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マガジン一覧

命と真実

なぜ救われなかったのか。 なぜ見落とされ、なぜ真実が消されていくのか。 殺人、冤罪、事故、災害、死刑、未解決事件——。人の命に関わる現場で見てきた「事実」と「証拠」を記録するシリーズです。

対馬丸とボーフィン 生存者の証言と2隻の今

真珠湾の明るさ椰子の葉が、ハワイの風に揺れていた。 観光客で賑わうワイキキビーチから42番の市バスに揺られ海岸沿いを走る。 やがてバスは市街地を抜け、緑多い地域に向かっていた。 「Arizona Memorial」(アリゾナ・メモリアル)の案内音声を聞いてバスを降りた。 パールハーバー。 ハワイアンブルーの海面に真っ白な建物が浮かんでいる。 まるで「箸置き」のような形をしているその下には、戦艦アリゾナが沈没している。アリゾナ記念館だ。 周辺の海面には油膜が広がっている。8

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愛する人に、遺書しか残せなかった時代——白いマフラーと特攻隊員の婚約者

はじめに いまなら、別れの言葉はスマホに残るのかもしれない。 LINEの短い文字か。 消されたSNSのスクショという痕跡か。 あるいは、送信できないまま残った文章かもしれない。 だが、戦争中の若者が愛する婚約者に残せたものは少ない。そして、ある者は「遺書」だった。 白いマフラーを巻き、特攻機に乗って飛び立った男がいた。 その帰りを、待ち続けた女性がいた。 人が人に「死んでこい」と命じた時代の悲劇だ。 若い命を兵器として消耗させた、むごい作戦の裏にあった事実だ

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時効を潰したかった。——公訴時効廃止まで、私が見た遺族と報道の現場

※この記事は有料の講義記事です。事件報道の現場で、記者が何を見て、何に違和感を持ち、どう伝え続けたのか。今回は、公訴時効が廃止されるまでの報道の流れを、私自身の取材体験から振り返ります。 なお、この記事の売上金は今後の取材に活用されます。 許せない事件として、いまも思い出すものがある。 城丸君誘拐殺人事件だ。 北海道で起きた事件である。私は週刊誌時代からテレビ局記者までの間、長くこの事件に関わった。 1984年。 札幌市豊平区の雪がちらつく1月の朝、9歳の城丸秀徳君が、自

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「あなた、本当に人を殺したんですか?」——ブラジルで見つけた強殺犯

note有料長編・再編集稿 (売上金は取材費にさせて頂きます) 「あなた、本当に人を殺したんですか?」 地球の裏側で、私はそう尋ねていた。 日本から1万8000キロ。 ブラジルの山間にある小さな町だった。 ゴツゴツとした石畳の道。低い建物が並ぶ通り。 空は抜けるように青く、風だけが妙に冷たかった。 目の前にいる男は、静岡県浜松市のレストラン店主殺害事件で、強盗殺人容疑により国際指名手配されていた日系ブラジル人、アルバレンガ・ウンベルト・ジョゼ・ハジメ。 私はその男

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日本軍が踏み込んだ先に

日本は、突然焼け野原になったのではない。隣国の王宮へ踏み込み、満州へ進み、中国大陸で戦火を広げ、資源を求めて南へ向かった。日本軍が外へ広げた戦争は、やがて日本の舞い戻り、罪なき民間人の命まで奪っていく。加害の歴史を見ないまま、敗戦の悲劇だけは語れない。現場取材、証言、史料から、日本が「焼け野原」へ向かった道をたどる。

対馬丸とボーフィン 生存者の証言と2隻の今

真珠湾の明るさ椰子の葉が、ハワイの風に揺れていた。 観光客で賑わうワイキキビーチから42番の市バスに揺られ海岸沿いを走る。 やがてバスは市街地を抜け、緑多い地域に向かっていた。 「Arizona Memorial」(アリゾナ・メモリアル)の案内音声を聞いてバスを降りた。 パールハーバー。 ハワイアンブルーの海面に真っ白な建物が浮かんでいる。 まるで「箸置き」のような形をしているその下には、戦艦アリゾナが沈没している。アリゾナ記念館だ。 周辺の海面には油膜が広がっている。8

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日本は朝鮮に何を残したのか――王宮を襲った国は、やがて監獄を建てた

ソウルの冬、西大門刑務所跡 ある年の冬、私はソウルにいた。 頂に白い岩肌を見せる山の麓に、赤茶色の煉瓦塀と古い建物が並んでいる。 西大門刑務所跡。 現在は歴史館として公開されているが、もとは日本が「京城監獄」として開いた施設である。 日本統治時代には、独立を叫ぶ人々がここに収監された。 解放後の韓国でも、軍事独裁政権の時代には民主化運動家たちが入れられたという。 つまりここは、ただの古い刑務所ではない。 国家に逆らったとされた人間たちが、時代を変えて閉じ込められ続け

