インコちゃんの病気のこと
自己憐憫は一種の麻薬だと思う。
こんなに浸れることは他にないから。
悲しい悲しい悲しい悲しいで事実から目を逸らして何も考えずいられる。
飼っているセキセイインコが病気になって、急速に状態が悪くなり、入院になった。検査でそれは治療法のない致死の病気だとわかった。
そんな病気があることも知らなかったから情けないことに獣医の前でオロオロするばかりで、気がついた時には道路にいて、ちょっとした注射と薬で調子が良くなった小さなかわいいおりこうな小鳥と一緒に帰るはずだったのに、なぜだか手には何も持っていなくて、それが受け入れられず脚が自分のじゃないみたいに感じた。
病院で告知を受けたあとはこんな感じだった。
それから、呆然としたままのろのろと脚を前にはこび、家に帰って、「今日入院になったセキセイインコの飼い主ですが、夕方に面会に伺ってもよろしいでしょうか」と動物病院に電話をして、やっと手足が自分のものに戻った気がした。
入院した当日に面会に行く飼い主は珍しいと言われたけど医院長は快く受け入れてぐださり少し救われた。
面会はインコのためではなく、自分のためだと自覚はあって、生きてる姿を見て安心したいから行きますと鳥の負担になるなら止めるので教えてくださいと獣医に告げた上での身勝手な面会。
生きてる姿をみて安心したい、あわよくば治療により少しでも元気になっていてくれればばより安心したいというなんとも弱々しい情けない私の訪問をインコは喜んでくれた。
喜んでくれて、彼は私を安心させようとエサを食べる真似までしてくれた。バサバサの羽根で落ち窪んだ目で元気なふりをして水も飲めないのに、何度もエサをつつく真似をして私の方を見た。
よく知ってる優しい顔で。
鳥はなんでもよくわかっているから元気なふりをすれば家に帰れると思ったのだろう。
元気にしていれば、注射も強制給餌もされないだろうと力を振り絞ってやったのだろう。
それでもうれしかった。
元気な姿が見たくて見たくて見たくてたまらなかったから元気な姿が見られて、見せてもらえてうれしかった。辛いのも苦しいものインコちゃんなのに、なんて私は情けないのだろうと思いながら、それでもうれしいが勝っていた。
インコちゃんにもらった宝石みたいに小さな貴重な安心を持って私は家に帰えることができた。
コンパニオンアニマルという存在について、可愛がるために動物を飼うことのエゴについて道々に考え苦しい救いのない気持ちで家に帰るとちょうど学校から帰ってきた息子がいて、思いの丈を打ち明けると
「お母さんは、よくその赤ちゃんみたいな心のまま40代まで生きてこられたね」
と嫌味でなく、心底驚いたという様子で呆れられた。
「お母さんはメンタルが病的に弱いかな?それとも幼稚でEQが低い?」と尋ねると
「いや、普通に赤ちゃんの心のまま大きくなった人」と言われた。
「いいじゃん。赤ちゃんは精神を病まないから。お母さんは喜怒哀楽が全部通常の3倍盛りだからね。悲しいのは仕方ないよ」と背中を撫でてくれた。
「私が悲しんでも心配してもインコちゃんは良くならない。無駄。それなのにこんなに悲しくて心配して、何のために?って苦しい」とぐずぐずと泣く私の背中を「はあ、面倒くさいこと考えるなあ。その考えが一番無駄だよ」とまったくもってその通りとしか言えないことを言いながら、私がもういいというまで息子は背中を撫でてくれた。
病気のインコちゃんに優しくされて、庇護すべき息子にも優しくされて、それでもまだインコちゃんをうしなうことが決まった未来が受け入れられずにその日は、夕飯を作りながら、仕事をしながら、お風呂に入りながら、突き上げてくる悲しみになす術もなく気が済むまで泣いた。
こんな風に泣く自分を弱く卑しいと思いながらも他に悲しみの逃し方がわからなかった。
次の日は、覚悟を決めた。
そしてこの日も面会に行った。
面会の予約をした夕方は大雨で、傘をさしても暴風で煽られて役に立たず、稲光りが暗く濁った空を白く照らしていた。
いつもは人通りが多い大通りも悪天候に人の姿はなく、しかし私はこの道を進めば間違いなくかわいいインコちゃんに会えるのだと思うと雨などどうでよく、全身濡れ鼠になりながら川のようになった歩道を無心で歩いて動物病院へ向かった。
雨水に閉じ込められた世界で
自分の病気ならまだいい。
あんな小さな、私の肩に留まって顔を擦り寄せる、あの僅かな重みしかない小さな優しい小鳥がどうして苦しんで死なないといけないのか、受け入れられる筈がない。
エサを食べる真似をして私を安心させてくれるあの小さな黄色のふわふわがなんで?
