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マガジン一覧

66日ライティング×ランニング〜シーズン2

書く習慣をつけたい、何かあたらしいことに挑戦したいみなさん、お祭り騒ぎが好きなあなた!66日間、毎日投稿をしましょう。6月27日から8月31日まで。字数のハードルはありません。何文字の記事でもOK。ただし! 1日でも書けなかったらマガジンから追放します

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絵が上手いだけじゃ売れない?コミックエッセイで成否が分かれる理由と、noteが求める本当の価値の話。

やぁ、いらっしゃい。今日もお疲れ様です。 テーマは「note収益化」に特化した内容で、 メンバーシップでも専用プランで読み放題になります。 単発でも購入出来ますが、積み重ねていきますので事前に加入しておくとお得にnoteでの収益化を学べます。有料記事に挑戦したい方や、苦戦している方はぜひ、ご参加下さい。 こちらのマガジンに追加していきます▽ note収益化プランでは下記マガジンもご覧いただけます(読み放題マガジンは内容が毎月変わります)▽ X運用もやってます、not

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¥980

noteが書けなくなった!?理由は「考え過ぎ」にあったようです。

お久しぶりです。 ふみです。 あんだけnoteを書きまくってた note廃人から一転、最近は全くnoteを書いておりません。 別に書いてないってだけでゴリゴリにnoteは読んでおります。読む専用のサブ垢作って、フォローしてる新着が毎朝届くようにして、読むためのChrome拡張機能作るくらいには読んでます。 なのでnoteが嫌いになった…とかいうわけではないんですね。 なぜかキューにnoteを書かなくなってしました。 今noteをかけている方も、これからアプトプットを

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空っぽのパン棚を見ながら

過去に、パン屋で販売員のアルバイトをしていた。 大学時代に3年ほど、自転車で10分ぐらいのスーパーにあるパン屋で働いていた。学生アルバイトだったけど、戦力として扱われていたと思う。 例えば、「今日はあんぱんをセールで増量するから必ず完売させろ」と指令が出た。他のバイトの子には出ないのに、なぜか私にはノルマが課された。「土曜日で食パンをたくさん焼くから売れ」とか、「夕方に2割引にするから閉店まで売り切れ」など、まるで社員のように扱われていた。 アルバイトなのになぜという気

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💁青切符より前に 1468

4/10(金)、雨合羽を着て黒耳号(人力ママちゃり)で出かけるのは久しぶりだった。 幸いなことに雨天と自転車での外出が重なるのが稀だったし、最近はバスで代替できるときはバス利用に変更していたから。 2026.4.1自転車の交通違反に対する罰則が強化。 いわゆる青切符の導入。 大目に見てと言う気はない。 横に何台も並走とか、スマホを見ながらとか、電話をしながらとか、犬を散歩させながらとか、逆方向へ爆走とか、無灯火とか、ジャンジャン取り締まっちゃって。 実際、危ないし怖いもん。

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やりたいこと、やってみよう

これまでの私は、子ども・夫・家族・仕事が優先で、自分のやりたいことをずっと後回しにしてきました。それでみんなが幸せになるならと思っていました。でも、自分が満たされていない状態でのギブは片手落ちと分かってきました。winwinの関係が理想です。だから、まずは自分を大事にして、小さいことからやりたいことをやってみます。やりたいことは一回限りでも勿論OK。軽い気持ちでやりたいことをやってみます。

「では、二人一組になってください」から始まった小さな春

春の空気は、まだ少しだけ冷たい。 駐車場に立っていると、コンクリートのひんやりした匂いと、遠くで笑う学生たちの声が混ざっていた。 「では、二人一組になってください」 その一言で、胸の奥にしまっていたものが、ふっと目を覚ました。私は昔から、この言葉が苦手だった。 私はいつかボランティア活動をしてみたいと思いながら、長い間その機会が無かった。 仕事の都合やタイミングが合わず、「そのうちに」と思っているうちに定年を迎えていた。 今はパートで働き、土日祝日が休みになった。ようや

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みたらし団子、作ったよ~

父の命日当日は、仕事があり、何もできなかった。 だからその翌日、おだんごを作り仏前に手を合わせた。 おだんごは、材料も作り方も簡単ですぐできる。 だんご ≪材料≫(およそ72個分) だんごの粉     450g 水かぬるま湯    360㏄ ≪作り方≫ ボウルにだんごの粉を全部入れ、それに水かぬるま湯を少しずつ加えこねる。 水かぬるま湯を「少しずつ入れる」のがコツ。 子どもの頃のあの白い粘土遊びを連想する。 耳たぶくらいの柔らかさになったらOK。 それを適当な大

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やりたいこと、やってみよう

携帯電話が普及しだした頃 「これは高齢者は使えないだろう。若者限定のものだ」 と思った。 しかし今、病院の待合室では、スマートフォンを片手に下を向いているご高齢な方が多い。 昨年、65歳で定年退職した。 いままで、やってみたいことに目をつぶってきた。 しかし、定年を迎え、最期の日まで残り少ないと感じるようになった。 特に大病を患っているのではないが、その時を意識するようになってきた。 やりたいこと。 それらは、「夢」と言えるほど大きな事ではない。 例えば、スマートフ

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40年の余白の使い方

「やってみたかったな」 その言葉が頭の中で重なるだけだった。 炎に向かって消火器を構えること。 高層階から避難袋で降りること。 まだ独身の頃、職場の避難訓練でこれらの講義があった。 しかし、実際に消火器で火を消したり、避難袋で下りる人は、 いつも選ばれた人たちだった。 私は「その他大勢」の中で、拍手だけして終わった。 世の中にはやってみたいことがたくさんある。 クラシックギター、エレクトーン、水泳、社交ダンス、他にWordやエクセル、日商簿記二級などの資格もいくつか取っ

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残しておきたいnote  家族編

父、母、伯母、弟、夫、長女、次女、三女、そして私。 家族の思い出を残しておきたい。

初孫のお食い初めの映像が届いた

二女の赤ちゃんが三か月になった。 こちらにいた頃は、ベビー服がぶかぶかで、裾のあたりに足が見え隠れするくらいだったのに、今はひざの半分が見えるようになった。赤ちゃんの成長は早いものだ。 そろそろ百日になる。 ということは、「お食い初め」をどうするかだ。 お食い初め(おくいぞめ)は、生後100〜120日頃に「一生食べ物に困らないように」と願いを込め、赤ちゃんに祝い膳を食べさせる真似をする伝統行事だ。 「お食い初め」にはさまざまな呼び名があり、「百日祝い」「箸祝い」「箸初め

