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最近のトレンドが、カテゴリーの出現の仕組みなんだけど、
「私」をこのように捉えれば、「自己―神」の対立から、様々な宗教的カテゴリーが出現する仕組みが現れると思うんだよなぁ。
そして、このカテゴリーは実存的カテゴリーでもあるから、その出現にともなって、自己は新たな変数を獲得する。
「私」は多分、実体でも起点でもなくて、操作行為が対象化され、対象化された秩序とそのズレによって立ち上がる後付けの中継地点だと思うんだけど、
そうすると、キェルケゴールの自己意識論も、現代の哲学の前進のために接続させるには、従来の解釈からは大幅に変更させなきゃいけない。



