家は味方

ADHD親子の、片付けられる家。

私たちは横にも縦にも分断されている

バグっているのは個人ではなくて、社会かも。

私は片付けを仕事としており、日々、モノやゴミの中で身体を縮めて眠るしかない方々のサポートをしています。

その現場に立ち続けるなかで、ずっと胸を締め付けられるような違和感がありました。

なぜ、これほどまでに多くの人が「片付けられない自分」を責め、罪悪感と恥のなかで孤独に苦しんでいるのだろうか。

結論から言えば、彼らがだらしないからでも、努力が足りないからでもありません。

本当は、私たちの社会の構造(システム)の側がバグっているのではないでしょうか?

そして、そのバグの本質は、私たち住民や家族が「横にも、縦にも、投資(統治)の道具として緻密に分断されている」という事実にあります。

【横の分断】「持てる者」と「持たざる者」を監視させる罠

いま、世間ではエシカル(倫理的)やエコ、丁寧な暮らしが一種のステータスになっています。

「正しく分別して手放せること」が新しい教養であり、上流階級の記号のようになっているのです。

しかし、実行機能の低下(ADHDなどの脳の特性、うつ状態、高齢化による認知機能の低下)を抱える人々にとって、細かなゴミの分別、手放す判断はエベレストに登るほど高いハードルです。

 

ここで社会は、残酷な「横の分断」を仕掛けます。

エコや分別の現場で:

余裕があって完璧に分別し手放せる層と、心身の限界でそれができないグレーゾーン層を分断します。

そして「分別しないなんて信じられない!」とお互いを監視・批判させるのです。

あっちを見れば「手放せ」。こっちを見れば「モッタイナイ」。

一体どっちに従えばいいの?って迷って当然です。


手のひらの上のSNSで:

SNSのアルゴリズムは、巧妙に「自分よりちょっと上の生活」をタイムラインに流してきます。

人々に終わりなき嫉妬を煽り、「もっと買わなければ」「もっとちゃんとしなければ」という欲望をハックし続けます。

住民同士が「マナーや意識の高さ」や「暮らしのキラキラ感」でお互いをジャッジし、殴り合っている間、「そもそも分別の負担を個人に丸投げしているインフラの怠慢」や「使い捨てのモノを大量生産し続ける資本主義のグロテスクさ」という真の元凶からは、完全に批判の矛先が逸らされています。

 

【縦の分断】最も温かいはずの「家族」すら引き裂く歴史のバグ

横の分断以上に悲劇的なのが、世代間で起きている「縦の分断」です。

本来、家族という場所は、外側の社会でどれだけ傷ついても「あるがままの自分」を認め合い、生身のままで承認欲求を満たし合える、唯一の安全なシェルター(隠れ家)であるはずでした。

しかし今、その家族のなかで、壮絶な分断と衝突が起きています。

典型的なのが「実家の片付け」を巡る親子間の骨肉の争いです。

 

溜め込むシニア世代(トラウマ型):

戦後の物資不足を生き抜き、高度経済成長を支えた親世代にとって、モノを豊かに持つことは「飢えへの恐怖」に対する防衛本能であり、幸せの証でした。

だから彼らは、包装紙一枚すら「モッタイナイ」と手放せません。


ミニマルな若者世代(ハック型):

生まれたときから24時間、天才マーケターたちに欲望をハックされ、過剰消費の濁流に溺れ、狭い間取りと高騰する家賃のなかで「ミニマリズム・タイパ・コスパ」を求められて生きる世代です。

若者は親のモノを「スペースの無駄、コスト」と切り捨て、親は若者を「薄情で、モノを大事にしない」と非難する。

 

どちらも、その時代ごとのシステム(国や資本)の都合のいい消費者としてハックされながらも、そのなかで必死に家族を思い、生き抜いてきた「当事者」なのです。

それなのに社会は、彼らを家族の中で戦わせ、「片付けられないのは個人の問題(自己責任)」として処理してしまうのです。

 

私自身の葛藤:私もこのシステムのなかにいる

誤解しないでいただきたいのですが、私は決して、この分断の外側にいる「聖人」でもなければ、ボランティアで誰かを救おうとしている正義の味方でもありません。

片付けはかなりの肉体労働です。

だからこそ私は、仕事として対価をいただいて現場に入っています。

だけど、だからこそしんどいのです。

このバグだらけのシステムの中で、限界まで追いつめられ、身を縮めている人からお金をいただくとき、「私自身もこの残酷な仕組みの中で利益を得ている、共犯者の一人ではないか」という強い罪悪感に襲われることが何度もあります。

誰もがこのシステムに巻き込まれ、傷つき、加害者であり被害者になってしまう。

だからこそ、個人の心をお説教で変えようとするのではなく、社会の仕組みそのものを変えたいのです。

 

ゴミを細かく分ける前に、人を社会から「分けない」

国家や資本という支配システムは、犠牲者同士が「横」や「縦」で身内戦をしてくれている間は、自分たちに牙を剥かれることがないため安泰です。

これが歴史上繰り返されてきた「分断と統治」の正体です。

私たちは、社会から身を守るためにブランド品や丁寧な暮らしという「モノ(記号の鎧)」を必死に買い揃え、部屋を埋め尽くし、最後はその片付けや分別ができずに孤立していきます。

片付けの現場にいるからこそ、私は声を大にして言いたい。

「あなたのせいではない」

私たちはもう、誰かが作った「正しさ」の物差しで、お互いをジャッジして分断し合うのをやめませんか。

SNSのヤキモキさせる嫉妬からも、家族のすれ違いからも、一歩外へ出てシステムを眺めてみませんか。

ブランド品やエシカルという「記号の鎧」を着込まなくても、私たちは、ただそこに存在しているだけで素晴らしい。

ゴミを細かく分けることに血眼になる前に、人を社会から、そして家族から「分けない(孤立させない)」温かい仕組みを、社会の側がつくるべき時が来ていると思います。

私を誰も「矯正」しなかったから。巨大で恐ろしい「時間盲」を乗り越えられた理由

「今年こそは、ちゃんと生きよう」×20?