何も悪いことしてないよ。
みんなに優しい優しい柔らかい小さな小鳥だよ。
殺さないでよ。なんで?
病気って何?ウイルスってなんなの?
なんで死なないといけないの?
と停めどなく考えた。
ずぶ濡れで動物病院について、タオルで全身を拭いてから診察室に入ったら、私を見たインコちゃんはまた食べる真似をしてくれた。
優しいインコちゃん。ありがとうね。
いつも優しくしてくれてありがとう。
そこにいてくれてありがとう。
私は今インコちゃんのことで頭がいっぱいだけど、この気持ちも時が経てば薄れて、忘れてしまうとわかっている。
だから残しておくね。
これもあなたが生きた、貴方が優しかった、あなたが今まだ生きてる記録だから。
まだ生きてる。
大好き。
いなくならないで。いなくならないで。いなくならないで。
エサを食べる真似なんかしなくていいから死なないでよ。
ごめん。死にたくて死ぬわけじゃない。インコちゃんが一番しんどいのに自分のことばかりで情けないね。
大丈夫。どんなインコちゃんもお母さんは受け入れるよ。
どんなインコちゃんでもかわいいよ。
大好きだよ。
何も心配しないで家に帰ったおいでね。
なんでもするからね。一緒だからね。少しでも苦しくないように楽なようになんでもするから。
私はあなたが苦しいのが一番嫌だ。
あなたが食べたいのに食べられないのが嫌だ。
生きたいのに生きられないのが嫌だ。
わかった。
私はあなたを可愛がりたくてペットショップで買ったわけじゃないよ。
大事にしたくて、私なら誰よりもあなたを大事にできると思って赤ちゃんのあなたをペットショップから連れて帰ってきたんだよ。
大事にしたくて、楽しく暮らしてほしくて一緒にいたの。
かわいいからじゃない。愛玩じゃない。
この悲しい気持ちは受け入れる。病気の事実も受け入れる。
だからまだ一緒にいようね。
明日が退院の日。
獣医はかつてないほどに丁寧な口調で入院して一時的に改善された僅かな事柄に教えてくれた。
大丈夫。私は全部を受け入れる。
大丈夫。
元気でかわいいから好きなわけではないので、このままを愛しているので大丈夫。
2025.05.03
記録として
インコちゃんは先ほど亡くなりました。
2025年5月5日の12:05
病院ではゲロゲロ吐いてたのにお家に帰って来てからは一度も嘔吐せずに、ご飯も食べて、まるで治ったみたいに、いつも通りに好きな場所に行って、外を眺めてそして穏やかに亡くなった。
インコちゃんがお家に帰って来てくれてうれしい。大好き。一緒にいてくれてありがとうと何度も言った。
インコちゃんもお家に帰って来たのがとてもうれしいみたいだった。病気なんて全部嘘なんじゃないかと思うくらい元気だった。
重度の胃拡張と肺炎を併発していて、もう酸素室にいれて見守るしか手の施しようがないと獣医師が言ったのは夢だったのかと。内臓の機能が停止していると言われたのは夢だったのかと勘違いするくらい動くし食べた。
久しぶりにトストスと畳の上を歩くお散歩もしてくれた。
「もうずっとおうちだよ。ずっとお母さんと一緒だよ」という言葉が一番うれしいみたいで。私が言うと近くに来て甘えた。
一緒にいられることがこれほどうれしい。
インコちゃんも私と一緒にいることをこれほどうれしいと思ってくれる。
これが全部。これだけが真実なんだと思った。
悲しさも混乱ももうなかった。
私達は一緒にいられてうれしいという真実だけがそこにあった。
私の腕で就寝したいというインコちゃんの希望を叶えたくて、30度に保温した鳥かごに腕を突っ込むかたちで一睡もせずに夜を過ごした。
僅かな重さと体温がうれしかった。無理な体勢で全身ガチガチになりながらうれしかった。インコちゃんのことが爆発的に愛おしかった。
死ぬのはわかっていた。
でも悲しくなかった。
そんなことより愛おしいくて、側にいてくれることがうれしかった。