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ベビーシートひとつで、季節が進んだ

春が近づくと、空気の匂いが少しだけ和らぐ気がする。 まだ肌寒いのに、どこか浮き足立つような、そんな頃合いだ。 毎日いろいろなことがあるが、先週は私にとって大きなことがあった。 もうすぐさくら祭りがある。それに合わせて二女家族が帰省することになった。 今、育児休業中の二女と1月に生まれたばかりの赤ちゃんが、新幹線でひと足先にやって来るという。 だから、駅までのお迎えをよろしくという連絡が入った。 夫さんは仕事があるから、ゴールデンウイークの時に車を運転してやって来る。

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もつ煮ではなく、ポトフだったという話

今日の朝食は、ポトフ、ご飯、葱メンマ、煎り大豆、ホットミルク。 中でも、夕べ、長女が作ってくれたポトフが最高。 キャベツ、人参、玉ねぎ、じゃがいも、えのき、ウインナーソーセージ、ベーコンが入っている。 キャベツはとろとろになるまで煮込んだから、固い芯のところも口の中でほろほろ崩れる。 味付けはシンプルなのに、それぞれの素材からの旨味が出ている。 普段のベーコンは薄切りの物を使うが、今回は奮発して厚切りを買ってきた。 だからいつも以上に贅沢で嬉しいポトフだ。 買ってきたメ

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(私の)しあわせのカタチ

キッチンの窓から差し込むやわらかな光が、食卓の端までゆっくりと伸びている。 外では小鳥たちが忙しなく鳴いていて、その声がいくつもの生活の気配に重なっていく。 洗面所の前には、順番を待つ気配がある。 颯爽とした恰好の妻。 マスカラを念入りにしている妻。 揺れるイヤリングを触っている妻。 それぞれ違う朝をまといながら、同じ家の中に立っているのだ。 「曲がってるわよ」と妻に言われ、ネクタイを直される夫。 あくびをしながら髭をそっている夫。 支度をしながらベビーベッドで寝てい

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非正規雇用の世界に飛び込んだ

47年間の正社員をして、定年退職後にアルバイト・パートタイマーとして働いてみた。その理想と現実の乖離を書き記しておきたい。

出来なかった日の、別の見え方

もっと、自分を許してもいいのではないか、と思う夜がある。 夕飯のあと、シンクに積み重なった皿がそのままになっている。 水気を含んだ空気が、ほんのりとぬるく漂っている。 我が家は誰が茶碗を洗うかは決まっていない。 気が向いた人が茶碗を洗う。 シンクにたくさんの食器が置かれている。 たまたまシンクに来た時それらが目についた。 そこで洗えばいいのだが、面倒くさい。 そんな時私は、箸やスプーンの類だけを洗う。 水の音を小さく響かせながら、さっと済ませる。 皿はそのまま残す。 ど

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ざわつく頭と、四分の一のタオル

現場のトイレに入ると、白い長いタオルが、バケツの縁にかかっている。 どこにでもある、あのお年賀でもらうような薄手のタオルだ。 「・・・。これがやることです。その内慣れたら山田さんのやりやすいように変えていいですよ」 教育班のHさんはそうおっしゃった。 私は定年退職後、アルバイトやパートの仕事をしてみた。 今は3社目で、清掃員をしている。 制服を着て車で現場に直行直帰。そして、現場に清掃員は私しかいない。 いわゆる、ひとり現場である。 最初は時間に追われてばかりだった。

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定年後に知ったシフト制の裏側

朝、目覚ましが鳴動する直前まで夢を見ていた。 物語がいよいよ佳境に入る。 その瞬間、映画が終わるみたいに夢が途切れた。 ああ、いいところだったのに。 でも、不思議に悪い感じは残らない。 カーテンのすき間から、朝の光が部屋に細く差し込んでいる。 布団の中の空気はまだぬくい。外はきっと少し冷えているはずだ。 今朝もぐっすり眠れた。 今の職場に移ってから、気持ちを楽にして生活できていると感じる。 どうしてだろうと考えて見ると、それは「シフト制」に関係している気がする。 私は

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小さな達成は、だいたい誰にも見えない。

正午になると、人の波がやってくる。 それが来る前に、私は階段を降りなければならない。 時計を見る。 あ、もうこんな時間だ。 〇時までにはここを終わらせないと、次の作業が進めなくなる。 手に力が入る。 慣れない仕事は、いつも時間との戦いだ。 作業が終わり道具をしまい、事務所に挨拶をして、足早に階段へ向かう。 ほとんど逃げるような足取りだ。 何から逃げているのかと言うと、正午になると、下の階から人の波が押し寄せてくるからだ。 その列は、休憩室のある階まで続く。 同じ作業服

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残しておきたいnote

忘れたくない大切な感動

💁すごい ラジオ体操 1441

私が言うまでもなくラジオ体操は凄い。 時間を問わずにできる(ラジオの放送時刻に合わせる人は別)ところが凄い。 ジムに出かけていく必要もなく、外でも家の中でもできて、場所を問わない(ラジオ体操収録会場に行く人は別)ところが凄い。 自分ひとりが立つ(若しくは座る)スペースさえあればできるところが凄い。 何より、思い立って直ぐにできちゃうところが凄い。 ラジオ体操についての蘊蓄はこちらを ラジオ体操の放送や収録についてはこちらを https://www.nhk.jp/p/ra

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確定申告が終わった安堵と、ちょっとした敗北感

確定申告が、ようやく終わった。 書類を封筒に入れて、机の上に置いたとき、肩の力がすっと抜けた。 今年もなんとか終わったな、という感じだ。 お疲れさま。 ありがとう。 自分で自分を労わる。 私が税理士事務所に勤めていた頃は、控(コピー)の書類も持って行き、控に受付印をいただいていた。 あの赤い印鑑を見ると、「ああ終わった」と安心したものだ。 しかし、その受付印は、もう数年前から廃止になった。 今では、確定申告はスマホで入力して、そのまま国税庁へ送信する時代だ。 税務署に

