1961年、16歳の時、東映のアクション映画「恋と太陽とギャング」で本格的に女優デビューすると、その後は、東映の青春路線で売り出され、舟木一夫さんや西郷輝彦さんとのコンビでダブル主演を務め、その清楚で愛らしい姿でたちまち人気を博した、本間千代子(ほんま ちよこ)さん。

今回は、そんな本間千代子さんの若い頃(女優デビュー以降)から現在までの経歴を、代表作を交えて時系列でご紹介します。

本間千代子

「本間千代子の生い立ちは?小5で童謡歌手!中2で東映映画に出演していた!」からの続き

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本間千代子は16歳の時、高倉健主演の映画「恋と太陽とギャング」で本格的なデビューを果たすと大きな注目を浴びていた

本間千代子さんは、1961年、16歳の時、高倉健さん主演のアクション映画「恋と太陽とギャング」で本格的に女優デビューを果たしているのですが、

この作品で、本間千代子さんは、千葉真一さんの妹・留美子役を好演し、大きな注目を集めます。

本間千代子は16歳の時、映画「歌う明星・青春がいっぱい」(渥美清の妹役)で清純派スターの地位を確立していた

そして、その4ヶ月後には、映画「歌う明星・青春がいっぱい」に出演すると、この作品では、後に国民的俳優となる渥美清さんの妹・千代子役を演じているのですが、

本間千代子さんは、その清楚で清らかな魅力で観客を虜(とりこ)にし、一躍、清純派スターとして人気を博しています。

本間千代子は19歳の時に歌手としてもデビューし「若草の丘」「純愛の白い砂」をリリース

そんな本間千代子さんは、1963年7月、19歳の時には、「若草の丘」で歌謡歌手デビューも果たすと、

「若草の丘」
「若草の丘」

同年11月には、2枚目となるシングル「純愛の白い砂」をリリースしています。

「純愛の白い砂」
「純愛の白い砂」

本間千代子は19歳の時に映画「君たちがいて僕がいた」で舟木一夫とダブル主演を務めブレイク

ただ、映画の方は、その後、しばらく、作品に恵まれなかったのですが、1964年、19歳の時、22作目となる映画「君たちがいて僕がいた」で、当時、人気絶頂だった舟木一夫さんとダブル・主演を務め、「青春路線」として売り出されると、

映画は大ヒットを記録し、本間千代子さんも、たちまちブレイク。

1964年3月には、この映画「君たちがいて僕がいた」の挿入歌「愛しあうには早すぎて」も、5枚目のシングルとしてリリースしています。

「愛しあうには早すぎて」
「愛しあうには早すぎて」

本間千代子は19歳の時に映画「夢のハワイで盆踊り」で舟木一夫とダブル主演を務めるも興行的には失敗していた

また、本間千代子さんは、同年(1964年)、再び、映画「夢のハワイで盆踊り」で舟木一夫さんとダブル主演を務めているのですが・・・

これは、興行的には失敗に終わっています。

本間千代子は19歳~20歳の時、青春映画「十七才のこの胸に」「あの雲に歌おう」「可愛いあの娘」「おゝい、雲!」に出演し東映のアイドル女優として人気を博していた

それでも、本間千代子さんは、以降、

などの青春映画に出演すると、東映のアイドル女優として人気を博したのでした。

本間千代子は20歳の時にリリースした王貞治とのデュエット曲「白いボール」が大きな話題となっていた

また、本間千代子さんは、1965年5月、20歳の時には、この頃、読売ジャイアンツで活躍していた王貞治さんとのデュエット曲「白いボール」もリリースし、大きな話題となっています。