今は生きて私の腕で眠る小さな小鳥がいるのに何を悲しむのだろう。絶対的な愛おしさの前では死への恐怖は無いに等しい。
あんなに怯えて泣き震えていたのにね、インコちゃんが一緒にいてくれたらもう全然怖くない。
不思議だね。
インコちゃんの眼は真っ黒で、私のことを優しく優しく見てる。
インコちゃんは生きたがっていて、死を受け入れてない。
これからずっと私と一緒に楽しく暮らせると思ってる。
ずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっとずっと。
これまでそうだったように。
それが当たり前だから。
「ずっと一緒だからね」
私がそういうとインコちゃんはくちばしをお話しするみたいにパクパク動かして、そして命を終えた。
あの一瞬がずっとだ。
私の心は確かに、あの腕にインコちゃんを乗せて過ごした夜に、その時に、置いてきたから。ずっとそこにあるから。
インコちゃんと私はずっと一緒。
夜の散歩
暑い夏が終わって、秋の虫の声がきこえるようになった最近は、毎日のように息子と夜の散歩に出かける。私達は夜の散歩が大好きで、夕飯の後にどちらからとなく誘う。
今日も早めの夕飯を済ませて映画を一本観た後に散歩に出かけた。
行き先は決めずに近所を歩く。静かな住宅街を、駅に向かう人が足早く通り過ぎる商店街を、夜でも煌々と明るく人が多い大通りを、息子と手を繋いで喋りながらてくてく歩く。
息子の背がいつの間にか私の肩に届く高さになっていて、繋ぐ手が大きい。それに「クラスの女子に告白された」なんて話をしてくれる。
その成長。
息子が小さな赤ちゃんだった頃も夜の散歩をしていた。寝ない赤ちゃんを抱っこ紐に入れて、夜道をぐんぐん歩いていた。歩くしかなす術がないから。
あの頃はまだ息子を産んで一年も経っていない頃で、私は赤ちゃんがいる生活に慣れていなかった。母親という役割にも。
赤ちゃんとの1日は長かった。夜は特に長かった。3時間おきに授乳があるので1日に終わりがなく、細切れの睡眠でどこまでも続く生活の中の夜は飲み込まれそうに暗くこれまでに感じたことのない孤独なものだった。
だから散歩に出た。
家にいるよりマシかと思って。
夜の暗い人のいない住宅街はよそよそしくて、自分がそこにいるのにいないような気持ちになって、そんな弱々しい気持ちを持っていることが馬鹿馬鹿しくなって笑って、私をそんな気持ちにするなんて本当に世界はクソだと思ってぐんぐん歩いた。
赤ちゃんはそんな私の顔を黒い黒い濡れた目でじっと見上げていた。街頭に照らされた頬は闇に浮かび上がるように白かった。
「かわいい赤ちゃん」
そう声に出して言ってみた。確認として。あれは街路樹、それはガードレール、これはかわいい赤ちゃん。
これはどこからどうみてもかわいい、赤ちゃん。
大事にすべき私のかわいい赤ちゃん。
祐天寺という大きなお寺の近くに住んでいたので、散歩の終盤にはよくお寺の境内にあるベンチに座って水筒に入れてきた紅茶を飲んだ。
疲れていて孤独な時の熱い紅茶というのは特別で、千切れそうなものを修復するように、それを大事に大事に味わった。
あの時の紅茶の熱さ、抱っこ紐の中の赤ちゃんの温かさは分類するならば、間違いなく良い思い出なのだろうけれど、二度とごめんだ。
母親になったことはすごく幸せ、間違いなく幸福。でもあんな世界から取り残されたような孤独は二度と感じたくない。

死に際の女
「かしこくてかわいくて優しい私と出会えて結婚できたんだからあなたの人生ってこれからどんな悪いことがあったとしても最終的には最高の人生だよ」
20年前、西陽がさす寝室で私が最初の夫にいった言葉を思い出す。
有頂天だったのだ。
最初の夫は、大学の先生で、美しく、本を出せばたくさんうれて、メディアにも出ていたので大層モテていた。だから列を成した他の女を薙ぎ倒して自分を選ばせたことに酔っていたし、それを自覚して楽しんでもいた。
遠い日々。
