舟木一夫さんとは、同い年で、同期、同じレコード会社だったことから、何かとセットで売り出され、1964年には、「君たちがいて僕がいた」「夢のハワイで盆踊り」でダブル主演するなどしていた、本間千代子(ほんま ちよこ)さんですが、
実は、その裏側では、舟木一夫さんの熱狂的なファンによる脅迫まがいの電話や手紙、誹謗中傷に苦しんでいたといいます。
今回は、本間千代子さんと舟木一夫さんの出会い、共演作品などを、時系列でご紹介するとともに、本間千代子さんが苦しめられたという、舟木一夫さんの熱狂的なファンによる誹謗中傷などの内容や業界の思惑を、当時の本間千代子さん本人の手記を交えながらご紹介します。

「【画像】本間千代子の若い頃から現在までの出演映画・シングルほか経歴は?」からの続き
本間千代子と舟木一夫は同じレコード会社「コロムビア」に所属していた縁で知り合っていた
本間千代子さんは、幼少期から児童合唱団で活躍し、その後、「日本コロムビア」の専属童謡歌手として活動していたのですが、
1963年には、デビュー前の舟木一夫さんが「コロムビア」に所属することになったそうで、ここで、舟木一夫さんと知り合ったそうです。
本間千代子と舟木一夫は「ロッテ歌のアルバム」で共演し自身のデビュー曲を歌っていた
そして、1963年6月5日には、舟木一夫さんが、「高校三年生」でデビューしているのですが、

「高校三年生」
1963年6月9日に放送された「ロッテ歌のアルバム」では、本間千代子さんと舟木一夫さんは共演し、舟木一夫さんは、「高校三年生」を歌い、本間千代子さんは、同年7月にリリース予定の「若草の丘」(デビュー曲)を歌ったそうです。

「若草の丘」
本間千代子と舟木一夫はラジオ番組「夢の青春コンビショー」で共にDJを務めていた
また、同年(1963年)10月からは、本間千代子さんと舟木一夫さんがDJを務めるラジオ「夢の青春コンビショー」がスタートしているのですが、
この番組では、二人の軽妙なトークや歌のほか、舟木一夫さんの母校である自由ヶ丘学園を訪れ、学生たちと交流する企画「学園訪問」が人気を博したそうで、
この「夢の青春コンビショー」を通じて、二人の「青春コンビ」としてのイメージが全国のファンに定着していったそうです。
本間千代子は舟木一夫の初のワンマンショー浅草・国際劇場公演にゲスト出演していた
そして、同年(1963年)12月には、舟木一夫さんにとって初の大劇場でのワンマンショーとなった浅草・国際劇場公演に、本間千代子さんがゲスト出演し、華を添えています。
本間千代子と舟木一夫は映画「君たちがいて僕がいた」でダブル主演
そんな中、本間千代子さんは、映画では作品に恵まれていなかったことから、本間千代子さんを主演に据えて青春路線で売り出したかった東映が、この頃、爆発的な人気を誇っていた舟木一夫さんを本間千代子さんのパートナーにすべく、
1964年、本間千代子さんと舟木一夫さんをダブル主演とした映画「君たちがいて僕がいた」を公開すると、映画は大ヒットを記録し、本間千代子さんも、たちまち注目を集めたのでした。
(本間千代子さんにとって初の主演)

「君たちがいて僕がいた」より。舟木一夫さんと本間千代子さん。
また、1964年3月には、本間千代子さんが、この映画「君たちがいて僕がいた」の挿入歌「愛しあうには早すぎて」をリリースし、舟木一夫さんが主題歌「君たちがいて僕がいた」をリリースしているのですが、
レコードのジャケットにはそれぞれの顔が印字されており、東映による2人の猛プッシュぶりが分かります。

「愛しあうには早すぎて」

「君たちがいて僕がいた」
本間千代子と舟木一夫は映画「夢のハワイで盆踊り」で2度目となるダブル主演
そして、同年(1964年)には、再び、本間千代子さんと舟木一夫さんがダブル主演の映画「夢のハワイで盆踊り」が公開されると、二人のコンビネーションは絶頂期を迎えたのでした。

「夢のハワイで盆踊り」より。舟木一夫さんと本間千代子さん。
本間千代子は舟木一夫のファンからの誹謗中傷や脅迫まがいの嫌がらせに悩んでいた
しかし、そんな中、本間千代子さんは、舟木一夫さんの熱狂的なファンによる嫌がらせに悩んでいたといいます。
本間千代子さんと舟木一夫さんは、同い年で、「日本コロムビア」に所属する旧知の仲であり、芸能界での経験が浅い者同士としてお互いを支え合っていたそうですが、
その親密さが、舟木一夫さんの熱狂的なファンの目には過剰に映り、誹謗中傷、脅迫まがいの電話や手紙が、本間千代子さんの撮影所や事務所に連日届いたそうで、しかも、手紙の中にはカミソリが同封されていたこともあったというのです。
(本間千代子さんの愛称「チョコ」と、舟木一夫さんと「ベタベタしている」という揶揄を組み合わせた造語「ちょこベタ」という言葉も生まれていたそうです)
そして、ついに、本間千代子さんは、
舟木さんと共演することが怖い
と感じるようになっていったのだそうです。

