
Human Extinction: A History of the Science and Ethics of Annihilation / Émile P. Torres [2024]
『人類の絶滅:科学と倫理から見た消滅の歴史』 / エミール・P・トーレス [2024]
目次
- 第1章 王国なき黙示録 / An Apocalypse Without Kingdom
第一部 実存的ムード / Existential Moods
- 第2章 「終わり」の始まり / Beginnings of “The End”
- 第3章 エントロピー死が私たちを分かつまで / ‘Til Entropy Death Do Us Part
- 第4章 オムニサイドの発明 / The Invention of Omnicide
- 第5章 自然は私たちを殺そうとしている / Nature Wants to Kill Us
- 第6章 悪の完成 / The Perfection of Evil
第二部 実存的倫理 / Existential Ethics
- 第7章 人類の絶滅とは何か? / What Is Human Extinction?
- 第8章 初期の考察 / Early Ruminations
- 第9章 戦後時代の倫理的革新 / Ethical Innovations of the Postwar Era
- 第10章 天文学的な価値と存在の害悪 / Astronomical Value and the Harm of Existence
- 第11章 最近の発展 / Recent Developments
- 第12章 未来を見据えて / Looking Forward to the Future
本書の概要
短い解説
本書は、人類絶滅という概念の起源と進化を古代ギリシャから現代まで追跡し、科学史・思想史・倫理学の交差点から、人類が自身の消滅をどのように理解し評価してきたかを包括的に論じる。
著者について
エミール・P・トーレスは、文明と人類に対する実存的脅威を研究する哲学者。ワシントン・ポスト、Aeon、Bulletin of the Atomic Scientistsなど幅広いメディアに寄稿し、Metaphilosophy、Inquiry、Erkenntnis、Futuresなどの学術誌にも論文を発表している。
テーマ解説
本書の中心的テーマは、人類絶滅という概念が西洋史においてどのように出現し、約1,500年間「ブロック」され、その後再出現して現在の危機的ムードに至ったかを、科学の発見と宗教の衰退という二つの力の相互作用から解明することである。
キーワード解説
- 実存的ムード:特定の時代における人類絶滅の可能性・確率・原因に関する集団的な理解の枠組み。五つの異なるムードが西洋史に識別される。
- 殺害メカニズム:人類を絶滅させ得る科学的に信用できる現象(熱力学第二法則、核兵器、小惑星衝突、気候変動、人工超知能など)。
- 実存的解釈学:世界モデルを解釈し脅威環境をマッピングする認知的・文化的フィルター。宗教的 vs 世俗的解釈学で結論が劇的に異なる。
- さらなる損失観:絶滅の悪しさは、絶滅過程での苦痛だけでなく、将来の世代や価値の喪失という「機会費用」にもあるとする立場。
- 等価テーゼ:絶滅の悪しさは完全に絶滅に至る過程の詳細に還元され、絶滅状態そのものには固有の悪はないとする立場。
3分要約
本書は、人類絶滅という概念が西洋史においてどのように現れ、消え、再び現れたかを追跡する二部構成の大著である。第一部「実存的ムード」は科学史・思想史的アプローチで、第二部「実存的倫理」は倫理学的アプローチをとる。
まず著者は、ある7歳のスウェーデン人少年が「人類は恐竜のように絶滅しうるか」と問われて「イエス」と答え、その方法として小惑星、気候変動、邪悪なロボットを挙げたというエピソードを紹介する。この逸話は、現代西洋において人類絶滅の可能性がごく普通に受け入れられていることを示す。しかし著者は、西洋史の大部分(約4世紀から19世紀まで)において、この概念は「ブロック」されていたと主張する。