私は20代で望めば何もが手に入れられると信じて疑わなかったし、愚かにも手に入れたものはずっとそこにあると思っていた。
最初の夫は死に際に私に絵葉書をくれた。私たちはとっくに離婚していたけど。
乱れた文字に彼の老いと闘病による疲れがみえて、私は濃青の万年筆でかかれたそれを読むためには呼吸を整える必要があった。
「僕の人生は、かしこくてかわいくて優しいあなたと出会えて結婚できたんだからどんな悪いことがあったとしても最高の人生だよ。だから死ぬのは少しもこわくない。最高の人生をありがとう」
葉書を受け取った私は30代で、最初の夫の次の次の夫との間にできた赤ちゃんをだっこしながらそれを読んだ。
途端に三鷹下連雀のマンションの西陽の当たる寝室を、カーテンの影を、シーツの白さを、彼の笑顔を思い出して目の前がチカチカした。
「死ぬのは少しもこわくない」と私に伝えて一週間後に最初の夫は亡くなった。絵葉書にはふたりでよく行った庭園美術館のものだった。
先生、本当に死ぬのはこわくなかった?
最高の人生だった?

子どもがいなければ

寝付いたばかりの子どもの寝息をききながらくらい天井に目を凝らす。
仕事のメールの返信、学童に提出する書類の記入、夕飯の後片付け、やることは山積みなのだから一刻も早く布団から出てそれらに取り掛からないといけないのに動きたくない。というか動けない。
ずっと天井をみているとくらい天井がぐーっと自分に迫ってくるような気がする。
子どもの頃も眠れずに天井をじっとみていることがよくあった。
実家の天井の木目、豆電気の頼りないオレンジ色、妹の歯軋り、湿度の濃いあの部屋の畳の匂い、枕元においてある『ときめきトゥナイト』の蘭世と真壁くんが描かれた表紙を覚えている。
まさかあの時の心のまま大人になるなんてあの頃は思いもしなかった。まさかそのままの心で大人になって、そして老いるなんて。心がそのままなのは残酷なことだが、頼もしくもある。
積み重ねた年齢のずっしりとした重さは時には私の味方でもあるから。
それでも43歳になった今でも誰かに「大丈夫だよ」と言ってほしい気持ちがどこかにあることを私は認めなければならない。
「心配いらないよ。大丈夫だよ」誰かがそういって私を安心させてくれはしないだろうかといつもどこかで待っているその救いようのないその幼さ愚かさを。
もちろんそんな人はいない。
いくら待ってもこない。ばかばかしい。
本気で必要としているわけではない。
なぜ私は漠とした空に手を伸ばし助けを乞うのだろうか。
こんなふうになったのはいつからだろうか。
子どもをうむ前はこんなだっただろうか。
いや、子どもをうむ前はこんなではなかったと思う。
これほどに孤独ではなかったからその必要はなかった。
勢いをつけて掛け布団を剥ぎ取り寝室から出る。
夕飯の片付けを、汚れた皿を予洗いして食洗機に入れるという私の大嫌いな作業をのろのろとする。
汚れた皿。
私が食洗機に入れないと永遠に遺跡になるまで汚れたままの皿。
息子の茶碗に残った米粒。
リビングに目を向ければテーブルの上は折り紙やワーク、色鉛筆などで雑然としている。
片付けないと。
食洗機の動作音がグイーングイーンとうるさくて耳障りだ。
祖母が言っていた言葉が蘇る「炊事や洗濯をお前がしないといけないようなおうちに嫁ぐんじゃないよ」
最初の夫が言っていた言葉を思い出す「料理はしたかったらたまにすればいいけど、掃除や洗濯はやめなさい。そんなこと君がすることじゃないよ」
祖母も最初の夫も眉間に皺を寄せて汚いもの触る子どもをしかるように私にそう言った。
今私が毎日毎日その炊事、洗濯に追われていると知ったらおばあちゃんはどんな顔をするだろうか。可哀想にと同情するだろうな。
最初の夫も今の私をみたら可哀想と思うかな。あの人は冷たいところがあるから家事育児に追われているシングルマザーである私をみたら眉を顰めて顔を背けて見なかったことにするかもしれない。河原のホームレスを見た時と同じように。
