AIアイドルは成立するか 『イン・ザ・メガチャーチ』を読んで
アイドルオタクによる読書感想文
朝井リョウさんの「イン・ザ・メガチャーチ」を読み終えました。
あらすじ
推し活を巨大な教会(メガチャーチ)になぞらえ、「物語」という名の信仰を描いた小説です。あるアイドルグループの運営に参画する男を軸に、仕掛ける側、のめり込む側、その周辺で揺れる側と、立場の異なる人々の視点で進んでいきます。事実と解釈、連帯と暴走、幸福と中毒。呑むか、呑まれるか。
振り返ればモー娘。から始まりAKB48やももクロ、でんぱ組・PASSPO☆・ベイビーレイズ・アイドルネッサンス・清 竜人25などなど。全てを全力で追ってきたわけでは無いですが、アイドル戦国時代全盛期とともに青春を過ごし、多くのアイドルを観てきたと思います。SMAPもTOKIOもV6も嵐も、w-inds.やLeadやWaTなんかも音楽番組で観ながら育ってきた世代です。
そして近年はMidjourneyの画像生成AIの衝撃に始まり動画生成AIへと技術の進歩が目覚ましく、生成AIにもどっぷりハマってきました。アイドルオタク兼生成AIオタクの私としては、読み終えてからしばらく、つぎの問いが頭から離れませんでした。
AIアイドルは、成立するか
画像生成から動画生成、そして音楽生成へと技術が進む中で、SNSでは「AIアイドル、プロジェクト始めました」という投稿をたまに見かけるようになりました。綺麗なビジュアルの人物を生成し、それを動かして歌もつけられる。歌って踊るパフォーマンスは、パッと見はアイドルのように見えます。
でも…と私は思います。
歌って踊ることを持ってして「アイドル」だと認識しているうちは、本当のアイドルは生まれないのではないか、と。少なくとも、今そういう認識でAIアイドルを作ろうとしている人たちからは、アイドル的なものは生み出せないのではないかなと。
アイドルは「偶像」や「崇拝の対象」と訳されることがあります。そしてその人気の根幹にあるのは、いつの時代も「共感」と「物語」。そこに「応援」が加わってアイドルが作り上げられていくのだと思います。
求められているのは完璧なビジュアルでも滑らかなダンスでもありません。その境遇に共感し、そのアイドルという人生の物語にオタク仲間と一緒になって熱中してしまう。そして、つい応援したくなってしまう人柄だからこそアイドルたりうる。その要素を抱えていないところに「アイドル」は生まれない、と思います。
AIアイドルに、物語はあるか
AIアイドルを”制作する側の人間”には、物語があります。試行錯誤の苦労、うまくいかなかった失敗、映像を世に出すまでの道のり。それは紛れもなく一つの物語です。画像生成や動画生成で思った通りの出力が出来上がるまでの試行錯誤は忍耐と調整の繰り返し。地道な作業です。
けれど、AIアイドル自身に物語があるわけではない。だから、もし崇拝されるものがあるとすれば、それは生成されたAIアイドルそのものではなく、その作り手の熱量や思想のほうなのかな、と思ってしまいます。私たちは、画面の中の存在ではなく、その背後にいる人間に共感している。
では「生身の人間でないものは、アイドルになり得ないのか」というと、そうとも限らない、というのが面白いところです。
■初音ミクという存在
たとえば初音ミク。彼女は生身の人間ではありません。それでも数多のファンを獲得し、VOCALOIDという文化を形成し象徴しています。ある種の崇拝対象になっていると言ってもいいと思います。
元はといえば一つの「バーチャル・シンガーソフトウェア」のキャラクターでしかありませんでした。けれどそこに多くのボカロPが名曲を作り上げ、映像クリエイターが力作のミュージックビデオを作成し、そしてファンが集まり広がっていく。音楽や映像の作り手のファンであるという要素も含めつつ、作り手と受け取り手の立場を入れ替えながら、物語を編み上げ続けて現在につながっています。
初音ミク自体には意思も成長も努力も挫折も葛藤もなく、アイドルに必要な「共感」も「物語」もありません。ソフトウェアのパッケージにデザインされたイラストです。しかし、曲によってその心情が描かれたり、MVの中で2D/3Dで動き回るその姿に感情を揺さぶられたりと、多くのクリエイターによって初音ミクの一面が構成されてきました。作り手と受け手の様々な感情が撚り集まった物語です。
