「ザ・スパイダース」脱退以降は、シンガー・ソングライターに転身し、フォークソングなど、これまでのグループ・サウンズとは異なったジャンルの様々なミュージシャンと交流すると、
1975年、36歳の時には、「あゝ!我が良き友よ」(吉田拓郎さん作詞作曲)が90万枚を売り上げる大ヒットとなった、かまやつひろしさん。
今回は、かまやつひろしさんの、若い頃(「ザ・スパイダース」脱退以降)から死去までの経歴を代表曲を交えて時系列でご紹介します。

「【画像】かまやつひろしが若い頃はスパイダースで大ブレイクしていた!」からの続き
かまやつひろしは31歳の時にソロアルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」をリリース
かまやつひろしさんは、「ザ・スパイダース」として活動中の1970年2月に、ソロアルバム「ムッシュー/かまやつひろしの世界」をリリースすると、
「ザ・スパイダース」解散後は、活動の場をフォークソングに移し、フリーで活動しています。
かまやつひろしは35歳の時に吉田拓郎とのデュエット曲「シンシア」をリリース
そんなかまやつひろしさんは、フォークの若い世代とも積極的に交流を持っていたそうで、
原宿のバー「ペニーレイン」や六本木の飲み屋などでよく顔を合わせていたという、フォーク歌手の吉田拓郎さんに積極的に接近すると、意気投合したそうで、
1974年7月1日には、「よしだたくろう&かまやつひろし」名義で、吉田拓郎さんとのデュエット曲「シンシア」をリリースしています。

「シンシア」
(この曲のタイトル「シンシア」は、同時期、アイドルとして活躍していた南沙織さんのクリスチャンネームで、同時期、頼まれもしないのに、吉田拓郎さんが捧げた曲として話題となったそうです(笑))
ちなみに、かまやつひろしさんは、吉田拓郎さんに接近した理由について、
ぼくは、なんとか彼と共演したくて、ことあるごとに「一緒にやろうよ」と、しつこく言い寄っていた。別にヒット曲が欲しいとか、ヘンな色気があったわけではない。だから拓郎も受け入れてくれたのだと思う。
自分とは全く違う音楽をやっている人間に、ぼくはその頃から興味があった。好奇心なのだろう。それがなくなったら、音楽をやっている意味がない。ただ食うためにやるのだったら、音楽なんて、もしかしたら、すごくつまらない仕事かもしれない。
と、語っています。
かまやつひろしは36歳の時に「あゝ!我が良き友よ」が90万枚を売り上げる大ヒット
その後も、かまやつひろしさんは、事ある毎に、ソロの曲を書いてくれるよう吉田拓郎さんに迫っていたそうですが、吉田拓郎さんからは、「うん、うん」という生返事が続いていたそうです。
そんなある日、吉田拓郎さんから、
ムッシュにぴったりの曲が出来たよ
と、電話があったそうで、
かまやつひろしさんは、期待に胸を膨らませて、吉田拓郎さんに会いに行ったそうですが・・・
吉田拓郎さんが弾き語りしてくれたのは、吉田拓郎さんの学生時代のバンカラ(粗野で野蛮な振る舞いや言動)な応援団の先輩をモデルにして作られた曲だったそうで、
英米のカントリー、ウエスタン、ロックに慣れ親しんだかまやつひろしさんには、”昔は良かった”的な歌詞にとまどい、複雑な気持ちになったといいます。
そのため、レコーディングでも、歌う時に身が入らず、気が乗らないまま、感情を込めず、さらっと歌って終わらせたそうですが・・・
1975年2月5日、この曲「あゝ!我が良き友よ」がリリースされると、たちまち、90万枚を売り上げる大ヒット。
ちなみに、かまやつひろしさんは、ある日、テレビ局で偶然、美空ひばりさんに会い、
あの歌は、あなたがちっとも感情移入してないからいいのよね。私がもしあの歌を歌っていたら、きっと感情が入りすぎてしまって失敗していたでしょうね
と、言われたことがあったそうですが、
美空ひばりさんに感心しながらも、吉田拓郎さんの先見性に、あたらめて感心したそうです。
(かまやつひろしさんは、2006年の「吉田拓郎&かぐや姫の野外コンサート」でも、スペシャルゲストとして登場し、吉田拓郎さんとデュエットでこの「あゝ!我が良き友よ」を披露しています)
かまやつひろしの「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は1990年代に再評価されていた
ところで、かまやつひろしさんは、吉田拓郎さん節全開だった「あゝ!我が良き友よ」が、
僕の世界ではない
と、あまり気に入っていなかったことから、
B面は自分の好きなように作らせてほしい
と、レコード会社に言い、
B面には、かまやつひろしさんが作詞作曲した、アシッド・ジャズ風の「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」が収録されており、
かまやつひろしさんは、
その当時、僕はフェイセスが好きで、ロッド・スチュワートを気取っていたから「我が良き友よ」の“ゲタ履いて腰に手ぬぐいぶら下げて”っていう詞を歌うのにすごく抵抗があったわけ。じゃあB面は自分がやりたいことをやるんだってことになってね(笑)。
と、語っているのですが、
(その後、かまやつひろしさんは、1985年5月10日にも、この「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」をA面として再リリースしています)
1990年代に入ると、アシッド・ジャズブームが巻き起こった影響で、「ゴロワーズを吸ったことがあるかい」は再評価され、
1994年には、アシッド・ジャズ界屈指のメンバーと共に、現地ロンドンで録音したアルバム「Gauloise」が、小山田圭吾さん(コーネリアス)が主宰するレコードレーベル「トラットリア」からリリースされています。