彼の中の私は無垢で無鉄砲で世間知らずの苦労知らずでなければならなかった。いつもそんなふうにコンパニオン役をやらされることが嫌で仕方なかった。
リビングのテーブルの上をざっと片付けてから息子のランドセルを開けて明日の時間割の教科書が入っているか、筆箱の中に鉛筆と消しゴムが入っているかチェックをする。連絡帳に見ましたよのスタンプを押す。
息子と一緒に博物館で買った埴輪のスタンプ。
息子といるのは楽しい。
私は息子が大好きだ。
それなのに私は何が「心配ないよ。大丈夫だよ」と言われたいのだろうか。何が不安なのだろうか。
どうして孤独なのだろうか。
私は息子を産んで幸せなのに。
でも産まなかったら?(こんなこと考えてはいけない)
産まなければもっと幸せだんだんじゃないの?(考えるな)
この子がいなければ私はもっと自由で苦労しないでもっともっと幸福だったのではないの?(そんなはずない。考えるな)
そうじゃないの?(うるさい。黙れ)
ねぇそうなんじゃない?(うるさいうるさいうるさいうるさいうるさい)
「大丈夫。心配ないよ。この子がいるほうがあなたは幸せだよ」
「絶対?」
「絶対」
誰かがそう言ってくれたらいいのに。
誰か神さまみたいな人がそう言ってくれたら私はその人の足元に跪いて泣くだろう。
散らかった部屋、私が片付けないと永遠に散らかったままの部屋の壁には息子の描いた私の絵が飾ってある。「おかあさん だいすきだよ」とそこにある。
私も息子が大好き。
だから大丈夫も絶対もない世界で私はあなたを絶対に幸せにしなければならない。
欠けたまま

ああ、世界が欠けてゆくと思う。
3月には大事なものが亡くなる。
3年前に自死で弟が亡くなり。
2年前に病気で姉猫が亡くなり。
1年前に突然私の最後の猫が亡くなった。
私の世界はどんどん欠けてゆく。
穴だらけで茫漠としたここはもう知らない世界みたい。
あなたさえいれば私の世界は完璧で完全だと言えた日もあった。
あなたはその時々で違ったけど、その時々で本気で世界は完璧だと言った。
恋の情熱がみせた錯覚でもその世界は美しかった。
恋は錯覚だけど、あの時みた世界の美しさは幻でなく本質だったのだと思う。だから恋は生きる為に必要なのだと確信している。
最初の夫と初めて並んで歩いた時、私の世界は完璧で完全だったなと思い出す。少しも欠けることなく膨張していったキラキラした私の世界を思い出すと笑える。あのとき私は最高に無敵だった。
息子の父親と旅行に行った北海道からの帰路、飛行機の中で彼の肩に頭を預けてうとうとしていた時も世界は完璧だった。
あの日あの人が着ていた柔らかいベストは今も私のクローゼットにある。遺骨みたいに。
恋は錯覚だから。錯覚は相手の感情なんて必要としない。自分だけがみたいものをみる。
だからこそ完璧で美しい。
そんなものは長く続かないけれど。
気持ちいいのはトリップしている間だけと承知でも。
長い人生を、重い人生を生きるのにかつて必要だったキラキラしたものは、もう私の人生には必要なくて、今は無惨に欠けて空いた穴が私には愛おしい。
埋まらない欠けはずっとそこにあるぽかりと空いた穴。
穴でもいいからそこにいてね。
もうなくならないでね。
今度こそずっと一緒にいて。そう思う。
私はずっと悲しい。
私はずっと欠けたままがいい。
キラキラした世界より私が生きたいのは欠けたままの世界。
幸福も完璧もいらない。
ふたりで幸せになろうと瞳孔が開いた目で訴える恋人に伝えたけど伝わらなかったことをここに記す。
午後4時の音

夕方の4時頃になるとだいたい毎日、雨の日以外はだけど、マンションのうち廊下からカツン、カツンと杖をついて歩く音が聞こえていた。
内廊下に面した寝室にいるとその音はとてもよく聞こえ、ああ、今日もお隣のおじいさんが日課の散歩に出られるのだなとわかった。