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「時短勤務だから仕方ない」で片づけられなかった話。

時短勤務という働き方を選ぶことに、わたしはほとんど迷いがなかった。 勤めている会社には時短勤務制度があり、育休から復帰した先輩たちは、みんなそれを選んでいた。 わたしもその姿をずっと見てきた。 子どもとの時間を大切にしたい。 フルタイムで働き続けられるか、正直なところ自信もなかった。 そう考えた時、時短勤務はごく自然な選択肢だった。 復帰後、はじめての給与明細を見た時、思わず「え?」と声が出た。 勤務時間は短くなったけれど、仕事内容はほとんど変わっていない。 責任が軽く

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最愛の薫り

◇****◇ 逃げていた。 誰かが追ってくる。 誰なのか?何故なのか? それは分からない。 ただ捕まってはいけない。 それだけは分かる。 ここは…森の中か? 鬱蒼と生い茂る木々たちを払いのけ ひたすら逃げていた。 が、何かに引っ掛かり、転んだ。 木の根に足をとられたようだ。 不味い。追手は迫る…。 その時、“ こっち!” 私を抱き起こし、手を引いて走る。 誰? 肩越しに顔を覗く …。 西日に重なりよく見えない。 貴方は誰なの? ただ、言い

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ショートショート

「こうだったらいいな」「ああなりたいなぁ」「もしもこうだったら怖いなぁ」たくさんの「もしも」の世界です。

わたくし、ただ今とても眠いのよ(ショートショート)

わたくし、今、とても眠いの。 まぶたがとろりと重くなって、天井の光がぼんやりするの。 横にしていただくだけではたりないのよ。 胸に頬をあずけたときのぬくもりや 規則正しく響く鼓動の音。 あの安心がそろって、ようやく夢の入り口に立てるの。 揺れる腕のやわらかさ。 遠くで鳴る食器の澄んだ音。 わたくし、ちゃんと感じているのよ。 小さくても、世界をまるごと受け取っているの。 ++ お腹が空いたわ。 きゅうっとからだの奥が縮んで、からっぽになったの。 だから、早くお願いした

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制度の中で選ばされる「しあわせの条件」

駅のホームには、冬の終わりの冷たい風が流れていた。 名前を呼ばれた気がして振り返ると、そこにNが立っていた。 彼は一緒に白球を追いかけていた高校の同級生だ。 白髪が目立つ彼のセーターは、少し色あせていて、昭和の空気をそのまま、まとっているように見えた。 僕は久しぶりに家族で実家に帰省していた。 今日は妻と子ども達と義父母たちがショッピングモールへ出かけていて、僕はひとり、時間というご褒美をポケットに入れて、隣街の書店まで出かけ、その帰りだった。 歩き疲れていた僕は、近く

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青い椅子と14番ゲート

人と別れた直後の時間ほど、心が少しだけ柔らかくなる瞬間はない。 浩子は久しぶりに、郊外型のショッピングモールに来ていた。 数年ぶりに再会したSさんと向かい合い、食事をしながら、それぞれの「今」を静かに差し出し合っていた。 気がつけば三時間が過ぎ、カップの底にはぬるくなったコーヒーだけが残っていた。 そろそろ帰ろう。 大きなホールで二人は左右に分かれた。 数歩進んで振り返ると、彼女も同じように振り返っていた。 遠くから手を振り合い、またそれぞれの生活へ戻っていく。 その仕草

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誰もいない校庭。約束は雪に埋もれた

「成人式の日に校庭で会おう!」 「ゥオーッ!」 卒業式の最後、学年主任のK先生はそう言った。 講堂の天井に声が跳ね返り、僕たちは一斉に息を吐いた。 拍手よりも先に、歓声が湧いた。 中学三年の終わりは、船出のような気分だった。 足元は不安定だが、視界は明るい。 何かが始まると、誰もが信じていた。 あの中学は少し変わっていた。 講堂に並ぶとき、体調が悪ければ列の一番後ろでいいと言われた。 そしてトイレに行きたくなったら、黙って抜けてもいいことになっていた。 先生は理由を聞か

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Welcome! 新しい家族

私と娘3人からの再スタートで、新しい家族の話題です。

雪かきと子守の共通点

初孫が産まれて3週間がたった。 我が家は今、赤ちゃんを中心に全てが回っている。 あまり静かすぎる環境では育てないことにしている。 しかし、泣き止んでやっと眠ってくれたその瞬間だけは、茶碗が触れ合う音や、水の跳ねる気配にまで気を使う。 冬の朝の空気のように、家の中が張りつめる。 やっと寝てくれてベビー布団に寝かせると、間もなく小さな泣き声があがる。 「よしよーし」と抱き上げ静かに揺らしながら抱っこしているとまぶたが下がり、呼吸が深くなる。 今度こそと思い、そっと布団に戻す。

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最高の芸術家がそこにいる

赤ちゃんを寝かしつける時間は、毎日同じようで、毎日少しずつ違う。 黒目が何度も閉じかける。意識が半分、眠りの世界に行きながら、それでも哺乳瓶の乳首を思い出したように吸っている。やがて口元から力が抜けた。 ああ、やっと寝た。 背中を丸くした赤ちゃんを少しの間抱っこしながら歩き回る。右手でお尻の辺りをトントンする。赤ちゃんに伝わるようにわざと深く深呼吸を繰り返す。私の呼吸を聞きながら赤ちゃんのまぶたがゆっくり閉じていく。 良かった。 これで私も横になれる。 赤ちゃんを抱え

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いつの間にか母親になっていた

「キューン」 イルカの鳴き声のような声。 ベビー布団に寝ている、二週間前に生まれた二女の赤ちゃんだ。 ひよこの模様のおくるみに包まれ、薄手の掛け布団が顔にかからないよう、かまくらのような形にして掛けている。 部屋にはミルクの匂いと、少し甘い赤ちゃん特有の体温の気配が漂っている。 起きるのか? 赤ちゃんは首を半分ほど動かして歯の生えていない口を大きく開けて、ゆっくりとあくびをした。 そして、何事もなかったかのように首をすくめ、再び眠りに落ちた。 大きくなったね。 産

