作品
締切が近づくほど、言えない言葉が近づく。
校了前の恋
校了前夜、東京の印刷所。待合の椅子に沈んだまま、書けない作家・牧野慧は一行も差し出せない。担当編集の三浦玲奈は赤字の束を机に置き、角を指先で揃えてから、感情を消した声で締切を告げる。優しくしたら負ける気がして、冷たくする癖が抜けない。けれど慧は、その冷たさにだけ救われてしまう。紙の匂い、空調の乾いた風、遠くの刷り機の低い唸り。時計が無慈悲に進むほど、二人の距離だけが近くなる。仕事としての言葉が恋に変わる瞬間と、恋が仕事を壊しかねない瞬間。その綱渡りの果てに、担当を外れた夜の東京で、二人は初めて「恋人」として会う。静かに成就する、校了前の恋。言えなかった一言が、白紙の上ではなく胸の奥でようやく形になる。
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- 全10話ロマンス
整えた言葉ほど、本音を浮かび上がらせる。
遅れた恋心
「もう終わった」そう思い込もうとしているのに、心だけが遅れている。平日の昼、東京湾岸を歩く篠原紗季は、言葉を角が立たない形に直すのが得意で、感情さえ整理できると信じている。けれど再会は、整えたはずの過去を簡単に現在へ連れてくる。元恋人の一ノ瀬恒一は、好きだった気持ちを過去形にして自分を守ってきた。優しさの出し方が不器用で、相手のために引く癖が、また距離を生む。近況を語るほど、当たり障りのない言葉ほど、言えなかった核心が浮かび上がる。戻れないと知っているのに、戻りたい気持ちだけが確かに残っている。遅れてしまった恋の、その行方。
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- 全10話ロマンス
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