「Gauloise」
すると、この「Gauloise」は、新たに若い世代の支持を獲得し、その後も、かまやつひろしさんは、小山田圭吾さんとの親交が続き、コーネリアスやカヒミ・カリィさんのアルバムやコンサートにも参加しています。
かまやつひろしは47歳~60歳の時、「One Night Stand Brothers」「ウォッカ・コリンズ」「ソン・フィルトル」など数々のアーティストと共演
その後、かまやつひろしさんは、ソロ活動のかたわら、1986年には、日本を代表するスタジオミュージシャンを集めたバンド「One Night Stand Brothers」にギター&コーラスとして参加すると、

「One Night Stand Brothers」
1996年頃にも、アラン・メリルさん、大口広司さん、ルイズルイス加部さんが結成した「ウォッカ・コリンズ」にもギター&コーラスとして参加するほか、

「ウォッカ・コリンズ」
1999年には、元「ザ・スパイダース」のメンバーである堺正章さん、井上堯之さんとともに、「ソン・フィルトル」を結成するなど、様々なバンドで活動しています。

「ソン・フィルトル」
かまやつひろしは70歳の時にアルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」をリリース
また、かまやつひろしさんは、2009年2月18日、70歳の時には、井上順さん、今井美樹さん、甲斐名都さん、堺正章さん、「THE ALFEE」、TAROかまやつさん、トータス松本さん、秦基博さん、一青窈さん、布袋寅泰さん、Microさん、森山直太朗さん、森山良子さんなどとコラボした、アルバム「1939~MONSIEUR(サンキュー ムッシュ)」をリリースしています。
かまやつひろしは74歳の時にはKenKen、山岸竜之介とユニット「LIFE IS GROOVE」を結成
さらに、2013年には、KenKenさん、山岸竜之介さんと、ユニット「LIFE IS GROOVE」を結成しています。

「LIFE IS GROOVE」
かまやつひろしは78歳で死去
しかし、そんなかまやつひろしさんも、2016年9月6日、肝臓ガンであることと2016年9月10日に出演予定だったイベントを欠席することが、所属事務所を通じて発表され、その後、治療を続けていたのですが、
2017年3月1日18時5分、膵ガンにより、東京都内の病院で、78歳で他界されたのでした。
「かまやつひろしの死因は?余命宣告されていた!密葬後はスパイダース葬(お別れ会)も!」に続く
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年下のミュージシャンとも気さくに交流するほか、精力的に音楽活動を続けるも、2016年9月6日、所属事務所により、「肝臓ガン」で入院中であることが発表されると、2017年3月1日には、78歳で他界された、かまやつひろしさん …










