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マガジン一覧

木製テント劇場創りプロジェクト

2025年度、劇団野らぼうが、舞台美術家の大島広子さんや、地域の林業事業者さんと協働して行う「木製テント劇場創りプロジェクト」(略してモクテン!)に関して情報をまとめていきます! 支援:信州アーツカウンシル(一般財団法人長野県文化振興事業団)

[木テン]クロストーク後半スケジュール!🌲

これまでアート、林業、暮らしの話などを通して全4回展開してきたクロストーク、後半残り3回と続いていきます! 今回行っている企画は単に地域産材を使いながら独自のテント構造体を作る、というだけでなく、そこには人はもちろん、自然環境や動物たちとのコミュニケーションをはらみながら膨らんでいく思考をアップデートさせる創作活動であると実感しています。 そういった感慨をトークする方々と膨らませながら、今年度のまとめとしていきたいところです! こちらの3回も、ぜひお聞きくださいませ!👂

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2026/2月12日~15日 [木テン]エキシビション開催!

木製テント劇場創り2025の活動報告として2月に展示を行います! 場所は松本市中心地に位置するブックカフェ栞日とそのふたつとなりにある空き地(南源地ファーム(仮))!! 屋内展示ではこれまでのプロセス、屋外展示ではテント構造体の一部を展示します。 木製テント劇場創り2025 骨になるまで空みる鯨展 この名前に込めた思いについて少しだけ説明します。 私たちが行ってきた木製テント劇場創りですが、林業事業者と舞台美術家とタッグを組んで、実際に山に繰り出し体験を通して企画を進めてい

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木製テント劇場創り シーズンⅡ-3 [製材]

マグロの解体や鹿肉の解体など、食肉系のそれは様々ありますが、樹木の解体ともいえる製材の現場を見ることは初めて。 今回は柳沢林業の高力さんが製材を行われる現場を見学することができましたので、その様子をお伝えします。 わたしたちが伐倒した樹木は樹齢およそ5-60年ほどの檜でした。 両手で抱きつけば十分に受け止められるくらいの太さで、材木としては"使いごろ"の木だと言えます。 そんな木を丸太の状態からスライスして板状にしていくわけですが、その過程はなかなか想像ができません。 今回

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[木テン]連続トーク企画を始動!

これまで進行してきた木製テント劇場創りプロジェクトですが、その内容をアーカイブとして残していくため、また、行われている議論を広く共有するために連続トーク企画としてYouTubeライブとして配信します(もちろんアーカイブもあり)。 ここでは、参加しているメンバーのそれぞれの立場から考えていることを共有しつつ、このプロジェクトが目指したい方向を炙り出していきます。 きっと貴重な内容が飛び出していくことでしょう! 毎回違った角度から話を展開させますので、ぜひお聞きくださいませ!👂

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劇団野らぼうのクリエイション

演出/前田斜めの覚書など、これまでの創作活動を経て大切に思っていることや創作方法についての考察など、劇団野らぼうの創作に関するあれこれをまとめています。

創作覚書_ゾーエーⅣ

”あるけどない”存在について考えることは、劇作としては珍しいことではない。 そのことについて表現している作品は最近かなり多く見かける。 だから、というわけでもないけれども早くこのテーマを突破したい。 “あるけどない”ための設定や、“あるけどない”ための方法、“あるけどない”場所やルール。それらについて自分なりの解決策を言及したのが、創作覚書_ゾーエーⅢの白いクラゲ(雲)だった。あれは、装置としてはあり得ると思っている。 ただ、それはひとつのきっかけにはなりうるけれども、答え

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創作覚書_ゾーエーⅢ

ゾーエーとは“生命”という意味で使っている。 “生命”にはふたつあって、“ビオス”と“ゾーエー”。 ビオスは、個体ひとつひとつの命として、 ゾーエーは生命という言葉で表される、連綿とつながる一連の流れの命として理解している。 僕たちは個体ひとつの命を生きつつ、同時代に生きる生物としての生命の上にも生きている、と言える。 ただ、普段このゾーエーの上に生きているということは意識しずらい。 だからゾーエーは“あるけどないもの”を表す造語として使用している。 演劇的にあるものについ

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創作覚書_ゾーエーⅡ

いないことを証明することは難しい。 究極的には説明できないと思っている。本当はいるのかもしれない。 だから、“いない”と人が認識する時、“いない”のではなく、“いないと信じている”のだと思う。 “いる”と“いない”のまどろっこしい考察の続き。 認識についての理解を、十分に僕ができているわけではない。 この分野は精神や心の話になると思うのであまりにも奥が深い。 だからひとまず現状の理解として、人は“知る・気付く・信じる”の3つの階層で物事を認識していると仮定している。(知るは

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創作覚書_ゾーエーⅠ

僕の表現では、どうやらいつも"いない存在"について考えてしまうらしい。 でも前からそうだったというわけではおそらくない。 たぶん、自分で自分の作品を演出をするようになって、あらゆる事柄に線を引いてサイズを決定しなければならなくなった時に意識し始めたんだと思う。見える存在と見えなくなってしまう存在(視覚的にという意味ではなく認識として)、外側と内側。 作品作りに際して、そのやり方、劇世界の設定が方法論として決定してしまえば迷わなくなるのかもしれないけれど(それはそれで寂しいが)

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