マガジン一覧
66日ライティング×ランニング〜シーズン2
書く習慣をつけたい、何かあたらしいことに挑戦したいみなさん、お祭り騒ぎが好きなあなた!66日間、毎日投稿をしましょう。6月27日から8月31日まで。字数のハードルはありません。何文字の記事でもOK。ただし! 1日でも書けなかったらマガジンから追放します
やりたいこと、やってみよう
これまでの私は、子ども・夫・家族・仕事が優先で、自分のやりたいことをずっと後回しにしてきました。それでみんなが幸せになるならと思っていました。でも、自分が満たされていない状態でのギブは片手落ちと分かってきました。winwinの関係が理想です。だから、まずは自分を大事にして、小さいことからやりたいことをやってみます。やりたいことは一回限りでも勿論OK。軽い気持ちでやりたいことをやってみます。
残しておきたいnote 家族編
父、母、伯母、弟、夫、長女、次女、三女、そして私。 家族の思い出を残しておきたい。
非正規雇用の世界に飛び込んだ
47年間の正社員をして、定年退職後にアルバイト・パートタイマーとして働いてみた。その理想と現実の乖離を書き記しておきたい。
残しておきたいnote
忘れたくない大切な感動
ショートショート
「こうだったらいいな」「ああなりたいなぁ」「もしもこうだったら怖いなぁ」たくさんの「もしも」の世界です。
Welcome! 新しい家族
私と娘3人からの再スタートで、新しい家族の話題です。
難病指定
年一回の健康診断では、結果がオールAをいただいていたので、自分は健康だと思っていました。しかし、右手が動きにくくなりPC入力がとても辛くなり、マウス操作も脳にダメージが感じられ、検査した結果、指定難病と宣告されました。さて、これからどう生きていこうか^^
田畑を相続した我が家の場合
代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「農業はしない」と決断した。 私は、決断するだけでいいと考えていた が、現実はそれほど甘くはなかったのです。 写真は私です🤣

「大きい畑」とこれからも関わっていく
※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n7960d9739fdf?from=notice 「大きな畑」の借主(Sさん)からの電話は次のようなことでした。 Sさんは私の親戚のAさんの土地を買うことになり、売買契約を交わし農業委員会へ書類を提出し、あとは今月下旬に行われる農業委員会の総会で承認を待つだけの状態でした。 しかし、つい先日、それを取り消したと言うのを電話で話されていました。 それはAさんとSさんとの話であり、なぜ私にその話をされるのでしょうか。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながら私はSさんの電話に相槌を打っていました。 最初はAさんがSさんに畑を貸すという話から始まりました。そして、トラクターもあるからそれも一緒に貸しますということになりました。 その内、Aさんは土地とトラクターを売ってもいいとSさんに話を持ちかけました。 80代のAさんはひとり娘(50代後半独身)しかおらず、手広くやっていた農業の後継者はいません。 恐らくそういった背景もあるのだと思います。 畑とトラクターをAさんがSさんへ売るということが決まり、売買契約書を取り交わし農業委員会へ書類を提出しました。 ところが最近になって、畑もトラクターも売らない。貸すのだったらいいとAさんが言いだしたそうです。 そして、その件でSさんがAさんのお宅に伺った時に、またAさんの話が変わっていて、トラクターは貸さないとおっしゃる。 それはAさんの奥様が強く話をされていた。 売ると決まったものを売らない、貸すならいいと言い、貸すと言ったものを今度は貸さないと言い出す。 これから農業の事業拡大を構想しているSさんは、話がコロコロ変わるAさんに不信感を抱き、結局、今回の件は無かったことに決定されたそうです。 「そうなんですね。」と私はSさんのお話をお聞きしていた。 私がSさんの伝手でビニールハウスを解体してもらい、それを知ったAさんもSさんにビニールハウスの解体をしていただいた。 それが縁で、AさんとSさんの土地の売買の話が始まったから、今回、その話が無かったことになったから、一応、私にその連絡をして下さっているのだと私はのんびりとSさんのお話を聞いていました。 それで電話は終わるのかと思いきや、次の展開に私は想像もしていませんでした。 ビニールハウスは地面に鉄の棒が埋め込まれていて、今回、私のところもAさんのところも、その埋め込まれた鉄の棒は撤去していないとのことでした。 その撤去をするにはそれを引っこ抜くための重機が必要でそれをすると更にお金が掛かります。 Aさんの奥様は、その棒をいつ抜くんだと言われ、Sさんは、「今回の作業にそれは入っていないから抜きません」とお答えしました。 するとAさんの奥様は、それを撤去するのは当たり前だろうとおっしゃってきました。 更には、私の大きい畑に先日行き、私のビニールハウスの地面にも残っているのを確認したと話されたそうです。 その畑は、私がSさんに貸すことになった畑です。 その畑に入っていいのは、土地の所有者である私と、借主であるSさん以外は許されないことです。 家のように畑には周りに塀があるわけでもカギを掛けているわけでもありません。だから、誰でも中に入ろうと思えば入れます。 しかし、いくらAさんが私の親戚であろうと、勝手に人の畑に入ってその地面を調べるということは非常識です。 田舎の人はこういう非常識なことを当たり前にする方がいらっしゃいます。 Aさんの奥様はそういう方で、昔から嫌いでした。