おじさん、に限らず、もしかするとおばさんもそうかもしれないのだが、年長者の醸し出す「気持ち悪さ」とは、「自分はそれなりの経験をしてきた。ただただ善意から未熟な若者に私の知恵を授けてやりたい」という自己認識の気持ち悪さで、これがなぜ気持ち悪いかというと、「そうでもないから」。
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ふらっと訪れると、なぜか何となく気分が楽になるというBAR+Mのマスターです。
- Replying to @BARplusM誰もがそれなりの経験をしており、馬齢を重ねたからといって、突出した知恵をもっているわけでもない。 相対的にちょっと年若い人間に対して、無条件に「自分のほうが経験値が高い、知恵が深い」と思い込んでしまう底の浅さを見れば、その人間が「そうでもない」のは一目瞭然である。
- Replying to @BARplusM老人になっても精神の瑞々しさを失わない人は、出会う人、物すべてから、学ぼうとしている。他者や世界は先生なんです。この姿勢に揺るぎがない。だから、自分が教える立場になったとしても、知恵を与えてやるとは思っていない。教える役割を果たすことで、相手との間に知恵を生み出そうとしている。
- Replying to @BARplusM誤った自己認識に基づいた「善意」は、余計なお世話にしかならない。「褒め」は、飴と鞭の飴でしかなく、そんな条件付きの飴なんぞ、誰も舐めたくはない。 すべては、ただ自分が老いぼれていくだけだという寂しさを、若者のリスペクトによって埋め合わせたいという下心から出てくる媚態でしかない。
- メンヘラのわかりやすい定義は、男女問わず「あやしてないと拗ねる」。笑
- 自分の方を見てほしい、自分を特別な存在として認知してほしい、というのは、基本子どもの欲求なんですよね。 この排他的な承認欲求は、男女間の性愛関係で発動されやすいんだけど、性愛関係って、妊娠や育児を媒介にして進化してきたもので、要は子どもを媒介にした特殊な関係だからね。
- あまり真正直に生きてると、ろくなことにはならない。 嘘をついていこう。おもて面をよくして、裏で法外な愉しみを享楽するのがいい。 思想を鍛えて、罪悪感や後ろめたさ、怨念や嫉妬を追い払ってしまおう。気持ちを追い込まれないようにするんだ。 平然と、幸せになろう。いい気分で過ごそう。
- 決まったパートナーの有無ということより、困ったとき、相談に乗れたり、助けてもらえるような人が何人かいるほうが、人生圧倒的に心強い。 結婚という関係性に過度に重きを置く人ってのは、家族以外の人間関係へのイマジネーションが足りない。関係に時間やエネルギーを“投資“するという発想がない。
- Replying to @BARplusM自立した大人同士の関係では、その人にどう見られたい、どう扱われたい、ということじゃなくて、「その人がその人として存在していることが、私が私として存在することを力づけてくれる」というものになるはずなんだけどね。 なかなかそこまで乗り越えてる人ってのは、すくないよね。
- 誰かのことが好きになったとする。その人は自分をどう評価しているだろう、と考えるところから不幸が始まる。 どう思われようと自分はその人のことが好きである、もしその誰かに嫌われるようなことがあったら、悲しいけれど仕方ない。 断念と裏腹の確信があればこそ、人を好きになることは極楽になる。
- 好き勝手に自分のスタイルを表現してると、一定数の人には好かれ、一部の人には強烈に毛嫌いされます。殆どの人には、スルーされる。 人って、自分に向けられた嫌悪、憎悪には敏感なんで、本当は、一番どうでもいいネガティブな視線を過大評価して、誰も彼もが無難に均されてつまらなくなっていく。
- 人に“つけ込まれやすい“人というのは、他人の欲望に無条件に応じてしまう敏感さと弱さ、態度の曖昧さがある。 他人の横暴さや侵襲を受容してしまうのである。 他人を拒絶することに罪悪感を感じない、ある種の冷淡さをその芯に持っている人は、たとえ隙だらけでも、人につけ込まれることがない。
- おれが生理的に嫌いなのは、自己憐憫の臭気がぷんぷん臭ってくる文章ね。 私って可哀想でしょう?同情してください。よくやってると褒めてください。だめなときも寛容に受け止めてください。寛容さを欠いた自分を反省してください。私をこんな目に合わせる加害者を追い詰めてください。
- 人を蝕む悪しき孤独というのは、自分が自分と和解できないでいることであり、誰かに愛されたいばかりで誰のことを愛せないでいる、という状態のことで、そういう人は、一人でいれば底冷えのする寂しさに襲われ、誰かといれば不安にとらわれて、相手にべったりと依存してしまう。