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ミルク60㏄分の戸惑い

赤ちゃんの泣き声は、理由を教えてくれない。 それでも、大人はその声に耳を澄ませ、答えを探し始める。 「専用のスプーンに粉ミルクを入れて、そこに熱湯から冷ましたお湯をできあがりの3分の2ほど入れる。じゃあ、60㏄のミルクを作るなら、今、どのくらいのお湯を入れればいいんだっけ?」 なんともほほえましい光景である。 出産して退院してきた二女夫婦が、我が家に帰宅し、初めてミルクを作った。 説明書を何度も見返しながら、二人で首をかしげている姿は、どこか頼もしく、そしてほほえましい

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難病指定

年一回の健康診断では、結果がオールAをいただいていたので、自分は健康だと思っていました。しかし、右手が動きにくくなりPC入力がとても辛くなり、マウス操作も脳にダメージが感じられ、検査した結果、指定難病と宣告されました。さて、これからどう生きていこうか^^

何もしていないのに、一日が終わる

朝の光がカーテンの隙間から差し込む。 その光を見ているうちに、今日がもう半分くらい終わってしまったような気がする。 まだ何もしていないのに、一日が静かに流れていく。 新年だからか、初孫が生まれたからか、それとも失業中だからか。 理由ははっきりしない。 ただ、一日がやけに早く過ぎ去り、何も達成していないという焦りだけが胸の奥に残る。 十分に幸せなはずだ。 しかし不安な気持ちが渦を巻き、心が落ち着かない。 私は昔から、幸せを素直に味わうのがあまり得意ではない。 先日、自分よ

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フル充電までの距離

携帯電話に充電器を差し込んだ早朝、画面に表示された「68%」という数字をぼんやりと眺めていた。 ふと、今の自分は何パーセントなのだろうと思った。 数字で見えたら、少しは分かりやすいのにと思いながら。 清掃のパートをしていた頃、私は朝7時からの仕事のために、まだ空が真っ暗な時間に家を出ていた。 重要度の低い交差点の信号機は点滅していて、その規則正しい光が、周囲の静けさをいっそう際立たせていた。 誰もいない道を走っていると、世界に取り残されたような気分になる。 ときどき対向車

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解除ボタンを押す指先~続けてきたものを終える決断~

朝、受信箱を開くと、いつもより静かだと感じた。 指先に伝わるマウスの感触も、画面の白さも、少しだけ軽い。 それは、長く続けてきたメールマガジンの送信を先月九日で終えたからだ。 年が明けてから、毎日少しずつ、届くメルマガの購読解除をしている。 届いていた文章の多くは学びになっていたし、刺激もあった。 しかし、これからはSNSとの距離を意識的に縮めると決めた。 月額課金のサービスも、無理のない範囲まで減らしている。 理由は単純で、体調への不安があるからだ。 突然倒れて、パソコ

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仕事中のだるさを軽減する工夫をしている

最近の自分の課題は、どうしたら仕事がスムーズに行くかだ。 本来の仕事がスムーズに行くことも勿論大事だが、今の私の重点事項は、いかに体力を無くさないようにするか。 多分、持病(指定難病)が原因だと思う。 頑張ろうと思うのだが体がそれについていかない。すぐに疲れる。 休日は疲れたらすぐにソファに横になるのだが、仕事中はそうはいかない。 病室の清掃をしているが、「私もベッドに寝たい」と心の中で思っている。 なぜ体力がなくなるのだろうかと考え、日々対策を実行している。 今のとこ

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田畑を相続した我が家の場合

代々続いた田畑を相続した場合、あなただったらどうされますか? 夫の急逝で女性4人だけの会社員の家族が田畑を相続した。 日中はフルタイムで働く家族は、田畑を耕す時間がない。 「農業はしない」と決断した。 私は、決断するだけでいいと考えていた が、現実はそれほど甘くはなかったのです。 写真は私です🤣

ラッセルの旅立ち

冬の始まりを告げる風が、いつもより冷たく感じた朝だった。 倉庫の奥に眠っていた赤いラッセルを見つめながら、胸の奥が小さく疼いた。 いよいよ、ラッセルが行ってしまう。 ラッセルについてはこちらのnoteでチラリと書いた。 https://note.com/tukuda/n/n730a9eece403?app_launch=false 雪国の冬は厳しい。 屋根から落ちる雪の音で目が覚め、1m以上の積雪になる日もある。雪かきで始まり、雪かきで終わる日も少なくはない。 しかし、

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手放した田んぼに立ち止まる

携帯電話を開いたとき、画面に「〇年前の今日」という文字が浮かび上がった。 指先で触れると、そこには懐かしい稲刈りの写真が並んでいた。 長女がコンバインを操縦し、黄金色の稲を刈っている。夫は収穫した米袋の口を閉じ、肩に担いでトラクターに積み上げる。その姿を思い出すと、汗のにおいや土の湿り気、稲が揺れるざわめきまで胸の奥に蘇る。 コンバインが取り残した株を、私と二女と三女が鎌で刈り取っていた光景も鮮やかだ。刈り取った稲はあっという間に機械にのみ込まれ、米と藁に分けられる。藁の

