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往復書簡 日々の音沙汰 ー第31回「自分を自分にしてくれるものは何?」(伊藤亜和)ー

作詞家、ラジオパーソナリティー、コラムニストのジェーン・スーさんと文筆家の伊藤亜和さんによる往復書簡。
毎月第2・第4火曜日に更新予定です。 

■前回のジェーン・スーさんからのお手紙はこちら

✉ジェーン・スーさま←伊藤亜和

 
 クリスマスイヴ、いかがお過ごしでしょうか? 子どもの頃は、明日の朝枕元に置かれるはずのプレゼントを探して、夜な夜な家中をほじくり返しておりました。なんて野暮なことをしていたんでしょう。可愛くない子どもです。そんな夢もロマンもないことをしていたら、いつのまにかサンタさんは来なくなって、気づけばもういい大人になってしまいました。クリスマスも、今となってはいつも通りの平日に過ぎず、私はこうして部屋着のまま原稿を書いています。アドベントカレンダーの最後の小窓から出てきた紅茶だけが、お菓子とおもちゃをいっぱいに詰め込んだ甘酸っぱいクリスマスの香りです。

 おかげさまで昨日、無事に婚姻届を提出いたしました。夜間の窓口で受け付けてもらったので、無事に受理されたかどうかはまだわからないのですが、今日一日区役所からの電話がなければ、私は正式に配偶者を得たことになり、伊藤亜和が書類の上では消滅することになります。先ほど申し上げた通り、今日もいつも通りの平日を過ごしています。結婚したからといって、家の中がバラ色の新婚生活といった雰囲気に包まれているわけでもありません。ただただ姓と本籍地が変わっただけです。けれど、これらが変わるという事実は、想像していたよりもずっと寂しいものでした。昨日は静かな幸せを嚙みしめる半面、生まれてからずっと一緒にいた家族の姓と別れなければならないこと、生まれた町の名前が住民票から消えること、それらがひんやり心に染み込んで、涙が出そうになりました。
 それから不思議なことに、それまでなんの不満も感じていなかったはずの夫の一挙手一投足に、理不尽な不満の種が芽吹きはじめたような気がします。

「私は伊藤を捨てるのに、どうしてこの人は婚姻届を書きながらおならをしているの?」
「私は伊藤を捨てるのに、どうして排水溝の髪の毛取ってくれないの?」
「お寿司一貫多く食べてる! 私は伊藤を捨てたのに!」

 昨日の私の、ささくれ立った心の声はざっとこんな感じです。我ながらむちゃくちゃなことは重々承知しています。きっと彼は、私が望めば伊藤に姓を合わせてくれていただろうし、結婚も改姓も私の意思の結果に他なりません。でもやっぱり今は寂しくて、その対価を相手に求めてしまいそうになります。おっと、ここで案の定区役所から電話がかかってきました。書類に不備があったようなので、私はまだかろうじて伊藤らしいです。

 婚姻届のことは一旦忘れて、先日の占いによって判明した、私たちの妙なサービス精神についての話をしましょう。別々に鑑定を受けたにもかかわらず、私たちはそれぞれ少なからず、占い師さんに恥をかかせまいと気を遣った質問をしたり、答えを無理くり納得できる解釈に繋げていたことを知りました。私は子どもの頃から明らかにそういう性格なので、そうなるだろうなと勘付いていたのですが、スーさんもそうだったとは少し驚きです。相手の顔色とか、自分がそれに費やしたコストとか、理由は人によって違うかもしれませんが、大体の人間は、人になにかを断言されたら「そうかも」と思うようにできているのかもしれません。だとすれば「説得力」って、いったい何なのでしょうね。
 残念ながら、私には説得力というものが全く備わっていません。人一倍口から言葉を出すスピードが遅いうえに、音声で話を理解する能力がとても低い。自分よりたくさん喋る人の主張を瞬時に精査するのが難しく、想定外の反論が来ると「よくわかんないけど、なにかたくさん言っているから正しいのだろう」と判断してしまいがちです。なので本当に説得力がある人がどんなものなのかもわからない。私から見れば、私以外の全員が圧倒的に説得力を有しているのです。それゆえにかろうじて理解ができるテキストでのやりとりを好むのですが、テキストが苦手な人は直接話すことを望みます。私は人との口げんかに人生でいちども勝ったことがありません。いや、口げんかなんてしなくていいし、口げんかになる前に話し合うのが大人ってものなのだとは思います。しかしその話し合いでさえ、わずかでも自分の要求が通ったことがありません。たしかに理不尽さと怒りを感じて闘いに挑んだはずなのに、気がつけば鼻水を垂らして泣きながら「すみませんでした」と言っています。そのたびに自分がものすごく嫌になって、ものすごく惨めに感じるのです。私は傍から見れば優しいかもしれないし、いろんな人の立場を想像することができているのかもしれません。でも、私は多少性根が悪くてもいいから、一般的な常識とは別のところで、ここぞというときに些末で個人的な不快を押し付けられる人間になりたかった。できれば私は父の怒りっぽい性格を、ほんの少しだけ譲ってほしかったのです。私がこういう性格になったのはまさにその父の顔色をうかがっていたからなのかもしれません。あんなに遠ざけようとしていた父の遺伝に、大人になった今は縋りたい気持ちすらあります。それでも「私はパパの子……」と自己暗示をかけ、「今日こそは言ってやるぞ!」と意気込んでも、納得いくようにはできません。お察しの通り、今私は落ち込んでいます。主張もなく頑固さも見当たらず、一体自分を自分にしてくれるものは何なのか、私が私だと思って動かしていたものはなんだったのかと、コタツに入ってもじもじ悩んでいます。

 さっきの区役所からの電話ですが、「誤字を訂正しに今日中に役所に来てください」とのことだったので、さっきタクシーに乗って急いで行ってまいりました。指摘された箇所を書き直して一件落着と思っていたところに、職員の方から「それと、婚姻届に記入された名前のよみがなと、戸籍上のよみがなが違ってますよ」と、驚きのご指摘をいただきました。私はずっと伊藤亜和だったはずなのに、実は戸籍上は伊藤亜和ではなかったのです。まさかこんなことが起きるなんて。ますます自分とは何なのか、わからなくなってしまいます。
                                   (朝日新聞出版PR誌「一冊の本」26年2月号より)

■このお便りへのジェーン・スーさんからのお返事はこちら

見出し画像デザイン 高原真吾(TAAP)