4年勤めたLITALICOを退職しました。
株式会社LITALICOを退職しました。4年間お世話になった方々、本当にありがとうございました。
LITALICOという会社がいつの間にか好きになり、尊敬してやまない上司たち、ビジョンを本気で追う素晴らしい仲間と働けたことを誇りに思います。社会課題とがっぷり四つで向き合ってビジネスしている会社は他にはなかなかない。
そんな人たちがこんなにいる。だからこそ自信を持って退職の決断ができた。
入社のきっかけ
当時、自分でやっていた事業をたたみ、副業でコーチをしながらスタートアップで泥のように働いていた。(この時はしんどかった……)
コロナで社会が大きく揺らぐ中、2021年4月LITALICOに入社した。きっかけは息子の3歳児検診だった。
初めて聞いた「発達障害」という言葉
「今日、3歳児検診行ってくるね。」という妻の言葉に僕は出社の準備をしながら、「ほーいOK」なんてゆるい返事で返していた気がする。
会社での仕事を終え帰宅すると、空気が違うことに気づく。
妻は不安いっぱいな顔で出迎えてくれた。「検診いってきた。それでね……」と不安な感情のままに色んな言葉で伝えてくれたのだけれども正直途中の話は覚えていない。最後に「発達障害かもしれない。」この聞き覚えのない言葉だけが残っている。
息子のことを理解したい一心でのぞんだ採用試験
そうかもしれないという曖昧な状況。なんとも言葉にならないモヤモヤ感があった。
ただ、今の状況が真っ暗やみのように何もわからないから不安になるんだという気持ちから、そこからはまず家族で知ることから始めようと、書籍やwebでの情報収集をし、セミナーや勉強会は参加できるものは全て参加した。
ほんとうは僕も不安でいっぱいだった。
だからこそ、精一杯のみえと強がりでカッコつけていたんだと思う。
その中で出会ったのがLITALICOだった。
あるコラムの中で以下の文章と出会って、不安が一気に晴れたことを今でも覚えている。
「個と環境の相互作用」とは、個人の特性と、場所や人、物といった環境が相互に影響することで、障害や困りごとが現れるという考え方
あっ個人に障害があると捉えるんじゃなくて、個性と環境のマッチングによって障害が生まれるのか。
だとしたら、コーチングで個性を発揮する支援はやっている。
あとは今の社会にどんな環境があるのかを理解して、息子の個性に合わせた設計ができるようになればいいんだ。そのことに気づかせてもらえてすごく腹落ちした。
その後たまたまだが、コーチングを学ぶ中でLITALICOで働いている方と出会い、リファラルという形でLITALICOに入社することができた。
最終面接でのこと。
当時の事業部長との面接の中で、「んーなんか熱量がものすごいから、もう採用。一緒に働きましょう。」と、「熱量」という理由で採用されたのは今でも覚えている。「息子のことを理解したい。」ただその一心で必死でプレゼンしていたんだろう。
やってきたこと
LITALICOに入社が決まり、最初に携わったのがLITALICOライフという部署。
この部署では、発達障害のあるお子さんの保護者の方に向けた勉強会やライフプランニングを提供していた。
ご相談に来てくれる保護者の方の「子どもを理解したい」「保護者として何かできることはないか」という切実な思いと、それでもその心が折れてしまいそうになるくらいの不安と誰にも相談できない孤独感は痛いほど気持ちがわかった。
だからこそ、その保護者の「願い」や「思い」を一滴もこぼさない。受け止めることだけは絶対ぶらさないという思いで伴走させていただいた。
また、ここで働くメンバーたちが個性豊かでおもしろく、「自分らしさ」を全開に発揮している人ばかりで、自分たちでも「動物園だよね、ほんと。」なんて声がよく上がっていた。
「自分らしさ」が発揮された環境を体感できたのは、コーチングの中でも、その人の「可能性を信じる」ではなく、「可能性をすでに知ってる」うえで向き合える大きな財産になった。
自分だけのコンパスを確認して、目的地を決める。たどり着くための地図を携える。
そんな個性豊かな仲間と一緒にやっていたライフプランニングという仕事。
この中でやっていたことは自分だけのコンパスを確認し、目的地を決めて、たどり着くための地図を携える。そのお手伝いをさせていただいていた。
ライフプランでは「子育て」というテーマが中心になる。この「子育て」では、自分の「コンパス=価値観」と向き合うことになる。
