ザ・スパイダース」解散後、1971年1月には、井上堯之さん、萩原健一さん、沢田研二さん、岸部修三(現・岸部一徳)さん、大口広司さんと本格的なロックを目指したバンド「PYG」を結成し、同年2月に活動を開始した、大野克夫(おおの かつお)さんですが、

事務所の都合により、人気の高かった沢田研二さんと萩原健一さんを前面に押し出した「PYG」は、硬派なロックファンから激しいバッシングに遭っていたといいます。

今回は、大野克夫さんの若い頃(「PYG」時代)の経歴を代表曲を交えて時系列でご紹介します。また、最後には、ディスコグラフィー(シングル、アルバム)もご紹介します。

「PYG」

「【画像】大野克夫の若い頃はスパイダース!田邊昭知からスカウトされていた!」からの続き

Sponsored Link

大野克夫は31歳の時に井上堯之らとロックバンド「PYG」を結成

大野克夫さんは、「ザ・スパイダース」が解散する前の1970年末頃から、同じ「ザ・スパイダース」の井上堯之さん、「ザ・テンプターズ」の萩原健一さんと大口広司さん、「ザ・タイガース」の岸部修三(現・岸部一徳)さんと、”ニュー・ロック”バンドを結成する構想を話し合っていたそうで、

1971年1月に「ザ・タイガース」が解散すると、すぐに、前述のメンバーに沢田研二さんを加えた6人で、東京・四谷の料亭に集まり、ロックバンド「PYG」を結成し(リーダーは井上堯之さん)、

同年2月1日から、本格的なロックバンドを目指して活動を開始したそうです。

ちなみに、「PYG」とは、”豚のように蔑まされても生きてゆく”という意味で、「PIG(豚)」をもじって「PYG」としたそうで、同じ「渡辺プロダクション」に所属していたアラン・メリルさんのアイディアだったそうです。

大野克夫は31歳の時、「PYG」を活動開始も波乱の幕開けとなっていた

そして、「PYG」は、1971年3月、京都大学西部講堂で開催されたロックフェス「第1回 MOJO WEST」で、ステージデビューを果たしたそうですが・・・

会場に集まった硬派なロックファンにとって、人気絶頂のスターたち(特に沢田研二さんと萩原健一さん)が集まったこのバンドは”商業的”に映り、会場は猛烈なヤジと罵声が飛び交う大混乱に陥ったといいます。

(この窮地を救ったのは、内田裕也さんによる必死の説得だったそうです)

「PYG」

また、続く4月の日比谷野外音楽堂での「日比谷ロック・フェスティバル」でも、観客からは「帰れ!」コールが巻き起こるほか、ステージに物が投げ込まれたといいます。

というのも、「PYG」は、もともと、本格手なロックバンドを目指していたのですが、所属事務所となった「渡辺企画(「渡辺プロダクション」の子会社)」が、人気の高かった沢田研二さんと萩原健一さんをメインに売り出したことから、”商業主義の申し子”と猛反発を受けたのでした。

大野克夫は「PYG」としてシングル「花・太陽・雨」、アルバム「PYG!」をリリース

それでも、「PYG」は、逆風が吹き荒れる中、

と、リリースすると、

世間の厳しい反応とは裏腹に、「花・太陽・雨」は8万枚を売り上げ、「PYG!」は2.4万枚を売り上げています。

大野克夫は「PYG」ではハモンド・オルガンを担当していた

ちなみに、大野克夫さんは、「PYG」では、ハモンド・オルガンを中心に演奏するほか、バンドのロックサウンドを構築する音楽監督のような重要な役割を担ってアレンジや作曲を担当しているのですが、

特に、1971年7月21日にリリースされた2枚目のシングル「自由に歩いて愛して」では、大野克夫さんのハモンド・オルガンソロ、井上堯之さんの革新的な作曲とギター、萩原健一さんと沢田研二さんのツインボーカルが見事に融合して、

1971年を代表する名曲として今なお語り継がれており、「PYG」の音楽的な本質を最もよく表した楽曲となっています。

「PYG/自由に歩いて愛して」

ちなみに、フリーライターの大越よしはるさんは、

(「自由に歩いて愛して」は)大野克夫のオルガンが大活躍するアンサンブルは、実にイメージ通りのニュー・ロックという感じ。カッコいいオルガン・ソロと、バックに流れ続けるパーカッションは、TRAFFICとSANTANAからいいとこどりしようとしたみたいな。

と、高く評価しています。

大野克夫が32~33歳の時、「PYG」は自然消滅

しかし、そんな「PYG」も、1971年9月には、ドラムスの大口広司さんが脱退すると、「ミッキー・カーチス&サムライ」のメンバーだった原田祐臣さんが後任として加入するも、ほどなくして、萩原健一さんが俳優としての活動が忙しくなり、

続いて、沢田研二さんも、2枚目のソロシングル「許されない愛」が大ヒットとなったことから、2人が抜けることが多くなると、「PYG」の存在感は次第に希薄になっていき、1972年には、自然消滅してしまったのでした。

「PYG」
(左から)沢田研二さん、大野克夫さん、岸部修三(現・岸部一徳)さん、萩原健一さん、大口広司さん、井上堯之さん。

「PYG」のディスコグラフィー(シングル)

それでは、最後に、「PYG」のディスコグラフィーをご紹介しましょう。

シングルでは、

  • 1971年4月10日「花・太陽・雨/やすらぎを求めて」
    「花・太陽・雨」
    「花・太陽・雨/やすらぎを求めて」
  • 1971年7月21日「自由に歩いて愛して/淋しさをわかりかけた時」
    「自由に歩いて愛して」
    「自由に歩いて愛して/淋しさをわかりかけた時」
  • 1971年11月1日「もどらない日々/何もない部屋」※「萩原健一+PYG」名義
    「もどらない日々」
    「もどらない日々/何もない部屋」
  • 1972年8月21日「遠いふるさとへ/おもいでの恋」
    「遠いふるさとへ/おもいでの恋」
    「遠いふるさとへ/おもいでの恋」
  • 1972年11月21日「初めての涙/お前と俺」
    「初めての涙」
    「初めての涙/お前と俺」
Sponsored Link

「PYG」のディスコグラフィー(アルバム)

アルバムでは、

を、リリースしています。

予定に続く

お読みいただきありがとうございました

Sponsored Link