セロリを切ったら自分の時間が帰ってきた話
ここ一年半ほど、かなりストレスフルな仕事に携わっていたために、自宅の台所は一切使われず、エンゲル係数が爆上がりし、僕は20kg近く太った。
これはコンビニ飯が健康に悪いという話ではなく、僕はストレスを嗜好品つまり菓子を食べることで解消するからだ。23時に帰宅して風呂上がりにファミリーパックのクッキーやチョコレートを下手すると一袋開けてしまう。
嗜好品以外で「食べる」行為に頓着のないほうだと思う。その行為に集中する局面がストレスを解消する場面以外ほぼないのでそう思い込んでいるだけかもしれないが。
コスパを考えて自炊をしている時期もあったが、本質的に食べることに興味がないため、自分が食べたい味というものが分からず、レシピすなわち手順書通りに作った料理を可もなく不可もなくといった具合で咀嚼していた。
正直に言えば、誰かのために作るならまだしも、食に関する解像度が低い自分しか食べないもののために、味を繊細に調整するとか、時間をかけるといったことに意義を見出せなかったところもある。
味がよくわからない自分にとっての料理なんてこの程度のものである。がっかりさせる誰かもいないのだし、僕にとって効率がよく、口に入れば何でもよかった。
半年前、仕事が変わってようやく少しゆとりができた。
僕はスーパーに買い物にいくことができるようになった。(以前の記事で申し上げたように、僕の住んでいる町は買い物には少し不便なのだ)
そうして再び自炊をするようになったが、それはやはりコスパや健康面を考えての機械的な作業だった。暗記したレシピ数種類でもって、保存食を作る。自分の口に入れられるものが作れればいい。
ある日、同じスーパーでセロリが安く売られていたので買ってみた。
機械的に同じレシピを繰り返す僕にとってそれは珍しいことだった。今考えると、その時点でもしかしたら僕は自炊について、何かを変えたい気持ちがあったのかもしれない。あるいは少しだけ増えた自分の時間を持て余していたのかもしれないけど。
おそらく人生でセロリを調理したことはないか、あっても一回程度だった僕は、スマホでレシピ検索をし、出てきたレシピ通りにセロリを調理した。
薄切りにしたセロリをボウルに入れて、塩、酢、はちみつ、レモンで和えるだけの簡単な手順だった。
レシピ、つまり手順書通りに操作すればまず間違うことはない。特別好きなものは作れないが、不味くもないものが作れる。
調味料を入れて和えたセロリを味見すると、ほのかに甘酸っぱかった。
薄切りにしたセロリは筋っぽくなく、しかしシャキッとした食感は活かされており、そして軽い口当たりだった。
決して悪くなかった。レシピ通りに作ったのだから当然だ。
だけど、その日の僕ははっきりとこう思ったのだ。
「いや、まだいける。この方向の味ならもう少しレモン入れて締めてオリーブオイルにダメ押しのパンチで黒胡椒だろ」
それはかなり明確な要求だった。僕が初めて「味」の概念を理解した瞬間だった。
言い換えれば、僕はその日初めて本当に自分が食べたいと思うものを作る方法、つまり「料理」を理解したのだ。
その日以来、僕の自炊は少し変わった。
やっぱり毎日はできないので、機械的に保存食を作ることも多いけど、その中で少しだけ実験や工作の時間のように、「自分がこの素材からどんな味や食感のものを食べたいだろうか」と考えたものを作ってみている。
なるほど、料理が好きな人たちってこんな面白いことをしていたのか、という衝撃があった。そこには創意工夫と達成感があった。
今まであくまでも健康や倹約を目的とした、副産物としての機械的な自炊しかしていなかった僕には気付けなかった、実感できなかったことだった。
たとえばスナップエンドウは蓋を閉めたフライパンでこんがりするまで焼くと美味しいことも知った。
瑞々しくパリッとした食感を保ったまま、素材の甘みが引き出される。
この時期なら新玉ねぎをベースとしたサラダやマリネに入れるとアクセントになってとてもよい。
そして関係があるのかないのか、菓子を食べることも減った。
もっともストレスの原因の大半は仕事なので、仕事が変わればストレス解消に食べていた菓子の量は減るのだが、それにしたって最近はほとんど食べなくなった。
おそらく「何を食べたいか」の解像度が上がり、「何を食べたくないか」の解像度も上がったのだろう。
増えてしまった身体の肉が自然と減っていく。思わぬ副産物である。
「自炊は痩せる」が正なのか「自炊が出来る程度にゆとりのある生活をするとストレスをため込まなくなるので太る要因が減る」が正なのかは僕には分からないが。
自炊――つまり自分のための食事を自分で調理し用意すること――は、自分の人生を少なからずコントロールできているという自己肯定感に寄与することを、僕は34歳の春に知った。
井戸から汲み上げた、冷たくて、手をびちゃびちゃと濡らし、流れ落ちていくもの、それが"WATER"なのだと初めて結びついた時のような煌めきがあった。ちょっと大袈裟だけどね。
だから、今日も自炊する。冷蔵庫には水菜とアスパラ。
きっと手の込んだことはしないし、相変わらず誰かと食べるわけでもない。でもそれでいい。僕のためだけでいい。
それが僕の人生を形作る時間となっていくのだから。
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