そう思って、毎年何冊の素敵で、そして高価な手帳を買い直してきただろう。

結果はいつも同じ。

最初の数ページだけが埋まり、あとは真っ白なままクローゼットへ消えていく。

私にはADHDがあり、昔から「時間盲(時間の感覚が掴めない状態)」を抱えていました。

スケジュール管理、タスク管理、時間管理。

世間の人がこなしているらしいそれらのことが、人生でただの一度も成功したことがなかったのです。

 

【前熟考期】「やる気がない」のではなく「怖くて触れられない」段階

心理学の「変化への備えモデル」では、行動を変えようとしない初期の段階を「前熟考期(今後6か月以内に行動を起こす意思はない段階)」と呼びます 。

 よく教科書には「本人が問題そのものを認識していない段階」と書かれているのですが 、当事者としての実感はなんとなく違う気がして……。

 問題が見えていないのではないのです。むしろ、痛いほど見えている。

手帳を開くたびに、自分の「できない現実」を突きつけられる。

それは私にとって、解決可能な問題などではなく、もう自分の手に負えない巨大で恐ろしい「何か」でした。触れてはいけない、危うい領域だったのです。


 

見ないふりをしないと心が壊れてしまうから、頑なにならざるを得ない

単に「やる気がない」のではなく、「怖くて触れられない」。

周りから「片づけなさい」「時間を守りなさい」と言われると、私はいつも心を閉ざしてしまっていました。

なんて言えば良いのか…文字通りの「フリーズ」。怖い。動けない。

でもそれは、単に「やる気がない」のではない。

見ないふりをしないと心が壊れてしまうから、頑なにならざるを得なかったのです。

怖くて触れられないからこそ、防衛本能で必死にシャッターを閉めていただけでした。

教科書でいう「前熟考期」とは、ただ愚痴を言って現状を拒否しているだけの時期に見えるかもしれません 。

けれど、実はその裏で、本人が一番困っていて、責められる恐怖と戦っているケースもあるのだと、私は身をもって知っています。

【前熟考期へのアプローチ】心を動かすのは「強制」ではなく「安全基地とリソース」

では、この頑なな「前熟考期」にいる人に対して、周囲はどう関わればいいのでしょうか。

モデルでは「変化しない場合のリスクとメリットを伝える」などとありますが 、何より大切なのは「本人の境界線を侵さない安全基地」になることです。

そんな、前熟考期と熟考期を何年も何年も暗く行き来していた私に、最初の「安全基地」をくれたのは夫でした 。

まず、「何も期待してないよ。そのままでいいよ」と言ってくれたのです。

「変わらなくてもいい」という究極の安心感(逃げ道)をもらったことで、私の防衛本能はふっと消えました。

そして夫は、私が一番苦手だった料理を完全に肩代わりしてくれました。

口先だけでなく、私が他のことに取り組めるように「時間というリソース」を実際に作って提供してくれたのです 。

私の片付けに対するこだわり(私の境界線)はそのまま100%尊重し、自由にやらせてくれた。
その結果、私はあんなに片付けが苦手だったにもかかわらず、自発的に「ライフオーガナイザー」の資格を取るまでに変わることができました。

無条件の愛が人を自発的に動かす

【熟考期〜準備期】「私もやれるかもしれない」と灯がともる瞬間

次のステップは、変化への関心が高まる「熟考期(今後6か月以内に意思がある段階)」、そして行動の計画を立てる「準備期(今後1か月以内に行動するつもりがある段階)」です 。

お片づけは進んだけど、心のどこかにずっと引っかかっていた「時間盲」と「時間&タスク管理」の問題。

こればかりは、ずっと見ないふりを続けていました。

けれど、安心できる環境にいたからこそ、時間管理の情報が自然と目に留まる(熟考期)ようにはなっていたのです。

そんなある日、小鳥遊(たかなし)さんのタスク管理オンラインイベントが、パッと目に入りました。

いつもなら怯えてスルーしていたはずなのに、その時はなぜか「参加してみよう」と思えた。

そして、お話を聞きながら、私の心の中で初めて「私もやれるかもしれない」という小さな、でも確かな灯がともりました。(準備期への移行)

怖くて触れられなかった「巨大な何か」の正体が、ほんの少し、味方に変わった瞬間でした。

amzn.asia

【維持期】継続の鍵は「定期的なチェックイン」と「逆戻りの許容」

実際に行動を起こす「実行期」を経て、一番の難所となるのが、変化を定着させる「維持期」です 。

モデルの解説によると、維持期を安定させるためには【定期的なチェックイン】や【社会的サポート】、そして【後退(逆戻り)にも前向きに対処する姿勢】が不可欠とされています 。

その後、イベントでご一緒した嵯峨さんに、嵯峨さんお手製の「Task Walk」というアプリを使わせていただく機会をいただきました。

www.taskwalk.com

1人では不安だったので、週に1回、伴走とコンサルティングをしてもらうことになりました。

最初は、やっぱりうまく書けませんでした。

けれど、「今週も嵯峨さんに会うからには、少しだけでもアプリに触っておこう」という緩やかな社会的サポートが、私を支えてくれました 。

何より救われたのは、私が記入できなくても全く責めず、嵯峨さんが言ってくれたこの言葉です。

「中断しても、またそこから再開すればいいんですよ」

「変化への備えモデル」の維持期には、『後退(逆戻り)にも前向きに対処する』という大切なルールがあります 。

さがさんの言葉は、まさにそれでした。

「完璧にできなくていい。戻ってもいい」と思えたら、嘘みたいに気が楽になり、逆にアプリを開くことが続くようになったのです。

週に1回、「一週間を整える会」という定期的なチェックインの場があること 。

そこで温かいフィードバックをもらえること 。

この仕組みがあるからこそ、私は今、魔法が解けることなく「維持期」にいられています 。

かつてあんなに恐ろしかった時間管理が、今では完全に自発的にアプリを使い、時間を可視化し、スケジュールを組むという、私になくてはならない大切なツールになっています。