舟木一夫さんと本間千代子さん。
本間千代子は舟木一夫のファンからの嫌がらせに対して、切実な手記を綴っていた
そんな本間千代子さんは、1964年、「特別手記」として、「舟木君と青春映画に共演して」のタイトルで、
あれは(「君たちがいて僕がいた」の)撮影も終わりに近づいたある日。いつものように撮影所に出かけようとしていた私は、その時かかってきた電話に、何気なく出たのです。
すると、いきなり、「あんた、チョコね。週刊誌M読んだわ。舟木さんとベタつくのはいいかげんにして!」と、投げつけるような言葉が、ガンガンと耳に飛び込んできました。
実をいえば、3月に国際劇場での”舟木一夫ショー”に私が賛助出演したところからそうした電話は時々かかってきていました。でも私は、見に覚えのないことですし、つとめて気にかけないでいたのです。でも、でも、そんなことが活字にされていようとは!?
半信半疑でその週刊誌を買った私は、「舟木とチョコが意識している微妙な関係」という活字を見た時、ドキリとし、読むごとに、くやしくて震えだしそうでした。
その記事によると、「撮影所での本間は、舟木のそばを離れず、ちょっとでも舟木の姿が見えないと探して回る。本間は舟木の世話をよく焼き、自分以外のものには手を出させない」などなど・・・ファンの嫉妬交じりの発言をはさんで記されていました。
さて、その日から、私の家の電話は、一日中鳴り通し、時には真夜中にも起こされ、舟木さんと私の仲について、問い合わせやらイヤミやらを聞かされる始末です。
「私達の舟木さんを独占して、いい気になっていると塩酸をかけるわよ」こんな電話を受けた時は、あまりのことに布団にもぐって泣き明かしたほどでした
と、悲痛な胸の中を綴っており、
この手記の中で、舟木一夫さんとの関係について、仕事の上での良き仲間であることを強調し、恋愛関係を完全否定し、プライベートでの交流さえないことを綴っています。

本間千代子は舟木一夫の所属事務所「ホリプロ」の言葉に最も大きなショックを受けていた
しかし、ファンの誹謗中傷以上に、本間千代子さんがショックを受けたのは、前述の記事の中で、舟木一夫さんの所属事務所「ホリプロ」の人が、
「君たちがいて僕がいた」はあまりヒットしてほしくない
と、語っていたことだったといいます。
それは、
舟木にはいろんな女優と共演させたい。「君たちがいて僕がいた」のヒットによって、舟木・本間のコンビだけが絶対のもという印象を強くしたくない
という意味だったのですが、
もともと予定していた休暇を返上して、舟木一夫さんのステージにゲスト出演し、公演当日、お客さんで埋め尽くされた客席を見て、自分のことのように嬉しく感じていたという本間千代子さんにとって、この言葉は、悔しさと悲しさで、もう、女優をやめようかとまで思ったのだそうです。
実際、これ以降、本間千代子さんは、舟木一夫さんとは、これまでのようにフランクに話せなくなり、ギクシャクするようになったそうですが、
舟木一夫さんも、
ファンに見られると、舟木さんはきっと本間さんの家に行くのだろうと思われそうで、憂鬱になる
と、近しい人に語っていたといいます。
(舟木一夫さんは、本間千代子さんの家と同じ方向の西荻窪にある作曲家の遠藤実さんの家にレッスンに通っていたそうです)
それでも、本間千代子さんは、これまで、家庭でも会社でも温室育ちだった自身にとって、よい人生経験ができたと前向きに捉え、たえず温かく励まし続けてくれたファンの人たちの思いを胸に、仕事を頑張っていきたいと、
「特別手記」では、
チョコは一生懸命やります。どうぞ、みなさん、これからの私を今までと変わらず見守っていてください。
と、力強く締めくくっています。
(こうした苦悩を抱えながら撮影された「君たちがいて僕がいた」などの作品は、本間千代子さんと舟木一夫さんのひたむきさが画面から溢れ出しており、今もなお青春映画の傑作として語り継がれています)
「本間千代子は吉永小百合と同等の人気も東映(岡田茂)から干されていた!」に続く
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「君たちがいて僕がいた」「十七才のこの胸に」「あの雲に歌おう」などの青春映画で主演を務め、清純派女優として人気を博した、本間千代子(ほんま ちよこ)さんですが、 その輝かしい表舞台の裏側では、所属する東映との深刻な路線の …