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「大きい畑」とこれからも関わっていく

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓ https://note.com/tukuda/n/n7960d9739fdf?from=notice 「大きな畑」の借主(Sさん)からの電話は次のようなことでした。 Sさんは私の親戚のAさんの土地を買うことになり、売買契約を交わし農業委員会へ書類を提出し、あとは今月下旬に行われる農業委員会の総会で承認を待つだけの状態でした。 しかし、つい先日、それを取り消したと言うのを電話で話されていました。 それはAさんとSさんとの話であり、なぜ私にその話をされるのでしょうか。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながら私はSさんの電話に相槌を打っていました。 最初はAさんがSさんに畑を貸すという話から始まりました。そして、トラクターもあるからそれも一緒に貸しますということになりました。 その内、Aさんは土地とトラクターを売ってもいいとSさんに話を持ちかけました。 80代のAさんはひとり娘(50代後半独身)しかおらず、手広くやっていた農業の後継者はいません。 恐らくそういった背景もあるのだと思います。 畑とトラクターをAさんがSさんへ売るということが決まり、売買契約書を取り交わし農業委員会へ書類を提出しました。 ところが最近になって、畑もトラクターも売らない。貸すのだったらいいとAさんが言いだしたそうです。 そして、その件でSさんがAさんのお宅に伺った時に、またAさんの話が変わっていて、トラクターは貸さないとおっしゃる。 それはAさんの奥様が強く話をされていた。 売ると決まったものを売らない、貸すならいいと言い、貸すと言ったものを今度は貸さないと言い出す。 これから農業の事業拡大を構想しているSさんは、話がコロコロ変わるAさんに不信感を抱き、結局、今回の件は無かったことに決定されたそうです。 「そうなんですね。」と私はSさんのお話をお聞きしていた。 私がSさんの伝手でビニールハウスを解体してもらい、それを知ったAさんもSさんにビニールハウスの解体をしていただいた。 それが縁で、AさんとSさんの土地の売買の話が始まったから、今回、その話が無かったことになったから、一応、私にその連絡をして下さっているのだと私はのんびりとSさんのお話を聞いていました。 それで電話は終わるのかと思いきや、次の展開に私は想像もしていませんでした。 ビニールハウスは地面に鉄の棒が埋め込まれていて、今回、私のところもAさんのところも、その埋め込まれた鉄の棒は撤去していないとのことでした。 その撤去をするにはそれを引っこ抜くための重機が必要でそれをすると更にお金が掛かります。 Aさんの奥様は、その棒をいつ抜くんだと言われ、Sさんは、「今回の作業にそれは入っていないから抜きません」とお答えしました。 するとAさんの奥様は、それを撤去するのは当たり前だろうとおっしゃってきました。 更には、私の大きい畑に先日行き、私のビニールハウスの地面にも残っているのを確認したと話されたそうです。 その畑は、私がSさんに貸すことになった畑です。 その畑に入っていいのは、土地の所有者である私と、借主であるSさん以外は許されないことです。 家のように畑には周りに塀があるわけでもカギを掛けているわけでもありません。だから、誰でも中に入ろうと思えば入れます。 しかし、いくらAさんが私の親戚であろうと、勝手に人の畑に入ってその地面を調べるということは非常識です。 田舎の人はこういう非常識なことを当たり前にする方がいらっしゃいます。 Aさんの奥様はそういう方で、昔から嫌いでした。ニコニコしていて腹の底では何を考えているのか分からないい人。 あなたの周りにはいらっしゃらないでしょうか。 Aさんは「私のハウスの棒を抜いてくれるまで何度も電話するから。」と脅迫めいたことをおっしゃったそうです。 AさんとSさんだけの話でしたら私にとっては、他人事でした。 しかし、私の親戚で非常識な人がいる。 その人が、親戚だという理由だけで、私の土地に無断で入ってくる。 その土地を借りて耕作をするSさんは、Aさんの奥様からどんな嫌がらせをされるか分からない。 知らないうちに除草剤をまかれるかもしれない。 それはあり得ない事とは言えないくらいAさんの奥様は勝手な人なのです。 いつ、Aさんの奥様によって畑を荒らされるか分からない。 そんな不安を抱えて農業をすることはできないから、 私の「大きな畑」を借りることは無かったことにしてほしい、 とSさんから言われました。 そんな結末になるとは思ってもみなかった私は、最初、言葉に詰まりました。 Sさんは今年の植える苗を既に購入済みで、それが成長して出荷したら100数十万円の売り上げが見込めるのだそうです。 そろそろ、畑を耕そうと思っていた矢先のAさんからのお話でした。 Aさんからの嫌がらせを回避するために今年の100数十万円の売り上げを捨ててでもこの「大きな畑」の賃貸借を解除したいとおっしゃいました。 私にはとても申し訳ないと思っていますがAさんからの攻撃を心配しながらの耕作はしたくないとのことでした。 私は数秒間考えました。 今必要な事は、残念ではありますが、賃貸借の契約を早く解除してSさんの希望を叶えてあげることだと私は決断しました。 そして、今月下旬に行われる農業委員会の総会が近づいているため、事を急ぐ必要があると私は判断し、Sさんと都合を合わせ、その電話の二日後に、農業委員会へ二人揃って出向き、契約解除の手続きを行いました。 やっと、草刈りの心配から解放された。 そして「大きな畑」は信頼できるSさんによって新しく生まれ変わる。 そう思っていた矢先の出来事でした。 私は契約解除の当日、これまでのお礼として栄養ドリンク2箱をSさんにお渡ししました。 あの、草がボウボウで、ここは密林かと思うほどだった状態を綺麗に草を刈って下さった。 また、ビニールや農業資材が散乱していたものを一か所にまとめてくださった。 荒れ放題の畑を綺麗にしてくださったSさんには感謝しかない。 いい人に借りてもらうことができ、家族全員喜んでいましたが、事情をお聞きすると致し方ない。 やっと借り手が見つかった「大きな畑」は結局、親戚のAさんの理由で、契約解除になってしまいました。 夫から相続した「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」は 「小さい畑」と「田んぼ」はお陰様で売れました。 「大きい畑」は一旦、賃貸借契約まで行きましたが、結局、契約解除になりました。 農業をすることができない人が田畑を相続するとどうなるのか。 普通の人では経験できないことをさせていただき、また一つ、勉強になりました。 特に思い入れが強い「大きい畑」。 私はこれからも「大きい畑」と関わっていく。 今日は軽い咳が時々出るため、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1811日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  「大きい畑」とこれからも関わっていく

