道具は変わる。作り手は移っていく。
AIデザインをめぐる既視感
ここ数週間、デザインまわりのニュースを追っているだけで、目が回りそうになります。
GPT Imageの進化。
Claude Designの登場。
AdobeとClaudeの連携。
「また何か出た」と思った翌週には、もう次の何かが出ている。
スピードが、これまでとは違う。
そして同じくらいの速さで、反発の声も聞こえてきます。
「これはデザインじゃない」
「プロンプト書いてるだけ」
「魂がない」
その言葉を眺めていて、ふと、既視感に立ち止まりました。
はじめまして、永野ヨウです。
48歳で長期ブランクの主婦から再就職した、とあるJTC勤め。
50代・氷河期世代の視点から、あなたの発信をラクにするヒントを発信しています。
デジタルに憧れていた、絵の具の世代
この景色、見たことがある。
私は1973年生まれ。
デザインがデジタルに移ったあとに、社会に出た世代です。
学生だった頃、すでに時代の主役はMacでした。
Photoshop、Illustrator。
いつか使ってみたい、と憧れていたソフトの名前。
ただ、当時のMacは、本体だけで100万、200万という世界。
学生が気軽に手を伸ばせるものではありませんでした。
「これからはデジタルの時代でしょ」
いつかMacを操るデザイナーになれたら──と憧れながらも、目の前にあるのはアクリル絵の具と面相筆。
溝引きで真っ直ぐな線を引くのが苦手で、困っていました。
手のなかに残っていた、たしかな感触
学生時代、平面デザインの課題は、ポスターカラーを面相筆で塗り、烏口で線を引いて仕上げていました。
ベタ塗りのムラを消すために何度も筆を重ねる。
烏口の角度を少し誤ると、線が滲む。
徹夜明けの手は震えて、最後の一本がうまく引けない。
これからはデジタルの時代なのに、筆で塗ることに意味があるのかな。
そう思いながら、それでも絵の具の手触りを、どこかで楽しんでもいました。
ポスターカラーが乾く前の、あの少し湿った匂い。
面相筆の先が紙にすっと吸い込まれていく感じ。
烏口を傾けたときの、墨の流れ方。
「もう古い」と言われそうなものに、たしかに残っていた感触がありました。
そして当時、すでにデジタルへ移っていた先輩たちに向けられていた声も、私は聞いていました。
「あれはデザインじゃない」
「クリックしてるだけ」
「手で描けない人間が逃げ込む場所」
──いまAIに向けられている声と、ほとんど同じ語彙でした。
筆を置いた人と、移っていった人
では、烏口や面相筆でデザインを作っていた人たちは、いまどこにいるのでしょう。
もちろん、そこで筆を置いた人もいたと思います。
道具の変化は、誰にとっても等しく優しいわけではないから。
けれども、私の知る限り、多くの人はデジタルデザインの世界に移っていきました。
烏口で培った「線の精度」をベジェ曲線に持ち込んだ人。
ポスターカラーで覚えた「色の重なり」をレイヤーで再構築した人。
版下で身につけた「組版の眼」をDTPに引き継いだ人。
道具が変わっても、その人が見ていたものは、消えなかったのだと思います。
道具が変わるたびに、繰り返されてきたこと
道具が変わるたびに、同じ反発が起きる。
そして同じように、多くの作り手はその先へ移っていく。
写真が出てきたとき、絵画は終わると言われました。
DTPが来たとき、版下職人は要らなくなると言われました。
CGが普及したとき、手で描く人は消えると言われました。
どれも、完全には当たらなかった。
仕事の形は変わったけれど、作り手は新しい場所で働きつづけています。
新しい道具が出てくるたびに、語彙の似た反発が起き、語彙の似た予言が外れていく。
この繰り返しを、私たちは何度も見てきたはずなのです。
ただし、今回だけにある問い
ただ、今回のAIをめぐる話には、過去の道具にはなかった論点があります。
学習データの問題です。
烏口もMacも、誰かの作品を大量に取り込んで動いていたわけではありませんでした。
AIをめぐる議論には、これまでの道具交代にはなかった倫理的な問いが含まれている。
ここを「いつもの反発でしょ」とひとくくりにしてしまうのは、たぶん違う。
嘲笑でも、盲信でもなく。
構造としては既視感のある光景でも、そこに乗っている問いは新しい。
両方を同時に見ておく必要があるのだと思います。
私も、そうやって移ってきた
それでも、大きな流れとしては、これまでと同じことが起きるのではないかと感じています。
烏口を握っていた手が、いつしかマウスを握っていたように。
版下を切っていた先輩たちが、気がつけばInDesignを開いていたように。
作り手は、たぶん今回も、新しい道具を含んだ環境へ移っていきます。
私自身も、そうやって移ってきた一人です。
いまはWindows。けれど、Macを使っていた時期もありました。
Adobeのソフトは、もう普通に扱える。
20歳の頃に憧れていた「いつかMacを操るデザイナーになれたら」という夢は、形を変えて、たしかに叶っているのだと思います。
夢の叶い方は、当時思い描いていたものとは少し違ったかもしれません。
それでも、あの日に絵の具の課題を抱えていた手が、いまキーボードの上にある。
その事実は、ちゃんと地続きなのです。
絵の具の感覚と、デジタルの色選び
絵の具で覚えたあの感覚は、形を変えていまの私の色選びにつながっています。
ポスターカラーを混ぜて、思った色にならなかった経験。
重ねすぎて濁ってしまった失敗。
紙の上で乾いたときに、思っていたより沈んで見えた驚き。
そういう手のなかの記憶が、画面の上で色を選ぶときに、どこかで効いている。
絵の具の混色では不可能な色。
逆に、特色なしには印刷できない色。
それを体感でわかるのは、やはりアナログの経験があるからだと思います。
だから私は、スマホに指でデジタルイラストを描く娘に、つい言ってしまいます。
「絵の具でもいっぱい描いたほうがいいよ。若いうちに」
娘の指の動きの器用さには、本当に感心するのです。
私の世代にはなかった速さと、自由さがある。
それでも、つい言ってしまう。
これはもしかしたら、古い考え方なのかもしれません。
デジタルから入った世代には、デジタルのなかで育つ別の身体感覚があるのかもしれない。
そう思いながらも、やっぱり、絵の具のことを娘に言ってしまうのです。
乗るかではなく、何を持って移るか
いま問われているのは
「AIの波に乗るか、乗らないか」
ではないのかもしれません。
何を持って移るのか。
烏口で覚えた線の感覚を、Macに持ち込んだ人がいたように。
これまで自分が積み上げてきたものを、新しい環境のどこに置くか。
それを考えることのほうが、ずっと大切な気がしています。
手放したくないものは、何ですか
道具は変わります。
作り手は、移っていきます。
そのあいだに、迷うこと、戸惑うこと、悔しいと思うこと。
全部あっていいのだと思います。
私もまだ、毎週のように更新されるニュースを前に、ついていけていない感覚を抱えています。
それでも、絵の具を抱えていた頃の自分が、いまキーボードの前にいるのと同じように。
きっと、いまの戸惑いの先にも、自分の場所はあるはずです。
あなたが、道具が変わっても手放したくないと思うものは、何ですか。
あなたが積み上げてきたものは、道具が変わっても、消えません。
永野ヨウ( @yohnagano )
初出: note




色々共感できることが多くて勉強になりました!