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「謎の援軍」

ー/ー



 走力と体力には自信があった。
 何せパラブルムへ来てから連日連夜走り通し。
 向こうの世界の超回復なんざ目じゃないぐらいの勢いで筋力体力が向上した結果、ステータスはもちろんだけど、感覚的には陸上短距離の国代表ぐらいの力はあると思ってる。
 レイン自身も「スピードだけならボクでも危ういかもねー」と言っていたし、てことはやはりけっこうなものなのだろう。

「くそっ、くそっ、くそっ、あり得ねえだろーっ!? なんでこんなことになっちゃうんだよーっ!?」
 
 不満たらたら、しかし足だけは止まることなく全速力で、夜のゴルドーを俺は駆けた。

「『疾走(スプリント)』!」

 力ある言葉(コマンドワード)を口にすると、鉄の芯でも入ったように体の軸が安定し、ぐんと四肢に力が(みなぎ)った。
 速度が体感30%ほど向上し、周囲の景色が猛烈な勢いで後ろへぶっ飛んでいく。
 効果自体は8秒程度で消えたが、その分距離を稼ぐことが出来た。

 これがスキルの使い方だ。
 そのつどMPを消費するものの、使えば確実な効果が望める。
 
「『曲走(ベンド)』!」

 曲走は疾走とは異なり、直線的でない走行技術を指す。
 三半規管や平衡感覚の機能が安定し、遠心力に負けないよう全身の筋力がアップし、鋭いコーナリングが出来るようになる。
 つまりはカーブでより一層距離を稼ぐことが出来るのだ。

「『疾走』! 『曲走』! 『疾走』! 『曲走』!」

 このふたつを組み合わせて、俺は爆速で走った。
 MPはガンガン減っていくが、なんせこちらは『再生』持ちだ。
 上手いことやればすぐに元に戻るはず。 
 
「……っと、っととっ?」

 一瞬頭がクラリとした。
 焦りすぎたせいでMPを使い過ぎたのだろうか。

「『形相開示(ステータスオープン)』!」

 慌てて形相開示を行うと、視界の端にポップアップアイコンみたいにして現在のステータスが表示された。

 MP30

「さ……さすがにちょっとまずいかっ?」

 最大280あったはずのMPが、すでにレッドゾーンに突入している。

 MP33→36→39→42→

 5秒おきに数字は3ずつ上昇していくのだが、疾走にも曲走にもMPは15必要だから使用するには約25秒のチャージが必要で……ええと……ええと……。

「と、とにかくどこかに隠れないと……!」

 俺は慌てて辺りを見渡した。

 ゴルドーの街は周辺のダンジョンから湧き出すモンスターへの対策として、高い城壁を築いている。随所に防御拠点たる城塔があり、街の中央には領主の住まう城館がある。
 城壁の外側には水堀を巡らし、東西南北の門には跳ね橋と兵士の詰め所が設置されている。
 詰め所や城塔には夜でも警備の兵士がいて、街の中には巡回兵もいる。

「この辺は西の倉庫街か……ってことは西門の詰め所に駆け込んで兵士に助けを求めるか……? いやでも、そもそも兵士ごときでどうにかなる相手でもないような……っ?」

 以前七星(セプテム)が総勢百人からなる野党の一団と衝突したことがあったが、まるで相手にならなかった。
 短剣を二刀流に構えたレインが風のように駆けると、通り過ぎた後には十人近い野党の死体が転がっていた。
 他の面々も一騎当千の化け物揃いだし、およそこの街の武力でどうこうできるようなものじゃない。

「じゃあどうすれば……ってゆーかちょっと待てよ? 別にまだレインが敵だと決まったわけじゃないんじゃ……?」

 そうだ、俺の指を舐めたのだってきっと傷口を気にしてくれたのだし、その後のセリフも寝ぼけていたせいだとすれば説明がつく。
 それを俺が大げさに考えただけだ。そうに違いない。