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借り手が現れた「大きな畑」のその後【音声と文章】

※軽い咳が出て読み上げることができませんので今回は朗読無しになります。 ※今回は、こちらのnoteの続きです。 ↓人を騙して得たお金の価値はいかほどか?【音声と文章】 https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 夫から相続した田畑は大きく分けて、「大きい畑」と「小さい畑」と「田んぼ」の3つです。 夫が急逝して私と3人の娘たちが残され、日中はそれぞれ仕事をしているから田畑を耕すことはできません。 また、重い噴霧器を背中に背負うことも、 夫が使っていた草刈り機を持ち上げることもできません。 稲刈りが終わった田んぼの中でトラクターを数メートル運転したことはありますが、公道を走ったことはありません。 それ以前に、トラクターの鍵の所在が分からない状態です。 ないない尽くしの私たちは、農業を引き継ぐことを諦め、農業委員会に土地を貸します・売りますの申請をしました。 しかし、土地や周りの農道の状態が良くないこともあり、借り手・買い手は見つからずに数年が経っていきました。 農業をしない。そう決めればそれで済むものだと勘違いしていた私は、田畑を耕さなくても、毎年経費がかかることをすぐに知りました。 固定資産税や土地改良区の賦課金はもちろん、広大な畑の草刈りや田んぼの草取りに想像以上の労力とお金が掛かりました。 想像してみてください。 収入は入ってこないのに、年間、数十万円の経費がかかる、そんな土地をあなたはずっと持ち続けることができるでしょうか。 田畑は「生き物」だから、刈った草はすぐに生えてきて、気にはなるが休みやお天気の関係で、丁度良くならず、その内、周りの田畑の方から苦情が来るのです。 恐らく「だらしない人」と噂されているかもしれません。 これまで人さまにご迷惑をおかけしないように注意して生きてきたつもりですが、田畑を相続してからは、苦情の電話や来客に気持ちが沈みます。 私たちだって好きで田畑を放置しているのではありません。 早朝の4:30から田んぼの草取りをしたり、女性でも使えるといううたい文句の草刈り機を購入して、草を刈ったりもしてみました。 でも、やってもやっても草はすぐに生えてきます。 これをずっと経験していかなければいけない。 農業に対するイメージは相続後にがらりと変わりました。 農業委員会へ、タダでいいから引き取ってもらいたいと相談に行きましたが、タダではできない、必ずお金の授受をしないとできないと断られました。そして、今の世の中、農業をする人が少なくなっているから借り手・買い手は難しいと言われました。 収入は入ってこないのに多額の経費だけが掛かるのです。私たちはそのような農業に絶望していました。 しかし、4年目にして山は動いたのです。 「大きい畑」は借り手が現れ、 「小さい畑」と「田んぼ」はそれぞれ買い手が現れました。 そして、全ての書類関係を農業委員会へ提出し、これでやっと肩の荷が下りたと安堵しました。 会社の帰りに、遠回りにはなりますが、たまに田畑を遠目で見て車を走らせます。 夕焼けに染まるお山に抱え込まれているような我が家の畑を眺める。 まだ保育園児だったころに、祖父母、両親、姉、弟、伯母さんと一緒に稲刈りをした風景を今でも思い出します。 あの頃はコンバインはなくて鎌を手に稲を刈っていた。 腰に下げた藁の束から数本を引き抜き、その藁で刈った稲を束ねる。 それを狛犬のような格好に組み立てて稲を干す。 棒掛けもしていた。 子どもの私たちは、赤とんぼを捕まえようと田んぼを走り回っていた。 乾いた田んぼの中を走るたびにバッタの大群が、「大変だー大変だー」と言っているように飛び跳ねて逃げていく。 10時と3時に出されるおやつを目当てにお手伝いに行っていた。 普段は食べない袋菓子がたくさん用意され他にふかし芋、枝豆、りんご、梨などもあった。 遠い遠い思い出です。 「田んぼ」と「小さい畑」は売ることができました。 でも、昔田んぼだった「大きい畑」は当分、売ることはしないつもりです。それも手放してしまえば、幼い頃の思い出も失くしてしまう気がするからです。 そして、縁あって、借主が現れました。 もう、草刈りの心配はありません。 草が大人の胸の高さまで生い茂り異様な雰囲気を醸し出していた「大きな畑」は、借りてくださった方によって、綺麗に草が刈られ、すっきりしています。 もうこれで、収入が無いのに多額のお金を出して土地の維持をしなくてもいいのが嬉しい。 若い頃は先祖代々から続いている土地を継承するのは当たり前と思い、跡取りになった私は、その常識を普通に受け入れました。 しかし、専業農家の夫が急逝し、女性だけの我が家では農業を継ぐことは無理だと分かり、私たちは苦渋の決断をしました。 田畑を相続することの現実の厳しさをこの数年間で思い知りました。 「大きな畑」にあった2つのビニールハウスは借り手の都合で、無い方が作業がしやすいと言われ、私は快くハウスの解体に同意し、その方が知っている業者さんによってハウスは解体されました。 ある日、親戚のAさんから、自分もハウスの解体をしたいのだが、どこの業者さんを使ったのか教えて欲しいと電話が来ました。 それでは、ということで私は大きな畑の借主さんに事の事情をお話したら、彼とAさんとで話をすることになりました。 その後、彼の知っている業者さんによって親戚のAさんのビニールハウスは解体されたようです。 しかし、話はそれだけでは終わりませんでした。 もう80代になるAさんは、農業を畳みたい気持ちを彼に話したところ、事業拡大を計画しているAさんがその土地を買うことになったのです。 Aさん宅は農業の後継者がいらっしゃいません。 Aさんはラッキーでした。私はそのことをずっとあとになって「大きな畑」の借主から知らされました。 幸運な人はどこまで行っても幸運なのだと、ブラックな自分がつぶやいているのを感じました。 その理由はこちらのnoteを読んでくださった方はご存じだと思います。 ↓ https://note.com/tukuda/n/ned279814ce79?magazine_key=ma35047324572 賃貸借契約も取り交わし、後は農業委員会の総会で承認されるのを待つばかりのある日、 「大きな畑」の借主から「至急、お話したい」と電話が入りました。 普段、落ち着いている彼とは違う雰囲気の電話でした。 それは、 親戚のAさんの土地を「大きな畑」の借主が買うことになっていましたが、その売買契約をつい先日、取り消したと言う事でした。 それはAさんと「大きな畑」の借主との話であり、なぜ私にその話をされるのだろうかと思いながら、私は彼の話を時々相槌を入れながら静かに聞いていました。 きっと、私の縁でまとまった話だったからその報告をされていらっしゃるのかなと思いながらのんびり聞いていたら、それは私が予想もつかない展開になったのです。 長くなりましたので、続きは別の機会にいたします。 今日は軽い咳が止まらず、朗読はお休みさせていただきました。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1810日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  借り手が現れた「大きな畑」のその後

