とってもうれしいことがあったので、久しぶりに記事を書きました
去年の3月以来ですから、10か月ぶりの記事になります。ふだんはツイッターで短くつぶやくばかりで、あまり長い言葉を綴る気持ちになれず、ずいぶん長いあいだ記事を書いていませんでした。でも、とってもうれしいことがあり、今回ばかりは長文でなければこの気持ちを伝えきれない!と思って、久しぶりに記事を書くことにしました。
うれしかったことというのは…
昨年3月に、訳書『少女が見た1945年のベルリン ナチス政権崩壊から敗戦、そして復興へ』(クラウス・コルドン原作、ゲルリンデ・アルトホフ脚本・構成、クリストフ・ホイヤー作画・構成、鵜田良江訳、パンローリング 2022)が出版されました。
そしてこのたび、この本を、雑誌『月刊 学校給食』(全国学校給食協会)の2023年2月号「食べる人びとーカリカチュアに見る食の姿」のコーナーで紹介していただけたのです。まる2ページも使って!
ご紹介くださったのは、日本漫画家協会理事の石子順さま。お恥ずかしいことに、わたしはこの記事のお話を聞くまで存じ上げなかったのですが、『カリカチュアの近代 7人のヨーロッパ風刺画家』(柏書房 1993)も書かれている方です。2ページの記事を読み進めるうちに、漫画への理解が深い方に、すみずみまで読んで評していただけたことに、感謝の気持ちでいっぱいになりました。
記事の中にも書かれていますけれど、あのラストの展開、それから凧があがる絵、未来への希望につながるシーンはわたしも大好きで、あの場面をとりあげていただけたこと、すごくうれしい気持ちになっています。
それから、土木建築の専門家であるクリストフ・ホイヤーの描く建物や、街並みの正確さ。絵から読み取れる、エネが歩いた街の道筋のこと。
本書を訳していて、背景に印象的に描かれている建物や信号機には、なにか意味があるはず、と思って調べるうちに、さまざまな要素が詰め込まれているのがわかってきました。小説であれば、何行にもわたって説明をするか、省いてしまうか。そういうところを1コマで表現できてしまう漫画の力。そこに感動しながら、でも、ベルリンのことや、ドイツ近代史にはあまり詳しくない日本の読者のみなさまにとっては、描き手のこめたメッセージを理解するのは難しいことかもしれない、と思いました。原作の小説では触れられていないけれど、ここからあそこに行くのであれば、おそらくこの道を通ったはずだから、背景にこの建物があるのはとても自然なことだとか、そういったことを。
訳注を入れられるかどうかは、わからないけれど、せめて編集者様には、ここはこういうことですとお伝えしたいという気持ちがわきあがってきたのです。迷惑かもしれないけれど…と、迷いながら、たくさんの申し送りをしました。そこから、編集者様が読者のみなさまに伝える意味があると思ったものを拾い集めてまとめてくださったのが、巻末の訳注でした。ヨーロッパの情勢にお詳しい石子さまには、あの注は不要だったのではないのかな…とは思いますけれど。
とにかく『月刊 学校給食』の記事は、絵の細かいところまで読み取って書いてくださっていて、すくなくとも、わたしの訳はその妨げにはならなかったようだと感じられて、ほっとしているのです。
そして、訳者として泣くほどうれしかったこと
訳書をご紹介いただいた『月刊 学校給食』のコーナー名は、「食べる人びとーカリカチュアに見る食の姿」です。したがって食事がメインテーマになります。『少女が見た1945年のベルリン』には印象的な料理がふたつ登場していました。
戦後の食糧難の中、おばあちゃんが主人公の少女エネにさりげなく作ってくれた「Mehlsuppe」。それからブーヘンヴァルト強制収容所にいたお父さんが戦争が終わって帰ってきて、みんなで食べた「Bluetten aus Kartoffelschalen(じゃがいもの皮でつくったステーキ)」。
すみません、Mehlsuppeのほうはあえてドイツ語のままで。長くなりますけれど訳語探しの旅にお付き合いいただけたら、と思います。
以前こちらにも書かせていただきましたけれど、わたしはドイツに行ったことがありません。海外旅行といえば以前勤めていた会社の社員旅行で台湾に連れていかれたきりで、ヨーロッパの地を踏んだことさえなく。ですからドイツの料理といってもあまりイメージはわきません。というわけで、とにかく調べるしかない。
でも行ったことがあるからといって、調べないのも危険ではないのかな、と思っています。たとえばわたしは福岡で1歳から育っていますけれど、とんこつラーメンって、すくなくともわたしの身の回りでは、3度の食事として食べるものではありませんでした。食事のあいだや、お酒を飲んだあとの深夜や徹夜明けなど、小腹がすいたときに食べるものであって。だから大学を卒業して会社員になって、本州の人に「お昼はラーメンにしよう!」と、とんこつラーメン屋さんに連れていかれたときには心底驚きました。そして同じ人に「これがいちばんおいしいとんこつラーメン!」と連れていかれたお店のラーメンは、わたしが見たこともないとんこつラーメンでした。
実際にその土地に行くのがいちばんいい、とは思っています。でも時代が違えば食べ物は違ってくるし、ほんのすこし場所が違うだけでも食事への向き合い方は変わってくる。そこのところは謙虚に、自分の知識に頼り切らずに調べていくのは、とても大事なことだと思っています。
あ、それで、Mehlsuppeのことです。戦争が終わったあとの、ある日の朝。エネがおばあちゃんにお使いを頼まれます。エネがまだ朝ごはんを食べていないと言うと、おばあちゃんが、じゃあMehlsuppeを作ってあげる、と返事をするのです。そのシーンのおばあちゃんのセリフ、どう訳そう、と悩みました。