「そうだよ。あんな酔っ払いどもの与太話(よたばなし)とレインのどちらを信用するかなんて、考えるまでもないじゃないか」

 そうと決まれば話は早い。
 今すぐ戻って誤解したことを謝ろう。
 与太話のことを話してふたりで笑い合って、いつも通りの関係に戻るんだ。

「あっはっは、俺ってやつはバカだなあー」
「『閃光(フラッシュ)』」

 誰かのつぶやきが聞こえた。
 そう思った瞬間、前足に衝撃が来た。
 あまりにも唐突なことで抵抗出来ず、俺の体は宙を舞った。
 
「え、あれ──」

 ぐるりと回る視界の中、レインが憐れむような視線を向けて来ているのが見えた。
 息一つ切らしていない余裕の態度も、よく見えた。
 
「──なん──」

 足音にすら気づかない距離からのスキル発動で、一気に横に並ばれて足を払われた?
 そんなスキル、こいつ今まで使ったことあったか? 
 それともこういう状況のために見せずにいた?
 そもそも全力疾走から全力停止で足払いとか出来るもんなのか?
 あれ、というかこれやべっ……

「──でえええええっ!?」

 俺は石畳の上を転がった。
 まったく受け身をとれないまま、ゴロンゴロンと。
 立ち木、石壁、立木、石壁と連続してぶつかって、ようやく止まった。

「ぐっ……うう……っ?」

 全身打撲の衝撃で、しばらく立ち上がれそうにない。
 痛くて辛くて、超泣きそう。
 顔を動かすことだけはかろうじて出来たが、それ以外の行動はたぶんというか絶対無理。
 HPは530から300にまで減少している。
 うん、俺って打たれ弱過ぎね。
 
「レイ……ン?」

 頭のどこかが切れたのだろう、タラリと垂れ落ちてきた血のせいで歪んだ視界の中、レインがこちらに向かって歩いて来る。 
 今まで見たことのないような、ヘラヘラと歪んだ笑みを顔に浮かべて。

「いっやあー、しかしボクとしたことがミスったよねえー」

「ミ……ス……?」

「ホントはもうちょっと成長するのを待とうって話をみんなでしてたんだよ。()に差し出す前にちょっとつまみ喰いするぐらいは許してくれるって約束になってたから。ボクも当然そのつもりでいたんだけど……寝起きであんな美味しそうなの見せられちゃあ、ね? さすがに我慢出来なくなっちゃったというか……」

「美味しそうって……やっぱりおまえ……」

「あっれえー? キミもそれに気づいて逃げたんじゃないのおー? キミたち勇者って生き物が、魔王討伐のためじゃなく一部の有力者や貴族たちの食卓に上がるために召喚された哀れな存在なんだってことにぃー」

 どこまでも軽薄に笑うレイン。
  
「……マジかよ」

 怖いなと思った。
 その変貌ぶりが怖いと。

「しっかし勇者様って奴はどうしてどいつもこいつも底なしのお人好しばっかりなんだろうね。ねえ、だっておかしいじゃん。遙か異世界から単身で召喚して魔王討伐? そんなの無理に決まってるじゃん。やるならもっと大人数を呼ぶよ」

 俺たちずっと一緒にいたはずなのに。
 たった4か月とはいえ、友達以上恋人未満の関係を築けていたはずなのに。

「しかもキミは、その中でも特一級の哀れさだよね。何せ歴代の勇者様たちの誰もが持ち合わせていなかった『再生』持ちなんだから」
 
 ……なんでだよ。
 なんでそんな掌を返したみたいに……。

「ねえ、わかってる? これってさ、苦しみが永遠に続くってことなんだ。いくら喰っても無くならない最高級料理として、永遠に食卓に上がり続けるってことなんだ。わあー、可哀想っ」

「…………ください」

 まったく可哀想とは思ってなさそうな顔で言うレインに、俺は頼んだ。
 頭を地面に擦りつけ、誠意をこめて。

「見逃して……ください」

 情けなくも涙が出た。
 辛くて、苦しくて、呼吸が上手く出来なくなった。
 
「お願いですから……」

 せっかく異世界へ来たのに。
 健康で、どこまでも走り続けられる理想の肉体を手に入れたのに。
 王族やら貴族やらというわけのわからない連中にこれから永遠に喰われ続けるだなんて、そんな運命、あんまりだ。

「頼みますから──ぐえっ?」

 土下座しているのを蹴り転がされたかと思うと、腹の上にレインが飛び乗ってきた。
 綿製の鎧下(ギャンベソン)しか着ていない身にはそれはすさまじい衝撃で、思わず呻きが漏れた。

「ダーメっ」

 語尾にハートマークでもついていそうな可愛らしい声でレイン。

「ねえ、わかるでしょ? 勇者喰いは国家機密なんだ。キミを逃がしたりしたらさすがのボクでも(はりつけ)にされちゃうよ。ボクだけじゃない、七星のみんなだって連帯責任、仲良く七人殺されちゃうよ」