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孤独だった私が、子どもを守る母になって気づいたこと

人と話していて気づくことがある。 私はどうしても「相手は素晴らしい、そして、私は駄目だ」と思ってしまう癖がある。 「そんなことない、あなたには素敵なところがたくさんあるよ」と言われても、どこか信じられない。 その根っこには、小学生の頃のいじめの記憶があると思う。 当時、番長格の男子とその取り巻きから徹底的にいじめられ、下級生にまで小石を投げられ、言葉の暴力を浴び続けた。 誰かに助けを求めれば良かったのに、私は誰にも言えなかった。 母に打ち明けたのは大人になってから。 「そ

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小6から高3まで、私はずっと独りだった

これまでの65年間の人生曲線を描いてみた。 何かしら毎日、良いことも悪いこともあったと思うが、小6の一年間、番長的な男子にいじめを受けた時、人生で最初の暗黒時代の扉が開いた。 中ズックを隠されたりランドセルを踏みつぶされたり、暴言を吐かれたり。 今の時代だったら「不登校」ということになるだろうが、当時、私の周りに不登校という現実も言葉もなかった。 学校はどんなことがあってもいくものだと思っていたから、当時はある意味、「いじめられるために」毎日学校へ行っていたようなものだった

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献体してよかったのだろうか ~ネガティブな過去を受け入れる~【音声と文章】

※今回はこちらの続きです。 ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる ↓ https://note.com/tukuda/n/n70afb7094fd8 心電図が取り外され、病室から機械が持ち出されている間、のり子は弟の腕の近くまで身体を曲げて、口にタオルをあてながら声を殺して泣いていた。 今まで抑えていた感情が一気に溢れ出しそれがなみだに姿を変えてのり子の体外へ放出されていった。 涙が止まらなかった。 そんなのり子に医師が話しかけた。 献体を希望するかどうかと聞かれた。 献体? のり子は献体という言葉を知らなかった。 だからすぐに臓器移植を連想した。 しかし、献体は臓器移植とは違うことが分かった。 弟が亡くなった直前に献体を希望するかどうかを聞かなければいけない医師に、お医者さんは辛い仕事だと思う。 ここは大学病院である。つまり、医師を目指している人たちがたくさんいらっしゃる。 人体にメスをいれることはなかなかないこと。 だから、献体された身体を使って自分たちの知識や技術を増やしていくのだろう。 のり子は迷った。 たった今、ついさっきまで息を荒げてベッドに横たわっていた弟の身体にメスを入れるなんて。 まだ体はうっすら温かいのである。 もしかして生きているのかもしれない。 そんな体にメスを入れるなんて考えられない。 どうしよう。 のり子は訃報を知り駆けつけてくださった親戚の方に相談した。 その方は信頼できる方だった。 のり子の話を聞いて 「献体するもしないも、それはのり子さんがお決めになることです。嫌だとお断りしてもそれは悪いことではありません。 また、今後の医療の発展の一助になると考えて検体をしても、どちらも、のり子さんが決めることです。」とおっしゃった。 献体するもしないのも、どちらも正義であり、決めるのは他人ではなく自分なのである。 のり子はどうしようか迷った。 しかし、のんびりと考えている時間はなかった。すぐに決断をしないといけなかったのだ。 悩みに悩んだ末に、のり子は献体をすることを決断した。 弟の死が、今後の医療発展に少しでもお役にたてるのなら、弟は喜んでくれるのではないだろうかと思ったから。 弟はすぐにストレッチャーに乗せられて目の前から消えた。 のり子はストレッチャーの動きに合わせて、薬の副作用で膨れ上がっていた弟の顔をしっかりと目に焼き付けた。 もしかして、戻ってきた時は、目も当てられない姿になっているかもしれない。だから今の姿を真剣にみつめた。 親戚の方にご挨拶をしてのり子は弟の身体が戻ってくるのを待った。 どの位の時間がたったのだろうか。 やっと弟の身体が戻ってきた。 そして、弟の顔を見たのり子はショックを隠し切れなかった。 さっきまで薬の副作用で顔はまん丸に膨れ上がっていたのに、検体から戻ってきた弟はいつもの鼻筋がしゅっとして頬もふくらんでおらず、入院前の弟の顔になっていたのだった。 さっきまで膨れていた顔がいつも通りの顔に戻っていたことに、のり子は愕然とした。 もしかして弟はあの時、まだ生きていたのではないか。 医学的には死んでいても、まだ人間として生きていたのではないだろうか。 それなのに弟の身体にメスを入れることを許した私。 なんて馬鹿なことをしたのだろう。 のり子は献体したことをずっと悔やんだ。 世の中は綺麗ごとでは済まされないことがたくさんある。 医者の卵たちの勉強のためになるのだったらと思い、献体したのだが、その判断は間違っていたのではないだろうか。 のり子はそれからずっとそのことを悔やみ、悩んだ。 自分の評価は他人が決めるものではない。 自分でそれを認め、自分で評価するもの。 弟の献体のことに対して、のり子はずっと答えを出していない。 還暦も過ぎ、残された時間の短さを感じるようになったのり子は、そろそろそのことに結論を出そうと思う。 献体後の顔の変化には驚かされたが、しかし、あの時は真剣に考え、献体すると決断した。 あの時はそれでベストだと思ったのだ。 それが後で間違いだったと気が付いたら間違っていましたと言えばいい。 だから、検体のことはもう許そう。 今がベストと決める勇気 後で変える勇気    (福島正伸) ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1834日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  献体してよかったのだろうか ~ネガティブな過去を受け入れる~

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~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる【音声と文章】

