見出し画像

妖怪を科学で解体👈️これ乱暴すぎません?〜くねくね障害者説を機に考えてみよう〜

 タイトル長くしすぎました。謝罪します。

1. 「くねくね障害者説」って何だよ

 とりあえず、以下の2つの投稿を読んでほしい。

  「くねくね」はゼロ年代初頭に生まれた怪談で、オカ板の【死ぬ程洒落にならない怖い話を集めてみない?】(いわゆる洒落怖)のひとつとして周知されていった怪異である。つまり、『ネット民がネット民を怖がらせる為に考えた嘘妖怪』であり、そんな伝承のある地域など無い。よって、「実は障害者をカカシ代わりに立たせていたのが元なんだよ!」などという説は到底ありえない。

2. 妖怪語りの「科学的解体」癖


 この「くねくね障害者説」は極端な例だが、妖怪語りにこういった論調のものは少なくない。「雪女は矛盾脱衣が〜」とか「河童は河原者のみなしごで〜」とか「ヒダル神はハンガーノックで〜」とか。皆さんアヤフヤな伝聞や自作したオトギ話を、あたかも専門家から聞いた有力説であるかのごとく、利いた風に開陳している。別に嘘で権威付けせずに「これ個人的な思い付きなんですけど!」という枕詞から語り始めれば良いものを、何故か人伝に聞いたという設定で語り始めたがる。恥じらいでもあるのだろうか。無理筋の創作を何がしかの研究結果のように話すことは恥ずかしくないのに、自作設定であるという事実を明かすことは恥ずかしいのだろうか。もしそうなのであれば、なんとも難儀な人々だ。
 しかし、なぜ人々は妖怪に「科学的説明」をつけたがるのか?  せっかくなので知ったかぶり達の妖怪語りよろしく、もっともらしい「心理学的説明」をつけてみよう。

 まず挙げられるのは、認知的不協和。現代人は文明に生き、科学万能主義的な感覚を少なからず内面化している。科学万能主義者にとって、妖怪という非科学をそのまま受け容れるのは気持ちが悪い。妖怪が合理的な理由なく語られてきた歴史や、怪異として好奇と恐怖をもって語られる現在について、生理的な違和感を覚えてしまう。それを解消するために、「いや、妖怪って実はこういう合理的な理由が……!」という、それっぽい説明をつけたがる。まるで「迷信なんて信じない、そんなものはありはしない」と自分に言い聞かせるかのように。

 次に、制御欲求の影響が挙げられるだろう。怪異の本質は「よくわからないけど怖い」もとい「よくわからないから怖い」という不確実性にある。しかし、不確実なものは人間を不安がらせる。人は未知の現象に直面したとき、説明可能な枠組みに無理やり当てはめて安心したがる。妖怪を「実は歴史的な事件が〜」「心理現象で〜」などと解体するのは、「怪異から怪しさを奪いたい」という防衛機制の一種である。フロイトで言えば合理化だ。

 さらに、文化的な背景も指摘できる。現代の都市型社会は、効率的な思考を重視する。まさに合理化の鉄の檻である。民俗学者の小松和彦が妖怪学新考で指摘したように、妖怪は本来「日常の外にある曖昧な存在」だ。しかし、都市に最適化された現代人はその曖昧さに耐えられない。だから、「河童=河原に住み着いた孤児」「雪女=矛盾脱衣から生まれた誤解」といったような、綺麗にパッケージされた軽薄な与太話に飛びついてしまう。それっぽい説明はSNSでバズりやすいため、余計に広まることとなる。これらの「科学的解体」の論調は何となく賢そうだし、それを理解することにも知的な満足が生まれるし、それを広めることにも啓蒙主義的な快感が生まれる。何から何までまがい物ではあるのだが、コスパとタイパはそれなりに優れている。

 要するに、妖怪に「科学的説明」をつけるのは、怖さや曖昧さをコントロールしたい人間のサガと言えよう。
 しかし、妖怪は時事や思想や自然現象が複雑に織り込まれ、時代の流れや語られ方によって絶え間なく変化し続ける怪異である。それが本質的にカオスだからこそ妖怪は妖怪たりえるのであって、単一の観点からスッキリと説明づけられるものではない。そもそも、物事はそう簡単にできていない。妖怪はその顕著な例なのだ。(大手の白けつみたいなのは個別的例外と捉えてほしい。)

3.怪談としての「騙り」の必要性

 とは言え、怪談に思いつきの設定を加えて膨らませること自体は、必ずしも悪いことではない。むしろ良いことだとすら思える。フォークロアはそのようにして発展・拡散していくものであり、それは古来から今に至るまでずっとそうだ。水木しげるだって妖怪にオリ設定を盛りまくっているし、百鬼夜行絵巻だって数え切れないほどの模写・転写を繰り返してオリキャラを足されまくっている。
 それに、怪談を語る際に「これは個人的な思い付きなんですけど!」から始めたら興醒めだろう。NONSTYLEというコンビが怪談についての漫才で「これは行きつけのバーの店主が5分くらいで考えたんですけど……」「もう怖ないわ!」といったようなやりとりをしていたが、まさにそんな感じだ。嘘であると心底わかりきっていて、自分たちのいる現実と怪異のいる世界を完全に切り離していたら、ホラーを怖がって楽しむのは難しい。自作の設定を人伝という体で語ることには、読者へのサービスとしての側面も見出だせる。

 冒頭のツイートの良くないところは「嘘をついたこと」よりも「その嘘がバレバレだったこと」にあると言える。くねくねがネットの創作妖怪であることは皆知っているので、「障害者をカカシの代わりに立たせていたのが元なんだよ!」という嘘はすぐにバレてしまう。怪談として全く没入できない。

4.結論

 ネットで嘘をつくときは真面目にやろう。


いいなと思ったら応援しよう!