 

iewabuki.com

おまけ:母の「動いてみようスイッチ」が入った瞬間

実は、我が家にはもうひとつ、この「前熟考期」にある人の心を動かしたエピソードがあります。

父が亡くなってから、実家をずっと片づけられずにいた私の母の話です。

私たち姉妹(娘)がいくら「片づけよう」と言っても、母は「もうその話はしないで!」と拒絶してしまいました。

まさに心を閉ざし、周囲の支援に「抵抗」している前熟考期の状態です 。  

そんな母のスイッチを入れたのも、私の夫でした。

夫は、母が「これなら手放してもいい」と言っていた、特にこだわりのなかった古いピアノに着目しました。

そして、一番めんどくさくてパワーのいる「業者を調べて、訪問査定の予約を入れる」という大がかりな部分――モデルでいう『関わる能力(実行機能の課題)』の部分を、代わりに一気にやってくれたのです 。  

本人の「自分で決めたいこだわり(境界線)」には一切踏み込まず、単純に「めんどくさくて、人にやってもらえたら助かる部分」だけをそっと肩代わりする。

そうして目の前にパッと具体的な進捗が見えたことで 、母の心のハードル(実行機能の課題)が一気に下がり、そこから急に自発的に片づけてくれるようになりました 。

 どこにこだわりや不安があるかよく聞いて 、本人にとって重要でないところから進めていく。

これもまた、相手を「矯正」しようとしない、前熟考期へのひとつの優しいサポートの形でした。

ただ選択肢とリソースを置いてくれた人たちへ

もしあの時、誰かが私を無理やり「矯正」しようとしていたら、私は今も頑なに心を閉ざし、真っ白な手帳を買い続けていたと思います。

私が自分でもびっくりするほど変われたのは、周りの人が私を「変えようとしなかった」から。

夫が、小鳥遊さんが、嵯峨さんが。

誰も私をコントロールしようとせず、ただ私の境界線を守り、選択肢とリソースだけを、そっと私の前に置いておいてくれたから。

「進んでもいいし、戻ってもいいよ」

そんな優しい安全基地をくれたすべての人に、心からの感謝を込めて。

 

参考文献・引用元

講座名:変化への備え 基礎編(INT-310) 
主催:Institute for Challenging Disorganization®(ICD®) 
講座開発・講師:Wendy Hanes, CPO®, CPO-CD® / Angela Esnouf(Hoarding Home Solutions) 
主な理論ベース:ジェームズ・プロチャスカ、ジョン・ノークロス、カルロ・ディクレメンテ著『Changing For Good』(行動変容の6段階モデル)
デイビッド・F・トリン、ランディ・O・フロスト、ゲイル・ステケティ著『Buried in Treasures』(強迫的獲得・ため込みへの支援)

私がミニマリズムを「ちょこっとはみ出た」理由。35歳のぞうちゃん、あるいは我が家の「濃いラメピンク」の選択

カプセルの恐怖と、社会に溶け込んだ「静かな規範」

かつて香港で、1960〜70年代の建築思想である『カプセル・メタボリズム(新陳代謝)』の展示を見たとき、私は本能的な恐怖を覚えたという話をしました。

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「あんな家じゃ、私、死んじゃう」

四角く区切られたモノトーンの無機質な空間。

目的にないものは一切排除された部屋。

それは美的な思想というよりも、高度経済成長という名の戦場へ向かう企業戦士たちを24時間効率よく管理するための「使い捨ての格納庫」でした。

人間の凸凹や不完全さ(バグ)を、綺麗にサニタイズ(消毒)して閉じ込めるための檻のよう。

私の中に宿るAuDHDのセンサーが、強烈なアラートを鳴らした瞬間でした。

これは極端なミニマリストの形にも見えましたが…

 

現代の「ミニマリスト」という生き方は、本来最高に格好いい哲学を持っています。

1960年代のアメリカのアート(引き算の美学)に起源を持ち、リーマンショックや東日本大震災を経て、「持たざることで、資本主義の過剰な広告ノイズや災害のリスクから脳と命を守る」という、切実で知的な脱獄戦術(サバイバル)でした。

24時間スロットマシンのように回り続けるマーケティングハックから逃れるために、都会のノイズを離れ、みなかみ町の水のそばへ移住した私にとっても、その思想は深く共感でき、尊敬できるものです。

 

しかし、かつては尖ったサバイバル戦術だったミニマリズムは、ブームが去った今、少し歪んだ形で社会のインフラになってしまいました。

無印良品やダイソーのシンプルなケースに美しく収まる「すっきりした暮らし」が、いつの間にか「正しい普通の暮らし」という定番の正解として定着してしまったのです。

流行っていないからこそ、タチが悪い。

空気のように社会に溶け込んだ「ミニマル至上主義という静かな規範」は、図らずも、凸凹した脳を抱えて片付けに悩む人たちに対して、「自己管理ができない、だらしない人間」という自己責任の濡れ衣を、静かに着せ続ける呪いになってしまいました。

凸凹当事者たちがSNSなどで感じる「上から目線」の正体は、特定の誰かへの怒りではなく、この社会のOSに組み込まれた見えないプレッシャーへの叫びなのだと思います。

 

私がミニマリズムを「ちょこっとはみ出た」理由──腹わたの出た、35歳のぞうちゃん

実は私も、かつて生きづらさの生存戦略としてミニマリストを目指した人間です。

物の管理が下手で、究極のめんどくさがり。物が多いとすぐに混乱してしまいます。

毎日着る服のコーディネートを朝から考えるのが脳のコストとして高すぎるため、下は「Aラインスカート(短足&デカ尻を隠すための最強アイテム)」、上はバランスを取るためのピタッとしたトップス、ボトムスは黒、と型をカチッと決めたら本当に楽になりました。

その勢いで、部屋のモノもかなり捨て去りました。

引っ越しが多かったのもあるのですが。

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けれど、すべてを削ぎ落としたモノトーンの空間は、無機質な緊張感があって、どこか寂しかったのです。

