テレビドラマ「相棒」の角田六郎課長役ほか、様々なテレビドラマや映画でバイプレイヤーとして活躍中の、山西惇(やまにし あつし)さんですが、

実は、少年時代から秀才で、中学受験で東大寺学園中学校(偏差値:69〜72)に合格すると、その後、東大寺学園高校を経て、1981年には、現役で京都大学工学部石油化学科に合格していたといいます。

そんな山西惇さんは、京都大学では、劇団「そとばこまち」に入ったそうですが、大学卒業後、石油化学メーカーに就職した後も、劇団「そとばこまち」の活動は続けていたといいます。

今回は、そんな山西惇さんの幼少期(生い立ち)から京都大学卒業後に石油化学メーカーに就職するまでをご紹介します。

山西惇

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山西惇のプロフィール

山西惇さんは、1962年12月12日生まれ、
京都府京都市の出身、

身長170センチ、
体重67キロ、

血液型はB型、

学歴は、
京都聖母学院小学校
⇒東大寺学園中学校・高等学校
⇒京都大学工学部石油化学科卒業

趣味は、映画鑑賞、

だそうです。

山西惇の本名は?芸名の由来は?

山西惇さんの本名は、「畑中敦史」というそうですが、「本名では恥ずかしいから」と言う理由で芸名を使うことにしたそうです。

また、「山西」という名字は、高校時代の2つ上の軽音楽部の先輩の名前を勝手に頂戴したそうですが、

実は、山西惇さんは、高校時代、その先輩と顔がそっくりだと友人たちに言われていたそうで、

(高校時代の友人には)自分であることがわかるだろう

と、先輩の名前をつけることにしたのだそうです。

山西惇が幼い頃は人前で何かすることが好きだった

山西惇さんは、建築家だったお父さんのもと誕生すると、幼い頃は、「8時ダヨ!全員集合」「オレたちひょうきん族」「仮面ライダー」などのテレビを観ることが好きな子供だったそうで、

テレビを観ながら、いろいろなことを想像して楽しむのが好きだったそうです。

また、人前で何かすることも好きで、小学校では、お昼休みに、みんなの前でテレビ番組のマネを披露していたそうです。

山西惇は中学校時代、深夜ラジオを夢中になって聴いていた

そんな山西惇さんは、私立の中学校を受験するため、小学4年生頃から受験勉強を始めたそうですが、

勉強するうち、なんだか楽しくなり、小学6年生にかけて猛勉強すると、見事、東大寺学園中学校(偏差値:69〜72)に合格したといいます。

そして、中学校進学後は、深夜ラジオを聴くようになったそうで、当時、流行っていたタモリさんや明石家さんまさんの番組を夢中になって聴くほか、ラジオの影響で音楽も好きになったそうです。

(中学ではサッカー部に入ったそうですが、いつも補欠で、試合には3年間で20分くらいしか出られなかったそうです)

山西惇は高校時代、文化祭のコント(舞台劇)に情熱を注いでいた

また、山西惇さんは、高校は、エスカレーター式で東大寺学園高校に進学し、軽音楽部に入部したそうですが、楽器は全然できなかったことから、バンドではボーカルを担当していたといいます。

そんな中、文化祭でコント(舞台劇)をすることになったそうで(山西惇さんは、ここで初めてお芝居と出会ったそうです)、

自分たちでコントを考えてやることになっていたため、友達とあれこれ言いながら、台本をゼロから作り上げていったそうですが、それがとても楽しく、

以降、毎年、コントを作ることに大きな情熱を注ぐようになったそうで、山西惇さんは、この体験が原点になっていると思っているそうです。

山西惇は京都大学石油学科に進学後、劇団「そとばこばち」に入団していた

さておき、山西惇さんは、母方の叔父2人が京都大学出身だったことから、自分も京大に行くのかな~とぼんやり思っていたそうで、

実際、高校3年生の時には、建築家だったお父さんへの憧れもあり、建築家を目指して、京都大学工学部建築学科を受験したそうですが、残念ながら不合格となってしまったそうです。

ただ、第2志望だった石油学科には合格していたため、石油学科に進学すると、当初は、軽音楽部へ入部しようと考えていたそうですが、バンドを組んでいた同級生がみな東京の大学に行ってしまい、自分1人だけで入る勇気がなかったことから断念。

その後、いろいろなサークルを見て回っているうちに、劇団「そとばこばち」に出会うと、山西惇さんが中学・高校時代にやっていたような舞台を完成度高くやっていたことから、

自分のやりたいことにかなり近い

と思い、入団したのだそうです。

ちなみに、当時の座長・辰巳琢郎さんの口癖は、

将来は劇団四季のように芝居で食える集団にする

だったといいます。

山西惇は京都大学を5年かけて卒業していた

そんな山西惇さんは、すっかり演劇にはまってしまい、1986年、5年かかって京都大学を卒業したそうですが、卒業論文は、「アルファアニシルネオペンチル系化合物のソルボリシスに関する研究」だったそうで、

(山西惇さんは、大学時代に、徐々に文系的なものに興味が移り、演劇への関心も増していったそうで、一時は文学部への転部を考えたこともあったそうです)

山西惇さんは、卒業研究の論文について、

入学してすぐの時、ある教授に「大学とは、勉強する方法を学ぶ場所だと思ってください」と言われました。「勉強しに行く場所」ではない、ということにすごく納得しました。

卒業論文は有機化合物について書きました。テーマは「α‐アニシルネオペンチル系化合物のソルボリシス」です。

必須科目を落として留年したこともあり、不真面目な学生だと思っていましたが、指導教官だった小松紘一先生と先日食事をした際に「君ほど真面目に実験していた学生はいなかった」と言われました。

卒業研究は実験が主で、自分が立てた仮説を検証するための実験をあれこれ考えるのが楽しかったです。1つの仮説の立証に3ヵ月ほど時間がかかり、結局研究はあまり進みませんでした。ただ、分からないことが分かっていく楽しさを味わいました。

と、語っています。

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山西惇は京都大学卒業後は石油化学メーカーに就職するも劇団「そとばこばち」も続けていた

そして、大学卒業後は、教授の推薦により、石油化学メーカー(機械油の合成潤滑油を作る企業)に就職すると、カメラのレンズを磨く時にかける、切削液の研究職として勤務していたそうですが、

2年目からは、再び、劇団「そとばこまち」の活動もするようになったといいます。

ただ、やがて、

会社と劇団、どちらにも多大なる迷惑をかけるようになるのでは

と、危惧するようになると・・・

「【画像】山西惇の若い頃から現在までの出演映画TVドラマ舞台は?」に続く

お読みいただきありがとうございました

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