琴の歴史
琴は中国最古の弦楽器として古代中国に誕生し、3000年以上の歴史を有しています。漢代には古い史料に基づき、伏羲(神話時代の神)や神農が琴を作ったという説が伝えられており、『琴操』には「昔、伏羲が琴を作った」と記されています。また『風俗通』(170~200年頃)には「神農が琴を作り、舜が五絃の琴を奏で南風の詩を歌い、天下が治まった」と伝えられ、比較的に信頼できる『尚書』や『詩経』にも、この種の楽器が春秋時代以前から存在したことが記されています。
さらに、春秋戦国時代の記録には、師曠や伯牙などの琴人の演奏が動物をもうっとりさせたという伝説もあり、以降、琴は詩や小説、劇などで最も感情表現に富む楽器とされるようになりました。
琴の最古の文献上の記録は『詩経』です。考古学的には、2016年5月に湖北省棗陽県で発見された、春秋時代の曾国の貴族・旁晨墓から出土した約2700年前の七絃琴が、現存する最古の実物とされています。また、戦国の琴として、湖北省九連墩2号墓から浮彫黒漆十絃琴、曾侯乙墓から琴と似た筑と十絃琴が出土しています。七絃の琴は郭店一号楚墓から出土した戦国時代の琴と、馬王堆漢墓から出土した前漢の琴がありますが、全長60~90cmあまりのもので、現在の琴よりも小さいです。

湖北省棗陽県郭家廟86号旁晨墓出土

湖北省隨州擂鼓墩1号曾侯乙墓出土

湖北省荆門郭店1号墓出土

戦国中晩期・浮彫十弦琴 湖北省博物館所蔵
湖北省棗陽九連墩2号墓出土

湖南市長沙馬王堆3号墓出土
東晋の顧愷之(348年-409年)が描いた『斲琴図』によると、遅くとも晋以降には、現在と同様の約120cmの琴が出現したとされています。台北の故宮博物院には唐の時代に作られた「春雷」という琴を所蔵しますが、この琴は天下第一の琴と呼ばれます。「九霄環佩」という唐の至徳元年(756年)に作られた琴は、北京の故宮博物院ほかに4面が現存し、いずれもほぼ同じです。

琴の構造
琴の構造は、最初は五絃であったようです。そして周代(紀元前11世紀の頃)の文王と武王がそれぞれ一絃ずつ加え、七絃とし、漢代末に定型化し楽器として完成され、思想性も備わり、その後は現代に至るまで長い間、殆ど変化することなく伝えられています。


琴の形態的構造は陰陽五行説に基づいて定められ、各部の寸法、その形状は宇宙を象徴的に表わしています。
全体の長さは三尺六寸五分(約120cm)で、一年の日数。肩部分の幅は六寸で六合(天地と東西南北の四方)。腰部分の幅は四寸で四時(春・夏・秋・冬)。絃の本数は、五絃(文武二絃はオクターブ)で五行(木・火・土・金・水)。
琴の面板(上部)は半円をなして天を表し、底板(下部)は平たく方形にして地を表します。材料は普通、上部には青桐、杉などが用いられ、裏面には梓が用いられ、これを張り合わせ、共鳴箱を作り、全面に漆が塗られます。筝(こと)のように琴柱(ことじ)はありません。その代わりに絃を押さえる『徽(き)』という勘どころがあり、全部で十三の貝殻あるいは金や玉などが埋められていて、それは一年十二ヵ月と閏月が意味されています。
琴の絃は伝統的には絹糸ですが、現在、氷絃やスチール芯のナイロン絃も用いられます。
基本的な斵琴法則に従って作れば、どんな琴でも、たとえ現代の新しい琴でも太古の遺音を得ることができるといいます。
楽譜
七絃琴の楽譜には、古くは文章で記述された「文字譜」と、唐代に成立した「減字譜(げんじふ)」の二種類があります。
文字譜の孤本として現存するのが、漢代の蔡邕(133–192)が著した『琴操』に収められた『碣石調幽蘭第五(けっせきちょうゆうらんだいご)』です。これは孔子の作と伝えられ、現在は東京国立博物館に所蔵され、国宝に指定されています。
この楽譜の冒頭にある小序によれば、「丘明は会稽の人であり、梁の末期に九嶷山に隠遁しました。楚の調べにおいては妙を極め、とりわけ『幽蘭』の一曲においては卓越していた」と記されています。つまり、この曲は南北朝・梁朝(502年–557年)の琴人・丘明によって伝えられたもので、原譜は唐代の写本です。女帝・武則天の治世(7世紀)に遣唐使が日本へ持ち帰ったとされ、もともとは京都・西賀茂の神光院に所蔵されていました。
「碣石調」は旋律の形式を指し、その起源は相和歌の瑟調曲『隴西行』にさかのぼります。一方、「幽蘭」は楽曲の主題を示しており、深山幽谷に咲く蘭の花を通して、文人や隠士の高潔な思想を象徴的に表現しています。
唐代以前の琴譜はすべて文章で記述されていたため、一つの奏法を説明するのに一文を要し、少し長めの曲になると譜は非常に煩雑となりました。そのため、「その文、極めて繁し。しばしば二行を越えても一句にならず」(『太古遺音』)と評されています。こうした不便さから、唐代の琴人たちは譜の簡略化に努め、最終的に盛唐の曹柔によって「減字譜」が完成されました。