ASDの特性として視覚ノイズは減らしたいけれど、サニタイズされすぎた空間では呼吸ができない…。

そう気づいた私は、引き算をやめて、布や木の質感、自然の緑やお花、精度を保つためのモノトーンの中に、予測不可能な生命である「犬」を部屋に招き入れました。

これは娘が「かわいいの見つけたの!」と摘んできてくれたお花。貧乏草なんて言わないで。

極めつけは、実家に置いてきた「ぞうのぬいぐるみ」の存在でした。
アトピーやアレルギー、生きづらさで毎日のように泣いていた子供の頃、私の痛みを全部吸い込んでくれた、文字通り腹わたが飛び出して色褪せた、35歳のボロボロのぞうちゃん。

ミニマリストを目指していた頃の私は、実家を処分する完璧主義の母に「それも捨てておいて」と言ったはずでした。

記憶すら曖昧になるほど、ノイズとして処理しようとしていた。

なのに、実家のすべての荷物を片付け、物件を売り切った母は、そのボロボロのぞうちゃんだけを、いまだに大切に持っていたのです。

「え?なんで持ってるの!」と驚く私に、母は言いました。

「この子は、私とお棺に入るから」

その時。わかった気がしたのです。

母にとってもそのぞうちゃんは、かつてぐちゃぐちゃだった娘をともに愛し、生き抜いた「戦友」だったのだと。

部屋を綺麗にするために私が捨てようとしていたのは、自分の痛みの歴史であり、生き抜いてきた尊厳そのものでした。

私には、捨てる必要のないものがあったのです。

私はミニマリズムの型から、自分仕様に「少しずらして、ちょこっとはみ出してみる」ことにしました。

 

かつてアトピーの肌を抱え、「自分は一生、女の子らしい服を着てはいけない。赤なんてご法度だ」と自分にかけていた呪いを、衣服の簡単ルール(Aラインの型)は残しつつ、ひらひらしたレースや、鮮やかな「赤」を取り入れることで上書きしたのです。

赤は、生きてる実感をくれる色。

私が「私の生」を自分で選んで生きているという、自己決定感の証拠です。

 

クローゼットの裏動線ハックと、我が家の「濃いラメピンク」

そんな我が家では昨年、子供部屋を一つの大部屋から3人分に仕切るリフォームをしました。

その際、私は彼らに「壁紙も家具もランプも、全部自分で選んでいいよ」と伝えました。

「飽きてもいい。大いに失敗して、違和感を覚えたら、それはまた暮らしの知見になるから」と思って。

かつて私が、親の用意してくれた「上質でシンプルな、飽きのこないダークブラウンと白の部屋(私の特性には完璧に合っていた正解)」に対して、「もっと可愛いのが良かったなぁ、自分で選びたかったなぁ」と、少し寂しく選択権を求めていた原体験があったからです。

 

その結果、我が家の子供部屋は、インテリアのセオリーが見事に爆発したカオスな聖域になりました。

長男: 「ジャングルにしたい」とモスグリーンの壁紙に森柄のランプ、スター・ウォーズのレゴ、六角形の鏡を使った壁面アート。

次男: 濃いブルーの壁紙と家具に、宇宙船を意識して貼った鏡アート。

まだ青いデスクが入る前の写真ですが

長女(3歳): 濃いドピンク(しかもラメ入り)の壁紙に、オリエンタルな花柄の寝具、雲の形の鏡。

これらの個性が個室で100%成立しているのは、家具と飾り以外のものを他の部屋に収納できているからです。

玄関横にロッカールームがあり、洋服はすべて洗濯室のファミリークローゼットで一括管理しています。

おもちゃも基本は1階。

つまり、「生活のための管理」は、すべて裏方で100%処理してあるのです。

だからこそ、個室という表舞台は、生活感に縛られない純粋な「脳内固有世界の実験場」として機能しています。

将来、娘が大きくなったとき、あのまばゆいラメピンクの部屋を思い出して「あの時、お母さんはなぜ止めなかったんだ……」って笑ってくれたら、これほど面白いことはありません。

 

1つの正解から、無数の「〇〇リスト」大博覧会へ

ミニマリズムという偉大な先人のサバイバル戦術をリスペクトしつつも、人間の凸凹はグラデーションです。

引き算で脳を守る「ミニマリスト」が正解の人もいれば、大量のモノで脳をなだめる「ドーパミニスト」が生きるための正解である人もいる。

自分の世界に全振りして街中で踊り出す「ハイパーフォーカリスト」も、人間の歪みや情念をそのまま差し出す「エキセントリキスト」も、みんな等しく、過酷な世界を生き抜くサバイバーです。

 

社会が用意した「たった一つの正解」というデフォルト設定に、自分を無理やりハメ込む必要なんてありません。

定番の型から、ほんの少しずらして、ちょこっとはみ出してみる。

みんながそれぞれの凸凹に合わせて、自分だけの「〇〇リスト」を勝手に名乗って、お互いに「ウケる、お前のそのバグ最高だな」って面白がりながら、存在をそのまま認め合える世界。

 

誰もが自分の真っ白を、自分のジャングルを、あるいは自分の濃いラメピンクを、自分の意思で選び取れる逃げ道(動線)を、私はこれからもこっそり、生活空間にデザインしていきたいと思っています。

狭いなりに、秘密基地のような空間ができました。今度詳しくレポしたい…!



 

香港で「自由」を解剖してきた話。

「全員一緒の家族旅行」をやめて、香港で「本当の自由」を解剖してきた話。

そもそも家づくりの目的は、「怒らない」ことでした。

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ADHDの診断を受けた私と息子。

世間が押し付ける「良妻賢母」や「標準的な間取り」をそっと解体し、個人の努力(根性論)ではなく「構造の力」によって、みなかみの豊かな水のそばで暮らすようになって5年。

私たちの「小さな革命」は、今もう一つの常識を解体しようとしています。

それは、「家族旅行=全員で、常に一緒に行動しなければならない」という、世間が作った「美しい家族の記号」です。

 

今年、私たちは家族の年齢と興味に合わせて、別行動をすることに決めました。

夫は息子2人を連れて10日間のカナダ&シアトルへの男旅へ。

そして私は、実母と二人で、ポーランドへの巡礼旅へ。

3歳児を連れて博物館を巡るのは、お互いに不幸でしかないから。

その代わりに、去年の冬、私たちは家族全員で、3歳の娘が100%主役になれる場所──香港ディズニーへと旅立ちました。(その後の街観光は完全に私の趣味だけど…)

