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カールおじさんの生みの親・ひこねのりおさんとともに振り返るカール裏話|あの商品の裏側?!

1968年7月に発売されて以来、世代を超えてたくさんの人に愛されてきたスナック菓子「カール」。西日本エリア限定販売となり、今もmeijiグループを代表するお菓子として多くの人の心に残っています。

そんな「カール」を背負って立ってきたのは、言わずと知れた「カールおじさん」です。今や「お菓子メーカーのキャラクター」という枠組みを超えて国民的キャラクターになったカールおじさんですが、実はもともとはメインキャラクターではなく、CMのエキストラとして描かれたらしいんです。
 
カールおじさんの誕生に至るまでには、どんなストーリーがあったのか。生みの親であるアニメーターでキャラクターデザイナーのひこねのりおさんに、その誕生秘話をお伺いしました。meiji社員きってのカールおじさんファンでもある(株)明治のデザイン戦略Gの南さんも同席し、カールの歴代パッケージを振り返りながら、その歴史をひもときます。

【プロフィール】
ひこねのりお
アニメーター・キャラクターデザイナー
1936年東京都出身。東京藝術大学卒業後、東映動画スタジオを経て虫プロダクション入社。独立後、永沢まことと共同スタジオを開設し、のちに「ひこねスタジオ」を設立。各種アニメーションやオリジナルキャラクターの数々を生み出し、また2004年より「G9+1」(自称世界最高齢のアニメ自主創作集団)に参加するなど、今日も精力的に活躍している。

南 りえこ
(株)明治 価値創造戦略本部 商品開発改革部 デザイン戦略G アートディレクター。入社以来デザイン部門に所属。カールをはじめ、きのこの山、たけのこの里、果汁グミ、明治ミルクチョコレートなどの菓子部門を経験し現在はプロバイオティクスヨーグルト、ブルガリアヨーグルトなどのパッケージデザインを担当。

もともとは脇役、一時は“クビ”に⁉ カールおじさん誕生秘話

ひこねさんの仕事場にて。(写真左)ひこねさん、(写真右)南さん

:わが家はカールおじさん大好き一家なのですが、特にもうすぐ75歳になる父がカールおじさんの大ファンで。インターネット上でカールおじさんの画像を探してきては、勝手にプリントアウトして「癒やされる」と言って壁じゅうに貼っているんです。貯金箱や、日光に反応して揺れるカールおじさんのおもちゃを、サボテンと並べて飾っていたりもします。

ひこね:カールおじさんについて、たまに「かわいい」と言ってもらうことがあり、それはありがたいのですが、自分としてはかわいくしようと思って描いてはいないので、少し戸惑っちゃって。「おもしろい」とか、さっきおっしゃったみたいに「なごむ」「癒やされる」と言われるのが一番うれしいですね。

――今でこそ「カールと言えばカールおじさん」というイメージが広く浸透していますが、当初カールおじさんはメインキャラクターではなかったんですよね?
 
ひこね:カールのCMを作るにあたり、「キャラクターを全面に出したい」というご要望をいただいて、最初はあまり深く考えずに“田舎の坊や”を描きました。演出を手掛けられたCMディレクターの高杉 治朗さんも僕も東京の人間だったのですが、戦時中に田舎に疎開した経験があって、田舎に対する懐かしさみたいなものを抱いていたんですね。

1974年のカール初CM「おらが春篇」

ひこね:田舎の坊やの後ろでは動物たちを行進させようということになり、その中に人間がいたほうがいいだろうと思って描いた“田舎のおじさん”が、のちの「カールおじさん」です。要するに、最初はエキストラの一人だったんですよ。

ひこね:坊やはメインキャラクターにするつもりだったから最初にしっかり作りましたけど、カールおじさんは机の上で一生懸命描いたキャラクターではない。いたずら描きみたいにいい加減に描いたエキストラのほうに注目が集まってしまったんです。
 
――当初“エキストラ”だったカールおじさんは、なぜ“カールの顔”になったんでしょうか?
 