ニコニコしていて腹の底では何を考えているのか分からないい人。 あなたの周りにはいらっしゃらないでしょうか。 Aさんは「私のハウスの棒を抜いてくれるまで何度も電話するから。」と脅迫めいたことをおっしゃったそうです。 AさんとSさんだけの話でしたら私にとっては、他人事でした。 しかし、私の親戚で非常識な人がいる。 その人が、親戚だという理由だけで、私の土地に無断で入ってくる。 その土地を借りて耕作をするSさんは、Aさんの奥様からどんな嫌がらせをされるか分からない。 知らないうちに除草剤をまかれるかもしれない。 それはあり得ない事とは言えないくらいAさんの奥様は勝手な人なのです。 いつ、Aさんの奥様によって畑を荒らされるか分からない。 そんな不安を抱えて農業をすることはできないから、 私の「大きな畑」を借りることは無かったことにしてほしい、 とSさんから言われました。 そんな結末になるとは思ってもみなかった私は、最初、言葉に詰まりました。 Sさんは今年の植える苗を既に購入済みで、それが成長して出荷したら100数十万円の売り上げが見込めるのだそうです。 そろそろ、畑を耕そうと思っていた矢先のAさんからのお話でした。 Aさんからの嫌がらせを回避するために今年の100数十万円の売り上げを捨ててでもこの「大きな畑」の賃貸借を解除したいとおっしゃいました。 私にはとても申し訳ないと思っていますがAさんからの攻撃を心配しながらの耕作はしたくないとのことでした。 私は数秒間考えました。 今必要な事は、残念ではありますが、賃貸借の契約を早く解除してSさんの希望を叶えてあげることだと私は決断しました。 そして、今月下旬に行われる農業委員会の総会が近づいているため、事を急ぐ必要があると私は判断し、Sさんと都合を合わせ、その電話の二日後に、農業委員会へ二人揃って出向き、契約解除の手続きを行いました。 やっと、草刈りの心配から解放された。 そして「大きな畑」は信頼できるSさんによって新しく生まれ変わる。 そう思っていた矢先の出来事でした。 私は契約解除の当日、これまでのお礼として栄養ドリンク2箱をSさんにお渡ししました。 あの、草がボウボウで、ここは密林かと思うほどだった状態を綺麗に草を刈って下さった。 また、ビニールや農業資材が散乱していたものを一か所にまとめてくださった。 荒れ放題の畑を綺麗にしてくださったSさんには感謝しかない。 いい人に借りてもらうことができ、家族全員喜んでいましたが、事情をお聞きすると致し方ない。 やっと借り手が見つかった「大きな畑」は結局、親戚のAさんの理由で、契約解除になってしまいました。 夫から相続した「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」は 「小さい畑」と「田んぼ」はお陰様で売れました。 「大きい畑」は一旦、賃貸借契約まで行きましたが、結局、契約解除になりました。 農業をすることができない人が田畑を相続するとどうなるのか。 普通の人では経験できないことをさせていただき、また一つ、勉強になりました。 特に思い入れが強い「大きい畑」。 私はこれからも「大きい畑」と関わっていく。 今日は軽い咳が時々出るため、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中! 1811日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad 「大きい畑」とこれからも関わっていく

借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】
※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】 https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。 夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。 また、重い噴霧器を背中に背負うことも、 夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。 稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。 それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。 ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。 しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。 農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。 固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。 想像してみてください。 収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。 田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。 恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。 これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。 私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。 早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。 でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。 これをずっと経験していかなければいけない。 農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。 農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。 収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。 しかし、4年目にして山は動いたのです。 「大きい畑」は借り手が現れ、 「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。 そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。 会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。 夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。 まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。 あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。 腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。 それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。 棒掛けもしていた。 子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。 乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。 10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。 普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。 遠い遠い思い出です。 「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。 でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。 そして、縁あって、借主が現れました。 もう、草刈りの心配はありません。 草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。 もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。 若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。 しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。 田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。 「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。 ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。 それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。 その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。 しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。 もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。 Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。 Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。 幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。 その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。 ↓ https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、 「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。 普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。 それは、 親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。 それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。 長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。 今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中! 1810日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad 借り手が現れた「大きな畑」のその後

献体してよかったのだろうか ~ネガティブな過去を受け入れる~【音声と文章】
※今回はこちらの続きです。 ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる ↓ https://note.com/tukuda/n/n70afb7094fd8 心電図が取り外され、病室から機械が持ち出されている間、のり子は弟の腕の近くまで身体を曲げて、口にタオルをあてながら声を殺して泣いていた。 今まで抑えていた感情が一気に溢れ出しそれがなみだに姿を変えてのり子の体外へ放出されていった。 涙が止まらなかった。 そんなのり子に医師が話しかけた。 献体を希望するかどうかと聞かれた。 献体? のり子は献体という言葉を知らなかった。 だからすぐに臓器移植を連想した。 しかし、献体は臓器移植とは違うことが分かった。 弟が亡くなった直前に献体を希望するかどうかを聞かなければいけない医師に、お医者さんは辛い仕事だと思う。 ここは大学病院である。つまり、医師を目指している人たちがたくさんいらっしゃる。 人体にメスをいれることはなかなかないこと。 だから、献体された身体を使って自分たちの知識や技術を増やしていくのだろう。 のり子は迷った。 たった今、ついさっきまで息を荒げてベッドに横たわっていた弟の身体にメスを入れるなんて。 まだ体はうっすら温かいのである。 もしかして生きているのかもしれない。 そんな体にメスを入れるなんて考えられない。 どうしよう。 のり子は訃報を知り駆けつけてくださった親戚の方に相談した。 その方は信頼できる方だった。 のり子の話を聞いて 「献体するもしないも、それはのり子さんがお決めになることです。嫌だとお断りしてもそれは悪いことではありません。 また、今後の医療の発展の一助になると考えて検体をしても、どちらも、のり子さんが決めることです。」とおっしゃった。 献体するもしないのも、どちらも正義であり、決めるのは他人ではなく自分なのである。 のり子はどうしようか迷った。 しかし、のんびりと考えている時間はなかった。すぐに決断をしないといけなかったのだ。 悩みに悩んだ末に、のり子は献体をすることを決断した。 弟の死が、今後の医療発展に少しでもお役にたてるのなら、弟は喜んでくれるのではないだろうかと思ったから。 弟はすぐにストレッチャーに乗せられて目の前から消えた。 のり子はストレッチャーの動きに合わせて、薬の副作用で膨れ上がっていた弟の顔をしっかりと目に焼き付けた。 もしかして、戻ってきた時は、目も当てられない姿になっているかもしれない。だから今の姿を真剣にみつめた。 親戚の方にご挨拶をしてのり子は弟の身体が戻ってくるのを待った。 どの位の時間がたったのだろうか。 やっと弟の身体が戻ってきた。 そして、弟の顔を見たのり子はショックを隠し切れなかった。 さっきまで薬の副作用で顔はまん丸に膨れ上がっていたのに、検体から戻ってきた弟はいつもの鼻筋がしゅっとして頬もふくらんでおらず、入院前の弟の顔になっていたのだった。 さっきまで膨れていた顔がいつも通りの顔に戻っていたことに、のり子は愕然とした。 もしかして弟はあの時、まだ生きていたのではないか。 医学的には死んでいても、まだ人間として生きていたのではないだろうか。 それなのに弟の身体にメスを入れることを許した私。 なんて馬鹿なことをしたのだろう。 のり子は献体したことをずっと悔やんだ。 世の中は綺麗ごとでは済まされないことがたくさんある。 医者の卵たちの勉強のためになるのだったらと思い、献体したのだが、その判断は間違っていたのではないだろうか。 のり子はそれからずっとそのことを悔やみ、悩んだ。 自分の評価は他人が決めるものではない。 自分でそれを認め、自分で評価するもの。 弟の献体のことに対して、のり子はずっと答えを出していない。 還暦も過ぎ、残された時間の短さを感じるようになったのり子は、そろそろそのことに結論を出そうと思う。 献体後の顔の変化には驚かされたが、しかし、あの時は真剣に考え、献体すると決断した。 あの時はそれでベストだと思ったのだ。 それが後で間違いだったと気が付いたら間違っていましたと言えばいい。 だから、検体のことはもう許そう。 今がベストと決める勇気 後で変える勇気 (福島正伸) ※note毎日連続投稿1900日をコミット中! 1834日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad 献体してよかったのだろうか ~ネガティブな過去を受け入れる~

~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる【音声と文章】
※今回はこちらの続きです。 ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる ↓ https://note.com/tukuda/n/naef583d520e0 弟はのり子が持っていないものをたくさん持っていた。 ユーモアがあり友達が多い。スポーツ万能でポジティブシンキング。 だから弟でありながらのり子は弟を尊敬していた。 年下でありながら自分とは違う偉い人と思っていた。 しかし、薬の副作用で吐き気をもよおしたり、高熱のあまり寒くてベッドをガタガタ揺らすほどになったりしたその都度、のり子は傍にいて弟の介護をしていて、弟が愛おしい、そう思うようになった。 入院中は「手が届かないほど上の存在の弟と、ダメな姉」という構図は全く無くなり、「姉と弟」の関係に戻れた。 だから、弟が愛おしくてたまらなかった。 ある夜、のり子の弟はこんなことを言った。 「これまで僕は、お姉ちゃんより優れていると思っていた。 