※今回はこちらの続きです。 ~無菌室から一般病棟へ~ ネガティブな過去を受け入れる ↓ https://note.com/tukuda/n/naef583d520e0 弟はのり子が持っていないものをたくさん持っていた。 ユーモアがあり友達が多い。スポーツ万能でポジティブシンキング。 だから弟でありながらのり子は弟を尊敬していた。 年下でありながら自分とは違う偉い人と思っていた。 しかし、薬の副作用で吐き気をもよおしたり、高熱のあまり寒くてベッドをガタガタ揺らすほどになったりしたその都度、のり子は傍にいて弟の介護をしていて、弟が愛おしい、そう思うようになった。 入院中は「手が届かないほど上の存在の弟と、ダメな姉」という構図は全く無くなり、「姉と弟」の関係に戻れた。 だから、弟が愛おしくてたまらなかった。 ある夜、のり子の弟はこんなことを言った。 「これまで僕は、お姉ちゃんより優れていると思っていた。 でも、この入院中で、お姉ちゃんの献身的な看護を見てきてお姉ちゃんはとっても凄い人だと分かった。」 何でもできる弟。 何でも持っている弟。 それに比べて姉であるのり子は 運動音痴で人づきあいが下手。 一生懸命にやってもどこかズレている。 友達が少なく全く魅力のない姉である。 そんな姉弟が弟の入院という出来事で 本来の姉弟の姿に戻れたのである。 少しして弟のお友達がお見えになった。 たったお一人にしか連絡できなかったのに、10数人の方が来てくださった。 弟の人脈の深さを感じる。 のり子はすぐに病室を出て、ガラス越しで見る廊下に行き、皆さんにお礼を申し上げた。 そして、病名を聞かれ素直に本当の病名を告げた。 まさか生死をかけた入院だとは誰も思ってもみなかったから、「そうだったのか」というお顔を皆はされた。 その病名は当時、「不治の病」の代表的な名前だった。 大勢のお友達が廊下に集まっているところへ看護師さんがやってきて「他の患者さんのご迷惑になるため、今の時間のお見舞いはご遠慮ください」と言われた。 夜中にたくさんの人が集まっていると「その時」が近いのだと入院患者は感じるだろう。患者さんが動揺しないようにとの配慮が必要である。 それではということで、お友達はその場から去って行った。 先ほどまで黒い人だかりがあったガラス窓の向こうには誰もいなくなった。 のり子は心の中でありがとうございますとお友達に言った。 少しすると、目の前のエレベーターが開きそこから先ほどのお友達の半分くらいがやってきた。 そして、ガラス越しに弟をみつめ、少しすると階段を下りて行った。 少しするとまたエレベーターが開き、残りのお友達がガラス越しに弟を見つめていた。 それを何度も繰り返していた。 あとでお友達にお聞きしたら、1階の総合待合室に全員下りて、半数毎に上の階に上がって弟の様子を見て、下に降りたら残りの半数が上にいく。 もしかしたら、僕たちの思いが通じてヤマを越えることができるかもしれないからそうしようと、誰からともなく話が出てそれを実行していたそうだ。 なんと友達思いの方々なのだろうか。 これをずっと繰り返されていた。 普通、そこまでしないと思う。 弟の友達はその都度、1階から6階(くらい)までを何度も往復していた。 その内に、弟の勤務先の局長さんがお見えになった。 東京支社へ出張中の上司のTさんの奥様から局長さんに連絡がいったそうだ。 局長さんははあはあと息を荒くして横たわっている弟のすぐそばのすわり、弟に話しかけながら腕などを触り始めた。 ある程度時間が経てばお帰りになるだろうとのり子は思っていたが局長さんはなかなかお帰りにならない。 もう深夜である。明日のお仕事に差し支えると思い、お礼を申し上げても局長さんはお帰りにならなかった。 その方は弟に話しかけてずっと身体をさするのをやめなかった。 その行動を見て、この方は義理ではなく、本心からそうされていらっしゃるのだと分かった。 その内のり子は眠くなり、不謹慎にもウトウトしだした。 ここ2日間くらい、ずっと弟の様子が厳しく、ほとんど寝ていなかったから。 「お姉さんは横になって下さい。私が〇○君の傍にいますから。」 そう言われた。 弟が生死を彷徨っているのに、眠くてしょうがない自分を恥じた。 のり子は必死に起きていた。 何度か局長さんに「夜も遅いのでもうお帰り下さい。」とやんわりお声がけをした。 しかし、局長さんは帰ろうとしなかった。 本心は、できれば最後は水入らずでいたいと思っていたがその言葉は相手の好意を無にするようで、のどのすぐそこまで出かかったが、言えなかった。 やがて心電図がピーと鳴り、一本の水平な線になった。 すると医師がやってきて、両手に持った電気ショックを弟の胸にあてた。 弟はバンと音を立てて身体がベッドから跳ねた。 もう一度、電気ショックをかけ、同じように弟は大きくベッドの上で波打った。 しかし、心電図はまっすぐな線しかなかった。 医師が腕時計を見て時間を告げた。 終わったのである。 28歳の誕生日を無菌室で迎えた弟は この世からいなくなったのである。 のり子は局長さんに深々とお辞儀をした。 集まって下さったお友達の皆さんにも挨拶をして帰っていただいた。 その中に泣き崩れる女性もいた。 その方は両脇を仲間に支えられながら帰られた。 のり子は入院中の弟の前では泣いたことが無かった。 目をはらした顔を見られて弟を不安な思いをさせたくないから、絶対弟の前では泣かないと決めていたのである。 でも、もう、それもおしまい。 のり子は首に下げていたタオルに口を強くあてて、声を殺して思いっきり泣いた。 これまでの3か月余りの涙が堰を切ったように溢れ出た。 涙は気持ちに任せてたくさん流したが、しかし、泣き声だけは出さないように注意した。 それは入院されている他の患者さんやご家族に不安な思いをさせたくなかったからである。 数日前の夜中に、突然、「わーっ」と泣く声を聞いた。そして周りがざわざわと動き出している音を耳にしたのである。 誰かがお亡くなりになったのだと推測した。 その時のり子は思った。 ご家族がお亡くなりになってお辛いだろう。 そのお気持ちはとても良く分かる。 しかし、同じような境遇の人がいる病室で思いに任せで大声で泣くのは、他の皆様が動揺されると思う。 だからもしも「その時」がやってきても私は、泣き声は出さないように気を付けようとのり子は決めたのである。 弟の傍で泣いているのり子に 医師が究極の質問をされた。 長くなりましたので 続きは次回にいたします。 ※note毎日連続投稿1900日をコミット中!  1832日目。 ※聴くだけ・読むだけ・聴きながら読む。 どちらでも数分で楽しめます。#ad  ~その時がついに訪れた~ ネガティブな過去を受け入れる

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