ブロックの原因は三つのキリスト教的核心信念にある。第一に「存在の大連鎖」——全ての種は永遠に不変のヒエラルキーを構成し、いかなる絶滅も不可能とする考え。これは19世紀初頭にキュヴィエの古生物学研究によって崩壊する。第二に「存在論的テーゼ」——人間は不滅の魂を持つというプラトン由来の信念。第三に「終末論的テーゼ」——人類は神の計画において中心的役割を担い、世界の終わりを生き延びるという信念。これらは19世紀のダーウィニズムと世俗化によって徐々に弱体化する。
著者は西洋史を五つの「実存的ムード」に区分する。第一は古代から1850年代までの「不壊性のムード」。第二は1850年代から20世紀半ばまでの「実存的脆弱性と宇宙的運命のムード」——熱力学第二法則の発見が引き金となり、人類絶滅が不可避と認識される。第三は1945年/1950年代半ばから1980年代/90年代初頭までの「差し迫った自己絶滅のムード」——核兵器が初の信用できる人為的殺害メカニズムをもたらす。第四は1980年代/90年代初頭から2000年代初頭までの「自然が私たちを殺しうるというムード」——アルバレス仮説による恐竜絶滅メカニズムの発見が、自然界からの脅威を認識させる。第五は現在までの「最悪はこれからというムード」——実存的リスク研究の誕生と環境危機の深刻化が、21世紀の脅威を最大化する認識をもたらす。
第二部は実存的倫理の四つの「波」を扱う。第一波(18-19世紀)では、モンテスキューやシェリーが絶滅の悪しさを、知識や芸術の喪失という「さらなる損失」として論じる一方、ショーペンハウアーやハルトマンらドイツ悲観主義者は、非存在の方が優れているとして絶滅を支持する。シジウィックは総合的な功利主義的立場から、絶滅は最大の犯罪であると主張する。
第二波(1950年代-2000年代)は、核時代の到来が引き金となり、アンダース、ヨナス、ラッセルらが「新しい倫理」の必要性を説く。従来の倫理は対人的・近接的な行動効果を前提としており、人類全体を消滅させうる能力には対応できないとされる。また、パートリッジやシェルは、未来世代の存在が現在の人生の意味と価値に不可欠であるという「豊かさの喪失」論を展開する。
第三波(2000年代-現在)は二つの対照的な発展を特徴とする。一つはボストロムらの「実存的リスク」研究——功利主義とトランスヒューマニズムに基づき、絶滅の機会費用は天文学的であり、そのリスク軽減を人類の最優先課題とすべきとする「ロングターミズム」へと発展する。もう一つはベナタールの反出生主義——存在すること自体が害であり、人類は自発的に絶滅すべきとする立場。
第四波(2017年頃-現在)は、これら功利主義的枠組みに対する非功利主義的・非帰結主義的アプローチが特徴。フィナロン=バーンズは契約主義の観点から、絶滅の悪は絶滅過程で現存する人々に生じる害に完全に還元されるという等価テーゼを擁護する。著者自身もこの立場に近く、絶滅状態そのものには固有の悪はないとする。ただし、科学と哲学における「未完の事業」が達成されないまま絶滅することは(非道徳的ではあるが)残念なことだと認める。
最終章では、将来の実存的ムードの変化を予測する。新たな殺害メカニズムの発見や創造、あるいは西洋における宗教的回復が起これば、現在のムードはさらに変容しうる。しかし現状の世俗化傾向が続く限り、人類絶滅の認識は今後も高まり続けると著者は結論づける。
各章の要約
第1章 王国なき黙示録
本書の導入として、人類絶滅という概念が現在どのように普及しているかを示す。著者は約1,500年間、キリスト教の三つの中心信念——存在の大連鎖、存在論的テーゼ、終末論的テーゼ——によってこの概念が「ブロック」されていたと論じる。これらの信念が崩壊した19世紀以降、人類絶滅は再び思考可能となった。著者は五つの「実存的ムード」と四つの「波」からなる歴史的枠組みを提示する。また、「実存的解釈学」の概念を導入し、同じ科学的知見でも宗教的 vs 世俗的フィルターを通して全く異なる脅威評価が生まれることを示す。本書の目的は、人類絶滅の可能性・確率・原因論に関する歴史(歴史#1)と、その倫理的・評価的含意に関する歴史(歴史#2)の両方を統合的に描くことだと述べる。
第2章 「終わり」の始まり