でも、この入院中で、お姉ちゃんの献身的な看護を見てきてお姉ちゃんはとっても凄い人だと分かった。」 何でもできる弟。 何でも持っている弟。 それに比べて姉であるのり子は 運動音痴で人づきあいが下手。 一生懸命にやってもどこかズレている。 友達が少なく全く魅力のない姉である。 そんな姉弟が弟の入院という出来事で 本来の姉弟の姿に戻れたのである。 少しして弟のお友達がお見えになった。 たったお一人にしか連絡できなかったのに、10数人の方が来てくださった。 弟の人脈の深さを感じる。 のり子はすぐに病室を出て、ガラス越しで見る廊下に行き、皆さんにお礼を申し上げた。 そして、病名を聞かれ素直に本当の病名を告げた。 まさか生死をかけた入院だとは誰も思ってもみなかったから、「そうだったのか」というお顔を皆はされた。 その病名は当時、「不治の病」の代表的な名前だった。 大勢のお友達が廊下に集まっているところへ看護師さんがやってきて「他の患者さんのご迷惑になるため、今の時間のお見舞いはご遠慮ください」と言われた。 夜中にたくさんの人が集まっていると「その時」が近いのだと入院患者は感じるだろう。患者さんが動揺しないようにとの配慮が必要である。 それではということで、お友達はその場から去って行った。 先ほどまで黒い人だかりがあったガラス窓の向こうには誰もいなくなった。 のり子は心の中でありがとうございますとお友達に言った。 少しすると、目の前のエレベーターが開きそこから先ほどのお友達の半分くらいがやってきた。 そして、ガラス越しに弟をみつめ、少しすると階段を下りて行った。 少しするとまたエレベーターが開き、残りのお友達がガラス越しに弟を見つめていた。 それを何度も繰り返していた。 あとでお友達にお聞きしたら、1階の総合待合室に全員下りて、半数毎に上の階に上がって弟の様子を見て、下に降りたら残りの半数が上にいく。 もしかしたら、僕たちの思いが通じてヤマを越えることができるかもしれないからそうしようと、誰からともなく話が出てそれを実行していたそうだ。 なんと友達思いの方々なのだろうか。 これをずっと繰り返されていた。 普通、そこまでしないと思う。 弟の友達はその都度、1階から6階(くらい)までを何度も往復していた。 その内に、弟の勤務先の局長さんがお見えになった。 東京支社へ出張中の上司のTさんの奥様から局長さんに連絡がいったそうだ。 局長さんははあはあと息を荒くして横たわっている弟のすぐそばのすわり、弟に話しかけながら腕などを触り始めた。 ある程度時間が経てばお帰りになるだろうとのり子は思っていたが局長さんはなかなかお帰りにならない。 もう深夜である。明日のお仕事に差し支えると思い、お礼を申し上げても局長さんはお帰りにならなかった。 その方は弟に話しかけてずっと身体をさするのをやめなかった。 その行動を見て、この方は義理ではなく、本心からそうされていらっしゃるのだと分かった。 その内のり子は眠くなり、不謹慎にもウトウトしだした。 ここ2日間くらい、ずっと弟の様子が厳しく、ほとんど寝ていなかったから。 「お姉さんは横になって下さい。私が〇○君の傍にいますから。」 そう言われた。 弟が生死を彷徨っているのに、眠くてしょうがない自分を恥じた。 のり子は必死に起きていた。 何度か局長さんに「夜も遅いのでもうお帰り下さい。」とやんわりお声がけをした。 しかし、局長さんは帰ろうとしなかった。 本心は、できれば最後は水入らずでいたいと思っていたがその言葉は相手の好意を無にするようで、のどのすぐそこまで出かかったが、言えなかった。 やがて心電図がピーと鳴り、一本の水平な線になった。 すると医師がやってきて、両手に持った電気ショックを弟の胸にあてた。 弟はバンと音を立てて身体がベッドから跳ねた。 もう一度、電気ショックをかけ、同じように弟は大きくベッドの上で波打った。 しかし、心電図はまっすぐな線しかなかった。 医師が腕時計を見て時間を告げた。 終わったのである。 28歳の誕生日を無菌室で迎えた弟は この世からいなくなったのである。 のり子は局長さんに深々とお辞儀をした。 集まって下さったお友達の皆さんにも挨拶をして帰っていただいた。 その中に泣き崩れる女性もいた。 その方は両脇を仲間に支えられながら帰られた。 のり子は入院中の弟の前では泣いたことが無かった。 目をはらした顔を見られて弟を不安な思いをさせたくないから、絶対弟の前では泣かないと決めていたのである。 でも、もう、それもおしまい。 のり子は首に下げていたタオルに口を強くあてて、声を殺して思いっきり泣いた。 これまでの3か月余りの涙が堰を切ったように溢れ出た。 涙は気持ちに任せてたくさん流したが、しかし、泣き声だけは出さないように注意した。 それは入院されている他の患者さんやご家族に不安な思いをさせたくなかったからである。 数日前の夜中に、突然、「わーっ」と泣く声を聞いた。そして周りがざわざわと動き出している音を耳にしたのである。 誰かがお亡くなりになったのだと推測した。 その時のり子は思った。 ご家族がお亡くなりになってお辛いだろう。 そのお気持ちはとても良く分かる。 しかし、同じような境遇の人がいる病室で思いに任せで大声で泣くのは、他の皆様が動揺されると思う。 だからもしも「その時」がやってきても私は、泣き声は出さないように気を付けようとのり子は決めたのである。 弟の傍で泣いているのり子に 医師が究極の質問をされた。 長くなりましたので 続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中! 1832日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる













