「そ、そんなぁ……」

「はあー、しかし良かったあーっ。ねえ、ボクはけっこうハラハラしてたんだよ? キミがあまりにも走力を特化して鍛えるからさ。もしかして真実に気づいてて、いずれはボクを振り切って逃げるつもりなんじゃないかと思ってさ。そういう意味では今日で良かったよ。これぐらいならまだまだ、『閃光』から逃げることは出来ない。というわけでえー……」

 ニッコリ微笑むと、レインは俺に覆いかぶさって来た。
 何をするつもりなのかと思ったら、俺の左の耳たぶに嚙み付いて来た。
 犬歯が鋭く、肉に食い込んだ。

「まずはこのコリコリの耳からつ・ま・み・喰・い・っ。いっただっきまーす♪」

「ひ──!?」

 恐怖が極まって俺の全身を硬直させた、その瞬間だった。

 ──ギャリィィィン!

 金属と金属が打ち合うような鋭い音がしたかと思うと、レインの体がぶっ飛んだ。

「な……な……な……?」

 誰かが横合いからレインを殴りつけた。
 それだけがかろうじて理解出来た。

「いったい誰が……?」

 上半身を起こすと、赤い月を背負うようにしてひとりの少女が立っているのが見えた。
 歳の頃なら16ぐらい、大人の背丈ほどもある戦鎚(ウォーハンマー)を肩に担ぎ、魔女みたいな黒いとんがり帽子を被っている。

「お初に、勇者殿。我が名はアール」

 少女──アールはそう名乗ると、とんがり帽子を投げ捨てた。
 風になびく長い銀髪の間から、山羊みたいな形の角が見えた。
 瞳が鮮紅色の光を放ち、鍛え上げられ引き締まった肢体を包む漆黒のミニのドレスの下から先端の尖った尻尾が覗いているのが見えた。