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景福宮で、日本は何をしたのかーーー 王宮占領、王妃殺害、植民地化の入口

観光地の門の奥にあるものソウルへ行くたび、何度か景福宮を歩いている。 光化門の前に立つと、空が広い。 大通りの向こうに、門が正面を向いている。白っぽい石の基壇。赤い柱。青緑と朱で塗られた木組み。黒い瓦屋根。その背後に、北岳山の稜線が見える。 観光客が門の前で写真を撮っている。 若者たちが笑いながら歩いている。 スマートフォンを掲げる人がいる。 警備の交代式がある時間には、太鼓の音が響き、色鮮やかな衣装の行列が門の前を進む。 いま見れば、美しい観光地である。 しかし

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石油に飢えた国、日本 満州油田から南方作戦へ—— 軍事で資源を求めた近代史

中東が揺れるたび、日本も揺れる 中東で何かが起きるたび、日本は不安になる。 ガソリン価格はどうなるのか。電気代はどうなるのか。物流は、工場は、漁業は、暮らしはどうなるのか。遠い砂漠のニュースに見えて、実は日本の台所に直結している。 理由は単純である。 日本には自給できるほどの油田がない。 資源エネルギー庁の資料でも、2023年度の原油輸入に占める中東依存度は94.7%とされている。 9割を超える原油を中東に頼る国なのだ。 だから本来なら、政治はここから逃げてはいけない。

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教科書に書かれなかった日本

学校で習った日本史と、ニュースで見えている日本だけでは、この国の姿はわからない。 戦前の膨張、戦中の報道統制と国民動員、敗戦後の占領、検閲、基地、日米安保。 教科書では薄く流され、テレビでも深く掘られてこなかった日本の舞台裏がある。 この国は、なぜ戦争へ進み、敗戦後もなお、別の支配構造の中に置かれたのか。 資料と事実をもとに、「教科書に書かれなかった日本」をたどる。

日本がアメリカに支配されていることを、私たちは知らない ① ――教科書やニュースではわからない、日本の舞台裏

第1回 支配されていることに気づく 羽田から西へ飛べない理由 羽田を飛び立つ飛行機は、まっすぐ西へ向かえない。 大阪へ、福岡へ、四国へ、九州へ行く。東京から西へ飛ぶなら、東京の西の空を抜ければいい。 子どもでもそう思う。 ところが、この国では、それが当たり前ではない。 離陸した機体は東京湾の上で旋回し、高度を稼ぎ、遠回りをする。 東京湾を南下し、三浦半島を越え、相模灘あたりまで飛び出していく場合もある。 機内では乗客がスマホを見ている。 出張の会社員はノートパソコンを開き、

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日本がアメリカに支配されていることを、私たちは知らない②――教科書やニュースではわからない日本の舞台裏

第2回 支配の歴史を知る 第1回はこちら 鬼畜米英と教えられた国 戦争中の日本人にとって、アメリカは敵だった。 国は、新聞、ラジオを使い、あるいは学校や町内会を通して、アメリカへの敵意を国民に叩き込んだ。 鬼畜米英。 そういう言葉で、相手を人間ではないものに変えた。 子どもたちは教室で教えられ、大人たちは隣組で聞かされ、兵隊となって戦地へ送られた。 新聞、雑誌、ラジオ放送は、新聞紙法や出版法、情報局・軍などによる検閲・統制を受けた。 敵国アメリカはすべてが許されない悪い国

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日本がアメリカに支配されていることを、私たちは知らない③――教科書やニュースでは見えない、日本の舞台裏

第3回 なぜ日本はアメリカ陣営に組み込まれたのか 第2回では、戦争中の「鬼畜米英」から敗戦、占領、検閲、そして朝鮮戦争へと続く流れを見た。 そんな流れの中、日本の政治は何を選んだのか。 この回は、戦後日本がアメリカ陣営に組み込まれていく政治の道筋についてである。吉田茂が選んだ講和と安保、のちに「吉田ドクトリン」と呼ばれる路線。その先に現れる岸信介と、1960年安保を見ていく。 アメリカの支配。 それは押しつけられただけのものではない。 日本側にも、それを選び、続け、制度

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日本がアメリカに支配されていることを、私たちは知らない④――教科書やニュースでは見えない、日本の舞台裏

第4回(最終回) 制度は残り、主権は迷走 第3回はこちら 岸は辞めた。 だが、制度は残った。 日米安保も、米軍基地も、戦後保守の枠組みも残った。 そして、その制度を受け継いだ政治家たちがいた。 岸信介の孫、安倍晋三である。 祖父は基地を残し、孫は兵器を買った 岸は、安倍にとって単なる母方の祖父ではなかった。 安倍の母・洋子の回想には、1960年安保の反対デモが岸邸を取り巻く中、幼い晋三が祖父の家にいたという場面が出てくる。 家の廻りでは「アンポ、ハンタイ」の声が響き、

