新宿の歩行者天国を楽しんだあと、子どもと数寄屋橋交差点の駐在所のところで待ち合わせをし、日比谷でランチをとった.
待ち合わせをしている間、銀座協会の前にあった平和生命で顧客管理のアルバイトをしたことを思い出した.
大学4年の最後の冬休み、まだ就職先が決まっておらず、留年を頭に描いていたが、平和生命の人事部長と話しているうちに、「特別に子会社の入社試験を受けさせてあげる」という話になり、ひとり、テストを受けた.
英語は普通によくできた. 国語はまあまあ. 問題と思われた数学は、数IIIのまでの問題で全部解くことができた. とてもラッキーだった. 専攻が文系だったので大学4年間何もしなかったのに、本当にラッキーだった. あとから聞いた話では、入社した中でトップだったとのこと.
浪人のとき、銀座風月堂ではじめてウェイターのアルバイトをした. しかし、大学生ばかりで引け目を感じ、肩身が狭く、2週間で折れてしまった.
大学生になってからは、築地の魚屋さんで銀座・日本橋方面に魚の配達をするアルバイトを2ヶ月した. 魚は日劇や帝国劇場、ガード下のパスタ屋さんなどに配達した.
帝国ホテルの2F喫茶店の皿洗いのアルバイトは、パンが食べ放題で、帰りにシャワーを浴びることができ、とても助かった. そのときは、昼間、新橋の貿易会社で書類の配達をするアルバイトもしていたので、2ヶ月間、きっちり稼ぐことができた.
アルバイトといえば、夕方、関内駅の近くの曙町の四角で立ちんぼをしていると、業者が声をかけてきて、そのあと、マイクロバスに乗り込み、山下埠頭に停泊している貨物船のしごとに連れて行ってくれた. 仕事は、カートンや重油ドラム缶の積み下ろし、荷物を固定する仕事だった. とても金になったが、疲れるし、危険だった.
衝撃を受けたのは、新宿伊勢丹のお中元の包装アルバイト. ランチのとき、女子社員がぷかぷか煙草をふかしている姿には、とても衝撃を受けた.
このほか、東京駅の近くにある東京電機で入札の書類を市役所や区役所にもっていくアルバイトや、新橋駅近くの日新で東京税関に書類を持ち込み、通関許可を得るアルバイトもした. 日新の方には、帰りに飲みに連れて行ってもらい、就職の誘いもして頂いた.
人生は想定外の展開をした. 学校の教師になるつもりが、英語を使う海外旅行の添乗員が気楽でいいのではないかと思ったが、結局、コンピュータプログラマ、SEになり、徹夜〜徹夜か歌舞伎町の酒浸りに疲れ果て、7年で転職することになった.
転職後、開発部門のスタッフ業務を4年、そのあと上司が人事部長になったのを機に商品企画部に移してもらい、メジャーでない商品を担当させられ、泣き.
しかし、100億円使ったところで金欠になった商品開発の再企画の話が舞い込み、無事、50億円の追加予算を獲得. これで評価が高まり、サンフランシスコ〜ロサンゼルスツアーのご褒美がもらえた. このツアーパッケージはJAGAT主催で、通訳付、大型バス付だった. しかも、通訳がついた. 通訳付はこれが最初で最後だった.
これを機に、シリコンバレー企業との共同開発商品の企画・開発推進を担当することになり、英語漬け、頻繁な海外出張が続いた. 良かったのはUAのビジネスクラスだったこと以外、何も思いつかない.
体力はあったが、年4回・2週間の海外出張、F2F会議、電話会議・・・と自分の英語力を超える量がドッと押し寄せてきた. Adobe、Apple、Micron・・・西海岸だけでなく、東海岸やシンガポールなど対象エリアは広がった.
「英語を使うしごと」はずっと前に思っていたことと違った. つまり、もっと勉強しておくべきだった. 後悔先に立たず.