自分にはどんな価値観があるのか?これを確認する。
そうすると、例えば、受験に必死になっているのは子どもではなく自分の価値観だと気づいたりする。そして、ちゃんとお話しを聞かせていただくと、「この子らしく人生を歩んでほしい」という願いに行き着く。
自分の価値観に気づき、願いを見つける。
こうすることで、本当の目的地が決められるようになる。
あとは、目的地に向けて、どんな学校や環境が個性を伸ばすのか?さらに、どんな関わ方やサポート可能性を広げるのか?個性と環境で整理していきながら目的地に向けて可能性という地図の解像度を上げていく。
この一連のプロセスは、コーチングと重なることも多く、教えることではなく、受け止めて聞くことの威力を体感する大きな学びになったし、何よりこのプロセスの中で、「全然話してくれなかった子どもと話せるようになったんです」「子どもがこの学校行ってみたいって前向きになったんです」「私も子どもと一緒に自分らしく挑戦しようと転職したんです」なんて、こんな瞬間に立ち会わせていただけたのは僕にとって代え難い経験だった。
今、コーチングを通して「いろんな方の人生に向き合い続けたい」と背中をおしてくれた経験にもなった。
ひとりの声を聞き、届ける。
その後LITALICOジュニアという児童発達支援、放課後等デイサービスをやっている部署に移り、勉強会の開発や、Web広告の制作運用などマーケティングを担当した。
やってみてだけど、たぶん僕はマーケティングは向いていない。
仮に「たくさんの人に効率よく届けるを最大化すること」だとすると、僕は真逆のことばかりしていた。
すんごい迷惑かけてた気もするが、優しい仲間はいいねいいね!と提案や試作に対して快くやってみようと言ってくれた。ほんと大感謝。
でも僕は僕なりにやってきたマーケティングは好きだ。
それは、「そのひとりにちゃんと届くために深く理解すること」そのために、ひとりの声をインタビューという形で聞かせていただいたり、勉強会でも、バナーひとつとっても目の前のそのひとりに対してつくってしまう。
作っているのは「売るための広告」ではなく、「思いを届ける手紙」だと思ってやっていた。
そんな届けたいと思えるサービスやそれを支える人達がいる。本気でそう思えたからこそ自信を持って退職を決断できた。
だから退職することを決めた
「息子のことを理解したい」この思いがきっかけで入社した。
4年間、2つの事業部での経験。この経験を経て確信していることがある。
それは「僕たち家族ならもう大丈夫」ということ。
3歳児検診の時から4年。LITALICOでの経験を活かしながら、息子と向き合う中でより理解が深まり、その個性が発揮されるための考え方や関わり方、学校の選択肢、社会資源など、環境側のことも自分たちで選択し、作っていけると思えるようになった。
そして、自分らしく成長してくれている息子はもうランドセルを背負って学校に行っている。
自身の力でどんどん未来に向けて歩んでいる。彼の成長が何より大丈夫だと思わせてくれる。
真っ暗やみの中にいた4年前。LITALICOでの経験を通して、今では「僕たち家族なら大丈夫」と確信の中で晴れやかな気持ちでいる。
そんなふうに思える今を作ってくれたLITALICOには大感謝。
これからやっていくこと
だからこそ、自分自身も自分らしく生きていこうと独立することを決めた。
やりたいことは大きく3つ。
1つめは、コーチングを通して「その人らしく生きること」を伴走すること。キャリア、マネジメント、子育て…個人も企業も抱えている課題を「聞くこと」を通して解決のお手伝いをしていきたい。
2つめは、聞くことをもっと広げていきたい。
SNSではどんどん発信が増える中で、受け手が圧倒的に足りてないと感じる。聞いてくれるから話したくなる。これが原理原則だと思う。
聞いてくれないから、目を引こうとする、過激になる。
これは子どもが教えてくれたことだ。「ちゃんと受け止める安心」があると、自然と自分らしさを発揮し始める。
聞くことを通して心地いい循環がまわる世界を少しでも実現したい。
3つめは言語化のお手伝いをしていきたい。
SNS、AI、どんどん環境が変わっていく中で、「自分の言葉で話すこと」「自分の価値観から問いを立てること」がその人らしく生きることに繋がると感じている。
そんなこんなで吹いたら一瞬で吹き飛ぶ状態で正直ガクブルですが、自分らしくマイペースで挑戦していきます。
