戦後日本に巻き起こったロカビリーブームの中心で、その破天荒な魅力と圧倒的な存在感で若者たちを熱狂させた、山下敬二郎(やました けいじろう)さんですが、

実は、中卒後、不良への道に足を踏み入れていた時、父・柳家金語楼さんの命令で、ウイリー沖山(ウイリー・ジェームス)さんの付き人になったのがきっかけだったといいます。

今回は、山下敬二郎さんの生い立ち(幼少期からウイリー沖山さんに弟子入りするまで)をご紹介します。

山下敬二郎

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山下敬二郎のプロフィール

山下敬二郎さんは、1939年2月22日生まれ、
東京都新宿区牛込の出身(東京都千代田区麹町生まれ)、

血液型はO型、

学歴は、
市ヶ谷小学校
⇒私立京華中学高等学校
⇒(中学卒業後高校には進学せず)英会話の専門学校中退

だそうです。

山下敬二郎の父親は柳家金語楼、妹は有崎由見子

ちなみに、山下敬二郎さんの本名は、「山下啓次郎(読み方同じ)」で、

お父さんは、落語家で喜劇俳優の柳家金語楼さん、
妹は、女優で声優の有崎由見子さん、
異母兄は、作家で演出家の山下武さん、
従兄弟は、喜劇女優の小桜京子さん、

という、芸能一家です。

山下敬二郎の家族
(前列左から)母・作子さん、父・柳家金語楼さん、(後列左から)山下敬二郎さん、姉・美佐子さん、妹・山下佐登子(有崎由見子)さん。

山下敬二郎は幼少期から少年時代は父親・柳家金語楼と良好な関係が築けないまま育っていた

山下敬二郎さんは、お父さんの柳家金語楼さんと新橋花柳界の芸者だったお母さんの作子さんのもと、非摘出子(次男)として誕生したそうですが、

お金を頂いて人様を笑わす人間が、どうして、金を払わない家族まで笑わせなければいけないんだ?

という考え方だったというお父さんの柳家金語楼さんとは、折り合いが悪く、良好な関係が築けないまま育ったといいます。

(お父さんの柳家金語楼さんは、本妻以外の女性との家庭が複数あったそうで(多い時で7人、葬儀の時には5人いたそうです)、各家庭に収入を等分して与え、「山下」の表札を掲げさせていたそうです)

山下敬二郎
(左から)母・作子さん、姉・美佐子さん、山下敬二郎さん。

山下敬二郎は中卒後、英会話学校に進学するも中退して不良の道に足を踏み入れていた

そんな山下敬二郎さんは、中学1年生の時、日比谷公会堂で、カントリーバンド「チャック・ワゴン・ボーイズ」のステージを観に行ったことがあったそうですが、

その際、ボーカルのウイリー・ジェームス(ウイリー沖山)さんが、テンガロンハットを被り、腰には二丁拳銃、華やかな衣装に無骨なウエスタンブーツという、西部劇の世界から飛び出してきたかのような出で立ちだったそうで、

西部劇に憧れていた山下敬二郎さんは、歌より、この西部劇のファッションに心惹かれたといいます。

山下敬二郎
少年時代の山下敬二郎さん(後列左端)。隣は妹・山下佐登子(有崎由見子)さんと姉・美佐子さん。手前は母・作子さん。

そして、その後、中学を卒業した山下敬二郎さんは、中高一貫校でそのまま高校へ進学できる環境にあったにもかかわらず、アメリカ文化への強い憧れから、それを拒否し、英会話の専門学校へ通い始めたそうですが・・・

わずか半年で中退すると、その後、不良の道へと足を踏み入れたそうで、神楽坂を拠点に荒れた日々を過ごすようになったといいます。

ちなみに、某・元ロカビリーミュージシャンによると、

敬坊がデビューた頃は、小遣いはどんどん入るし、女はタダでモノにできるし、世の中、こんな甘いものかな、という気分だったですね。

オヤジさん、口では厳しいようなこと言ってたけど、敬坊に関しては、もうネコ可愛がりでね。

と、語っています。

山下敬二郎と柳家金語楼
山下敬二郎さん(左)とお父さんの柳家金語楼さん(右)。

山下敬二郎は14歳の時、父親・柳家金語楼の命令でウィリー沖山のバンド「ブルーレンジャーズ」のバンドボーイとして働き始めていた

そんな中、お父さんの柳家金語楼さんが、息子の変貌ぶりに業を煮やし、

これ以上親不孝を続けるなら、少年院に入れる。嫌なら、ウイリー沖山さんの付き人をやれ!

と、山下敬二郎さんに最後通告を突きつけたそうで、

山下敬二郎さんは、少年院に入れられてはたまらないと、迷うことなくウィリー沖山さんの付き人を選択したそうです。

こうして、山下敬二郎さんは、14歳の時、お父さんに紹介してもらい、ウィリー沖山さんに弟子入りすると、ウィリー沖山さんのバンド「ブルーレンジャーズ」のバンドボーイ(雑用係)として働き始めたのだそうです。

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山下敬二郎は14歳の時、ウィリー沖山の勘違いにより歌の手ほどきを受けるようになっていた

ちなみに、柳家金語楼さんが、なぜ、数ある選択肢の中から「ウイリー沖山さんの付き人」を提案したのか理由は不明ですが、

おそらく、柳家金語楼さんは、山下敬二郎さんが中学時代から西部劇やカントリー音楽に心酔し、英会話学校まで通っていたことを知っており、

山下敬二郎さんが唯一リスペクトしている世界(ウエスタン)の第一人者であるウィリー沖山さんに預けることで、不良の道から引き戻そうという意図があったのではないかと思われるのですが、

柳家金語楼さんから「息子を預かってくれ」と頼まれたウィリー沖山さんは、てっきり、

息子を歌手にして欲しい

という依頼だと勘違いし、

付き人になったばかりの山下敬二郎さんに、さっそく歌の指導を始めたそうで、

当の山下敬二郎さんも、歌手になるつもりは全くなかったそうですが、憧れのウイリー沖山さんから直接指導を受けるうちに、次第にその気になっていったといいます。

(山下敬二郎さんは、歌ではなく、ウィリー沖山さんの西部劇のファッションに憧れていたことから)

「【画像】山下敬二郎の若い頃から死去までの経歴は?ディスコグラフィや著書も!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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