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伝えるという仕事

人は、何をどう伝えるのか。 取材、執筆、撮影、インタビュー、映像、報道倫理――。 「伝える」という仕事には、技術だけではなく、判断と責任がある。 記者・ディレクターとして現場で経験してきたことをもとに、ジャーナリズムと「伝える」という行為そのものを考えるシリーズです。

「伝えるという仕事」#03空気を読む力「今のお気持ちは?」が現場を壊し

※この記事は有料の講義記事です。取材・執筆・伝える仕事について、実務レベルで解説します。 空気を読む、という言葉が嫌いだった 「空気を読む」という言葉を、私はあまり好きではなかった。 その場の多数派に合わせる。上の顔色を見る。面倒を避けるために黙る。日本の組織では、そんな意味で使われることが多いからだ。 報道の世界でそれをやれば、ただの忖度になる。政治家、警察、企業、役所。自ら発信する力を持っている側の空気を読んでしまえば、記者は記者ではなくなる。 だが、現場にいると、別の

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「伝えるという仕事」#02相手の立場に気づく力 取材とは相手を守ることでもある

※この記事は有料の講義記事です。取材・執筆・伝える仕事について、実務レベルで解説します。 話を聞く前に、見るべきもの 人に話を聞こうとするとき、まず考えるのは質問だ。 何を聞くか。 どう切り出すか。 相手からどんな言葉を引き出すか。 記者なら当然考えるし、 これはまあ営業でも、交渉でも、上司への説明でも、仕事なら同じだろう。 だが、本当は質問の前に見るものがある。 この人の一番大事なものは何か? 何か、守っているものはないか? そこを見ないまま近づくと、相手は深い部分では

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#01「聞く力」は、言葉を聞くことではない 信頼は、質問する前に決まっている

この記事は有料の講義記事です。取材・執筆・伝える仕事について、実務レベルで解説します。 質問から始めるな「聞く力」という言葉がある。 相手の話をよく聞く。途中で遮らない。共感する。うなずく。相手の言葉を受け止める。 仕事術の本に書かれているのは、たいていそんな感じだ。 もちろん、それは大切だ。 だが、私が事件取材の現場で考えてきた「聞く力」は、少し違う。 事件取材は、仕事としては確かに特殊である。 聞く相手は、被害者やその家族。周辺の人々。あるいは警察や容疑者…。 そんな

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報道現場の異常

事件は現場で起きている。 だが、記者は本当に現場にいるのか。会見場、記者クラブ、発表資料、横並びの紙面。 取材の現場で見てきた小さな違和感は、やがて日本のジャーナリズム全体の構造へつながっていく。 「現場の異常」とは何か。 記者の仕事とは何か。 その足元から考えるシリーズです。

手遅れ報道——報じない罪と、書かない記者たち

火災報知器は、手遅れになる前に鳴らせ報道機関の罪というと、多くの人は誤報を思い浮かべる。 間違ったことを書いた。事実でないことを流した。誰かを傷つけた。もちろん、それは重大な罪である。 だが、報道にはもう一つの罪がある。 書かない罪である。 報じない罪である。 国民が知るべきことを知らせない。判断するための材料を出さない。権力者に聞くべきことを聞かない。問題が通り過ぎたあとで、ようやく「懸念がある」と書く。 それでは遅い。手遅れ報道である。 火事が燃え広がってから

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「喧嘩」ができない記者―― ジャーナリズムの静かな崩壊

上手に「喧嘩」ができない若い記者が増えた。 冒頭から昭和の匂いがぷんぷん漂ってしまい、書きながら恐縮している。こんなことを言えば、古い人間だと思われるのは百も承知だ。だが、今も現場に踏みとどまっている哀れな記者の遺言ぽいものと思って、少しだけ付き合ってほしい。 (実は前回の「張り込み弁当」記事はあまりに下らなかったな、という自己反省もある  笑) 私は40年以上、取材現場を踏んできた。事件、事故、災害、戦争――。1999年の「桶川ストーカー殺人事件」では、警察より先に犯

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「記者クラブ員以外、入室を禁ずる」現場の異常シリーズ②

少し前、noteに「喧嘩ができない記者」を書いた。 その中で、こんなことを少しだけ触れた。 「雑誌記者だった私は、『記者クラブに所属していない』という理由で取材拒否を受け、記者会見にすら入れてもらえなかった」 その時は、書きながら血圧が上がったからいったん止めた。 だが、冷静な今、あらためて書いてみたい。 記者会見から排除されるこの話は、1999年10月に起きた 「桶川ストーカー殺人事件」の取材で、埼玉県警上尾署に足を運んだ時のことだ。 当時、私は週刊誌記者として現場に入っ