独和大辞典には、Mehlsuppeは「小麦粉でとろみをつけたスープ」とあります。よくわかりません。どんなスープだろう、どう訳せばいいんだろう。シチューかなぁ、という感じ。そこでGoogle検索をしました。こんな感じです。リンクを開いていただくとわかるのですが、レシピなどに添えられている画像は、明らかにシチューではありません。でも、この検索結果で注目したいのは、右上に「こちらを検索しますか」と表示されている「Gruel」のかこみ。これをクリックしてみます。
それがこちら。すると、さらに右上のほうに、英語のWikipediaの、Gruelの説明の日本語訳。「粥は、オート麦、小麦、ライ麦、米などのある種の穀物を、水または牛乳で加熱または煮沸した食品です。それは、食べるよりも飲むことが多いお粥のより薄いバージョンです.歴史的に、おかゆは、特に農民にとって、西洋の食事の主食でした。」と表示されています。
つまり、Mehlsuppeというのは、おしん(すみません、若い方はわからないかも)の「大根めし」みたいなもの? それでも、Gruel=Mehlsuppeでいいのか、いまひとつ確信が持てません。そこで、もうひとステップ。Wikipediaの、英語のGruelのページに行き、そこから、ドイツ語のページを開くと、見出しに「Mehlsuppe」の文字。残念ながら、日本語のページはありません。
でも、もうひと押し、確認したいな、と思って、こんどは「Mehlsuppe」と、食糧難を意味する「Hungersnot」で検索してみます。Google検索の最上位にヒットするのって、なにか作為的に上にきていることが多い…という印象があるので、わたしはすこし下のほうの記事を確認することが多いです。ここでも7番目くらいにあがっているこちらを確認。ページ内検索で「Mehlsuppe」を探してみると、コメント欄に、祖父の第二次世界大戦後のエピソードとして「Zu Essen gab es vergammelte Kartoffe, Mehlsuppe und Äpfel.(食べ物としてあったのは、かびの生えたじゃがいも、Mehlsuppe、りんごでした[原文のままですが、たぶんKartoffeはKartoffeln(じゃがいも)のこと)])」と書かれています。ほかの記事でも似たような感じ。
ですから、Mehlsuppeというのは、質素な食事の代表格らしい、というのがわかります。「シチュー」と訳してしまうと、日本の読者の脳裏には、洋食のすこし豪華なイメージが浮かんでしまいそうです。ですからこの訳語は使えません。かといって「小麦粉のスープ」ではなんのことだかわかりませんし、独和大辞典の「小麦粉でとろみをつけたスープ」は、なんだかもたついた感じでセリフとして使いにくい。それに具がいろいろと入っていそう。
さてどうしようかな、というわけで、こんどはレシピを確認してみることにしました。またGoogle検索をした最初のページからドイツ語のクックパッド的サイト、ChefkochのMehlsuppeのレシピにいってみます。
材料は、牛乳500ml、小麦粉20g、砂糖大さじ1、塩ひとつまみ。
それだけ?というシンプルさ。牛乳100mlと小麦粉20gを泡立て器でよく混ぜておいて、塩ひとつまみを入れた牛乳400mlを沸騰させてそこに加える。あれ、砂糖は? なのですが、お好みでと書かれています。
でも、あのシーンの戦後の時期、牛乳も十分には手に入らなかったかもしれない。水にすこしの小麦粉、塩ひとつまみ。それだけのスープの可能性も。日本の洋食風の、どこか贅沢なイメージの言葉にすると、この雰囲気は伝わらないかも。それでもこの料理は、おばあちゃんの心づくしだったはず。かんたんな料理の名前にするよりも、すこし説明的に訳したほうがいいかもしれない、そう思いました。セリフとして、なるべく自然になるように。
それで最終的には、
「じゃあおいで 小麦粉を溶いた スープをつくって あげよう」
と訳しました(スペースは吹き出しの中の改行)。
これでよかったのか、これがいちばんいい訳だったのか、迷いがまったくないといえば、嘘になります。Mehlは、穀物の粉は、小麦粉ではなかったかもしれない。でも、いろいろと頭をひねってみて、これが着地点として最善なのではないのかな、という訳でした。
そしてこれが、『月刊 学校給食』の記事で、「食糧逼迫の飢餓状況」の中で「おばあちゃんが小麦粉を溶いたスープを作ってくれる」と、紹介されていたのです。
ああ、伝わったんだな、と思いました。すくなくとも、あの訳は、洋食屋さん的な贅沢なニュアンスではなく、質素な食事を表すものとして伝わったんだ、と、ほっとしました。涙が出そうになりました。
訳者っておこられるばかりで、どうすればいいんだろうと悩みに悩んだ末の訳のほうが、結果として自然になって、読み流されてしまうような気がします。あれでよかったのかな、と思っても、そういうところが多すぎて、いちいち聞いてみるわけにもいかない。ですから、ああ、伝わったんだ、という安心感は、もうほんとうにうれしかったのです。
ところで、本書に登場するもう一つの料理、「Bluetten aus Kartoffelschalen(じゃがいもの皮でつくったステーキ)」の訳語についても、説明するとうんと長くなってしまうのですが(こちらは原作の小説のシーンとのかねあいで訳語を決めたこともあり…)、今回はここまでにしておきます!
最後まで読んでくださって、ありがとうございました。
『月刊 学校給食』の記事にもありましたけれど、いま戦火の中にあるウクライナをはじめとする地域では、エネのような子どもたちはなにを食べているのだろう、と思います。子どもたちに十分な食事を用意できない大人たちの気持ちを考えると、胸が痛くなります。どうか、1日も早く戦争が終わりますように。
そして、『少女が見た1945年のベルリン』をとりあげて、すばらしい記事にまとめてくださった石子順さまに、改めてお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
