無理につながらない時代へ
音声版はVoicyでどうぞ↓
https://r.voicy.jp/wWK88odWKB7
ども。たいろーです。皆さん今日もテックにやってますか?
今日はちょっとした雑談でも。
皆さん、かつてFacebookが登場した頃の熱狂を覚えているでしょうか?
創業者であるマーク・ザッカーバーグが掲げた「人と人を繋げることで、より良い世界を作る」というビジョンは当時最高にクールで、新しい時代の幕開けを感じさせるものでした。
しかし、それから約20年。僕たちが今SNSで目にしている光景は、当初の理想とはかけ離れたものになっています。
SNSは「口のプロレス会場」になった
現在の主要なSNS(特にXなど)を開けば、流れてくるのは刺激的なコンテンツばかり。経営者同士が罵り合い、プロレスという名の「言葉の格闘技」が日々繰り広げられています。
フォローもしていない人の攻撃的な投稿がタイムラインに勝手に流れ込み、ひたすらアテンション(注目)を奪い合って広告を見せる構造。その究極の形がXとTikTokなのかもしれません。こうした過剰な刺激に、多くの人が「もう疲れ果てた」と感じ始めてい
「繋がるほど憎しみ合う」というパラドックス
僕は、ザッカーバーグの「繋がれば繋がるほど世界は良くなる」という楽観的な考え方に、当時から違和感を感じていました。
価値観の衝突: 国も、バックグラウンドも、大切にしているものも全く違う人同士を無理に繋げると、相互理解どころか、理解不能ゆえの「憎しみ」が生まれやすくなるのでは?
「ごった煮」の限界: 多様な人々を一つの「地球の縮図」のような場所に押し込めてしまえば、過度な言葉狩りや「これは差別だ」といった指摘が飛び交い、非常に息苦しい空間になってしまうのでは?
本来、生態系が多様であることは自然界としての事実ですが、それぞれが住み分けていますよね?それを一つのプラットフォームの中に強制的に混ぜ合わせることで、良いこともる反面、はないのかもしれません。
「大規模SNS」と「小〜中規模な村SNS」
こうした「アンチSNS」「脱SNS」への欲望に人々が意識的になっていくと、今のSubstack(サブスタック)のような小さなコミュニティ形成装置は注目度がたかくなっていくでしょうね。
無理に世界中と繋がるのではなく、興味のない人の世界は覗き見せず、自分たちの価値観を共有できる仲間と仲良くやっていけばいい。
そんな「小〜中規模の村々」が、大規模SNSと併存する形へと、インターネットの人間関係は回帰していくかもしれない。
誰にでもオープンで、常に誰かと戦わなければならない広場から、自分たちが心地よいと感じる居場所へ。
そんなことを考えた週末、金曜日の夜でした。



いつもポッドキャストの【テックリードFM】も楽しく聴いてます!
かれこれポッドキャストは2年弱聴いてます!
広告モデルがなく、
いまのところケンカがないサブスタックだからこそ私も発信し続けることができてます笑
Voicyから来ました!サブスタックはなんだか空気感がいいですねー