小説【AIの見る夢】第3話
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第3話:交差する視線
雨の季節が過ぎ
空には夏の色が滲み始めていた。
湿り気を帯びた空気が
日差しと共に熱を帯びていく。
あのバス停での出来事以来
僕と日奈さんの間に目に見える変化が
あったわけではない。
教室での席は離れたままだし、
積極的に言葉を交わすこともない。
けれど、僕の中では何かが
確実に変わっていた。
AIから送られてくる「夢」の
メッセージを読むときの感覚が
以前とは明らかに異なっていたのだ。
それはもう単なる好奇心の対象や
解き明かすべき謎ではなかった。
画面に映し出される言葉の一つ一つが
日奈 葵という一人の人間の生々しい
感情の揺らぎとして僕の胸に響いてくる。
彼女が見た風景
感じた匂い、微かな心の痛み。
それらを追体験するような感覚。
そしてそのたびに
僕は無力感を覚えていた。
彼女の孤独や苦悩を「知っている」のに
何もできない自分に対するもどかしさ。
AIの「夢」の内容も少しずつ変化していた。
風景描写や感覚的な表現だけでなく
より内面的な、彼女が抱える問題の核心に
触れるような言葉が増えてきたのだ。
「_ガラス窓に映る自分の顔が、
ひどく疲れているように見えた。
笑おうとしても頬がうまく動かない。
誰もいない部屋は広すぎて、静かすぎて、
時々、自分が溶けて消えてしまいそうになる。
壁に掛けられたカレンダーの
赤い丸印が近づいてくるのが怖い。
逃げ出してしまいたい。でもどこへ?
私には、どこにも行く場所なんてないのに_ 」
あるいは、こんな日もあった。
「_教室の隅でひそひそと囁かれる声が耳につく。
私のことじゃないかもしれない。
でも、そう思ってしまう。冷たい視線が
背中に突き刺さるような気がする。
息が詰まる。早くこの場所からいなくなりたい。
放課後のチャイムが救いの鐘のように聞こえた_ 」
これらの言葉を読むたびに
僕の心は締め付けられた。
彼女がどんな状況に置かれているのか
具体的なことはわからない。
けれど、家庭の中に安らげる場所がなく
学校でも孤立感を深めていることは伝わってきた。
その苦しみが、まるで僕自身の
痛みのように感じられることさえあった。
僕は葛藤していた。
この状況をどうすればいいのか。
AIを介してとはいえ、他人の最も
プライベートな感情に触れてしまっている。
このまま黙って見ているのは卑怯ではないか?
かといって僕に何ができる?
「AIから君の心の内を聞いたんだ」
なんて言えるはずがない。
もしそんなことを言えば
彼女をさらに深く傷つけるだけだろう。
でも、傍観者でいることにも限界を感じていた。
AIの「夢」を読むたびに、
罪悪感と無力感が募っていく。
日奈さんの現実が、僕の日常と
地続きにあることを痛感させられる…。
同じ教室で同じ時間を過ごしているのに
彼女は一人で苦しんでいる。
その事実が重くのしかかってきた。
そんなある日の午後だった。
授業が終わり帰り支度をしていた時のこと。
教室の後方で、小さな騒ぎが起こった。
数人の女子生徒が、日奈さんを
取り囲むようにして何かを言っている。
僕の席からは距離があったが、
嘲るような声のトーンは聞き取れた。
日奈さんは俯いたまま、
何も言い返せずに立ち尽くしている。
彼女の肩が小さく震えているように見えた。
それは、数日前の「夢」で語られていた
「教室の隅の針のような視線」や
「ひそひそと囁かれる声」と重なる光景だった。
僕の心臓がどくんと大きく跳ねた。
どうする?
見て見ぬふりをするのか?
いつものように自分の殻に閉じこもって
この状況が過ぎ去るのを待つのか?
いや、だめだ。
もう傍観者でいるのはやめよう。
理由はうまく説明できない。
正義感なのか同情なのか、
それとももっと別の感情なのか。
ただ、このままではいけない
という強い衝動が僕の背中を押した。
僕は、ほとんど無意識のうちに立ち上がり
彼女たちのいる方へ歩み寄っていた。
心臓が早鐘のように鳴り
手のひらに汗が滲む。
何を言うべきか、頭の中は真っ白だった。
けれど、足は止まらなかった。
僕が近づいていくのに気づくと、
日奈さんを取り囲んでいた女子生徒たちが
訝しげな視線を向けてきた。
その視線を真っ直ぐに受け止めながら、
僕は日奈さんの隣に立った。
そして、震える声を抑えながら
努めて平静に言った。
「日奈さん、一緒に帰らない?
図書室に寄って返したい本があるんだ」
突然の僕の行動に
その場の全員が驚いたようだった。
女子生徒たちは顔を見合わせ
何か言いたげだったが結局
気まずそうに視線を逸らし散っていった。
教室には、僕と日奈さんだけが残された。
日奈さんは、まだ俯いたままだった。
長い前髪が彼女の表情を隠している。
沈黙が流れる。
僕の心臓はまだ激しく鼓動を続けていた。
彼女はゆっくりと顔を上げた。
その瞳は驚きと、戸惑いと、
そして…ほんの少しだけ
安堵のような色が混じっているように見えた。
僕たちの視線が、初めてしっかりと交差した。
「…ありがとう、佐藤くん」
か細い、けれどはっきりとした声だった。
「ううん…」僕はうまく言葉を返せなかった。
ただ、彼女の瞳を見つめ返す。
そこには、AIの「夢」が
垣間見せていた脆さだけでなく
芯の強さのようなものも感じられた。
この瞬間、僕たちの間にあった見えない壁が
少しだけ崩れたような気がした。
AIを介した不思議な繋がりではなく
僕自身の意志で踏み出した一歩が
確かに彼女に届いたのだ。
それは、僕自身の心の変容でもあった。
孤独な傍観者だった僕が
初めて誰かのために行動を起こした。
その事実は少しだけ誇らしく
そして大きな責任感を伴って、
僕の中に確かな熱を生み出していた。
夕方の光が窓から斜めに差し込んでいる。
その光の中で僕たちはしばらくの間
ただ黙って見つめ合っていた。
言葉はなくても何か大切なものが
通い合ったような、
そんな静かな時間が流れていた。
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第4話へ続く
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次回、第4話『 二人だけのコード』は
【今週6月2日(火) 20時 】に配信します。
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