昨日もワークショップで「『なんで宿題やってないの!?』と言う時、あなたは宿題をやっていない理由を聞きたいのですか?それとも『宿題をやれ!このボケ!』と伝えたいのですか?」と参加者に尋ねたら衝撃を受けていた。間接的な物言いをしている人の多くはそれが間接的な物言いであることに無自覚。
めんたね
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- こういうのを見るとアドラー心理学で「褒める」という行為をなぜ推奨しないのか?ということが分かりやすく示されている気がする。つまり、「褒める」目的は「味の感想を率直に述べること」ではなく、「褒められた相手の気分をよくしようとすること」「対人操作」だとわかる。私、大人になってきた頃、今までお母さんの料理あまり褒めてなかったな……と反省して、ある時本当に美味しかったので、「いつもよりすごく美味しい!何か工夫した??」ってベタ褒めしたら、その時だけ出来合いのお惣菜だったことある。
- なぜ一部の人間は、自分とは無関係な他人がラブドールにペニスを挿入してオナニーをしていることがわかると、それを禁じたくなるほどに不快感を覚えるのか?これは人間感情の本質に迫るとても重要なお題なのではないか?
- 「蟹工船弁当」というネーミングを見て「名付けた人は絶対に『蟹工船』を読んでいない」と思う人は人間の知性に懐疑的であり、「『蟹工船』を読んだ上であえてこう名付けた」と思う人は人間の善性に対して懐疑的である。ぼくは後者。
- Replying to @mentane間接的物言いをしていることに無自覚な人は、頭の中の思考でも間接的物言いを使っている。その結果、自分の思考や感情をクリアに把握することができなくなる。内心の言語化、メンタライズの不全状態といえる。それを避けるためにも頭の中ではなるべく文字通り、直接的な言葉遣いをしたほうがいい。
- ぼくはわりと他人と関わるときに感じる「気の重さ」という感覚に反応するタイプの人間で、まずは理屈抜きに「なんかこの人と会ったり、話したりするのは気が重いんだよなあ」「できれば、関わりたくないなあ」っていう感覚が先に来る。それから、「なんで、気が重いんだろう?」って考え始める。
- Replying to @mentane相手の行動への不満、怒りの表出としての「なんで〜するの!?」という物言いが広く使われる背景に「怒りを持ってはいけない、怒りを表出してはいけない」という世間の規範が影響している。「なんで」を使えば「私は怒っていない」という建前と「私の怒りを感じ取れ」という本音を同時発信できる。
- Replying to @mentane・内心で怒るのは自由 ・自分の怒りとは無関係に相手は相手の人生を生きている ・怒りを表に出すときには、適切な形やタイミング、その怒りを持つ適切な理由などが必要 ・怒りの背後には不満と望みがあり、その望みを叶える一番うまい方法が怒りの表出とは限らない あたりがわかるといいよな。
- 結婚相談所の人が手品好きの男性に「成約するまでは手品は控えてください。手品をされるのでしたら、ご紹介できません」と言った話を聞いた。よくわかる。手品をやって見せるのが好きな人は、こちらが会話をしたくても一方的にステージをやってしまう。そのうえ、こちらもやめてくれといいにくい。
- 自分が特別扱いされないと我慢ならない人は、本人の認識上では「自分の不快感の責任は周りにあり、周りはそれをケアすべきだ」と考えている。それこそが「正義」であり「人の道」であると信じている。
- これはとても正しくて良いことが書いてある。 相手が大切にしていることを尊重し、そこをふみにじらないように大切に扱うことはその相手に対する礼儀になる。 そして、この重要性がピンとこない人がいるのも面白い。確かにわからない人にはなかなかわからない話だよね。
- 「自分の遺伝子を後世に残すことを目的として行動すべき/行動したい」と言ってる人をわりとよく見かける。おそらく進化生物学における自然選択の概念を知った人がそこから逆算してその理屈を考え、中にはそういった欲望を持ったりするのだろうが、非常に不自然な感じがする。
- Replying to @mentane頭の中では直接的、文字通りの意味での言葉遣いをした上で、他者と関わりコミュニケーションを取る時には、必要に応じて適切な間接的物言いを使うと、円滑で健全な関係を作りやすくなる。
- Replying to @mentane「なんで」を使って無自覚に怒りや不満の表明をすれば、他者に対して「怒っていない私」という体面を保つだけでなく、自分自身に対しても「怒らない善人の私」というセルフイメージを守ることができる。