「……っ?」

 俺は思わず息を呑んだ。
 それらは紛れもない、人類の敵対種たる悪魔族にのみ見られる特徴だったからだ。

「先の勇者トーコと交わせし盟約により、そなたに助勢いたす」
 
 ニヤリ口元を歪めるなり悪魔は──アールは走り出した。

 狙うはレイン。
 よろめきながら立ち上がったところへ、思い切り戦鎚を叩きこんだ──


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 走力と体力には自信があった。
 何せパラブルムへ来てから連日連夜走り通し。
 向こうの世界の超回復なんざ目じゃないぐらいの勢いで筋力体力が向上した結果、ステータスはもちろんだけど、感覚的には陸上短距離の国代表ぐらいの力はあると思ってる。
 レイン自身も「スピードだけならボクでも危ういかもねー」と言っていたし、てことはやはりけっこうなものなのだろう。
「くそっ、くそっ、くそっ、あり得ねえだろーっ!? なんでこんなことになっちゃうんだよーっ!?」
 不満たらたら、しかし足だけは止まることなく全速力で、夜のゴルドーを俺は駆けた。
「『疾走《スプリント》』!」
 |力ある言葉《コマンドワード》を口にすると、鉄の芯でも入ったように体の軸が安定し、ぐんと四肢に力が漲《みなぎ》った。
 速度が体感30%ほど向上し、周囲の景色が猛烈な勢いで後ろへぶっ飛んでいく。
 効果自体は8秒程度で消えたが、その分距離を稼ぐことが出来た。
 これがスキルの使い方だ。
 そのつどMPを消費するものの、使えば確実な効果が望める。
「『曲走《ベンド》』!」
 曲走は疾走とは異なり、直線的でない走行技術を指す。
 三半規管や平衡感覚の機能が安定し、遠心力に負けないよう全身の筋力がアップし、鋭いコーナリングが出来るようになる。
 つまりはカーブでより一層距離を稼ぐことが出来るのだ。
「『疾走』! 『曲走』! 『疾走』! 『曲走』!」
 このふたつを組み合わせて、俺は爆速で走った。
 MPはガンガン減っていくが、なんせこちらは『再生』持ちだ。
 上手いことやればすぐに元に戻るはず。 
「……っと、っととっ?」
 一瞬頭がクラリとした。
 焦りすぎたせいでMPを使い過ぎたのだろうか。
「『形相開示《ステータスオープン》』!」
 慌てて形相開示を行うと、視界の端にポップアップアイコンみたいにして現在のステータスが表示された。
 MP30
「さ……さすがにちょっとまずいかっ?」
 最大280あったはずのMPが、すでにレッドゾーンに突入している。
 MP33→36→39→42→
 5秒おきに数字は3ずつ上昇していくのだが、疾走にも曲走にもMPは15必要だから使用するには約25秒のチャージが必要で……ええと……ええと……。
「と、とにかくどこかに隠れないと……!」
 俺は慌てて辺りを見渡した。
 ゴルドーの街は周辺のダンジョンから湧き出すモンスターへの対策として、高い城壁を築いている。随所に防御拠点たる城塔があり、街の中央には領主の住まう城館がある。
 城壁の外側には水堀を巡らし、東西南北の門には跳ね橋と兵士の詰め所が設置されている。
 詰め所や城塔には夜でも警備の兵士がいて、街の中には巡回兵もいる。
「この辺は西の倉庫街か……ってことは西門の詰め所に駆け込んで兵士に助けを求めるか……? いやでも、そもそも兵士ごときでどうにかなる相手でもないような……っ?」
 以前|七星《セプテム》が総勢百人からなる野党の一団と衝突したことがあったが、まるで相手にならなかった。
 短剣を二刀流に構えたレインが風のように駆けると、通り過ぎた後には十人近い野党の死体が転がっていた。
 他の面々も一騎当千の化け物揃いだし、およそこの街の武力でどうこうできるようなものじゃない。
「じゃあどうすれば……ってゆーかちょっと待てよ? 別にまだレインが敵だと決まったわけじゃないんじゃ……?」
 そうだ、俺の指を舐めたのだってきっと傷口を気にしてくれたのだし、その後のセリフも寝ぼけていたせいだとすれば説明がつく。
 それを俺が大げさに考えただけだ。そうに違いない。
「そうだよ。あんな酔っ払いどもの与太話《よたばなし》とレインのどちらを信用するかなんて、考えるまでもないじゃないか」
 そうと決まれば話は早い。
 今すぐ戻って誤解したことを謝ろう。
 与太話のことを話してふたりで笑い合って、いつも通りの関係に戻るんだ。
「あっはっは、俺ってやつはバカだなあー」
「『閃光《フラッシュ》』」
 誰かのつぶやきが聞こえた。
 そう思った瞬間、前足に衝撃が来た。
 あまりにも唐突なことで抵抗出来ず、俺の体は宙を舞った。
「え、あれ──」
 ぐるりと回る視界の中、レインが憐れむような視線を向けて来ているのが見えた。
 息一つ切らしていない余裕の態度も、よく見えた。
「──なん──」
 足音にすら気づかない距離からのスキル発動で、一気に横に並ばれて足を払われた?
 そんなスキル、こいつ今まで使ったことあったか? 
 それともこういう状況のために見せずにいた?
 そもそも全力疾走から全力停止で足払いとか出来るもんなのか?
 あれ、というかこれやべっ……
「──でえええええっ!?」
 俺は石畳の上を転がった。
 まったく受け身をとれないまま、ゴロンゴロンと。
