1976年、13歳の時、 「不二家ハートチョコレート」のCMで芸能界デビューすると、その後、アイドルとして活動し、1983年、 20歳の時、劇団四季の「キャッツ」に出演したことがきっかけで、ミュージカルや舞台に転向した、川﨑麻世(かわさき まよ)さん。
今回は、そんな川﨑麻世さんの、幼少期(生い立ち)からアイドル時代までをご紹介します。

川﨑麻世のプロフィール
川﨑麻世さんは、1963年3月1日生まれ、
大阪府枚方市の出身、
(京都市北区下鴨生まれ)
身長181センチ、
体重67キロ、
靴のサイズは27.5センチ、
血液型はB型、
学歴は、
枚方市立平方小学校
⇒練馬区立石神井中学校
⇒堀越高校
⇒東京工芸大学部画像技術科グラフィックデザインコース卒業
趣味は、
映画観賞、書、絵画、日曜大工(家具)、写真、リサイクル、カラオケ、
特技は、英会話だそうです。
川﨑麻世の本名の由来は?
ちなみに、川﨑麻世は本名だそうですが、
誕生日が「マヨネーズの日」だったことから、「マヨ」⇒「麻世」と名付けられたのだそうです。
(キユーピーが日本で初めてマヨネーズを製造・販売したのが、1925年(大正14年)3月で、この3月と日本初の「1」にちなんで、3月1日がマヨネーズの日になったそうです)
川﨑麻世はハーフ?
川﨑麻世さんは、彫りの深い顔立ちや、手足が長く抜群のスタイルから、「ハーフ」との噂がありますが、
川﨑麻世さん本人が、自身のブログに、ある舞台のワンシーンの写真をアップするとともに、
この写真なんか外国人に見えない??たまにハーフですかと聞かれるが
と、綴っていることや、

お父さんが、松竹の映画俳優・安住譲(あずみ じょう)さんで、お母さんが、雅子さんという名前であることを明かしており、ハーフではなく、正真正銘の日本人だそうです。
川﨑麻世は幼い頃、両親が離婚し母親に育てられていた
川﨑麻世さんは、京都松竹の映画俳優だったお父さん・安住譲さんのもと、大阪府寝屋川市の関西医科大学附属香里病院(後の関西医科大学香里病院)で誕生すると(一人っ子)、お父さんの故郷である京都市北区下鴨で暮らしていたそうですが、
川﨑麻世さんが1歳半の時に両親が離婚したことから、その後は、大阪府枚方市のお母さんの実家に引っ越し、お母さん、おばあちゃん、おじいちゃんと共に、大阪府枚方市で育ったそうです。
川﨑麻世は12歳の時、テレビ番組に応募し西城秀樹の振り付けで優勝(グランドチャンピオン)していた
川﨑麻世さんは、芸能界に憧れはあったものの、芸能人になりたいと思っていた訳ではなかったそうですが、
1975年、12歳の時、興味本位で、当時、人気番組だった関西ローカル「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ」内の素人参加コーナー「パクパクコンテスト」に自ら応募し、西城秀樹さんの振り付けのマネをすると、見事優勝(グランドチャンピオン)したそうで、
以来、「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ」にレギュラー出演するようになったそうです。

「プリン&キャッシーのテレビ!テレビ」内「パクパクコンテスト」より。(左から)笑福亭鶴光さん、川﨑麻世さん、横山プリンさん。
ちなみに、その後、川﨑麻世さんは、番組に、ジャニーズ事務所所属の豊川誕さんがゲスト出演するたびに、豊川誕さんに駆け寄り、
ジャニーさんを紹介して下さい! お願いします!
と、売り込んでいたといいます。
川﨑麻世は12歳の時に平尾昌晃にスカウトされ平尾昌晃歌謡学院に通うようになっていた
そんな中、川﨑麻世さんは、1976年2月、12歳の時には、様々な雑誌や新聞の取材を受けるようになったそうで、
やがて、作曲家で歌手の平尾昌晃さんにスカウトされて、平尾昌晃歌謡学院(現・平尾昌晃ミュージックスクール)の大阪校に通うようになり、歌も学ぶようになったそうです。
川﨑麻世は13歳の時に「不二家ハートチョコレート」のCMでデビューすると大ブレイク
そして、1976年、13歳の時には、アイドル雑誌「明星」(1976年7月号)に大きく掲載されたそうで、同時期、平尾昌晃さんを介してジャニーズ事務所を紹介してもらい、念願叶って、ジャニーズ事務所入りを果たすと、
間もなく、不二家「ハートチョコレート」のCMが決まったそうで、同年、「不二家ハートチョコレート」のCMでデビューしたのでした。
(同年(1976年)の夏休みを利用して、一時的に、地元大阪から上京していたそうです)

「不二家ハートチョコレート」の川﨑麻世さん。
すると、脚が長く、日本人離れした顔立ちの川﨑麻世さんは、たちまち人気が爆発。
喫茶店だった実家の店内は、連日、ファンの女の子たちで埋め尽くされたほか、バレンタインデーには、チョコレートを持ったファンの女の子たちが、駅から自宅まで長蛇の列を作ったそうで、
川﨑麻世さんは、
自宅の2階からロープをつけたザルを下ろして、それにチョコを入れてもらいました
と、語っています。
川﨑麻世は13歳の時に上京して「カックラキン大放送!!」「怪人二十面相」に出演
その後、川﨑麻世さんは、1976年10月(13歳)に正式に上京すると、親戚のプロカメラマン・島津久純さんの家に下宿して、練馬区立石神井中学校に通いつつ、本格的に芸能活動を開始したそうで、
- 1976年「カックラキン大放送!!」
- 1977年「怪人二十面相」(テレビドラマ)
などに、出演しています。

「怪人二十面相」のジャケットより。2列目の左端が川﨑麻世さん。
川﨑麻世は14歳の時に「ラブ・ショック」で歌手デビューするとプロマイド売上NO.1に輝いていた
そして、1977年4月(14歳)には、NHKの番組「レッツゴーヤング」に「サンデーズ」のメンバーとして起用され、

「レッツゴーヤング」より。1979年、16歳の時の川﨑麻世さん。
同年7月1日には、「ラブ・ショック」で歌手デビューも果たすと、プロマイドの売り上げがNO.1に輝くなど、人気アイドルとして確固たる地位を確立したのでした。

「ラブ・ショック」
ちなみに、1970年代後半、ジャニーズ事務所は、郷ひろみさんの移籍、「フォーリーブス」の解散など、主要メンバーの脱退・移籍・退所・解散が重なるほか、新人や新ユニットの不発も重なるなど、低迷していたのですが、
そんな中、川﨑麻世さんはエース級の扱いを受け、井上純一さんと共に、低迷期のジャニーズ事務所を支えたのでした。
(とはいえ、川﨑麻世さんは、ブロマイド売上はNO.1に輝くも、ヒット曲には恵まれませんでした)
「【画像】川﨑麻世の若い頃から現在までの出演舞台ドラマ映画ほか経歴は?」に続く
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1977年、13歳で華々しく歌手デビューすると、端正なルックスでアイドルとして人気を博し、その後は、舞台俳優へと転身し、ミュージカル「レ・ミゼラブル」のジャベール役など、舞台俳優の地位を確立している、川﨑麻世(かわさき …