古代から19世紀初頭までの人類絶滅観を検討する。ノアの洪水神話やギルガメシュ叙事詩など、世界的破局の物語は広く見られるが、これらは通常「人類は永遠に続く」という前提に基づく——少数の生存者が世界を再び満たすか、宇宙的循環の中で人類は必ず再出現する。「存在の大連鎖」は3-4世紀以降の西洋思想を支配し、あらゆる絶滅を不可能とした。しかし18-19世紀にかけて、化石の発見(特にマンモスとマストドン)がキュヴィエによって絶滅の現実として確立され、大連鎖は崩壊する。同時に、モンテスキューやディドロ、バイロン、シェリーらは、自然主義的な人類絶滅の可能性を初めて真剣に考察し始める。著者は、これらが「殺害メカニズム」としては信用されなかったものの、概念的な扉を開いたと論じる。
第3章 エントロピー死が私たちを分かつまで
1850年代の最初の実存的ムードの転換を扱う。カルノー、クラウジウス、ケルヴィンによる熱力学第二法則の発見が、科学界に広く受け入れられた最初の殺害メカニズムをもたらす。この法則は、太陽系と宇宙のエントロピー増大が最終的に全生命を消滅させることを示唆し、人類絶滅が「もし」ではなく「いつ」の問題であることを科学的事実とした。同時に、19世紀の世俗化——ダーウィニズム、聖書批評、道徳的懸念——が新しい世俗的実存的解釈学を生み出し、この法則を宗教的希望ではなく絶望の根拠として解釈することを可能にする。ウェルズやフラマリオン、ラッセルは、この新しい「宇宙的運命」の感覚を広めた。さらに、核エネルギー発見の可能性や世界大戦後の技術的破壊力への懸念が、20世紀初頭の「実存的脆弱性」の感覚を準備したと著者は論じる。
第4章 オムニサイドの発明
第三の実存的ムード——「差し迫った自己絶滅」——の出現を扱う。1945年の広島・長崎原爆が新しい時代の幕開けとなったが、ムードの本格的確立は1954年のキャッスル・ブラボー水爆実験以降である。この実験により、放射性降下物が地球全体を覆い尽くしうることが明らかになり、人類自殺の可能性が近未来的現実として認識された。さらに、環境汚染(カーソンの『沈黙の春』)、人口爆発(エーリッヒ)、オゾン層破壊など、複数の人為的殺害メカニズムが同時期に認識される。著者はまた、キリスト教的終末論(特にディスペンセーション主義)が核兵器を「聖書預言の成就」として統合し、リンドゼイやレーガンのように核戦争を不可避かつ楽観的に捉える立場が、かえってリスクを増大させた可能性を指摘する。世俗的解釈学の広がりが、この新しいムードを可能にする背景条件だった。
第5章 自然は私たちを殺そうとしている
第四の実存的ムードの出現を扱う。19世紀以来、地球科学はライエルの斉一説に支配され、自然災害は局所的であり地球全体に影響する大惨事は起こりえないとされてきた。しかし1980年のアルバレス仮説(恐竜絶滅を小惑星衝突に帰する説)と1991年のチクシュルーブクレーター発見は、このパラダイムを崩壊させる。突然、小惑星や彗星が実際に地球全体を破壊しうることが認識され、「ネオカタストロフィズム」という新しいパラダイムが生まれる。さらに、超巨大噴火(トバなど)やガンマ線バースト、真空崩壊など、他の自然現象も人類絶滅の潜在的メカニズムとして認識されるようになる。著者は、原子力時代のキャッスル・ブラボーが核の冬理論の発見に繋がり、それが火山の冬理論へと発展したという、アイデアの連鎖的な発見過程も詳述する。
第6章 悪の完成
現在の第五の実存的ムードの出現を扱う。このムードは過去のものと異なり、新しい殺害メカニズムの発見ではなく、(1)倫理的考察からの実存的リスク研究の誕生と(2)環境科学の新たな知見という二つの要因で引き起こされた。第一の要因:レスリー、ジョイ、ボストロムらは、人類絶滅の機会費用は天文学的であり、そのリスク軽減を最優先すべきと論じた。これにより、従来見過ごされてきた危険(ナノテクノロジー、人工超知能、シミュレーションシャットダウンなど)を包含する包括的な「脅威環境」のマッピングが試みられる。第二の要因:気候変動、生物多様性損失、第六の大量絶滅に関する科学的研究が、20世紀の脅威よりも21世紀の脅威がはるかに深刻であるという認識をもたらす。ジョイはGNRテクノロジー(遺伝子工学・ナノテクノロジー・ロボティクス)の危険性を警告し、ボストロムは「実存的リスク」概念を確立した。現在、多くの専門家が今世紀中の人類絶滅確率を10〜20%と推定している。
第7章 人類の絶滅とは何か?