ここに、今のAIアイドルとの決定的な差があります。
物語は、最初から「持たせる」ものではなく、後から「宿る」もの。それはアイドル自身が見せる努力や苦悩や葛藤だったり、初音ミクのように多くのクリエイターが関わることによって醸成された物語。多くの場合、作り手や演者側のみで完結するものではなく、アイドルとファンという作り手と受け手との往復のなかで初めて立ち上がるものです。初音ミクが証明したのは、非生身でも偶像になれるという事実であると同時に、偶像になるには物語の共同制作という長い時間が要る、という事実でもあります。
きれいな人物を生成して歌わせた踊らせただけでは、その物語はまだ始まってすらいない、と言えます。
■immaとVTuber
もう少し、生身ではない存在のアイドル性について考えてみたいと思います。
たとえば、ピンクの髪の毛が印象的な「imma」。
Aww Inc. が手がける日本初のバーチャルヒューマンで、ピンクのボブが特徴のCGモデルです。生身の人間ではないのに、SK-II や COACH、PUMA といった一流ブランドの広告に起用され、Instagram のフォロワーは100万人を超えています。
あるいはVTuberなんかもガワとしては生身の人間では無いにも関わらず「アイドル」的な要素を抱えています。バーチャルの姿をまといながら、にじさんじやホロライブのような巨大なファンダムを築き上げました。
見た目が生身でなくても、人はちゃんとファンになる。これは初音ミクだけの例外ではなく、もう一つの現実です。「だからAIアイドルも成立する」と言われたら、簡単には反論できません。しかも Aww は、NVIDIAと提携してimmaを自我を持って話す「AI imma」へと進化させようとしている。完全なAIアイドルは、もう目の前まで来ているようにも見えます。
けれど、彼らをよく見ると、あることに気づきます。
immaの言動も世界観も、背後にいる Aww という制作チーム、つまり人間が設計し、運営しています。私たちが惹かれているのは、突き詰めれば、その作り手たちの美意識や思想です。VTuberにいたっては、ガワこそバーチャルですが、中にいるのは生身の人間です。配信での失敗、こぼれる感情、少しずつの成長。あれは人間の物語そのものです。だからファンは共感する。AdoもClariSも数多の歌い手も実像が見えてなくてもそのパフォーマンスや人間性、小さなステージから大舞台へ駆け上る物語に魅せられていたのだと思います。
つまり、immaもVTuberも、超えたのは「見た目が生身でなくてもいい」というラインだけ。超えていないのは、「物語の源泉が人間である」というラインです。彼らはむしろ、アイドルには人間の物語が要る、ということを証明しているようにも思えます。
なぜ人は、没頭できる
何かを探すのか
ここで「イン・ザ・メガチャーチ」の話に戻ります。この小説が描くのは、推し活がまるで宗教のように人をのみ込んでいく構造でした。
明日の寝床や食べるものを心配する。そういった生きることへの危機感と隣り合わせにない時代に私たちは生きています。だからこそ、何か熱中できるものはないかと常に探してしまう。そして熱中できるものがないと、自分は他人と比べて何かが欠けているのではないか、という錯覚にとらわれてしまう。
新興宗教でも、アイドルでも、スポーツでも、政治活動でも、目印アクセサリーでもいい。何か熱中できるものが欲しい、そこに没頭していたい。人生を賭けるほどの何かを見つけた人が羨ましい。そんな感情が現代の社会に蔓延っているからこそ、一歩間違うとその熱中が泥沼のように思わぬ方向に自分を連れて行ってしまう。資本主義社会の様々な広告宣伝の中で「没頭できるものがあること=幸せ」という価値観に染まってしまっているようにも感じました。
去年のM-1で、ドンデコルテが見せたネタを思い出します。
この現実を直視する勇気など無い
五里霧中?望むところ、できるだけ厚い霧に包まれていたい
スワイプ、スワイプ!現実をスワイプ!