ひこね:最初、坊やのバックにエキストラの一人として、おじさんを登場させたあと、おじさんがメインで登場するCMを作ったのですが、大きな泥棒ひげが特徴的な顔ですから、meiji(当時:明治製菓)さんから「泥棒みたいだからやめて」と言われて(笑)。それで次のCMからはおじさんを出演させずに、坊やと動物たちだけのCMを作ったら、今度は視聴者の方から「おじさんはどこに行ったんだ」とmeijiさんに問い合わせが届いたらしいんですね。
 
そこから、おじさんを主役にしたCM制作が始まりました。
 
――カールおじさんがメインキャラクターになっていったことを、ひこねさんとしてはどのように受け止めていたんでしょうか?
 
ひこね:それは予想外でしたよ。だから、おじさんの人気がこんなに長く続くとも思っていなかったですしね。最初はいたずら描きみたいなものでしたから無表情で、歯も2本しかなかったんです。でも、メインキャラクターになるにあたって立派な歯に変えたんですよ(笑)。その後もだんだんと顔つきが変わっていきましたね。

ひこね:ただね、もともとは「三大喜劇王」の一人であるバスター・キートンのような、表情ではなく体で感情を表現するキャラクターにしたかった。だから最初は、表情豊かなキャラクターにするのはしっくりこなくて、眉毛と鼻をとりました。無表情で芝居ができたら面白いなと思ったんです。
 
でもおじさんは、人気が出るにつれてどんどん表情豊かになっていきましたし、いろいろな芝居をするように変わっていきました。おそらく、”主役”としての意識が芽生えてきたんでしょうね。

:それは生みの親であるひこねさんの意図ではなく、カールおじさん自身が変わっていったということですか?
 
ひこね:キャラクターも生き物ですからね。周囲の期待を受けて、おじさん本人が成長したんだと思います。

「おらが村」の世界観がブランドを育てた

――カールおじさんが暮らす「おらが村」には、赤鬼や青鬼、ダイコクさまといった動物や人間以外の存在もいますよね。そうした設定にしたのは、何か理由があるんですか?
 
ひこね:それは、面白いから。あとはアニメーションだからこそ表現できるものだからですね。まあ特撮でも表現できるかもしれませんが、アニメーションだと一番楽に表現できるじゃないですか。
 
それから、僕は不器用なのでリアルなものを描けないんですよ。だけど、そこはもう開き直ってね。むしろ、フィクションだから描けるものを描いているように思います。

――「おらが村」のモデルとなった地域はあるのでしょうか?
 
ひこね:僕が戦時中に疎開したのは静岡県だったんですけど、「おらが村」にはなんとなく東北のイメージがありました。

でもあるとき、沖縄の石垣島のお菓子問屋さんの社長がおじさんを気に入って、大きな「石垣島カールおじさん」のモニュメントを作ってくれたことがあり、それを見たときに考えが変わりました。カールおじさんは、八重山地方に伝わる「ミンサー織」のかりゆしウェアを着ている姿がとても似合っていて、沖縄にいてもおかしくないなという気がしたんです。

それからは日本ならどこにいてもいいだろうと思うようになりました。ファンの方それぞれに自由に想像していただけたらと思っています。

:「おらが村」は昔ながらの日本の原風景が守られていると感じます。しかも、今となってはその風景を見たことない人のほうが多いはずなのに、「おらが村」やおじさんを見るとなぜか懐かしい気持ちになるのが不思議です。

ひこね:そう言っていただけるのはとてもうれしいですね。そんなに意識してやっているわけではないのですが、「こんな場所があったら楽しいだろうな」という気持ちで描いてきたので。
 
:meijiのお菓子ブランドのロングセラー商品のほとんどはパッケージデザインにこだわってきましたが、カールはデザインだけでなく「おらが村」の世界観がたくさんの人を魅了したことに長く愛されてきた理由があると感じています。キャラクターの世界観がブランドを育てたと言えるのは、meijiの中でも「カール」含め数少ない商品だけなんじゃないかなと。

お寿司屋さんから国会議事堂まで。さまざまなものに扮してきたカールおじさんの歴史

――1968年の「カール」誕生から約50年にわたって、「カール」のキャラクターを描き続けてきて、特に印象に残っているパッケージはありますか?