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忖度記者     

現場の異常シリーズ③ プレスリリースと空気を読む記者          【関連②】 記者は2種類いる。 現場を踏む記者。空気を読む記者だ。 前者は靴を汚す。後者は顔色を見る。 そして、前者は人の声を拾い、後者はプレスリリースを読む。 もちろん現実の記者が、きれいに2つに分かれるわけではない。それはいささか乱暴だし、私だっていつも立派な仕事だけをしてきたわけではない。 だが、長く現場にいると、どうしても見えてしまうものがある。 なので、冒頭ではあえてはっきりと分けさせて

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現場の記憶

笑った現場もあった。 怒鳴られた現場もあった。 命が消えた場所もあった。 駆け出し時代から取材現場で見てきた、人間と事件の記憶をたどるシリーズです。

張り込み弁当という戦場

今ならパワハラで一発アウトかもしれない。 だが、あの頃の現場では、弁当は生存に直結していたのだ。 張り込みという仕事は、ほとんど何も起きない。 だが、その「何も起きない時間」が一番きつい。 写真週刊誌のカメラマンだった頃、とにかく張り込みが多かった。 多い年は、年間二〇〇日近く現場に張り付いていたと思う。 車の中、脚立の上、空港、ビルの屋上、防波堤、刑務所の前、時には迷彩服で山の中。 取材場所はすべて相手の都合で決まる。 労力の割に効率は悪く、三日、五日、十日と、シャッターを

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そのまま進めば無期懲役か、死刑か。

あれは1990年後半だったか。 香港返還の取材かどうか忘れたが、 仕事を終えて帰国するため、啓徳空港の廊下を歩いていた時のことだ。 背の低い老人に呼び止められた。 カタコトの英語。 身振り手振りで、「この荷物を運んでくれないか」と言っている。 困った顔をしている。 ——あら大変そう。 そう思った。 親切心の軽い気持の人助け。 いい話にでもなるかもしれない。 実は大富豪で、「これはお礼です」と札束が出てくるとか。 美人の孫娘が出てきて「なんて優しいニホンジン

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アレがない。――いまだ見る悪夢

大事件の現場に、たまたま出くわす。事故か、事件か、災害か。とにかく「これは撮らなきゃいけない」という緊張感が漂っている。 ――来た。。 機材は、完璧に揃っている。ボディもある。レンズもある。ストロボもある。肩には、いつものカメラバッグ。準備万端だ。 だが―― カメラをチェックしたとたんに、血の気が引く。 フィルムが、入ってない。 そんなはずはない。 焦ってバッグの中を探す。 ポケットも、サイドも、底も、全部探す。だがフィルムはない。本当に、ない。 時間はどん

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お妃候補に叱られた日—— 近すぎた記者と、遠くなった皇后

今なら、まず許されない取材だったと思う。 それは分かっている。 だが、これはまだ、警備も報道対応も、今ほど整理されていなかった昭和の話だ。 記者と対象者の距離が、いまでは考えられないほど近かった。 そして、私自身もまだ若いマスゴミであった。 そんないい訳っぽい話である。 1987年12月。 その日、彼女はまだ「皇后陛下」ではなかった。 もちろん「皇太子妃」でもなかった。 外務省に入省して間もない、小和田雅子さんだった。 だが、すでに周囲はざわついていた。 浩宮さ

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「炎の向こうへ」全10回 (まえがきと1-5回は無料公開中)

長編小説『炎の向こうへ』全10回をまとめて読めるセット版です。 火災、救助、殉職、母の手紙。 そして、知らぬ間に受け取っていた命のリレー。 ひとりの青年が、ある消防士の生き方をたどりながら、自分自身の命の意味に近づいていく物語です。 現場で命を救う人たちは、何を背負い、何を守ろうとしているのか。 その問いを追いながら、過去と現在がつながっていきます。 単体で購入するよりお得にお読みいただけます。

炎の向こうへ まえがき

4

炎の向こうへ 第1回 死ぬぞ

4

炎の向こうへ 第2回 母からの手紙

4

炎の向こうへ 第3回 小田淳二という男

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現場から生まれた物語(フィクション)

この棚はノンフィクションではありません。 ただし、現場で見てきた人間の息づかい、判断、恐怖、迷いから生まれた物語です。 取材者が書くフィクションを、ここにまとめます。

炎の向こうへ まえがき

4

炎の向こうへ 第1回 死ぬぞ

4

炎の向こうへ 第2回 母からの手紙

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炎の向こうへ 第3回 小田淳二という男

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