自分のいる場所を、世界の真ん中だと思っていた
自分宛てでもない返信が、なぜか頭に残った夜のこと。
『やっぱりAIを使うような人はそういうことをするんですよ』
寝る前に眺めた、Threadsのタイムライン。
とあるポストに、そんな返信がついていました。
元スレは、自分のイラストを無断でAIに学習されたと嘆いている人。意に反してAIに食わせるのは、やってはいけないこと。それは間違いありません。
ただ、なぜか、その返信のほうが頭に残ってしまいました。
自分に向けられた言葉でもないのに。
私は現に、『AIを使うような人』なのだなあ、と。
永野ヨウとして私が普段いる場所では、AIを使うことは、もう当たり前になっています。
図解を作る。漫画を作る。文章の壁打ちをする。まわりにも同じように使っている人がたくさんいて、その景色が日常になっていました。
当たり前すぎて、忘れていたのです。
その外には、AIに強い疑念を持つ人、できれば遠ざけたいと思っている人が、今もたくさんいるということを。
冒頭の返信は、私に向けられたものではありません。それでも、忘れていたその事実を、一瞬で思い出させてくれました。
私は、自分が立っている場所を、どこか世界の真ん中みたいに感じていたのだと思います。
新しいものが当たり前に流れてきて、それを当たり前に使う場所。そこに長くいると、その外側の温度が、だんだん見えなくなる。
外から見たら、私のいる場所は、ぜんぜん真ん中ではないのに。
そのことを、久しぶりに思い出しました。
自分のいる場所が当たり前になりすぎると、その外の温度は、誰でも見えなくなる。それはAIにかぎった話でもないのかもしれません。
あなたにとっての「当たり前」は、外から見たとき、どんなふうに映っているでしょう。
もし何か感じるところがあったら、コメントで聞かせてください。
最後に改めて、ご挨拶を。
私は、永野ヨウ。48歳で長期ブランクの主婦から再就職した、とあるJTC勤め。50代・氷河期世代の視点から、あなたの発信をラクにするヒントを発信しています。




こんにちは
世界の中心の感覚を懐かしく思い出していました。
難しいですね。
自分が、自分の人生にとって主人公である当たり前を抱き続ける事に、ふと悩む事は自分も有ります。
でも逆に、若い頃に、自分の人生の主人公を、人に渡したくなる時もありました。それは間違いだと思っています。
今は、ネガティブな意味ではなく、想いとして人生を妻に渡したいと思う時が有ります。