猫が亡くなり固くなってしまった愛おしい子の生きていることろなんら変わらないふかふかの被毛に顔を埋めて叫び泣いていた日も、元夫が逮捕されたとの連絡を受けて呆然とした日も、恋人とひどいケンカをして頭から血を流しながら別れ話のシナリオを考えていた日も、時間になれば、カツン、カツンと音が響いた。
自分の人生とは関係ない場所で誰かが規則正しく生活していることは、私にいつも心の平安をもたらしたものだ。
杖のおじいさんには何度かお会いしたことがある。80代後半の柔和な老紳士で、いつも息子に会うと目を細めて「お利口だね」や「あたたかそうな帽子だね」など話しかけてくださった。息子はたいてい照れ臭そうに笑っていた。
年末に杖の音が聞こえなくなりひと月ふた月と過ぎ、床に臥せてらっしゃるのかと心配していたら今日ご近所の方からご自分で命を絶たれたのだと知らされた。
「かわいそうにね。ご家族の負担を気にしてのことらしいわよ」と。
駅前のパン屋のバゲットが前より小さくなったという話題の後に「そういえばね…」とふいにもたらされたその訃報に私は声を失った。
私が黙るといつもそうであるように息子が「お母さん、どうしたの?お母さん、どうしたの?お母さん、どうしたの?」と繰り返している声が耳に膜を張ったように遠くて、早く大丈夫だと、黙ってごめんなさいと、お母さん少し驚いてしまったからと応じてあげなくてはいけないのに1分くらい声が出なかった。
なぜだからわからないけれど私はその日からこんこんと長く眠るようになってしまって、それは今日に至るまで続いている。
暇さえあればすっぽり掛け布団を頭からかけてくうくうと眠る。
10時間寝ても15時間寝ても寝足りることはなく、横になると頭の芯がくーっと眠りに引き摺り込まれ奈落に落ちるかのように眠り、例外なく目覚めは悪い。
何通りもの悪夢をみてもうたくさんと思い目を覚ますと現実も悪夢さながらの様子なので目を覚ます毎に軽く絶望する。
自分ではどうすることもできない不幸な不愉快な理不尽な出来事で思考を占領するのは馬鹿馬鹿しいとわかっているのに考えてしまう自分の脳が憎らしい。
わかっていることは優しい老紳士はもういないこと。
私もいつかいなくなるけれどまだ生きていること。
生きているうちは絶望は続くこと。
しかし、必ず生活中には、生活の中にこそ、絶望をすり抜ける小道があること。
私は毎日の暮らしから目を逸らさないことで自分を傷つけられずに生きることができることを知っている。だから大丈夫。
午後4時になった。
杖の音はしない。
そろそろ息子が帰ってくる時間だ。
私はベッドから起き上がり、キッチンへ行く。
丁寧に手を洗って食事の支度に取り掛かる。
外からは子どもの笑い声がする。
息子がお友達を連れて帰ってきたのだろう。
私は絶望なんてこの世に存在しないみたいな笑顔で息子と彼の友達を迎える。事実彼らを前にすると絶望は飛散するから。
支配すること

習い事のある日は息子が3時に帰ってくる。今日も「ただいま〜」と元気な声が玄関からきこえて、時計を見たらぴったり3時だった。
息子は帰宅するといつもまずは洗面所で手を洗い、それからいそいそと私の方へ来ると私のトレーナーの中にすっぽりと頭を入れる。私はいつもそのトレーナーの布地越しの息子の頭を撫でる。撫でながら「おかえりなさい。今日は学校どうだった?」と話しかける。息子は大抵質問には答えないでくすぐったそうに笑っている。
くつくつと笑いながら気がすむまで私のお腹に鼻先や頬を擦り付けるとトレーナーから顔を出す。
「は〜あったかかった!お母さんのお腹はあったかいね〜」
「うん」
「今日は寒いからバスで行きたいな」
「そうしようか」
私達は、息子が通うアートスクールに行くためにバス停に向かう。ふたりともダウンジャケットを着て、ニット帽を被り、手袋をして、あたたかくして手を繋いで歩く。冬にはしっかり防寒すること、安全のためにひと通りの多い道では手を繋ぐこと、私が教えたことを息子はしっかり守っている。それは良いこと、正しいことのはずなのに私の言うことなんて気にしなければいいのにという気持ちになる。