 

そこで私たちが目撃したのは、単なる観光地の景色ではありませんでした。

それは、世界で最も過密な都市の底に眠る、「人間を管理・記号化しようとする世界のバグ」と、そこから「個人として生きてやる」と抗い続ける人間の圧倒的な生命力のドラマでした。

記録を、ここに残します。

香港名物の伝統技術でありながら、皮肉にも先日の大規模火災の一因にもなってしまった竹組。

カプセルと笑顔の兵馬俑──「普通」を擬態するコスト

香港ディズニーランドという、高度なシステム工学によって100%安全にサニタイズ(消毒)された「光のユートピア」を家族みんなで楽しんだあと、私たちはアジア最先端の美術館「M+」へと足を運びました。

そこで私の脳のセンサーが激しくエラーコードを吐き出したのは、1960〜70年代の日本の建築家たちが提唱した『カプセル・メタボリズム(新陳代謝)』の展示でした。

未来のライフスタイルとして描かれた、四角い最小限の箱。

映像のなかで流れるカプセルの暮らしを見て、私は「あんなおうちじゃ、私、死んじゃう」と恐怖を覚えました。

それは、高度経済成長期という戦場へ向かう企業戦士たちを、24時間効率よく管理するための「使い捨ての格納庫」に他ならなかったからです。

 

人間をシステムに最適化させる都市計画。

昭和の家電ポスターが掲げる「ひろがる人間らしさ」というコピーの裏で、企業は大量の在庫を個人宅へと流し込み、個人の家を「倉庫」に変え、母親たちに「良妻賢母」という属人化したワンオペの呪縛を強要してきました(でも企業は悪者ではないよね。そういうシステムなだけ。)。


美術館の檻のなかに並ぶ、目を閉じて狂ったように大口を開けて笑う等身大の彫刻たち(岳敏君)。


彼らは、システムの前で感情を奪われ、「健全でハッピーな従順な市民」という記号を完璧に演じるために笑い続けている。香港以外の現代人の姿にも重なります。

自分を必死に『普通』に見せようとするコスト、時間もお金も精神力も、ひどいよね…。

自由を求めるには地下に逃げるしかないのか…?

かつてデパートで服やコスメを買い漁り、貯金ゼロで「普通」を擬態しようとへとへとになっていた過去の私の姿が、その冷たいアートのグリッドのなかに重なって見えました。

 

ビクトリア監獄──「移動する民」への弾圧と見えない壁

次に私たちが訪れたのは、イギリス植民地時代の刑務所をリノベーションした文化施設「大館(タイクン)」でした。

そこで出会ったのは、中央の1点からすべての独房を100%管理・監視する悪魔の間取り「放射型監獄(パノプティコン)」。

支配者は常に、民衆が、そして弱者が「自由に移動すること」を嫌い、恐れます。

1980年代、この監獄の冷たい壁の内側に閉じ込められていたのは、ベトナム戦争の地獄から自由を求めて海を渡ってきた「ベトナム難民(ボートピープル)」たちでした。

彼らはただ生きるために「移動」しただけなのに、システムによって「不法移民」という記号を貼られ、身体と精神の自由を剥ぎ取られたのです。

それでも、監獄の壁には、1984年に裁判を待っていたベトナム人が刻んだ生々しい落書き(名前)が残されていました。


それは、「俺は国家の都合になんて屈しない、ここに一人の人間として生きていたぞ!」という、むき出しの尊厳の叫びに見えました。

そしてリノベーションされた監獄の壁が私たちに投げかける、あの深くて重い「問い」の数々は…私の胸をえぐりました。

「この壁の内側と外側にある人生の試練は、私たちが想像するほど違っているのだろうか?」

  • 死とは、監禁からの究極の解放なのだろうか?
  • 死は、生について私たちに何を教えてくれるのだろうか?
  • 悲しみや苦しみがある中で、人はどのようにして人生を最大限に生き抜くことができるのだろうか?

  • 刑務所システムは、犯罪を誘発している根本的な社会問題に対処しているだろうか?

 

鉄格子の内側にある刑務所も。

鉄格子の外側にある、都会の過剰消費のマンションも、満員電車の雑音も、SNSの視線による相互監視も。

人間をシステムのために管理し、普通を強要し、個人の尊厳をすり潰そうとしてくるという意味では、外の世界も等しく「監獄」ではないかしら…

 

人を変えるな、環境を変えろ──令和の『洗冤録』として

旅の終盤、香港医学博物館で、私は激しい怒りと、同時に絶対的な確信を手にすることになります。

私の胸をフェミニズム的な激怒で満たしたのは、かつて中国の上流階級の女性たちに強要されていた「纏足(てんそく)」の展示でした。

花の刺繍が施された美しい小さな靴。

そのケースの裏に隠されていたのは、骨がグチャグチャに破壊された残酷なX線写真と、「歩行困難」をもたらすという冷酷な医学的合併症の記録でした。

なぜ、こんな残酷なことを「美徳」として女性に強いたのか。

理由は明確です。

女性から「走る、移動する、逃げる」という自由を物理的に奪い、男性社会の都合のいい「所有物(記号)」として家の中に幽閉するためです。

かつてエドゥアール・マネが絵画で暴いた、女性を都合よく記号化する男たちの視線の搾取。
作家コレットが自ら引きちぎった、身体を締め付けるコルセットの檻。

それらすべてが、この纏足の骨の変形と一本の線で繋がっていました。

 

けれど、医学の歴史の底には、その「根性論(苦痛の強制)」というハラスメントの呪文から人間を解放しようとした、天才たちの反骨の歴史もありました。

身体の激痛を排除した「麻酔」の発見。

談話によって心の澱みを紐解いたフロイトの「談話治療(talk therapy)」。

そして、13世紀の中国で出版された、死者の無実の濡れ衣をロジックで洗い流すための世界最古の検死マニュアル『洗冤録(せんえんろく)』。

これを見たとき、私は自分がライフオーガナイザー(CLO)として、お客様のパンクした部屋の床の上でやっていることの意味を理解しました。

社会のバグだらけの欲望ハックや間取りのせいで、毎朝パニックになり、探し物をし、自己責任の刃で「だらしない」と濡れ衣を着せられてきた当事者たち。

彼らに対して、「気合いで片付けなさい」と麻酔なしの手術のような根性論を強要するのはただのハラスメントです。

やっぱり人を変えるんじゃなくて、環境を変えたい。。

"The word 'autopsy' means to 'see for oneself'."
(解剖[オートプシー]という言葉の語源は、『自らの目で確かめる』という意味である)

