それでも編集ソフトを開く理由
どうも、久我レイジです。
何時間も編集ソフトに向き合って、ようやく投稿して、それでもほとんど反応がない夜があります。
あれは、思っている以上に心にきます。
頑張っていないわけではなく、むしろ作業時間だけで言えば、自分でもよくやっていると思うくらい積み上げている。それなのに数字は動かず、コメントも少なく、作品が届いている感覚もなかなか持てない。
そういう日が続くと、「本当に前に進めているんだろうか」と不安になることがあります。
でも最近、少し思うようになりました。
苦しい時期こそ、実は一番伸びている時間なのかもしれない、と。
SNSでは、どうしても再生数やいいね、コメント、フォロワー数のような「見える結果」で判断されます。だからそこが動かないと、まるで何も変わっていないように感じてしまう。
でも創作の成長は、外側に出るよりもずっと前に、内側で進んでいることがあります。
水の下で根が伸びるように、見えない部分が静かに育っていて、しかもそれは、作っている本人ですら気づけないくらいゆっくり進んでいる。
僕にも、まったく形にならなかった時期がありました。
メタバースドラマを作り始めた頃、深夜の部屋で編集ソフトのタイムラインと向き合いながら、何度も同じシーンを再生していました。
アバターの立ち位置、カメラを切るタイミング、無言の間、声が入る前の空気、セリフの温度。
少しずつ調整しているのに、全然しっくりこなくて、「これでいいのかな」と思いながら再生して、止めて、戻して、また直す。その繰り返しでした。
横に置いた飲み物は、いつの間にかぬるくなっていて、それでも完成に近づいている実感はあまりない。
そこまで時間をかけても、SNSに出した時の反応はほとんどなくて、あの日は本気で「こんなにやって、何が変わったんだろう」と思いました。
でも振り返ると、あの成果が見えなかった時間こそが、今の僕の基準を作っていました。
創作で本当に伸びるのは、技術だけではないと思っています。
むしろ先に育つのは「見る目」で、理想だけが高くなって、手が追いつかなくなる時期がある。
前なら気づかなかった違和感に気づくようになり、前なら流していた一秒が気になるようになり、前ならこれでいいと思っていたものを、もう少し直したくなる。
それはきっと、止まっていたわけではなく、見える場所とは少し違うところで、ちゃんと進んでいたということなのだと思います。
成果は、積み重ねの途中ではなかなか見えません。
でもある日ふと、「あれ、前よりできている」と気づく瞬間が来ることがあります。
それは昨日今日の努力ではなく、ずっと前の、形にならなかった時間の結果だったりする。
伸びなかった作品も、反応が薄かった投稿も、消えてしまったわけではなく、全部、裏側で積み重なっている。
だから苦しい時期は、才能が止まっていた時間ではなく、未来の自分を何度も助けてくれる、作品の土台を作っていた時間なのかもしれません。
今はまだ見えなくてもいい。
そう思いながら、僕は今日もたぶん、また編集ソフトのタイムラインを開きます。
反応が薄くても、まだ形にならなくても、今日のこの夜が、いつか作品の芯になるかもしれないから。



「見る目だけが先に育って、手が追いつかない時期」というところ、かなり刺さりました。
あれは苦しいですが、たぶん創作の筋肉痛ですね。翌日すぐ成果は出ないのに、どこかは確実に痛んでいる。
ぬるくなった飲み物まで含めて、いい文章でした。