銀次さんが語ったあの言葉は、現代の悩みを解消する救いの言葉のようにも思えるし、しゃべりも相まってとても教祖感にあふれていました。共感と信仰の対象になるには、十分すぎる説得力がありましたね。
没頭していれば自ずと視野は狭くなり、周りがだんだんと見えなくなります。苦しい現実や目を背けたい事実から逃げることができる。没頭することで人は悩みや苦しみから解放されたいのかも知れません。
■正解は、ひとつではない
物語の中で印象的だったセリフです
「これまでは、間違いさえしなければ、何となく正解の部屋に入れました。でも今は正解の部屋自体がないから、たとえ一つも間違わないでいたとしても、ただ”間違わなかった人”になるだけなんですよね。そこには何の加点もない。だからもう何をするにも、自分はこうやって間違うって腹決めて脳みそ溶かして動くしか無いんですよね。寧ろそうしない限り、結局何も」
真実はいつもひとつ、かもしれないですが、正解はその限りではありません。ある側面から見れば不正解に見えることでも、別の側面から捉えれば正解にもなりうる。何を見て、何を信じるかによって、同じ事象でもその意味は大きく変わります。
信じるものが違えば、争いが起き、衝突してしまうこともあるでしょう。それでも私たちは、何かを信じることをやめられないのだなと。神でもアイドルでも自分自身でも、なにかを信じて決断する。決断するための判断基準が欲しいのです。
行動するのも決断、行動しないのも決断。そして決断しないのも決断。
全てに正解することはできません。
不正解を避けて生きるとは、結局、何も選択しないこと。失敗しないための唯一の方法は、挑戦しないこと。けれど、挑戦しなかった人生が成功だったかどうかは、終わってみないと分からない。
AIアイドルは「成立しない」
と言ってみる
冒頭に掲げた「AIアイドルは成立するか」というお題をディベートとして捉えた時に、論じるならばどちらかの立場を取るしかありません。一方が正しくて一方が間違い、ということはなく、どちらの主張がより相手を納得させるかの戦いでしかない。
その前提で私は「AIアイドルは成立しうるか」という問いに対して「成立しない」という立場を取ってみようと思います。
理由は、ここまで書いてきた通りです。アイドルの根幹は共感と物語であり、それは技術で生成できるものではない。immaもVTuberも非生身でファンを獲得していますが、その背後には必ず人間の物語がありました。中身までAIにしたとき、その源泉は消えてしまう。物語は持たせるものではなく宿るもので、宿るには受け取り手との長い往復が要る。きれいなビジュアルを動かして歌わせることは、その出発点ですらない。
ただ、これは現時点での話です。初音ミクが示したように、あるいは Aww が目指す「AI imma」のように、もしAI自身がファンとの往復のなかで物語を宿し、傷ついたり迷ったりする主体になっていったとしたら。そのとき、「物語の源泉は人間である」という私の主張の論拠は崩れます。そして私は、自分の立場を負かしにくるその主張に、きっと心の底では少しだけ期待しているのかもしれません。
なんなら未来の私が「AIアイドルは成立しない」という主張を論破する事を期待して、これからも最新のAI技術の一挙手一投足に注目し、没頭していきたいと思います。



サウスさん、
オタクとして興味深いお話ありがとうございます。これは「成立する」の定義次第かなぁと思いました。
一人でもいいから、「アイドルとファン」という関係性が成立すればOKなら、既にAIアイドルは「成立」していると思います。たとえば、「イマジナリーパートナーの延長線上で、自分の理想の相手をAIで作り毎日チャットしてニヤニヤする推し活」これはもう技術的に可能ですし、やっている人います。
ファンが数万人にならないと、国民的アイドルと言えない、それをもってはじめて「成立する」と定義するなら、これからチャレンジされる領域ですね。初音ミクみたいに、個の人格が固定してないのにアイドルになっている存在もあるので、可能性はあるけど、再現性がないかも、と思っています。
(オタク早口失礼しました)
AIの話なのに、最後めちゃくちゃ"発信"の話だなと思って読みました。この切り口含めて面白いなと!
「偶像はファンとの往復で初めて立ち上がる」「物語の共同制作には時間が要る」、ここニュースレターやってる身にもまるっと刺さります。きれいな見た目を生成しただけじゃ物語は始まってすらいない、という一文、保存しました!