少年時代、宮沢賢治の世界観に魅了されていたそうで、

(若くして亡くなり、ひとりの女性としての人生を全うする前に、宮沢賢治の文学の中に閉じ込められてしまったともいえる)宮沢賢治の妹・トシと、(画面の中で可憐に歌い踊るものの、仮想世界という枠から出られない)初音ミクを重ね合わせていたといいます。

冨田勲さんは、「イーハトーヴ交響曲」の中で、初音ミクに、

出られない、出られない

という印象的なフレーズを歌わせているのですが、

その理由を、

ミクを見ていると、賢治の世界から出られぬまま逝ったトシの哀しみをつい思ってしまう

と、語っており、

初音ミクに宮沢賢治の言葉を歌わせることは、「兄の作った美しい檻(作品世界)の中で、ずっと歌い続けなければならないトシ」への、冨田勲さんなりの鎮魂の祈りだったのかもしれません。

「冨田勲の妻は本間千代子の姉!子供は息子1人娘1人!弟は冨田病院を継承!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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