『歎異抄』を味わう〜自分を測る物差しを手放すということ。
【要約】
「比較の苦しみ」は大昔から存在しています。
親鸞聖人と法然上人の有名なエピソードを交えながら、歎異抄が教える「比べない生き方」についてわかりやすく解説します。
こんにちは、ヨシボウです。
現代人の悩みの半分くらいは、「他人と比べること」から生まれているのではないでしょうか。
とくにSNSを見ていると、どうしても自分と誰かを比較して落ち込んでしまうことってありますよね。
今回は『歎異抄』の後書きである「後序(こうじょ)」のエピソードをご紹介します。
800年前の教えから、私たちが「比較の苦しみ」から抜け出すヒントを見つけていきましょう。
SNSが引き起こす比較の苦しみ
たとえばあなたが高校生だとして、一生懸命ギターの練習をしているとします。
ふとX(旧Twitter)やThreadsのタイムラインを見ると、10歳くらいの男の子がむちゃくちゃ上手にギターを弾いている動画が流れてきました。
どう思いますか?
「自分はなんて下手くそなんだ」「なんでこんなに差があるんだ」と、落ち込んでしまいませんか。
これはギターだけでなく、仕事でも、ピアノでも、ダンスでも同じですよね。
逆に、自分より下だと思う人を見つけて、ホッと安心することもあるかもしれません。
上を見ても苦しいし、下を見ても心から安心はできない。
私たちは、そんな「比較の世界」からなかなか抜け出せないのです。
親鸞聖人の爆弾発言
『歎異抄』の後序に、こんな有名なエピソードが書かれています。
あるとき親鸞聖人が、兄弟弟子たちの前でこうおっしゃいました。
「私の信心も、法然さまの信心も、何の変わりもない。まったく同じです」
これを聞いて、周囲の弟子たちは大騒ぎになります。
「なんてことを言うんだ!思い上がるな!」
「お師匠さまとお前の信心が、同じなわけがないだろう!」
当然ですよね。
法然上人といえば、当時のエリート中のエリートであるものすごい高僧です。
一方の親鸞聖人はそのお弟子ですから、現代で言えば新入社員が社長に向かって「私たち、同レベルですよね」と言っているようなものですw
しかし、親鸞聖人がおっしゃりたかったのは、そういうことではありませんでした。
信心は「いただきもの」だから同じ
学問の知識や経験、人格や人柄といった能力の話なら、法然さまの方が圧倒的に上です。
そんなことは、親鸞聖人ご自身がいちばんよくわかっておられました。
でも、「信心」だけは違うとおっしゃったのです。
なぜなら、何度もお伝えしたように、
信心は自分で作るものではなく「阿弥陀さまからのいただきもの」だからです。
法然さまが受け取られた信心も、
親鸞聖人が受け取られた信心も、同じ仏さまからいただいたもの。
だから、信心に優劣(上や下)はないのだと。
後で法然上人にこの考えを尋ねたところ、「その通り、親鸞の言うことに間違いはない」とおっしゃったそうです。
これって、すごい話だと思いませんか?
仏さまの世界にランキングはない
ぼくたちは何でもかんでも、すぐにランキングにしてしまいますよね。
年収、学歴、肩書き、フォロワー数など。
そして、そのランキングの順位で自分の価値を決めてしまいがちです。
もちろん、私たちが生きている現実社会には差があります。
仕事ができるできない、運動神経がいい悪い、収入が多い少ない。
でも、だからといって「人間の価値まで違うわけではない」のです。
仏さまの世界には、ランキングなんて存在しません。
能力が高い人も低い人も、
成功した人も失敗した人も、等しく同じように願われている。
それが、浄土真宗における「平等」ということなのです。
握りしめた物差しを手放す
私たちはどうしても、他人と比べてしまいます。
SNSを見て落ち込んだり、自分のダメなところばかりが目につく日もあるでしょう。
でもそんなときこそ、思い出してほしいのです。
法然さまも、親鸞聖人も、そして私たちも、同じ阿弥陀さまの温かい願いの中にいるということを。
こちらからお願いしたわけではなく、向こうからすでに「あなたを救いたい」と願ってくださっているのです。
人間の目で見れば、優劣をつけて比べてしまう。
でも仏さまの目から見れば、みんな同じ、みんな尊い存在なのです。
私たちは常に、自分を測る「物差し」をギュッと握りしめて生きています。
その物差しを少しだけ手放してみると、ホッと落ち着ける瞬間がありますよ。
そのとき、ため息と同じように自然とこぼれ出るのが、「南無阿弥陀仏」のお念仏なのです。
✅まとめ
現代人の悩みの多くは、SNSなどでの「他人との比較」から生まれる
親鸞聖人は「法然さまの信心も私の信心も同じ」とおっしゃった
信心は自分で作るものではなく、仏さまからの「いただきもの」
現実社会には能力の差があるが、仏さまから見れば全員が等しい存在
自分を測る「物差し」を手放したとき、ホッとしてお念仏がこぼれる
私たちはつい、周りの人と自分を比べて落ち込んでしまいますよね。
でも、仏さまの世界にはランキング表はありません。
あなたがどんなに不器用でも、失敗ばかりでも、あなたの価値は絶対に変わらないのです。
握りしめている物差しをそっと置いて、そのままの自分を許してあげてくださいね。
さいごまでお読みいただき、ありがとうございました。
🎙️Spotifyでも配信しています。
記事の元となる音声配信をしています。
ながら時間で聞いていただけると嬉しいです!



今回も有り難いお話ありがとうございます。
優劣は存在するのではなく、自分が握りしめている物差しが作り出しているものなのかもしれませんね。
比較する矢印が外へ向いているうちは、自分自身の姿は見えておらず、執着を手放し、矢印を内へ向けたとき、初めて本当の自分と向き合えるのだと感じました。
仏さまの世界にランキングはないというお話は、現代社会において、精神衛生を保つため、とくに大切なお話なのではと心に残りました。