第二部の理論的基盤を提供する。著者はまず「人間」の概念を複数の解釈(ホモ・サピエンス、地球起源の知的生命、価値ある後継者を含む)に区別し、次に六つの絶滅シナリオを定義する——人口的絶滅(人口がゼロになる)、系統的絶滅(別種へ進化)、最終的絶滅(永遠に絶滅状態が続く)、終末的絶滅(後継者を残さない絶滅)、規範的絶滅(人間性の本質的性質の喪失)、早過ぎる絶滅(価値ある目標達成前の絶滅)。さらに、絶滅には三つの側面があると論じる——絶滅への過程(Going Extinct)、絶滅の瞬間(Moment of Extinction)、絶滅後の状態(Being Extinct)。これらの区別は、倫理的評価において決定的に重要であり、多くの混乱はこれらの区別の無視から生じると著者は主張する。
第8章 初期の考察
実存的倫理の第一波(近世〜1950年代)を扱う。古代のクセノパネスやストア派は絶滅の可能性を認めたが倫理的考察はなかった。キリスト教支配期には議論はほぼ皆無。18-19世紀にかけて、モンテスキューが「人類不在の地球」を「恐るべき災禍」と評し、シェリーが知識・芸術の喪失という「さらなる損失」を初めて明確に論じた。一方、ドイツ悲観主義者ショーペンハウアー、マインレンダー、ハルトマンらは、人生は苦痛であり非存在が存在より優れているとして、「絶滅促進論」を展開する——ただし自発的な手段(独身・断種)によるべきとし、「オムニサイド」ではない。最後にシジウィックは総合的・非人格的功利主義の立場から、人類絶滅は「最大の犯罪」であり、機会費用の観点からその悪は計り知れないと主張する。
第9章 戦後時代の倫理的革新
第二波(1950年代-2000年代)を扱う。核兵器の登場は、従来の倫理理論が想定していなかった「オムニサイド」の可能性をもたらし、アンダース、グローネヴォルト、ヨナスらは新しい「巨視的道徳」の必要性を説く。アンダースは「約束のない黙示録」と表現し、想像力と行動力のギャップを「プロメテウスのギャップ」と呼んだ。ラッセルは深い未来思考と潜在性思考を組み合わせ、人類は「未完成の事業」を抱えており絶滅はそれらの喪失を意味すると論じる。シェルは『地球の運命』で、絶滅は「第二の死」であり、アレントの「共通世界」——過去・現在・未来をつなぐ価値の基盤——を破壊すると説く。一方、ナーベソンやベネットは人格影響説から、絶滅状態そのものには悪はなく、問題は絶滅過程でのみ生じるとする等価テーゼを擁護する。また、環境保護主義の急進派(カーダ、ナイトら)は人間の破壊性から絶滅促進論を唱え始める。
第10章 天文学的な価値と存在の害悪
第三波(2000年代-現在)の二つの対照的な発展を扱う。第一に、ボストロムらの「実存的リスク」研究——トランスヒューマニズムと功利主義に基づき、物理学的終末論の知見を組み合わせて、人類絶滅の機会費用は天文学的(最大1058人の人生相当)と見積もる。これにより「ロングターミズム」が生まれ、実存的リスク軽減を人類最優先課題とする。第二に、ベナタールの『生まれない方がよかった』——存在することは常に重大な害であり、苦痛は幸福を決して相殺しないという「非対称性」に基づき、人類は自発的に絶滅すべきと論じる。ベナタールは「殺害的絶滅」ではなく「消滅的絶滅」(断種による)を主張する。これら二つの立場は、絶滅の評価において真っ向から対立する。
第11章 最近の発展
第四波(2017年頃-現在)を扱う。これは実存的倫理において初めての累積的な議論の伝統が形成された時期であり、主に功利主義的枠組みへの非功利主義的応答が特徴。フィナロン=バーンズはスキャンロン的契約主義の観点から、絶滅の悪は完全に絶滅過程での現存者の被る害に還元されるとする等価テーゼを擁護する。フリックは「人間の最終的価値」に基づく新たな議論を展開——人間は独自の価値を持つからこそ、それを維持・保存する理由があるとする。シェフラーは『なぜ将来世代を気にかけるのか』で、将来世代への配慮は道徳的義務ではなく、「愛」「評価」「相互性」に基づくより深い価値観の問題だと論じる。最後に著者自身の立場を提示する——等価テーゼを支持し、絶滅状態そのものには悪はないとする。ただし科学と哲学の「未完の事業」が達成されない絶滅は(非道徳的に)残念であり、実際的問題として絶滅を引き起こす大惨事の回避が最優先されるべきと結論づける。
第12章 未来を見据えて
結論として、人類絶滅の考え方が今後どのように進化しうるかを予測する。新たな殺害メカニズムの発見や創造が将来の実存的ムードをさらに変容させる可能性がある。一方、西洋における宗教的回復——現時点では低確率だが可能性はある——が起これば、人類絶滅の概念は再び「ブロック」されるかもしれない。しかし現状の世俗化傾向とPew研究所の予測によれば、西洋では世俗化が進み、世界的にはイスラム教とキリスト教が人口規模を拡大させる。従って、西洋と世界の他の地域とで実存的ムードの分断が生じる可能性がある。最終的に著者は、本書がその主題の表面をなぞったに過ぎないと謙虚に認めつつ、人類絶滅の歴史を理解することが現代の脅威への適切な対応に不可欠だと結論づける。この物語の結末は「最終的に私たち次第」であると。
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