健康情報に疲れたら、いったん味噌汁に戻ろう
食べ方がわからなくなったときの、3つの戻り方
この記事で持ち帰れることは、
「健康情報に振り回されたとき、食事をもう一度シンプルに立て直す視点」です。
今回は、次の3つで考えてみます。
食べ物を敵にしない
原材料との距離を見る
一食ではなく、一日・一週間で戻す
糖質が悪い。
脂質が悪い。
いや、脂質は正義。
いやいや、糖質を抜けばいい。
いやいやいや、朝はこれを食べるべき。
健康情報を見ていると、
食卓がちょっとした裁判所みたいになることがあります。
今日の被告人は、ごはん。
明日の被告人は、油。
たまに、バナナも呼び出される。
身体を良くしたいだけなのに、
気づけば「何を食べたらいいのか」がどんどんわからなくなる。
本当は、もっと元気に動きたい。
疲れにくくなりたい。
身体を整えたい。
日々を気持ちよく過ごしたい。
そのために健康情報を見ているはずなのに、
情報が増えるほど、食べることが少し窮屈になる。
そんなことは、意外と多いのではないかと思います。
私は15年ほど、パーソナルトレーナーとして身体を見てきました。
筋肉をつけること。
姿勢を整えること。
痛みなく動けること。
競技力を上げること。
日常生活を楽にすること。
いろいろな目的をもった方の身体に関わってきましたが、
その中で感じるのは、身体はそんなに単純ではないということです。
食事だけで決まるわけではない。
運動だけで決まるわけでもない。
睡眠、呼吸、ストレス、活動量、年齢、生活リズム。
全部がつながっています。
だから、
「これを食べれば変わる」
「これをやめれば整う」
「糖質が悪い」
「脂質が悪い」
と、ひとつだけを原因にするのは少し乱暴かもしれません。
もちろん、食事は大事です。
でも食事を大事にすることと、
食べ物を怖がることは違います。
身体を整えるために、
人生が窮屈になってしまうのは、少し違う。
だから私は、健康情報に疲れたときほど、
いったん普通の食事に戻る視点が大切だと思っています。
その象徴が、私にとっては味噌汁です。

味噌汁を飲めばすべて解決、という話ではありません。
味噌汁最強説を振りかざしたいわけでもありません。
ただ、私は料理家の土井善晴さんの
「一汁一菜でよい」という考え方がとても好きです。
ごはんと味噌汁。
余裕があれば、そこに少し何かを添える。
それくらいでいい。
この考え方には、
食事を立派にしすぎなくていい、
毎日の食卓をがんばりすぎなくていい、
という優しさがあるように感じます。
味噌汁には、戻ってこられる感じがあります。
冷蔵庫にある野菜を入れる。
豆腐を入れる。
わかめを入れる。
卵を落としてもいい。
昨日の残り野菜でもいい。
完璧な栄養計算ではないけれど、
「しみるー」という感覚がある。
難しくなりすぎた食事を、
少し暮らしの中に戻してくれる。
私にとって味噌汁は、
健康法というより、戻る場所に近いです。
3つの戻り方
1. 食べ物を敵にしない
ごはんも、油も、果物も、
それ自体が悪者というわけではありません。
問題は、量・頻度・組み合わせ・生活全体の流れです。
たとえば、
甘くて脂っこいものを一日中だらだら食べ続けることと、
ごはん、味噌汁、魚や肉、野菜、少しの油がある食事は、
同じ「糖と脂」が含まれていても、身体にとっての意味は違います。
食べ物をひとつずつ裁判にかけるより、
まずは全体を見る。
何を食べたか。
どのくらい食べたか。
どのくらい続いているか。
その日の身体はどうだったか。
睡眠や疲れはどうだったか。
身体は、ひとつの食品だけでできているわけではありません。
だから、食べ物を敵にしすぎない。
これは、食事を楽にするためにも、
身体を長く見ていくためにも大切な視点だと思います。
2. 原材料名を見て、食材の顔が浮かぶか
私の中に、ゆるい基準があります。
それは、原材料名を見たときに、
「私のおばあちゃんが知っている食材かどうか」
ということです。
米
大豆
しいたけ
塩
味噌
醤油
かぶ
サバ
砂糖
こういうものは、たぶんおばあちゃんも知っています。
でも、原材料名の中に、
果糖ぶどう糖液糖、スクラロース、ソルビン酸Kのような名前がたくさん並んでいると、
少しだけ立ち止まります。
これは、
「それが入っていたら絶対に悪」
と言いたいわけではありません。
無添加が正義、という話でもありません。
ご覧の通り…笑

