あなたの悩みの根本的な原因は?
もしもあなたが、
何か悩みを抱えているとしたら、
その悩みの原因は何でしょうか?
あなたの人生に起きている出来事が
あなたの悩みの原因なのでしょうか?
それとも原因は他にあるのでしょうか?
心理学者のアルバート・エリスによると、
僕たち人間の悩みは、
何かの出来事によって生じるのではなく、
その出来事に対する「受けとめ方」によって生じます。
そして、その受けとめ方を決めているのが、
僕たちの「ビリーフ(思い込み、信じ込み)」です。
ということは、
僕たちの悩みをつくっているのは僕たちのビリーフ
だということになります。
このことをエリス博士は、
ABC理論によって説明しました。
僕たちは、
自分の人生に起きる出来事(Activating Event)を、
自分のビリーフ(Belief)を通して解釈し、
その結果(Consequence)として感情や悩みが生じます。
これがABC理論です。
A:出来事(Activating Event)
↓
B:ビリーフ(Belief)
↓
C:結果としての感情や悩み(Consequence)
ある日の朝、
A子さんは友だちに「おはよう」と挨拶をしたのですが、
その友達から挨拶が返ってきませんでした。
もしかしたらA子さんは、その友達から
嫌われているのかもしれませんね。
この出来事に対して、
A子さんが「人に嫌われるべきではない」というビリーフ
を持っていたら、
A子さんは過剰なまでに不安になり、
ひどく悩んでしまうでしょう。
なぜなら、A子さんにとっては
起きるべきではない出来事が起きたことになるからです。
もう一つ、別のケースで考えてみましょう。
転職をしたいと思ったB男さんが、
そのことを妻に相談したところ、
妻が反対をしました。
もしもB男さんが
「妻は夫の考えを理解し、協力するべきである」という
ビリーフを持っていたなら、彼は怒るはずです。
妻が取った言動を、
妻としてあるまじき行動だと思うからです。
A子さんの強い不安を作ったのは、
「友だちから無視をされた」という出来事ではなく、
「人に嫌われるべきではない」という、
A子さん自身のビリーフです。
B男さんを怒らせたのは、
「妻が反対をした」という出来事ではなく、
「妻は夫の考えを理解し、協力するべきである」という
B男さんのビリーフです。
このような
「~であるべき」とか
「~であらねばならない」といったかんじの
融通の利かないビリーフのことを
非合理的ビリーフと呼びます。
(非適応的スキーマとも言います)
非合理的ビリーフは、
さまざまな悩みや怒りの素になります。
正義感の強い人が、
いつも周りの人に対して怒っているのも、
「人間は○○であるべきだ」という非合理的ビリーフを
持っていることが原因です。
他には
「完全であらねばならない」
「弱いところを人に見せるべきではない」
「相手をがっかりさせるべきではない」
なども非合理的ビリーフです。
「失敗するべきではない」
「相手を不機嫌にするべきではない」
「わが子は私の期待どおりに育つべきだ」
なども非合理的ビリーフですね。
もしもA子さんのビリーフが、
「人に嫌われないにこしたことはないけど、
人間だから好き嫌いもあるし、相性もある」という
融通の利くビリーフだったらどうでしょう。
きっとA子さんは、
過剰な不安に襲われることはなかったはずです。
また、B男さんのビリーフが、
「妻が夫の考えを理解してくれるにこしたことはないが、
おたがい違う考え方で生きているのだから、
意見が違うことだってある」という
柔軟なものだったらどうでしょう。
B男さんは怒ることなく、
冷静に妻と話し合えたはずです。
このような、融通の利くビリーフのことを
「合理的ビリーフ」と呼びます。
(「適応的スキーマ」とも言います)
合理的ビリーフの特徴は、
柔軟で、ファジー(あいまい)であることです。
車のハンドルにアソビがあるのと似ています。
このファジーさがあるからこそ、
思い通りにならない現実に対しても、
臨機応変に融通を利かせて対応できるのです。
おたがい、適度な柔軟さ、ファジーさを持って
生きたいものですね。
Substackでは、
自己肯定感が高まり、
人間理解が深まり、
人間関係を楽しめるようになる
心理学の話を投稿していこうと思います。
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悩みの根本原因という視点で
日々の出来事を見直すと
表面の出来事だけでなく
その奥にあるものに気づける
気づくたびに少しずつ
こころが軽くなる感覚があります
「べき」が増えているときほど、自分では正義の側にいる気がするのですが、実は心の可動域が狭くなっているだけ、ということがありますね。
車のハンドルのアソビの比喩、とても腑に落ちました。人間関係にも、自分自身にも、少し余白のある運転をしたいです。