ひこね:最初はパッケージに載せてもらうことがうれしかったんですが、これだけいろいろな種類が登場すると、いちいち感動していられなくなってきますよね(笑)。描き始めてから50年も経っているからパッケージの数も多くて、個別のパッケージについてはあまり覚えていないんです。

1976年に坊やが登場したパッケージ(右)
2012年に復刻された「1978年発売のカール いそあじ」のパッケージ(左)

ひこね:これは坊やが初めて登場したパッケージで、おじさんがまだ登場していない頃のものですね。

:パッケージに書かれている「100円」の文字に時代を感じますね。ちなみに、ひこねさんが好きなパッケージはありますか?

ひこね:どんな方向性やシリーズにするかは企画と関係があるので、パッケージがどんな絵だったかよりも、どんな企画だったかのほうが印象に残っています。たとえば「地域限定」のものはいろいろ描きましたね。

:関西限定はたこ焼き、名古屋は名古屋コーチンなど、その土地の名産品の限定フレーバーを出していたんですね。そのたびにおじさんは「おらが村」の仲間たちと船に乗ったり、シャチホコと一緒に写っていたり……。

(写真左)「関西限定カール」たこ焼き味
(写真右)「名古屋限定カール」名古屋コーチン味

ひこね みちのく限定の「カール」では、おじさんが伊達政宗になっちゃいましたからね。

「みちのく限定カール」牛タン味

ひこね:おじさんは、言われればおすし屋さんにもなったし、人間以外のもので言えば国会議事堂になったこともあります。あれだけ生活感のあるおじさんだったのに、スポンサーの要望を完璧にこなすタレントになっちゃった。外国も随分と旅行しましたし、時空を超えたこともあって、もう自由自在ですよ。

:でも、どれだけいろいろな場所に出かけても「どこに住んでるかわからないおじさん」じゃなくて、「『おらが村』から来てくれたおじさん」であることが分かるのは、やっぱりカールおじさんのすごさだなと感じます。

ひこねさんが、一番楽しかったと語る「カールおじさん日本ぶらり旅すごろく」

:「でかカール」も懐かしいですね~。通常品と比べても、本当に大きい!

ひこね:こうして見ると、表情も他のカールおじさんとはちょっと違いますよね。

:ちなみにひこねさん、これは覚えていらっしゃいますか?

ココア味のコーンパフにチョコレートをコーティングした「チョコカール」。
2013年発売のパッケージのデザインは、南さんが担当

ひこね:あ~、「チョコカール」ね! カールの味の中ではこれが一番好きだった!

:私もこれ、大好きだったんです。

カールおじさんはみんなが育ててくれた

――meiji社内では、カールおじさんはどういう存在なのでしょうか?

:meijiの菓子事業を代表するようなキャラクターですね。「meiji」と言えば「チョコレート」を思い浮かべてくださる方が多いかもしれないのですが、社内では「meijiと言えばカールおじさん」と言う社員がかなりいるんです。meijiの顔といってもいいくらいだと思っています。

――ひこねさんは、カールおじさんを約50年以上にわたって描き続けていることについて、どのように感じられていますか?

ひこね:もともと僕はかなり飽きっぽい性格なんです。でも、おじさんの場合は長く描いているうちに、自分の分身みたいになってきたから飽きていられなくなってしまった。そのくらい長続きしてくれるのはありがたいですね。長く続くためには“生みの親”ではなく“育ての親”が大事で、育てる人が愛情を持って育ててくれたから、ここまで続いた。

ひこね:だからmeijiさんには感謝していますし、もっと言うと、ファンの方にもとても感謝しています。当時まだ名前もなかったエキストラのおじさんがCMに出演しなくなったことを気にかけて、「おじさんはどこに行ったんだ?」という問い合わせをしてくれた人がいなければ、「カールおじさん」はこの世に存在していないわけですからね。

――最後に、ひこねさんにとって、カールおじさんはどんな存在ですか?

ひこね:カールおじさんは難しいことを考えずに自然にできたキャラクターなので、“自分の中から生まれた”という実感が一番ありますね。でも、それでいて不器用な僕から、スポンサーの要求を見事にこなす器用なキャラクターが生まれたというのも、面白いところだなぁと感じています。