本間千代子は20歳以降は東映を干された状態になっていた

しかし、東映が、徐々に「エロと暴力」に方向を転換していき、1965年以降、岡田茂社長の指揮下で、完全に「エロと暴力」の路線へとシフトすると、

唯一の青春路線を担っていた本間千代子さんは、東映の映画路線から外されていき、いわゆる、”干された”状態となってしまいます。

本間千代子は20歳の時、テレビドラマ「チコといっしょに」、NHK大河ドラマ「太閤記」に出演するほかレコードも多数リリース

そんな中、本間千代子さんは、1965年、20歳の時には、冠番組「チコといっしょに」やNHK大河ドラマ「太閤記」(浅野長政の妻・やや役)に出演し、

  • 1965年2月「しあわせな涙」
  • 1965年2月「チコといっしょに」
    「チコといっしょに」
    「チコといっしょに」
  • 1965年4月「うそでもいいから」
  • 1965年7月「心のキャンバス十二号」
  • 1965年10月「ガラスの靴で踊りたい」
    「ガラスの靴で踊りたい」
    「ガラスの靴で踊りたい」
  • 1966年2月「また逢う日まで」
  • 1966年4月「月の浜辺で逢ったひと」
  • 1966年7月「山ゆり峠」
  • 1966年8月「若い海」

など、数多くのレコードをリリースするほか、

民音(民主音楽協会)や労音(勤労者音楽協議会)といった音楽団体主催のコンサートも精力的にこなし、活動の場をテレビや歌へシフトしていくと、歌手としての地位も確立し、幅広い層からの人気を獲得しています。

本間千代子は21歳の時に東映を退社しフリーとなっていた

そして、その後も、本間千代子さんは、特撮映画「大忍術映画 ワタリ」で、「おゝい、雲!」以来、約1年半ぶりに映画に出演するほか、

1966年6月には、ファンと潮干狩り(しおひがり)イベントを行うなど、根強い支持者に支えられていたのですが・・・

会社との方向性の違いは埋められず、同年、東映を退社すると、フリーとなっています。

本間千代子は22歳の時に守屋浩と結婚後は実質的に女優業を引退していた

そんな本間千代子さんは、1967年1月22日、歌謡歌手の守屋浩さんと結婚すると、

映画では、

  • 1968年「思い出の指輪」
    「思い出の指輪」
    「思い出の指輪」より。本間千代子さんと守屋浩さん。
  • 1969年「やくざ非情史 刑務所兄弟」

テレビドラマでは、

  • 1969年「三百六十五夜」

に、出演しているのですが、以降、表立った活動はしておらず、実質的に女優を引退しています。

(守屋浩さんとは1975年に離婚したそうです)

本間千代子は33歳の時に五木ひろしに提供した「熱愛」が日本作詩大賞に入賞していた

ただ、本間千代子さんは、1976年、31歳の時には、音楽プロデューサーのひのきしんじさんと再婚すると、「あたらしかずよ」名義で作詞を手掛けるようになったようで、

1978年、33歳の時には、五木ひろしさんが歌唱した「熱愛」の作詞を手掛け、同年、「日本作詩大賞」に入賞しています。

「熱愛」
「熱愛」

本間千代子は47歳の時に慶応義塾大学に入学していた

また、本間千代子さんは、47歳の時には、慶応義塾大学に入学すると、6年かけて卒業していたといいます。

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本間千代子の現在は?

そんな本間千代子さんは、子育てが終了した2003年頃(本間千代子さん58歳頃)から2025年3月24日(本間千代子さん80歳)まで、ラジオ番組「おはようサタデー」でパーソナリティーを務める夫・ひのきしんじさんのパートナー役として出演すると、

番組では、二人の人生経験を中心に、リスナーとともに、1960年代、1970年代の懐かしい音楽を紹介しながら、世の中の矛盾や気になるニュースなども交えつつ、ざっくばらんに語っていたといいます。

また、本間千代子さんは、2008年、63歳の時には、日本大学大学院総合社会情報研究科人間科学専攻博士前期課程の入学試験を受験すると、見事、合格し、

修論(修士論文)に自信がないけれど、頑張ってみようかな

と、語っていたそうですが、

ちょうど、同じ時期、お孫さんが誕生し、お孫さんとの時間を大切にしたいとの思いから、勉強どころではなくなり、入学は取りやめたといいます。

本間千代子
現在の本間千代子さん。

「本間千代子は舟木一夫のファンの脅迫電話や手紙、誹謗中傷に苦しんでいた!」に続く

お読みいただきありがとうございました

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