ノートツールだってデスクトップを持ちたい
以下の投稿を面白く拝読しました。
理想をいえば、このスライドから『世論』の本文や、事典類のリップマンの項目を、同じフォーマットで閲覧したい。スライドにリンクを埋め込めば疑似的に実現はできるはず。ただ、その場合、リンクをクリックするとブラウザやら電子書籍リーダーやらが起動して、複数のアプリを行ったり来たりすることになり、それは煩わしい(とかく注文の多い利用者である)。
情報(というか概念)をPowerPointのスライドでまとめられている、ということでたいへん刺激的です。いくつか想起されることもあります。
Keynote + Cosense
まず、私もスライドを使っています。
デスクトップに、board.keyというKeynoteのファイルを一つ置いておき、即座に開けるようにしています。
で、デジタルツールでいろいろ知的作業をしているとテキストの扱いはよいのですが、手書きのような図の使いに困ります。mermaid.jsなどもあるのですが、あれはあれで独特の認知作業を強いられる。
そうしたときにこのスライドをファイルを開いて、ぱぱっと図をつくります。
昔はこのファイルの扱いに悩んでいたのですが、あるときから「ぜんぶ一つにまとめておけばいいじゃん」と割り切りました。だって、「知的生産.key」とか「仕事術.key」とか分けても管理できる気がしませんからね。
ちなみに、私はスクリーンショットのようなマトリクスをよく作るので、十字だけが書き込まれたスライドレイアウト(テンプレートのようなもの)を準備しております。
で、ここで画像を作って、たとえばCosenseとかObsidianとかにぺたっと貼って「ノート」にします。
これでリンク的なものを実現している、ということですね。
もちろん、これだと画像を変更したくなったときに、いったんKeynoteに戻り、画像を貼りつけ直して、みたいなステップが必要になり、満額回答にはほど遠いのですが、どこかで現実的な「手打ち」が必要なので、ひとまずはOKとしています。
かつて見た夢
上記はあくまでおまけで思いついたことで、本丸はここからです。
情報をスライドのように配置し、ボタンなどをクリックしたら別の情報へとアクセスできる、という環境の話を聞いて、まっさきに思い出すのはやはり HyperCard です。
私がMacOSを使うようになったのはかなり遅かったので(熱狂的なVAIO信者でした)、そのときにはもう HyperCard の影も形もなかったわけですが、インターネットやwikiといったデジタル情報整理の歴史を学んでいたら、確実に出会うことになるのが、HyperCard です。
でもって、HyperCard は、テキストや画像などを自由に配置できますし、ボタンを押して別のカードにジャンプすることもできます。つまり、ハイパーメディアであり、ハイパーテキストだったわけです。
であれば、あとはそこに自分の全情報・資料を突っ込んでいけば、パーフェクトな(それこそmemexを彷彿とさせる)情報環境ができあがる!と妄想をたくましくするわけですが、まあ、なかなかそうはいかなかった、というのが現実でしょう。実際、HyperCard を何らかの形で使っている人はほぼいないはずです。
理由はいろいろ想定できると思いますが、一つにはカードづくりがややギークすぎたという点、もう一つには、知的情報をデジタルに取り込むことの難しさ(たとえば書籍の本文をすべて取り込むのは著作権的に難しいことが多い)、みたいなことはあろうかと思います。ともかく、開かれた知的生産の道具にはなりえなかった。
現代では?
現在、ある種の界隈でObsidianが熱狂的に指示されているのは、HyperCardが見せてくれた夢を再現しているからではないかと想像します。理想的な情報環境が構築できるような気がするわけです。
あいかわらず設定周りにギークさは要求されますが、二者間のリンクをつなげるだけならブラケットで囲むだけでOKです。最近では、生成AIの助けもあるので、ギークでなくてもギークっぽいことが可能になりつつあります(ノンプログラマーズ・プログラミングブックが必要ですね)。
とは言え、デジタルの、というよりも、テキストベースの課題はあります。
たとえば文房具店に行ってリーガルパッドを買ってみてください(最近ではAmazonブランドのものもあります)。左端に縦線が引かれているパッドで、確認したらチェックをつけるとか、時刻を書いておくとか、テキストに対するメタ情報を付与するために使えます(し、開けておいても問題はありません)。
こんな簡単な装置すら、テキストでは表現が難しいのです。テーブルで分割する、Divを二つ並べてスクロールを同期させる、みたいなややこしい実装が必要となります。
これはエディタ上のテキストがただ線形に「並べられている」だけのものだからですね。一方でスライドやHyperCardのカードは、画面上の平面空間に「置かれて」います。それぞれの要素が固有の座標{x,y}を持っているのです。つまり、オブジェクトなのです。
現代だと超漢字などを持ち出さないと似たような環境は実現できませんが、そうなると他のデジタル情報との共有が難しくなります。あまりスマートな解決とは思えません。
Canvas
ここで「でも、ObsidianってCanvasがあるじゃん?」と思われた方は、壇上から教授に「良い質問ですね」と言ってもらえる権利を贈呈しましょう。
たしかにCanvasでは要素をオブジェクトとして操作できます。ちょっとやってみましょう。
もともとスライドをつくるための機能ではないので、かなり無理している感はいなめません。CSSを上書きしたら、もう少しはマシになるでしょうか。
文字のサイズやらフォントやらは気になりますが、ひとまずはここまでにしておきましょう。やってやれなくない、というのが感触でしょうか。ここまでできれば、わりとHyperCard っぽい感触に近づきそうです。
上のような配置と、下のようなテキストを見比べてみると、テキストをベタに並べただけのものがいかに「画面」を使えていないのがわかります。
空いている空間がある、といった話ではありません。個々の要素を配置(もっと言えばデザイン)できていないのです。それぞれに意味と関係を添付できていない。
一列に並べただけのノートもたしかにマルチメディアでハイパーリンクではあります。しかし、HyperCard が目指した情報の形態ではないでしょう。
線形のテキストを「越える」(hyper)なら、単にリンクして分岐できること以上の何かが必要なのだと思います。
むしろCanvasがメイン?
この話は、私が以前に考えたHTMLノートの発想にも近いと思います。
もともとマークダウンはHTMLに変換するためのテキストを人間が手軽に書けるように準備されたと思いますが、それがそのままドキュメントの記法として標準化されつつあります。で、そのドキュメントは基本線形なわけです。リンクで分岐はするが表現としては文章がリニアに並んでいる。
一方で、HTMLではもっと自由に要素が配置できます。手軽さではマークダウンに劣るものの、表現力の幅は大きく広がるのです。空間が使えるようになる。
最近、Jazzと読書の日々のwineroses さんが、Canvasを使ったエディットシステムを研究されていますが、あれこそがデジタルならではのアプローチだと感じます。ボード型の装置とテキスト型の装置を両方つかう。あるいはその二つを行き来しながらプロセスを進めていく。
そう考えたときに「操作」の拠点となるのは、Canvasの方なのかもしれません。だって、皆さんが操作しているパソコンは──DOS/Vユーザーでないならば──デスクトップが操作の拠点でしょう。なのになぜ、ノートツールに「ログイン」したら急にデスクトップをはぎ取られてしまうのでしょうか。
『中二病でも恋がしたい!』風に言えば、ノートツールだってデスクトップを持ちたいのです。