おかしいのだけど、息子が私を信頼して、言うことを聞くことに恐怖を感じることがある。
だってそれは私はこの子をいつでも支配できるということではないか。私はそれが怖い。
私は他人をコントロールすることに、支配することに長けていると精神科医に言われたことがある。まだ20代前半だったと思う。
当時はそんなこと医者に言われるまでもないと思った。何がいけないのだろうと。
私はそれまで交際関係にあった男性をことごとく支配してきた。彼らに対してあったのは愛情でも、恋情ですらなく、自分の虚しさを埋めるための支配欲だったと医師に指摘されてるまでもなく自覚していた。だから医師に「ああ、はい、自覚はあります」と答えて、医師は目を丸くしていた。私はそれを見て楽しい気持ちになった。
たぶんひとは大事なもののために健全な関係を築こうとする。関係を継続するために、相手との愛情を育むために。
だけど当時の私にはそのどちらもするつもりがなかった。私はただ一途に自分のことだけが大事で、ただ一途に自分の寂しさを満たすことだけを考えて、それが可能な男性を選びコントロールして自分の思い通りに支配できないと罵り別れた。相手の気持ちなんて少しも考えなかった。幼さもあったのだと思う。
最初の夫はそんな私に支配したりされたりしない関係を教えてくれた人だった。親子ほど歳が離れていたのもよかったのだろう。彼と過ごすことで私は初めて人との関わり、人の心みたいなものを理解するようになり、それは自分の心に目を向けることでもあった。
彼は私が彼を思い通りに動かそうと躍起になっても笑って身をかわす人で、私は全然敵わないからもうありのままの自分を曝け出してお腹を出した犬のポーズで降参するしかなかった。降参した私を最初の夫はたいそう可愛がってくれたからそれまで相手をコントロールするために使っていた手練手管を私はあっさり手放した。ありのままの姿で思う存分甘え頼るのはとろけるように気持ちよかった。
幼い頃から癇癪持ちの母と、気分屋の父の顔色を見て気を遣ってきた私のさみしさがしんしんと満たされて私は最初の夫と別れた。
「満月の夜は影が長い。僕はきみの長い影をみると不安になる。黙って離れていかないでほしい」
雪の夜に月に照らされた夜道を歩きながらそう言われ
「なんで?離れないよ」
と言って手を繋いだ。
最初の夫とは10年一緒に住んで、いくつも季節を共に過ごして、ずっと手を繋いで歩いて、別れる最後の夜も手を繋いで眠った。あまりにもたくさん手を繋いだから今もまだ彼の手の感覚をよく覚えている。骨張った大きな手。初めて繋いだ時は天にも昇る心地だった。あの血液が沸騰するような興奮と幸福もまだよく覚えている。思い出すと笑ってしまう。あの手は、骨になって今は骨壷に入れられてお墓の下にある。
出会った頃の彼と近い年齢になった今となっては最初の夫が私を可愛がったのは、愛しいからでも大事だからでもなく単に面白かったんだろうなと思う。あの若いなりふり構わないバカでさみしくて調子に乗った女が。
息子の手はふにふにで小さい。今はこの手を毎日繋いで歩いている。
「満月の夜は影が長いでしょう。お母さんね、長い影をみるとさみしい気持ちになる」
「へ〜俺はね、さみしいくないよ。お母さんと一緒に夜のお散歩するのは楽しい。お母さん、大丈夫。月は毎日かわるから明日には満月じゃなくなるよ。地球は動いてるからね」
「そうだね」
「うん。うちに帰ったら月の本を読んであげるよ」
「うん。じゃあ、おうちに帰ろうか」
「帰ろう!」
息子は私の手を引いて走り出す。息子の手は小さくて、ふにふにで、あたたかくて、力強い。
私の手をふりほどきどんどん走ってゆく息子をみて、息子は私に支配されたりなんかしないだろうなと思った。

