ないないを、あるあるに変える練習
私には、「あるもの探し」という大切な考え方があります。
これは、最初から私の中にあったものではありません。
むしろ私は、もともとかなり「ないない」を見つけるのが得意な人間でした。
あれがない。
これが足りない。
まだ準備ができていない。
もっと整ってからじゃないと動けない。
そんなふうに、現実を細かく見て、足りないところを見つけて、そこに力を入れてしまうタイプでした。
それは悪いことばかりではありません。
音楽を専門にしてきた私にとって、足りないところを見つける力は、練習や改善に必要なものでもありました。
音程が少し高い。
音色が硬い。
呼吸が浅い。
身体に余計な力が入っている。
フレーズの方向が見えていない。
そういう小さな違和感に気づいて、直していく。
それを何年も何年も続けてきました。
でも、その見方を人生全体に持ち込みすぎると、なかなか苦しくなります。
できていることより、できていないこと。
持っているものより、足りないもの。
今ある幸せより、まだ手に入っていないもの。
気づけば私は、いつも「ない」を探していました。
そんな私を、なんとか柔らかい人間にしようと頑張ってくれた友人がいます。
ここでは、Sちゃんと呼びます。
Sちゃんは、ガチガチの私を見て、なんとかほぐそうとしてくれました。
そして最終的には、
「ガチガチ中のガチガチが、りえちゃんだね」
というところに着地したのですが、それでも私は、少しでも柔らかくなろうと努力しました。
その頃、Sちゃんが私につけてくれたニックネームがありました。
「ぴょん」
「ぴょんこりん」
ボイスチャットで酔っぱらいながらノリで決まった私のデジタル上での活動ネーム。
実際の「りえ」は、わりと真面目で、現実を見すぎて、欲望の意志も強くて、すぐに「ないない」と言う。
でも「ぴょん」や「ぴょんこりん」と呼ばれると、少しだけ力が抜けるような気がしました。
Sちゃんは、私が「ない」と言うたびに、すぐ拾いました。
「あ!りえちゃん、また“ない”って言った!」
そして、こう言うのです。
「神様、嘘です。さっきの“ない”は取り消しです。あります、あります、ってすぐ言って!」
そこから、二人で手を頭の上に上げて、阿波踊りのようにヒラヒラさせながら、
「あるあるー」
とやるのです。
主に台所で。
周りから見たら、かなり怪しい二人だったと思います。
でも私たちは、二人でゲラゲラ笑いながら、それを何度もやっていました。
今思うと、あれはとても大切な練習でした。
「ないから欲しい」ではなく、
「もう私は持っている」と先に思うこと。
足りないものを数えるのではなく、
今あるものに目を向けること。
いわゆる引き寄せの法則や、先取り思考に近い考え方なのかもしれません。
でも私は、その言葉を理論として学んだのではなく、Sちゃんとの台所の笑いの中で教わりました。
だから、私にとっての「あるもの探し」は、きれいな自己啓発の言葉ではありません。
台所で、手をヒラヒラさせながら、
「あるあるー」
と笑い合った記憶です。
それがよかったのだと思います。
もし真剣な顔で、
「りえさん、あなたはもっと自己肯定感を高めるべきです」
と言われていたら、私はたぶん身構えていたと思います。
でもSちゃんは、私の言葉を拾って、笑いに変えてくれました。
「ない」を見つけるたびに、怒るのではなく、笑って戻してくれました。
「あります、あります」
その繰り返しで、私は少しずつ、自分の思考の癖に気づくようになりました。
もちろん、今でも完璧ではありません。
気を抜くと、すぐ「ない」を見ます。
準備が足りない。
時間が足りない。
体力が足りない。
経験が足りない。
お金が足りない。
場所が足りない。
人手が足りない。
でも、そのたびに少し立ち止まれるようになりました。
本当に何もないのか。
もう持っているものはないのか。
今あるもので、まずできることはないのか。
そう考え直す力が、少しずつ育ってきたのだと思います。
この考え方は、今の私にもつながっています。
伯耆町で何かを始めようとするときも、きっと「ない」はたくさん見つかると思います。
大きな設備がない。
十分な予算がない。
人手がない。
前例がない。
まだ知られていない。
何から始めたらいいかわからない。
でも、そこで終わりたくはありません。
あるものを見たい。
すでにある自然。
すでにある暮らし。
すでにいる人たち。
すでに積み重なってきた歴史。
すでに誰かが大切にしてきた場所。
そして、外から関わりたいと思っている人たち。
ないものを探すより、あるものを見つける。
あるもの同士をつなげる。
そこから小さく始める。
それが、今の私にとっての「あるもの探し」です。
そしてこれもまた、ゼンブツナガッテル~の一部なのだと思います。
ないと思っていたものが、別の形ですでにあるかもしれない。
関係ないと思っていたものが、実はどこかでつながっているかもしれない。
今は小さすぎて見えないものが、誰かと笑いながら育てていくうちに、ちゃんと形になるかもしれない。
Sちゃんから教わった「あるある」は、今も私の中にあります。
実は今、Sちゃん自身がその考え方を忘れがちなときもあります。
そんなときは、今度は私が言います。
「それ、ないないになってるよ」
「あるある、あるある~」
そしてまた、笑いながら人生を少し楽しく、少しアゲアゲに戻していく。
人は、誰かに教わったことを、いつかまたその人に返すことがあるのかもしれません。
私はまだまだ、ガチガチ中のガチガチです。
でも、ガチガチなままでも、少しずつ柔らかくなる練習はできます。
ないないを、あるあるへ。
それは、私にとって、人生を軽くするための小さな魔法です。