世間(システム)は、部屋がモノで溢れてパンクしてしまった人に対して、「だらしない」「怠けている」という、中身のない「ラベル(呪文)」を貼り付けて、本人に罪悪感を背負わせます。

私たちCLOがやっている「解剖」は、その世間が用意した嘘のラベルを一切信じず、部屋という名の肉体の「内部構造(動線、間取り、モノの堆積の地層)」を自らのメス(ロジック)でバラバラに開き、「本音のところ、ここで一体何が起きているのか?」を自らの目で確かめる(See for oneself)行為に感じます。

誰かを自己責任で責めるのではなくて、片付けを社会課題として扱いたい。
個人で解決できる人もいる。でもみんなそうではない。
構造を変え、新しい社会をデザインできたら…

 

新しい時代のプリンセス──自分にできる魔法で

香港という街は、過密で、競争が激しく、格差の激しい、生きるのが本当に大変そうなシステム社会でした。

けれど、そこに生きる人々は、最高にタフで、あったかくて、尊敬に値するエネルギーに満ちていました。

最終日の朝、私たちがアジア最高峰 of 最高峰の知性が集まる「香港大学」の学食を訪れたときのこと。

学生証が必要だと知らずに困っていた私たちに、一人の素敵な女性の学生さんが「私のカードを使っていいよ」と、システムの壁を軽々と超えて学生証を貸してくれました。

その空間のなかで、ベースとなる安心感に包まれた息子たちはいつも通りZ会のノートを開き、「なんか良い気分!」とのびのびと勉強していました。
あの優しいお姉さんに本当に感謝!

そして、この旅の本当のクライマックスは、3歳の娘が放った一言でした。

当時アトピーで真っ赤だった5歳で「私には王子様は来ない(既製品のハッピーエンドのレールには乗れない)」と確信していた私が、香港ディズニーで娘にエルサのドレスを着せてあげられたこと。

まずそれがどれほど嬉しかったか。

さらに。ふと娘に「プリンセスってなぁに?」と聞いたとき、娘はきらきらした目でこう答えました。

「プリンセスはね、自分にできる魔法で、人を助ける人なんだよ!」

私の時代では、「きれいなドレスを着て、かっこいい王子様に守られる受動的な存在」だったプリンセスの定義が、3歳の娘のなかでは、自らの力で城を建て、大切な人を守る自立した存在へと、完璧にアップデートされていたのです。

 

時代も、価値観も、定義も変わっていく。

「普通」の擬態コストをゴミ箱に捨て、自分にできる魔法(環境のハック)を使って家族の尊厳を守り続けている私の背中を、娘はちゃんと見ていてくれたのかもしれません…

いや、見ていたのは「FROZEN」です。はい。すみません。

 

過去の、擬態に疲れていた私へ。そして、今も部屋の片隅で「自己責任」という濡れ衣を着せられて泣いているすべての当事者へ。

本当は、私たちは最初から自由です。

「働かざる者食うべからず」「自己責任」「これが普通」の呪文を解いてみましょう。

システムからの丁度良い距離感を見つけて、自分たちの脳の特性を丸ごと愛して生きていこう。

私たちのそのままで、環境の方を変えてみよう。

ガチで「だらける」ためのリビングを必死で作る②ガジェット大好き家族へ届け!配線ルート

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前回、大型犬(ベン1歳。名前はピーター・パーカーの叔父さんや、ベン・ソロから授かりました。スパイダーマンとスターウォーズ見てない方ごめんなさい。)の出現により、我家のリビングがどう大変身したかをお伝えしました。

「だらけたい」その一心で

写真の通り、「3分の1は床面積を残す」というオシャレルールを犠牲にしてまで、5人家族と大型犬がお昼寝できるようにしたのでした。

みんなの乱れ様が凄い!

真ん中のスペースも好きみたい。みんなを見渡せるからかな。

充電しながらPCと犬をいじれるようになりました。
今回はその配線をどうしたかをお話させていただきます。

通したいコードあれこれと、カオスなスタート

ゲーム機3台、Alexa、エアコンのリモートリモコン?、間接照明を4種類、充電コードPC用/スマホ用などなど…

コンセントはリビング壁側にに3箇所ありましたので、それを最大限に活用しました。

こんなカオスな状態からスタート!

お掃除ロボットに巻き込まれずに、何が何のコードかどうかわかるように、必要なコードを必要な場所へ届かせるミッションの始まりです。

 

お助けグッズはだいたいTEMで買う

材料はこちら↓最近はTemuで買うことが多いです。

100均でもよいのですが、ネットで買えるのは便利。ニッチなお助け商品が売っていますし、返品が簡単なので買い間違えても大丈夫なのが安心。

  • はがせる両面テープ
  • コードをまとめるマジックテープ
  • 何のコードかわかるように付ける印(油性ペンとのセット商品でした)

コードの名前を書いていきます。

付けるとこんな感じ。わかりやすい!