 立ち木、石壁、立木、石壁と連続してぶつかって、ようやく止まった。
「ぐっ……うう……っ?」
 全身打撲の衝撃で、しばらく立ち上がれそうにない。
 痛くて辛くて、超泣きそう。
 顔を動かすことだけはかろうじて出来たが、それ以外の行動はたぶんというか絶対無理。
 HPは530から300にまで減少している。
 うん、俺って打たれ弱過ぎね。
「レイ……ン?」
 頭のどこかが切れたのだろう、タラリと垂れ落ちてきた血のせいで歪んだ視界の中、レインがこちらに向かって歩いて来る。 
 今まで見たことのないような、ヘラヘラと歪んだ笑みを顔に浮かべて。
「いっやあー、しかしボクとしたことがミスったよねえー」
「ミ……ス……?」
「ホントはもうちょっと成長するのを待とうって話をみんなでしてたんだよ。|上《・》に差し出す前にちょっとつまみ喰いするぐらいは許してくれるって約束になってたから。ボクも当然そのつもりでいたんだけど……寝起きであんな美味しそうなの見せられちゃあ、ね? さすがに我慢出来なくなっちゃったというか……」
「美味しそうって……やっぱりおまえ……」
「あっれえー? キミもそれに気づいて逃げたんじゃないのおー? キミたち勇者って生き物が、魔王討伐のためじゃなく一部の有力者や貴族たちの食卓に上がるために召喚された哀れな存在なんだってことにぃー」
 どこまでも軽薄に笑うレイン。
「……マジかよ」
 怖いなと思った。
 その変貌ぶりが怖いと。
「しっかし勇者様って奴はどうしてどいつもこいつも底なしのお人好しばっかりなんだろうね。ねえ、だっておかしいじゃん。遙か異世界から単身で召喚して魔王討伐? そんなの無理に決まってるじゃん。やるならもっと大人数を呼ぶよ」
 俺たちずっと一緒にいたはずなのに。
 たった4か月とはいえ、友達以上恋人未満の関係を築けていたはずなのに。
「しかもキミは、その中でも特一級の哀れさだよね。何せ歴代の勇者様たちの誰もが持ち合わせていなかった『再生』持ちなんだから」
 ……なんでだよ。
 なんでそんな掌を返したみたいに……。
「ねえ、わかってる? これってさ、苦しみが永遠に続くってことなんだ。いくら喰っても無くならない最高級料理として、永遠に食卓に上がり続けるってことなんだ。わあー、可哀想っ」
「…………ください」
 まったく可哀想とは思ってなさそうな顔で言うレインに、俺は頼んだ。
 頭を地面に擦りつけ、誠意をこめて。
「見逃して……ください」
 情けなくも涙が出た。
 辛くて、苦しくて、呼吸が上手く出来なくなった。
「お願いですから……」
 せっかく異世界へ来たのに。
 健康で、どこまでも走り続けられる理想の肉体を手に入れたのに。
 王族やら貴族やらというわけのわからない連中にこれから永遠に喰われ続けるだなんて、そんな運命、あんまりだ。
「頼みますから──ぐえっ?」
 土下座しているのを蹴り転がされたかと思うと、腹の上にレインが飛び乗ってきた。
 綿製の鎧下《ギャンベソン》しか着ていない身にはそれはすさまじい衝撃で、思わず呻きが漏れた。
「ダーメっ」
 語尾にハートマークでもついていそうな可愛らしい声でレイン。
「ねえ、わかるでしょ? 勇者喰いは国家機密なんだ。キミを逃がしたりしたらさすがのボクでも磔《はりつけ》にされちゃうよ。ボクだけじゃない、七星のみんなだって連帯責任、仲良く七人殺されちゃうよ」
「そ、そんなぁ……」
「はあー、しかし良かったあーっ。ねえ、ボクはけっこうハラハラしてたんだよ? キミがあまりにも走力を特化して鍛えるからさ。もしかして真実に気づいてて、いずれはボクを振り切って逃げるつもりなんじゃないかと思ってさ。そういう意味では今日で良かったよ。これぐらいならまだまだ、『閃光』から逃げることは出来ない。というわけでえー……」
 ニッコリ微笑むと、レインは俺に覆いかぶさって来た。
 何をするつもりなのかと思ったら、俺の左の耳たぶに嚙み付いて来た。
 犬歯が鋭く、肉に食い込んだ。
「まずはこのコリコリの耳からつ・ま・み・喰・い・っ。いっただっきまーす♪」
「ひ──!?」
 恐怖が極まって俺の全身を硬直させた、その瞬間だった。
 ──ギャリィィィン!
 金属と金属が打ち合うような鋭い音がしたかと思うと、レインの体がぶっ飛んだ。
「な……な……な……?」
 誰かが横合いからレインを殴りつけた。
 それだけがかろうじて理解出来た。
「いったい誰が……?」
 上半身を起こすと、赤い月を背負うようにしてひとりの少女が立っているのが見えた。
 歳の頃なら16ぐらい、大人の背丈ほどもある戦鎚《ウォーハンマー》を肩に担ぎ、魔女みたいな黒いとんがり帽子を被っている。
「お初に、勇者殿。我が名はアール」
 少女──アールはそう名乗ると、とんがり帽子を投げ捨てた。
 風になびく長い銀髪の間から、山羊みたいな形の角が見えた。
 瞳が鮮紅色の光を放ち、鍛え上げられ引き締まった肢体を包む漆黒のミニのドレスの下から先端の尖った尻尾が覗いているのが見えた。
「……っ?」
 俺は思わず息を呑んだ。
 それらは紛れもない、人類の敵対種たる悪魔族にのみ見られる特徴だったからだ。
「先の勇者トーコと交わせし盟約により、そなたに助勢いたす」
 ニヤリ口元を歪めるなり悪魔は──アールは走り出した。
 狙うはレイン。
 よろめきながら立ち上がったところへ、思い切り戦鎚を叩きこんだ──