ちょうどいい始まり
🌱 Substackを始める前の私
発信したいという気持ちはずっとあった。 でも「やらなきゃ」ではなく「やりたい」という気持ちだけが、ずっと胸の中にあった。 それなのに、日常のできごとを発信できるネタだとは一度も思っていなかった。 レモンの木も、名義変更も、武道館も、懇親会の地蔵も、全部ただの日常だった。 📝 書き始めたら、日常が全部ネタに見えてきた Substackを始めて最初に気づいたのは、日常の見え方が変わったことだ。 レモンの木に虫がついた、それが記事になった。 名義変更で赤えんぴつに4回直された、それが記事になった。 武道館で夢を叶えた人を見た、それが記事になった。 うんうん、日常を発信できる目を手に入れた瞬間から、毎日が違って見えた。 🚀 数字が動いた、でもそれより大事なことがあった 4人から120人、フォロワーが増えた瞬間は正直もっと欲しくなった。 たしかに数字は嬉しい、でも今一番楽しいのは記事を書くこと自体だ。 日記のように書き始めたが、今は誰かに読んでほしいという気持ちに変わっている。 書くから読みたくなる、読むからまた書ける、その循環の中にいる。
🗿 リアルで地蔵だった私
Substackでは動けた 懇親会ではテーブルから動けない地蔵だった。 でもSubstackの中では積極的にRestackして、コメントして、知らない人と繋がれた。 巨人の肩を借りれば、自分では届かない人と繋がれることを体で覚えた。 リアルで地蔵でも、Substackの中では動ける自分がいた。
自分の言葉で書
半分の恥ずかしさが温度になる 自分の言葉で書くことへの恥ずかしさは、正直まだ半分残っている。 でもその半分の恥ずかしさが、言葉に温度を生んでいると今は思う。 まわりから「はまってるね」と言われるほど、本気が外から見えるようになってきた。 やなぁ、恥ずかしさを抱えたまま書き続けることが、私のスタイルになってきた。
🍋 私のメディア
ちょうどいい幸せになった Substackは私のメディアだ。 大きすぎない、でも確かに自分のものという感覚がある。 フォロワー数でもない、バズることでもない、毎日自分の言葉で書けることがちょうどいい。 1年後の自分が楽しみすぎる、著者として本を出しているかもしれない。 夢は口に出した瞬間から動き始める、それを武道館で学んだから今日も書く。 私のちょうどいい幸せは、このSubstackの中にある。