 

本棚をゲーム充電ステーションとして利用

リビング本棚の一番下に、最近使っていなかったニトリのワゴンを再利用。

一番下段から。電源タップコーナー。

中段はSwitchのコントローラーを立てて収納して(ケースもTEMで購入)

手前に、Switchのケース(ソフト入り)を。

一番上がSwitchの充電ステーションです。今は2台分。娘も持つことになっても詰めれば3台入るかも。

ソファの横に少しだけスペースが余っているので、ワゴンを引き出せば取り出せます。

でも奥に寄せれば外からは見えない↑。

 

ソファ裏コンソールテーブルの中を、コードはゆく

次。まず「ソファ裏コンソールテーブル」と検索して出てきた商品を、テレビ台を挟んで3台置きました。

ここへ、テレビまでSwitchのコードを忍ばせますが、コードが長すぎちゃったので下を通しました。ルンバに絡まらないように、巾木の上をコードカバーで覆って、まっすぐに届かせます。

次に、PC用&スマホなど用のコードを通していきます。

最大限コードを伸ばせるように、中間部分(何ていうんだろうこの部分…)は剥がせる強力両面テープで浮かせます。

コンセントタップも同様に浮かせます。

複雑だけどこんな感じ。絡まないように余分はマジックテープでゆるくゆわいて。

コードの出口。なくならないようにコードのJ磁石で止まるストッパーを(これもTemu)。

PC用はそれとわかるように、こちらにも印をつけました。

この印、両面テープと併用するとこんな使い方もできました↓

ソファ左側裏の全体↓

スポットライトのコードも床を通らないように浮かせてコンセントまで届かせています。

 

注意:コードはゆるくゆわいてご安全に。

写真見て気がついた、ちょっとテンションかかってるかも…あとで直そう…ゆるくしないとコードが痛みますよね。気をつけないと。

 

テレビ台について。壁掛けは勇気が出なかった。

飽き性の一家なので、テレビの場所変えるかも知れない…ということで、テレビスタンドを購入して使いました。

テレビ台は見やすい高さに調整するため&動かせるように、荷重チェックOKだったキャスターに乗せています。

根本は複雑だけどこんな感じ↓

テレビ裏に仕込んだテープライト、スポットライト、テレビはAlexaで操作できるように、そういうコンセントを挟んでいます。

わーい完成!

これで充電切れを気にせず、Coffee片手にリラックスできそうです。

奥行き10cmでできることっていっぱいあるよね。本も立てかけて置ける。

ここ↑一番人気スポットで…

せっかく広くしたのになぜかぎゅうぎゅうに集まってるというオチでした…。

 

以上、どうでもいいかもしれない、リビングの配線事情でした。

デジタルもいいけど、お散歩もかかせませんね。終わり。

 













 

ガチで「だらける」ためのリビングを必死で作る①大型犬に奪われたソファ…人間のスペースを取り戻す!

受難の旅は、一匹の大型犬の出現で始まった…

ラブラドール×ダルメシアンのMIX犬現る。

徐々に背後のおもちゃやぬいぐるみ、本棚までも、彼のターゲットとなり、避難することになってゆく…

始めはゲージもクレートもあり、彼のBathroomもあって、人間との棲み分けが、まぁまぁなされていたのである。

しかし人間と一緒に遊びたい、人間とともにくっついていたい!

我々人間だって彼とくっついていたい!

したがって、彼の行動範囲は1階全土に広がっていった…

ちなみにこのラグは、彼の排出する様々なアレを何度も受け止めたことで、引退を余儀なくされたのだった。

「ここ(ソファ)こそ朕のスペースなり。」

背後のクッションは、彼のテリトリーを侵したがため噛みちぎられてしまった。

クレートも、布製にしたせいで噛みちぎられてしまった。

そして彼の身体が大きくなって30kgを超えた頃、とうとう人間がソファに座れなくなってしまったのだ。

人間の我々は5人もいるというのに!!ソファ難民が多数発生することに。

もう一つ問題があった。我が家はガジェット大好き家族で1人1代ずつPCを持っている。

作業しながら充電したい問題もここで浮かび上がってきた。

この頃にはクッションもラグもボロボロに。

買い足した座椅子も、彼の排出するアレに染まっていった。

せっかく用意した彼のためのゲージも、なかなか使ってもらえない…

 

子供部屋リノベ計画

ちょうどその頃、長男が11歳・次男8歳・長女3歳となり、一つの大部屋だった子供部屋を分割し、個室とする計画が持ち上がった。

Before↓

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それで、おもちゃや本の移動は問題なく遂行された。

汚れたラグを撤去。

ボロボロになったクッションや座椅子も撤去。

入れると嫌がるゲージも撤去。

トイレも庭でするようになったので必要なくなり、テレビ台にしていたカラックス(本棚)も各子供部屋に運ぶことで、ついにこんな、寂れた空間に…

この写真では最後のカラックス一つがまだ残っている。

ここにはSwitchやゲーム関連グッズが入っているのでこのときはまだ動かせなかったのだ。

一体これらのゲームとテレビはどうしたらよいだろうか。

座れる場所も限られるので、休日は床でお昼寝するソファ難民が続出。

一体私たちはどこで休息を取ればよいのだろうか。

がらんとした空間で、なんだかくつろげない日々が続いたのであった。

 

多くを失った後に見えてきた希望

こんなふうに多くを失った、まさにその後だったのである。

お犬が、一歳を超えてから急に大人になって落ち着いたのだった。

あの嵐のような日々…朝起きると私たちはあんなに様々な汚れの処理に走らされ、元気に色々噛みちぎっていかれたのに。

これまでは一体なんだったのだろうか?

と同時に、喜びと希望にも満ち溢れてきた。

もうアレもそうそう排出しない。トイレは庭にある。
必要なお世話グッズ(トイレシートやお掃除道具)が減ったことにより、リビング収納がガランと空いている。

今こそ、新しい私たちのリビングを再構成する日がやってきたのだ!

 

リビングをソファで埋め尽くす

理想が語られた。休日は大型犬一匹と人間5人、みんなでお昼寝したい。

ゲームやPCやスマホの充電をしながら、Coffeeを片手に本気でだらけたいっ!!!

私たちは欲望のままに、とうとうリビングをソファで埋め尽くしたのである。

ん?理想の家具占有率は空間の3分の1ですって?

そんなこと気にしない。床で寝るよりはましですわ!!

どーーーーん!壁から壁までソファで埋めてやったぜ!

まぁこれだけ足元空いてればいいんじゃない?

