波打際外伝21話 山伏の常春 The Yamabushi Tsuneharu
次回は、セオリの誕生だったはずだ・・・が、その前に・・・
実は、前に、源氏と平家の話をすると言って日本不動産銀行の債券の話で終わってしまった話である。

ISBN なし 1972(昭和47)年6月10日発行
静御前様の方は、どういうわけか動画までできているにもかかわらずその後の話がない。
この古い雑誌の後ろの方に、義経の最期の記事がある。
ドキュメント 義経憤死 杉本苑子さんの著である。
その後ろの方を見たときに、筆者はうれしかった。
片岡経春の名前を見つけたのである。
この片岡経春は、義経に準じてこの時亡くなっている。
この物語に、山伏で常春(ジョウシュン)という人物が出てくる。

この物語では、片岡常春を想定した人物である。
が、この記事では、経春は亡くなっている。
つまり、いま生きている山伏ではないということになる。

ここからは、いつも通りAIと一緒に考えることになる。
吾妻鏡、義経記などを探してもらい、この片岡常春を探してもらった。
その結果が面白い。
片岡常春(つねはる)とは
平忠常の子孫である両総平氏の一族。海上庄司常幹の子。
本拠は下総国三崎荘(現在の千葉県北東部)。
●生涯の主要ポイント
1181年(養和元年)
佐竹氏との縁戚関係から源頼朝に謀反の疑いをかけられ、
召喚に来た雑色を傷つけて晒し者にしたため、所領没収。
のち赦免され、義経の平氏追討軍に従軍。
壇ノ浦で海中から神剣(神爾)を拾い上げる功績が記される(延慶本平家物語)。
1185年(文治元年)
再び謀反の疑いで三崎庄を没収され、千葉常胤に奪われる。
1189年(文治5年)
三崎庄返還の沙汰が出るが、実際には千葉氏の所領となり、
片岡氏は奥州合戦前後に滅亡したと推測される。
2回も頼朝に疑われているという・・・なかなかな人物ではある。

2.「片岡八郎経春」とは誰か
史料では「片岡八郎」がしばしば登場し、 義経の都落ちに従い、平泉で義経とともに自害したと『義経記』に記される。
●名前の混乱
吾妻鏡には以下のように複数の表記がある:
片岡太郎常春
片岡次郎常春
片岡八郎常春
片岡八郎為春
片岡八郎弘経(弘綱)
このため、研究者は次のように推定している:
●推定される構造
常春(太郎/次郎) … 兄
為春(八郎)=弘経(弘綱) … 弟
経春(八郎) … 義経記での呼称。為春/弘経と同一人物の可能性が高い。
つまり、 「片岡八郎経春」=『義経記』における八郎の呼び名で、 史料上は「為春」「弘経」と同一人物とみられる。
つまり、
片岡太郎常春 山伏の常春(ジョウシュン)に対して
片岡八郎経春(弘経、弘綱)は、おそらく弟で別人とみてよいだろう。

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