(東京国立博物館所蔵、国宝)
減字譜は多数伝わり、現存する琴譜は150部以上あり、3300曲以上の琴曲が収められています。
南宋の『白石道人歌曲』に収められている『古怨』は、現存する最も古い減字譜です。これは、南宋の姜夔が、古代の側商調の探求のために作曲した琴曲だそうです。

また、明の創立者、朱元璋の十七子、寧王朱権編『神奇秘譜(しんきひふ)』明・洪熙乙巳年(1425年)が代表的な琴譜で、最古の減字譜集です。

琴の流派
七絃琴の流派概要
古琴の流派とは、長い歴史の中で、地域、師弟関係、楽譜の伝承などの要因により形成された、共通した芸術的特徴を持つ琴家のグループを指します。
各流派は演奏技法、音色の特色、代表的な楽曲などにおいて独自のスタイルを持ち、古琴芸術の発展を反映しています。
流派の形成
七絃琴の流派は主に以下の三つの要因によって形成されました。
1. 地域の影響:同じ地域の琴家交流が容易であり、演奏スタイルが似通う傾向があり、地方ごとの特色を持つ流派が生まれました。
2. 師弟関係の影響:優れた琴家の演奏理念や技法が弟子たちに受け継がれ、安定した伝承体系が形成されました。
3. 楽譜の影響:異なる楽譜の伝承により、演奏や解釈の違いが生じ、最終的に異なるスタイルの流派が確立されました。 唐代にはすでに琴学のスタイルに関する記録が残っています。隋唐時代の趙耶利は以下のように述べています。
呉地の音:
「清婉,若長江廣流,綿延徐延,有國士之風。」
蜀地の音:
「躁急,若激浪奔雷,亦一時之俊。」
また、北宋時代には京師派が現れ、南宋時代には浙江派や江西派などが発展しました。記録には京師派について「急若繁星而不亂,緩若流水而不絕。」とあります。
明代には、江蘇・浙江・福建の琴風が特に目立ちました。劉珠は以下のように記しています。 「習閩操者百無一二,習江操者十或三四,習浙操者十或六七。」 明末から清初にかけて、虞山派、浦城派、川派、燕山派、梅庵派、嶺南派、広陵派、諸城派、九嶷派などの重要な琴派が形成されました。
主要な古琴流派
年代順
浙派
成立時期:南宋末期
創始者:郭沔(楚望)
特徴:流れるように清らかで穏やか
代表的な人物:郭楚望、毛敏仲、徐天民
代表曲:『瀟湘水雲』、『漁歌』、『樵歌』、『胡笳十八拍』
虞山派(熟派)
成立時期:明末
創始者:厳天池
特徴:清微で淡遠、中正で広和
代表的な人物:厳天池、徐上瀛 代表曲:『秋江夜泊』、『良宵引』、『瀟湘水雲』
広陵派
成立時期:清代
創始者:徐常遇
特徴:中正、抑揚に富み、自由で悠遠 代表的な人物:徐常遇、秦維翰、黄勉之
代表曲:『龍翔操』、『梅花三弄』、『平沙落雁』、『瀟湘水雲』
浦城派
成立時期:清代
創始者:祝桐君 特徴:指使いが細やかで、洒脱で疾走感がある
代表的な人物:祝桐君、許漁樵、張鶴
代表曲:『漁樵問答』、『平沙落雁』、『陽関三畳』、『石上流泉』
川派(蜀派)
成立時期:近代
創始者:張孔山
特徴:峻急で豪快、壮大な気勢 代表的な人物:張孔山、顧梅羹、査阜西
代表曲:『鳳求凰』、『流水』、『酔漁唱晩』
諸城派
成立時期:清代
創始者:王溥長、王雩門
特徴:清らかで淡遠(溥長)、華やかで繊細(雩門)
代表的な人物:王溥長、王雩門、王燕卿
代表曲:《長門怨》《陽関三畳》《関山月》
梅庵派
成立時期:清代 創始者:王賓魯(燕卿)、徐立孫
特徴:流れるように歌うような演奏、華やかで繊細、吟猱の幅が大きい
代表的な人物:王燕卿、徐立孫、王永昌
代表曲:『平沙落雁』、『長門怨』、『秋江夜泊』、『搗衣』
嶺南派
成立時期:清代
創始者:黄景星
特徴:清らかで淡雅 代表的な人物:黄景星、李宝光、楊新倫
代表曲:『懐古』、『玉樹臨風』、『碧澗流泉』、『漁樵問答』、『鷗鷺忘機』
流派の発展傾向
現代の通信技術の発展により、琴家は異なる流派の技法を地域を越えて学ぶことが可能になりました。その結果、流派ごとの明確な境界は次第に薄れ、演奏スタイルはより多様で融合的になっています。多くの現代の琴家は、各流派の精髄を取り入れながら独自のスタイルを確立し、古琴芸術は伝統を守りつつも進化し続けています。
時間
予約制
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