ただ、私にとって原材料名を見ることは、
食べ物との距離を確認する作業に近いです。
これは食材なのか。
それとも、かなり加工された食品なのか。
身体に入れる前に、
少しだけ距離感を見ている。
それくらいの、ゆるい物差しです。
畑で野菜を育てたり、
発酵食品を作ったり、
台所で何かを仕込んだりしていると、
食べ物は本来もっとシンプルなものだったよな、と思うことがあります。
野菜を切る。
煮る。
焼く。
蒸す。
塩をする。
味噌を溶く。
そういう普通の作業の中に、
身体との距離を近づける感覚があります。
だから私は、原材料を見ることを、
怖がるためではなく、
選ぶために使いたいと思っています。
3. 一食ではなく、一日・一週間で戻す
一食乱れたくらいで、身体は終わりません。
外食の日もある。
甘いものを食べる日もある。
疲れて適当になる日もある。
忙しくて、何かを買って済ませる日もある。
それは普通です。
大切なのは、完璧な一食を続けることではなく、
戻ってこられる流れを持っていること。
今日少し乱れたら、
明日は味噌汁に戻る。
昨日食べすぎたら、
今日は少し軽くする。
数日外食が続いたら、
家でごはんを炊いて、野菜を入れた汁物を作る。
それくらいでいい。
身体を整えることは、
毎日を完璧に管理することではありません。
崩れないことより、
戻ってこられること。
その方が、長く続きます。
私はこう考えています
私は、身体は人生の土台だと思っています。
でもそれは、
身体のために人生を縛るという意味ではありません。
身体があるから、
働ける。
畑に出られる。
人に会える。
料理ができる。
笑える。
好きな場所に行ける。
大切な人との時間を過ごせる。
だから身体を整えることは、
人生を狭くするためではなく、
人生をちゃんと味わうためのものだと思っています。
健康情報は便利です。
学ぶことも大事です。
私自身も、今も学び直しています。
でも、情報が増えすぎて、
自分の身体の感覚が置いてけぼりになることがあります。
何を食べるべきか。
何を避けるべきか。
何が正しいのか。
そうやって外側の正解を探しすぎると、
自分の身体が今どう感じているのかが、
少しずつ見えにくくなる。
だから私は、難しくなりすぎたときほど、
暮らしの中に戻ることを大切にしたいです。
畑。
台所。
普通のごはん。
疲れたら休む。
エスカレータではなく階段を登る。
特別なことではないけれど、
そういう日常の中に、身体を立て直すヒントはあると思っています。
今日の小さな実践
今日の小さな実践。
健康情報を見すぎて、
何を食べたらいいかわからなくなったら、
まずは一食だけ普通に戻してみる。
ごはん。
味噌汁。
卵、魚、肉、豆腐などのたんぱく質。
野菜を少し。
完璧じゃなくていい。
栄養バランスを細かく計算しなくてもいい。
映える食卓じゃなくてもいい。
まずは、
自分が安心して戻ってこられる食事をひとつ持つ。
それだけで、
身体との関係は少し楽になるかもしれません。
終わり

健康情報に疲れたら、
いったん味噌汁に戻ろう。
そこからまた、
自分の身体を見直せばいい。

あっ途中で送信なってしまった💦
即「登録」 よろしくお願いします😊
なんかまたすごい人と出会えた
今日の被告人は、ごはん。
明日の被告人は、油。
たまに、バナナも呼び出される。