新しいソファ、お犬さんもお気に召したようです。

次回は、この裏側の課題であった、ゲームや充電の配線事情について細かくレポートします(誰も望んでないか?いやでも頑張った記録を残したいの!)。

【連載:ポーランドの光を拾う】第2回「煙突」の意味 —— 存在そのものを信じるための物語

欧州における「煙突」が持つメッセージ

前回のザリピエ村の物語では、煙突から出た「煤(すす)」を、お花を描くことで「聖域」に変えた女性たちの知恵についてお話ししました。

今回は、その煤の源である「煙突」そのものが持つ、切なくも力強いメッセージについて。

 

私が去年、エストニアのタリンを旅していたときのことです。

美しい旧市街のすぐそばで、私は不思議な光景を目にしました。

建物は特に形がないのに、レンガ造りの巨大な煙突だけが、ぽつんと一本、空に向かって立っていたのです。

 

「暖炉の権利」 —— そこは家だった。共有された暮らしと温かい火があった。

「どうして、あそこだけ残っているんだろう?」

その光景が気になって調べてみると、ヨーロッパの歴史における「家の魂」の物語に突き当たりました。

中世から近代にかけて、街を襲う大火事や戦火の中で、木造の家々は一瞬で焼け落ちてしまいました。

けれど、石やレンガで頑丈に作られた暖炉と煙突だけは、燃えずに「背骨」のように立ち残ったのです。

かつてのヨーロッパには「暖炉の権利(Hearth rights)」という考え方がありました。

たとえ建物が崩れても、煙突さえ残っていれば、そこは法的にも「まだ家として存続している」と見なされました。

つまり、煙突は「ここにはかつて、誰かの暮らしと温かい火があったんだ」という、誰にも消し去ることのできない記憶の杭だったのです。

こちらは、2020年12月に発生した大規模な地震で甚大な被害を受けたクロアチアのペトリンヤ付近で撮影されたもののようです。

 

ヨーロッパの古い家屋では、効率よく家を温めるために、二つの部屋の境界にある壁に、背中合わせで暖炉を作ることがよくあったといいます。

たとえば「台所」と「居間」、あるいは「親の部屋」と「子の部屋」。

一つの頑丈な石造りの構造の中に、二つの火を焚く場所を作ることで、熱効率を高め、構造的にもより強い「背骨」にしたのです。

 

写真でも、3つの暖炉が寄り添うように立っています。

きっとそこには、壁一枚を隔てて笑い合う3世帯の家族があったか、

台所と居間で、別々の火を焚きながら同じ温もりを共有していた暮らしがあったのだと想像します。

 

壊れて剥き出しになったのは、
ひとりで立っていたのではない、『誰かと背中を合わせて生きてきた』という絆の跡。

私たちの人生も、自分の背骨だけで立っているわけじゃない。

誰かと背中合わせで支え合ってきた記憶が、最後まで折れずに残る、一番強い柱になるのかもしれません。

 

絶望の後に打ち立てた「復興の旗印」

さらに、私が見たあのタリンの巨大な煙突(タリン中央発電所)には、もう一つの、より能動的な「再建」の物語が隠されていました。

第二次世界大戦中の1941年、この場所は爆撃を受け、街から光を奪うほど壊滅的な被害を受けました。

すべてが瓦礫となった絶望の中、人々は立ち上がりました。

戦後の1948年、彼らがあえて焼け跡に打ち立てたのは、以前よりもずっと高く、強固な「新しい背骨(煙突)」でした。

当時バルト三国で最も高い102.5メートルという高さ。

それは、単なる発電所のパーツではなく、「私たちは前よりも強く立ち上がる」という、街全体の「復興の旗印」だったのです。

一度壊されたからこそ、次はもっと折れない自分を築く。

その凄まじい意志が、70年以上経った今も、あの赤レンガの姿を借りて空を指しています。

 

産業の道具から文化のアイコンへ。

かつての発電所としての役割は1979年に終わりましたが、この煙突は壊されることなく残されました。

この場所はアンドレイ・タルコフスキー監督の伝説的なカルト映画『ストーカー』(1979年公開)のロケ地。

現在、この場所は「クリエイティブ・ハブ」として、アーティストや起業家が集まる現代的な拠点になっているそうです。

人々がこの煙突を最新のタワーに建て替えなかったのは、そこに「街が苦難を乗り越えてきた記憶」という、お金では買えない価値(アイデンティティ)があるからです。

形を変えながらも立ち続ける姿は、まさに「本質(背骨)さえあれば、役割を変えて何度でも生き返ることができる」という証明だと感じられます。

 

都市と農村、二つの「聖域の作り方」

さて、都市タリンの煙突と、農村ザリピエの「お花」を並べてみると、人間がそれぞれの環境でどうやって「絶望」を「希望」に書き換えてきたのか、その構造の違いが見えてきます。

 

 

都市の人は「何があっても折れない背骨」を立てることで絶望を乗り越えようとし、農村の人は「仕組み(煙突)があっても生まれてしまう汚れ」を受け入れ、彩ることで完璧主義という呪いから自分を解放したのです。

どちらも、自分たちの「聖域」を守り、再建しようとした、美しくも切ない足跡です。

 

倒木という名の「ゆりかご」

タリンの道すがら、もうひとつ忘れられない光景を見かけました。

寿命を終えて横たわった大きな倒木が、そのままの姿でいくつも残されていたのです。

一見するとそれは「終わり」「片付けるべきもの」に見えました。

けれど、その倒木は「ナース・ログ(看護する倒木)」と呼ばれ、苔を育み、新しい命の芽を支える豊かな土壌としてあえて残されていたことを知りました。

「ボロボロになったものを、負の遺産として消し去るのではなく、新しい命の糧にする。」

たとえ一度倒れてしまった背骨であっても、それは次の「聖域」を育むための、かけがえのない素材になるのです。

 

あなたの煙突は、なんですか?

ライフオーガナイズ(人生の再構築)において、最も大切なのは、完璧な外壁を作ることではありません。

「すべてを失った焼け跡で、最後まで立ち残り続ける自分の芯はどこにあるのか?」
「壊されたからこそ、次はどんな背骨を打ち立てたいのか?」

その「煙突(本質)」を見つけることなのかもしれません。


たとえ周りがめちゃくちゃに壊されても、あるいは一度役割を終えて倒れても、あなたがそこに立っているという意志さえあれば、人生は何度でも、その場所から再建し始めることができます。

あなたの人生の焼け跡に、今、真っ直ぐに立ち残っている「煙突」は、なんですか?