anond.hatelabo.jp
いるよ。完!
30~50代の女性が主人公、および脇役の作品は、なんていうか数えるのもめんどくさいくらいたくさんあるので(そこらへんを主人公にした小説、漫画、映画などたくさん)このコメントをした人の観測範囲が狭い。
で終わっていい話なんだけれども、まあ、それだけではない色々があるので、その色々をかくよ。
妙齢の女性を描く際には、『妙齢の女性』という属性が付く
妙齢の女性が主人公の場合、主人公には2通りあって
何者かである
何者でもない
の2種類だ
前者は、科捜研の女であったり、洋ドラの主人公たちであったり、プラダを着た悪魔であったり、女海賊であったり、医者Xであったり、まあ、いろいろだ。職業物であり、そして、『男性』としても物語は置換可能だ。
そして、もうひとつ
何者でもない
場合
実はこれが「マンガに『おばさん』が少ないことに気づいた」問題の本質であると思う。
これが『おばさん』が社会にとって透明化されている、ということだ。
なぜ『おばさん』が社会にとって透明化されるのか。
それは、ずっと長い間『おばさん』には、『おばさん』としての役割が与えられていて、それは、社会で『透明であるべき』という役割だった。ここでいう社会とは、男社会であり、物語を持つ社会であり、語られる社会である(それ以外の『生活』では、彼女たちは顔を持ち、キャラクターを持つ人間であり、あったのだけれども、その社会は長い間『物語』を与えられてこなかった)。
なので、今(はそうでもないけれども、すこし前)は何者でもないおばさんの物語は、まず、何者でもないおばさんが、物語を獲得する、ところから物語が始まる。それは不倫であったりもするし、殺人事件であったりするし(OUT_(桐野夏生)はその典型であり、名作なのでできれば読んでくださいね)、莫大な借金であったり、とにかく、そういうところから物語は始まる。そして、大多数のおばさんが、『物語を持たない』存在として、この日本社会には存在しているからこそ、おばさんが物語を獲得する、という物語が、文学性を持ち得ているのだ。
そして、はい、ここからが、「マンガに『おばさん』が少ないこと」につながるのだけれども、上記の例は、『おばさんが物語の主人公になる』場合で、脇役で登場する場合はそうはいかない。おばさん、というデフォルトの設定では、『彼女たちは物語を持っていない』のだ。
物語をもっていないので、主人公に影響を与えることがない、登場人物、脇役としての力が弱い。
そこらへんが、この増田が「マンガに『おばさん』が少ないことに気づいた」と思ってしまった理由だと思う。
これが、おじさんの場合、逆に「今までの人生で物語を持ってこなかった」という『特殊な人間』の物語になる。
(本当はそんなことなくて、物語を持たないおじさんは世の中にたくさんいるのだけれども、(『男性』社会(つまり上記で描いた、物語を持つ社会)からオミットされている男性))
最終兵器黒沢、とかそういう物語だった。まず、主人公が物語を持たない。ということ自身が、物語性(文学性)を持っていた。
これ以上踏み込むとややこしいジェンダー論になってくるので(すでになっている気がするけれども)いったんここらへんで。